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技術士協同組合は1976年設立の文部科学省認可の事業協同組合です


技術士協同組合は1976年設立の文部科学省認可の事業協同組合であり、
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コーナー世話役:高木育巨(電気電子)

高木育巨(電気電子)の連載コラム
公共工事の不正・不良はなぜなくならないか




 第15回 なぜ、設計施工の分離発注の問題点 2020-4-1



 澤田さんの活動が、軌道に乗りつつあり、あまり中途半端な論評は遠慮すべきと思い、コラムも中断していたが、再開します。

田沢湖のクニマス未来館の建設にあたり、入札仕様書を作った設計事務所が、入札参加者から積算ミスを指摘され、損害賠償を請求されたようです。なぜ、入札参加者が積算ミスを知り得たのか、不思議な話ですが、私は、この件についての経緯は知りませんので、これ以上の詮索はやめ、一般論として考えてみます。

実は、この問題は、積算ミスの問題というより、設計施工の分離の問題です。前に発注までのプロセスとして、課題―仕様―設計のプロセスがあることを説明しました。このプロセスに積算を含めて考えると、課題―仕様−基本設計―施工設計―積算の形になります。

設計施工の分離方式の場合、施工設計まで完全な形で作って、施工側に渡さなくてはなりません。現在の特記仕様書は、澤田さんが、ガチガチの施工設計と表現しているように、形だけは施工設計が行われているように見えますが、施工設計といえるようなものではありません。私は、これを作った設計事務所の仕事にケチを付けている訳ではありません。実は、基本設計と施工設計は全く次元が違う仕事で、設計事務所で出来る仕事ではありません。

クニマス未来館は、設計施工の分離方式で、設計事務所は施工設計まで請け負ったようです。しかし、施行設計なんか設計事務所で出来る訳がありません。設計事務所の渡辺社長も、「設計者が実勢価格を厳密に見積もることは不可能で、設計変更をしながら予算内に収めるのは、建築行為において一般的なことで、向こうした慣行が裁判所に理解されなかった」と言っています。これは、正確には、実勢価格を見積もることが不可能なのではなく、正確な施工設計に基づく積算が困難ということだと思います。

設計変更をしながら予算内に収めるといっても、設計施工分離方式では、入札完了時点で、工事は、施工者に移行してしまいますので、設計変更なんか出来ません。即ち、設計事務所自身も、これは施工設計ではなく、計画設計だという認識であったということでしょう。勿論、業者も施工設計だとは思っていません。施工業者は一から設計をし直します。

これこそ、形だけ出来ていれば、内容はどうでもよいという典型的なお役所仕事なのかもしれません。

ここで、基本設計と施工設計の違いを説明しておきます。
一言でいうと、基本設計は全体の計画から細部に展開するもの、施工設計は個別の計画から積み上げるものと言えます。

基本設計は、基本的考えが分かればよいのです。例えば、建築の専門家がいれば基本計画は出来るのです。仮に、電気のことまで分からないとしても、例えば、電気設備は建築の20%程度といった決め方で十分なのです。あとは専門家に任せればよいのです。

一方、個別の計画の積み上げですから、すべての設計が出来ていなければなりません。現場に行ってみてください。沢山の作業者が入れ替わり立ち代わり入場して作業しています。これらの人は、何らかの形で、それぞれの作業に対する設計によって作業をします。施工設計を請け負うということは、これらすべての設計をするということです。

現在のように技術が高度化、多様化すると、設計は、沢山の分野の技術・設計が集約化されて実現する形になってきました。一人で設計できるような時代ではありません。

これは、設計事務所だけの話ではありません。業者の設計者も、すべてを自分一人で設計する訳ではありません。例えば、使用機器については、その機器の業者を呼んで詳細仕様を確認しながら設計します。設計上必要なデータがない場合は、実験を要求して、データを求めたりします。この時、業者から思わぬ提案をもらうこともあります。機械や電気部門とも打ち合わせなければなりません。関連部門の設計が終わっていない部分については、お互いに、調整を取りながら設計を進めていきます。機械や電気の分野でも同じような条件で作業が進行します。設計上思わぬ見落としもあります。これらは、適宜、試験結果の情報から設計に修正を加えていきます。まったく新しいシステムもあります。これは、試作研究の結果を待って設計をすることがあります。要するに、施工設計というのは沢山の設計者の設計を積み上げて、段階的に1つの設計にまとめ上げるもので、一人で出来るような仕事ではありません。従って、入札段階で正確な積算なんかできないのです。

設計事務所でも同じようなことが許されれば、施工設計も可能でしょう。しかし、建築設計事務所では、機械や電気の技術者まではいないでしょう。コンピュータの技術者もいないでしょう。設計内容を確認する工場もないでしょう。そして何より重要なことは、入札の中立性を保つため、業者とは接触禁止だということです。まったく孤立無援の状態で設計を完結しなければなりません。

例えば、電気設備を考えてみましょう。クニマス未来館は、使用電線は1000本近くあります。施工設計では、これらの接続先を指定するケーブル接続図が必要です。電線が1000本ということは、接続先は2,000点になります。

機器の動作に対する論理回路に構成する施工資料は、シーケンス図と呼ばれるもので100ページくらいになるでしょう。

これらを作るのは、専門業者でも簡単ではありません。シーケンス図は、建築、機械等の関連設備の設計が完了しなければ出来ませんし、更に、ケーブル接続図は、電気設備の設計が完成してからでなければ着手できません。

こんな出来ない話を並べても生産的ではありません。どうすれば出来るかを考える必要はありません。

クニマス未来館は、施工設計の前に、基本設計を受注しています。これで入札すればよいだけのことです。施工設計も積算価格も要りません。施工設計は落札業者がやり直しますし、価格は入札で決まる訳ですから、必要ありません。

そして、更に重要なことは、施工設計をするということは、その設計によって発生するすべての事象に対する責任を持つということです。

殆どの施設は高圧受電です。感電すれば即死です。電線の接続を1つ間違えただけで、あるいはシーケンス回路の接点の入れ方を1つ間違えただけで、設備を吹き飛ばす設備になるかもしれませんし、勝手に防火ドアが閉り、人が逃げられなくなるかもしれません、更に多数の人を感電死させる殺人マシンになるかもしれません。積算ミスのレベルではありません。施工設計をするということは、死亡事故についての責任もつ覚悟が必要です。

この設計事務所の立場は、独立した技術士に似ています。森田理事長は、独立技術士が詳細な設計や製造の話まで立ち入ってはならない、コンサルタントの立場で仕事をすべきだと指導されています。

設計事務所が施工仕様書まで引き受けるということは、技術士が設計実務まで引き受けることと同じでしょう。独立技術士が、やったこともない分野の設計実務まで立ち入った仕事なんかできないでしょう。

これについて私は、大分昔、技術士協同組合の講演で聴いた、機械部門の大先輩の話を思い出します。この先輩は、中国から、機械の専門技術の指導を委託されたようです。しかし、現地に行くと、実際に工作機械を動かして、やってくれ、というようなことを言われたようです。技術と技能は違います。恐らく、この先輩は、高度の技術をお持ちの機械部門の技術士ですが、工作機械操作までは得意ではなかったのかもしれません。私も電気工事をやって来いと言われてもできません。

 設計事務所は、この仕事を委託されてどうするでしょうか。この答えについては、一度皆さん考えてみてください。このコラムのタイトルである「公共工事の不良・不正は何故なくならないか」の答えが見つかるかもしれません。

 第14回 計画仕様書から製作仕様書への熟成 2019-12-10



 入札時の不正問題については、澤田さんが提言されている性能仕様書の採用で、ほとんどの部分が解決されると思われます。

 しかし、この性能仕様書は、あくまで計画仕様書です。
 
 このコラムでは、公共工事の不正・不良の両方の問題を検討しなければなりません。工事不良の問題は、品質管理の問題であり、検討対象も、計画仕様書からもう1段階ブレークダウンした設計仕様書を基準に検討する必要があります。

 しかし、実は、計画段階で、正確な設計仕様書を作るのは至難の業です。理由は、設計仕様を決めることこそがシステム設計そのものだからです。しかし、計画仕様書だけでは、後工程の現場管理や監査はできません。

 それではどのようにしたらよいのでしょうか。これは、酒匂氏の本にある、課題ー仕様ー設計のサイクルの中で、徐々に確立していけばよい事で、現場工事が始まる時点までに作り上げていければ十分です。

 これを計画段階で作ろうとしたものが、特記仕様書ですが、これは、最初から無理な話で、ほとんど使い物になりませんから、落札後、すべて1から設計しなおします。苦労して作った特記仕様書は、ほとんど無駄になります。

 今回は、しっかりとした性能仕様書を提案していますので、これを無駄にしてはなりません。この性能仕様書を基に、課題ー仕様ー設計のサイクルを繰り返しまわし、設計仕様書レベルの性能仕様書に熟成すべきです。

 ここで、注意しなければならないのは、当事者意識です。他の人が作った性能仕様書を熟成しろと言われても、難しいものがあります。性能仕様書の作成は、その後の熟成という業務までを一貫して考えた方がよいと思います。
  
 この熟成作業は、システム設計そのものですから、役所は、性能仕様書の作成に深入りすべきではないと思います。

 お役所は、課題の提示までにとどめ、性能仕様書の作成は、入札時に添付される入札仕様書の形で、業者に作らせればよいと思います。

 ただし、お役所は、入札が完了しても発注業務が完了したと考えはなりません。これから、課題ー仕様ー設計のサイクルをしっかり回していかなければなりません。このサイクルの中に、課題の部分があります。課題も変化します。お役所は、性能仕様書の熟成まで、課題部分について、しっかり管理しなければなりません。

 私はこのコラムを書くにあたって、技術士業務に近い、外部監査、監理技術者のことを書くつもりでした。しかし、これらの基準になる仕様書がないと、論議になりません。そこで、発注エンジニアリングの問題から入るしかありませんでした。やっと基準となる設計仕様書レベルの性能仕様書にたどり着きましたので、やっと本論に入れます。

 次回は、外部監査について検討してみたいと思います。

 第13回 ある本の中に大きなヒントがあった 2019-11-12


 不正防止の面から見た発注エンジニアリングのあるべき姿については、澤田さんが体系的に検討し、いろいろ有効な提言をされています。ここでは、公共工事の不良工事の防止、即ち、品質管理の面から見た発注エンジニアリングについて論じています。

 10年位前でしょうか、私は、コンピュータが専門の友人から1冊の本を紹介されました。
 
  それは、酒匂寛という、ソフトウエアが専門家が書いた「課題、仕様、設計」という本です。副題は「不幸なシステム開発を救うシンプルな法則」で、本の帯に「こんなシステムが欲しかったんじゃないよ」とあります。 
 
 これは、コンピュータのソフトウエアの開発者向けの指南書だそうで、およそ、公共工事には無縁の話だと思いました。

 しかし、読んでみると、この本は、公共工事の発注エンジニアリングのために、書き下ろしてくれたのではないかと思われるほど、そこには、公共工事の発注エンジニアリングの問題に対する大きなヒントがありました。

 初めに、「ありがちな開発風景」として、ある若い開発者が、ソフトウエアの開発を依頼する風景が紹介されています。この開発者は非常に優秀で、プログラムの知識もあったので、プログラムの詳細なところまで、密度の濃い打ち合わせが出来たと思っていました。しかし、完成してみると「こんなシステムが欲しかったんじゃないよ!」という、プログラムになっていたという話です。

 なぜ、こんなシステムができてしまうのでしょうか。この場合、プログラムの内容については、しっかり打ち合わせたのですが、肝心の課題についての説明が十分でなかったからだという説明です。

 それでは、どのようにすれば良かったのでしょうか。この本では、発注におけるプロセスのあるべき姿として、下記の図面のような説明をしています。

 まず、発注者は、開発業者に「課題」を提示して開発を依頼する。依頼された業者は、この「課題」に対応した「システム仕様」を作る。発注者は、この「システム仕様」が、課題に対して「妥当」であることを確認(validation)する。次のステップとして、プログラムの設計者は、このシステム仕様を基に「実装設計」をする。そして、システム仕様の設計者が、この実装設計が「システム仕様」に対して「正当」であることを確認する。(varification)。そして、この設計内容を「課題」に「還元」させ(feedback)、課題か修正される。このような、課題ー仕様ー設計のサイクルを何度も回しながら、良い製品にスパイラルアップしていくということのようです。何か、昔、TQCで教え込まれた、PDCAのサイクル管理のような仕組みが思い出されます。



  公共工事でも、この若い開発者と同じようなことが行われています。特記仕様書は、設計レベルまでの詳細な仕様を記載してあります。しかし、課題についての記載はほとんどありません。結果として「こんなシステムが欲しかったんじゃないよ!」という工事になってしまったケースを沢山見てきました。

  我々も、この図の様に、お役所は課題だけを提示し、それ以降は業者にやらせ、この図のような管理をすれば、ほとんどの問題は解決できそうです。しかし、公共工事は、入札という大きな障害があります。

  入札というのは、情報が一方通行です。現在の入札は、入札時点で、設計レベルの仕様が特記仕様書として一方的に提示されます。課題ー仕様ー設計の サイクルを回す機会もありません。即ち、入札時点で、設計仕様が確定してしまいます。提示された方法より優れた技術を業者が持っていても、会計検査がありますので、勝手に変更できません。即ち、製品のレベルは、入札仕様書のレベルの物しかできません。即ち、入札というのは、発注者が高い技術をもっていないと成立しない制度のようです。

 入札制度が出来た明治時代は、役所の技術レベルが、業者のレベルよりはるかに優れていたので、この仕組みが機能しました。

 ところが、時代と共に、技術が急速に進歩し、お役所と業者の技術レベルが逆転してしまいました。しかも、システムが非常に複雑になり、入札時点で、設計レベルの仕様まで作ることは不可能な時代になりました。

  現在でも、しっかりした特記仕様書ができます。設計事務所に作らせたのでしょう。しかし、少なくとも電気設備については、設計事務所でも作れるようなものではありません。業者に依頼したのでしょうか、実は、これは業者でも、実際に設計をしなければ作れないのです。それでは、設計をしてもらえばよいではないかと云われるかもしれません。設計は、単独ではできません。お役所や関連部門と打ち合わせをしなければできません。関連業者も決まっていないのに打ち合わせはできないでしょう。個々の配線の本数や長さまで指定されています。これは、電気工事業者に依頼するしかないのですが、工事業者も決まっていない状態で、しかも、電気設備の設計も終わっていない状態で、こんなことはできないでしょう。そもそも、業者も、受注の確約もない状態で、こんな仕事はできないのです。設計費を払えば良いのではと云われるかもしれません。しかし、業者は生産工場を抱えています。設計者は自分の設計で、この経費の何十倍もの売り上げを生まなければなりません。自工場に仕事が入らない設計は、いくら設計費を貰っても請けられないのです。大分説明が長くなりました。ここで、特記仕様書ができてきた経緯を詮索するつもりはありません。 
  ここでは、現在のような設計レベルの特記仕様書は、入札時点で作れるような仕事でないことだけ理解して頂ければ十分です。

 しかも、システムの組み方やソフトの作り方で、同じ機器構成でも、素晴らしい製品にもなれば、恐ろしい殺人マシンにもなります。従って、折角、苦労して構成機器を拾い出した特記仕様書を作っても、ほとんど意味がないのです。

 そして、受注後、実際の設計では、特記仕様書はなんか使いません。すべて最初から設計しなおします。

  即ち、現在の入札は、ほとんど意味もない、役にも立たない仕事を、悪戦苦闘して、作っているだけのようです。この本の副題は「不幸なシステム開発を救うシンプルな法則」とあります。答えは、確かにシンプルな法則でした。要するに、こんな仕様を作って入札するのはやめ、お役所は、入札仕様として課題だけ提示すればよいということのようです。

 課題の仕様書なら、役所が自力で作れるでしょう。課題に対する仕様書作りなら、役所の方の方が応札業者より上でしょう。役所は自信をもって、課題に対する入札仕様を作り、自信を持って発注管理をすることができるでしょう。

 役所は、システム仕様書も作る必要はありません。入札時に、応札業者に、金額と共に、しっかりしたシステム仕様書を添付させればよいだけのことです。

 課題だけと云っても、必ずしも簡単なことではありません。しかし、ここで、外部の力を借りては公正な入札になりません。ここは、なんとかお役所で頑張ってもらいたいのです。少々不備があっても気にすることはありません。後の工程の、現場管理や外部監査のところで修正できます。ここは、外部の力を借りることなく、完全に自力で入札仕様書を作り、自力で入札管理をすることに意味があります。完全に自力で発注管理ができれば不正の入り込む余地はないでしょう。

 業者決定後は、お役所は発注担当者から監督員に引き継がれ、毎週1回程度の設計会議で、システム仕様書を作った業者が中心となり、課題ー仕様ー設計のサイクルを回しながら作り上げていけば、民間の発注と同じように修正でき、入札特有の問題はほとんど解消されます。

 第12回 問題の本質はシステム概念の欠如だ 2019-10-31


 前回私は、システムの組み方で、あの原発事故も防げたかもしれない、と書きました。確かに、システムの組み方で、あの原発事故は防げたのかも知れません。しかし、システムの組み方に問題があることに気が付かなければ、防ぎようがありません。
 
 民間の発注形態の場合は、仮に、このようなシステムが組まれたとしても、その後、何度も設計打ち合わせが行われますので、その中で、必ず、この危険性に気が付くでしょう。このようなシステムができてしまう可能性はほとんどありません。
 現在の入札制度ではどうでしょうか。我々が検討対象としている、中小規模の入札を考えてみましょう。入札は部門別に行われ、入札で使用される特記仕様書は、詳細部品の仕様まで明記されており、いきなり、設計レベルの仕様書です。ここにはシステム設計の概念はありません。しかし、応札した業者は、すでに、システム設計を完結して、各部門に展開された設計仕様が提供されたと考えて、そのまま、部門としての設計を始めるでしょう。システム設計は、主に部門間の問題です。この仕事は、どこがやるのでしょう。勿論、各部門でも、システム仕様を検討しない訳ではありません。ところが、入札は、部門別に分離して行われますので、なかなか、別部門の詳細の仕様を把握しきれません。特に他部門で設計変更が行われた場合は、それに気が付かないこともあります。もし、気が付いたとしても、システム設計は、各部門に関連しますので、単独の部門では対応しきれないこともあります。 
 
 私が見る限り、特記仕様書には、システム仕様はほとんどありません。しかし、これは、特記仕様書作成者が責められるべきことではありません。システム設計は、業者の協力なく、発注者が簡単にまとめられるような内容ではありません。
 即ち、現在のような入札は、複雑なシステムを扱うには無理があるように思います。どのようにすればよいのでしょうか、次回、この件について、お話ししましょう。

 第11回 システムの組み方で、あの原発事故も防げたかもしれない 2019-10-15

 今まで、システムの重要性を何度も訴えてきましたが、なかなか、理解してもらえなかったように感じます。そこで今回は、あの、福島の原発事故という、歴史的な大事故も、実は、システムの組み方で防げたかもしれない、という話をしましょう。

  福島の事故は、想像を絶する恐ろしい事故でした。地震だけでも大変な上に、津波が発生しました。自然の脅威と、人間の無力さを痛感させられました。そして、更に、原子力発電所が制御不能になり、歴史的な大事故となりました。

地震や津波は自然の摂理です。いくら頑張っても、自然の脅威には勝てません。
 
  しかし、原子力発電所の事故は、自然災害ではありません。人間が防がなければなりません。原子力発電は、本質的に危険性の高い技術が必要なのでしょう。しかし、いろいろ調査してみると、この事故は、原子力発電の本質的な事ではなく、原子炉を冷却する設備に対する電源供給設備の問題という、我々電気屋が日常的に扱っている問題のようです。しかも、これは、電気の専門家にとっては、それほど難しい案件ではないようです。

 私は原子力の専門家ではありませんから、電源供給設備が正常に作動すれば、すべてが解決していたのかどうか分かりません。しかし、電源供給が確保できていた原子炉は、メルトダウンが防げたという事実から判断すると、電源設備の問題解決だけで、かなりの問題が解決できたことは間違いなさそうです。

電源設備そのものに不良であったのでしょうか。いや、電源設備に不良があった訳ではありません。それではシステムの組み方に問題があったのでしょうか。これも、システムり組み方そのものに不良があった訳ではありません。それでは何が問題だったのでしょうか。このシステムが、この設備が要求する課題に対して、必ずしも、ベストなシステムでなかったということのようです。

即ち、課題の伝達が不十分であったのか、あるいは、課題についての理解が不十分であったかの問題と思われ、正に、発注エンジニアリングの問題のようです。

業者は東芝ですが、当時は、わが国でも原子力発電の経験も少なく、第一発電所は、GE社のフルターンキー契約、第二発電所は、GE社の指導による国産化といった状況で、日本人は、ほとんど口も出すこともできず、発注エンジニアリングの入り込む余地は、ほとんどなかったようです。
 
 設備の構成は、第一発電所は6基の原子力発電設備、第二発電所は4基の原子力発電設備から構成されています。それぞれの設備の冷却設備に外部電源が必要です。この外部電源が機能しなかったことが、今回の大事故の問題になりました。

外部電源系統のシステム構成を見てみましょう。この原子力発電所の外部電源は、常用電源と非常用電源の両方が準備されています。原子力安全基準では「外部電源系は、2回線以上の送電線により電力系統に接続された設計であること」と、規定されています。

常用電源は、第一発電所は3系統の送電線から受電。第二発電所は、2系統の送電線から受電しています。非常用発電機は、原子力発電設備の倍数、即ち、第一発電所は12台、第二発電機は8台設置されています。

原子力安全基準では「外部電源系は、2回線以上の送電線により電力系統に接続された設計であること」と、規定されています。第一発電所も、第二発電所も、確かに、2系統以上の送電線から受電していますので、安全基準に準拠していますが、第一発電所のシステムの組み方に問題があったようです。第一発電所は、3系統受電していても、それぞれの系統から2基ずつの原子力発電設備が受電する方式になっています。即ち、発電所としては、3系統から受電した形になっていますが、原子力発電装置としては、2系統から受電したことになりません、5〜6号機の系統だけは、2系統から受電できるようになっていますが、他の号機は、その系統の送電線がたダウンすると停電になってしまいます。一方、第二発電所は、4基一括で2系統から受電する方式になっていますので、1系統でも異常がなければ、正常に運転出来ます。実は、このシステムの構成の仕方の違いが運命を分けました。

 非常用発電機も同様の構成で、第一発電所は、それぞれの原子力発電設備に2台ずつの非常用発電機を接続、第二発電所は、4基の原子力発電設備に対して8
台の非常用発電機を接続しています。従って、第一発電所は、その系統の非常用発電機が2台故障すると機能しなくなりますが、第二発電所は、8台の内1台でも異常がなければ、正常に運転が継続できることになります。

 第一発電所のシステムの考えは不良なのかというと、通常の発電設備としては、普通に使われているシステムであり、システムとしての不良ではありません。これは、1台でも停止させてはならないという、原子力発電所としての特殊要件に対する指示が不足していたのでしょう。当時は、どんな形で発注仕様が決められていたのか分かりませんが、これこそが特記仕様の問題です。

 非常用発電機のようなバックアップ設備を考える時に、もう一つ忘れてはならないことがあります。それは、バックアップ機能の独立性という概念です。それは、例えば、ある事象に対して同時に壊れてしまうものは、いくつあってもバックアップ機能はないということです。その意味で。このシステムは1つ、素晴らしい概念が導入されていました。非常用発電機は、地震を想定して、あえて地盤の強固な地下に設置されたとのことです。これで、地震という事象には機能したのですが、津波と云う、もう一つの事象に対して、バックアップの独立性が確保されず、全滅になってしまいました。しかし、非常用発電機については、どのような経緯で計画されたのか分かりませんが、1台だけ風冷の発電機が選定されていました。風冷ですから地下には設置できません。この発電機は、高所に設置されましたので、この非常用発電機は津波に対するバックアップ機能の独立性が確保され、水没はまぬかれました。

 このようなシステム構成の中で、どんなことが起こったでしょうか。
 
 まず、最初に地震が起きました。第一発電所の常用電源は3回線の内2回線がダウンしました。生き残った送電線は5〜6号機系の送電線で、この系統だけは正常に作動しました。1〜4号機の系統は、常用電源はダウンして使えません、すぐに非常用発電機がスタートして、正常に運転が継続されました。非常用発電機は、地震にも耐え、すべて正常であったようです。

 第二発電所は、2回線の内1回線がダウンしました。しかし、1回線は無事であり、このシステムでは、4台とも正常な回線に切り替えられますので、非常用発電機を使用することなく正常に運転が継続できました。

 地震に対するバックアップ機能も正常に作動し、これで、一件落着と思われました。

 しかし、50分後、今度は津波が起きました、これで、第一発電所は。生き残っていた最後の1系統の送電系統もダウンしました。第二発電所では、生き残っていた1系統の送電経路は、津波にも耐え、継続して送電できていたので、運転が継続出来ました。

 しかし、非常用発電機は、地盤の強固な地下に設置したことが裏目に出て、地上に設置された1台を除き、地下に設置した非常用発電機は、すべて水没して、使えなくなりました。地上に設置されていた非常用発電機だけは、被害をまぬかれました。
  
 しかし、この発電機は第一発電所の5〜6号機専用です。第一発電所は、1〜4号機は、常用も非常用とも電源がなくなりました。あとは、原子炉がメルトダウンして、第一発電所は、大災害になってしまいました。

 第一発電所の非常用発電機の1台は被害を免れているので、もし、非常用発電機のシステムの組み方が、第二発電機のように、すべての原子力発電設備に利用できるようになっていれば、この歴史的な災害も防げたかもしれません。

 システムの組み方だけで、あの世紀の大事故が防げたかもしれなかったということです。システムの重要性が少しは理解してもらえたでしょうか。

 この事例から、我々はシステム仕様の重要性を学ぶべきです。というより、システムの恐ろしさを学ぶべきです。発注エンジニアリングとしては、まずシステムの概念を理解して、発注仕様書に、システム仕様を明記すべきです。現在のように構成機器を並べたような特記仕様書では、このような事故の再発は防げないでしょう。

 第10回 シナリオがなければシステムは組めない 2019-9-30

 公共工事工事の現場には、沢山の製品が搬入されてきます。これらは、各工場でしっかりと品質保証が完了しています。しかし、この沢山の製品が勝手に動き出したら収拾がつかなくなります。現場では、これらの製品が、お互いに干渉することもなく、順序良く稼働して、一つの新たな機能を生成しなければなりません。これは、システム構築という仕事で、1+1=2にするのではなく、10にも100にもする仕事です。そして、これは主に制御装置で構築されます。

 システムを構築は、新しい機能を創成するのですから、新たに設計も、製造も、品質保証も必要です。そして、何よりシステムとしての仕様が必要です。 
 現在の特記仕様書では、システム全体としての仕様が、ほとんど記載されていません。これでは、新しい機能を創成することはできません。

 システム構築の仕事について、少し具体的な説明をします。制御盤には沢山の継電器が装備されています。継電器は自動スイッチのようなもので、信号が与えられると、スイッチがON-OFFします。この信号を変えれば、いろいろな機能に対して作動する沢山のスイッチが作られます。

 即ち、制御盤には、それぞれ違った条件で作動する継電器が沢山作られていきます。制御盤では、これ等の継電器の接点を、組み合わせて、いろいろな出力を生成します。例えば接点を直列につなげるとAND条件になり、並列につなげるとOR条件になります。即ち、盤内のこれ等の接点で論理回路を組めば、どんな複雑な動きも作れます。(最近は、コンピュータ技術も発達してきて、かなりの部分がCPU 内でロジックが組まれますが、原理的には同じですから、継電器で説明します)

 しかし、どんな動きもできるといっても、どのように動かせばよいかのシナリオがなければ、論理回路の作りようがありません。このシナリオがシステム仕様書ですが、これが、ほとんど記載がないのです。

 何でもできるというのは、何でも出来てしまうということです。即ち、1つ間違えると、1+1が10どころかマイナスになりうるということです。その結果、良かれと思ってやったことが、ある設備についてはマイナスの効果を与え、場合によっては殺人マシンになってしまう可能性もあるということです。

  システムというのは、電気のシステムではありません。建築も機械も電気も含めたシステムです。現在の発注形態は、例えば、建築と機械と電気に分かれています。工事の内容、金額比率共に、電気関係の占める比率はわずかです。電気の設計者が得られる情報はわずかです。シーケンスの設計者が、建築や機械としての要求性能を把握しきれている訳ではありません。

 ですから、私は、ここに魔王がみえるといっているのです。

 それでは、どのような発注方法にすればよいのであろうか。次回から、この話に入っていきましょう。

 第9回 現場というシステム製造工場に対する発注エンジニアリング 2019-9-16

 今回は、現場というシステム製造工場に対する発注エンジニアリングの話をしましょう。我々が、家を建てる時、現場作業が生じますが、工務店等に一括発注しますので、あとは、工務店に任せておけばよいので、取り立てて、現場作業に対する発注エンジニアリングなんか考える必要はありません。超大型プロジェクトもゼネコンに一括発注しますので、これも、ゼネコンがすべての責任を持ちますので、現場作業に対する発注エンジニアリングは考える必要はありません。ここで取り上げるのは、この中間に属する、「業種別に分割して発注される方式」で、例えば、建築工事、機械設備工事、電気設備工事に分割して発注する場合の問題を取り上げて考えていきます。実は、中小規模の公共工事はほとんどこの形態で行われると思います。

 この場合、現場では、分割されて発注された製品を使って、1つの製品としてまとめることになります。実は、この「まとめる」という表現が大きな誤解を招くようです。これは、まとめるのではなく、1つのシステムを作り出す作業であり、一種の「製造作業」です。製造作業であれば、当然、製造するための設計図面が必要であり、設計するためには、仕様書が必要になります。そして、製造に対する品質管理も必要だし、それに対する品質保証も必要になります。
 
 システムの製造は、誰がやっているのでしょうか。実は、製造作業の主体は電気工事業者です。そして、電気工事業者は、電気設備の業者の下請けとして仕事をします。実は、ここに、大きな問題があります。システムは、設備全体のシステムです。電気設備の担当者が決められることではありません。それでは、誰が決めればよぃのでしょうか。実は、分割して発注がなされている形態では、誰も決める立場の人がいません。

 そして、このシステム構築に対する設計、更には、仕様の策定が、そっくり欠落していることが多いのです。特記仕様書がその典型です。実は、この「システム概念の欠如」こそが公共工事の最大の問題だと思います。

 システムは目にみえません。電気屋は目にみえない電気を見て仕事をしています。そこで、システムについても、電気屋だけが見えている部分があるのかもしれません。

シューベルトの「魔王」という歌曲の中に、深夜に高熱にうなされる息子を抱えて、父親が馬を飛ばすところがあります。息子は魔王の姿が見え、怯え、魔王の誘惑と闘っています。「父さん、魔王がみえないの」、と訴えますが、父親には魔王の姿が見えません。疲労困憊の中で父親が医者の所についた時は、息子は息絶えていた。という話です。

公共工事には、魔王に蝕まれているように思えます。我々電気屋には、その魔王が見えるのです。そして、その魔王が、我々に危害を与えようとして,
牙を剥いているのが見えるのです。
我々も「父さん、魔王が見えないの」と叫びたい気分なのです。

次回は、我々が、公共工事の中に、どんな魔王を見ているのか、そして、その魔王が、我々にどんな災害を与えようとしているのか、について、考えてみたいと思います。

 第8回 澤田さんと私の向いている方向 2019-9-10

 公共工事発注問題研究会は、澤田さんと私が中心になってスタートさせましたが、実は最初から両者、向いている方向が違っていました。澤田さんは公共工事の不正の問題に関心があり、私は不正より不良工事の問題に関心がありました。澤田さんは、警察OBであり、談合等の不正問題に関心があるのは、当然であり、私は、長年、公共工事の現場で、いろいろな不良工事の対策に駆けずり回る仕事をしてきたので、不良工事に関心があったりは自然の成り行きでしょう。

 この辺で、話題を公共工事の不良工事、即ち品質管理の面に移してみましょう。公共工事の不良の問題は、ある意味では、公共工事の不正の問題より、はるかに深刻な影響があります。それは、不良工事の問題は、命まで取られる問題だからです。

 不良工事の問題も、特記仕様書の問題から取り上げます。現場には、特記仕様書を基に、一流企業がしっかりとした品質管理の下で作った製品が集められてきます。製品自体は問題ないでしょう。しかし、実は、これらの機器を集めただけで、工事全体が正常に作動する訳ではありません。これは、我々がパソコンを買ってきても、すぐ、使える訳ではないことを見れば理解できます。公共工事も、いくら高機能の製品を集めただけでは、正常に作動しません。現場で、これらを集めて、1つのシステムを構築しなければなりません。システムを構築するというのは、システムを製造することです。製造工場並みの作業が必要であり、工場並みの管理組織が必要なのです。実は、管理組織どころか、何を作ればよいかさえも、よく分からないのです。

 次回は、現場というシステム製造工場に対する発注エンジニアリングの立場から、この問題について、検討してみたいと思います。

 第7回 予定原価の考え方 2019-9-6


「予定価格」についての澤田さんの書き込みで、いろいろなことが分かってきます。
私は、不祥事が起こる元凶は品確法だと申し上げました。しかし、確かに、入札前に業者の相見積を取ることを容認する品確法は、賛成できるものではありませんが、それでも、相見積を取るのは「必要があると認めるときは」の条件があります。どんな必要があるのでしょうか、入札前に予定原価が必要だということはその通りです。しかし、これは澤田さんが指摘されるように、構成機器の価格を積算して予定原価を作れ、とは決められていません。

そもそも、性能仕様書というのは、「男を目方で売る」ようなことを否定した考えでしょう。この時点で、予定価格の設定に必要なのは、充当可能な予算と、性能に対する評価です。そもそも、入札段階で積算価格はありません。会計関係法令上は「予定価格は適切に設定すること」程度の制約しか課されていない、とのことです。性能に対する評価は、会計検査院に求めても無理でしょう。従って、予定原価は、発注者が充当可能の予算から決めればよいだけの話でしょう。
即ち「必要がある時は」の条件は、必ずしも満たしているとは思われません。即ち、この時点での会計検査院の仕事は、予定原価の決め方が適正かどうかの検査であって、予定原価そのものを検査することは求められていません。そこで、会計検査院の仕事は、入札前に、業者に情報を流して相見積をとるという調達手続きが、会計関係法に則っているか否か検査しなければなりません。会計検査院は、「入札において、調達手続きが会計関係法令に則っているか否かを検査したのでしょうか」。入札前に、業者と相見積を取っていたら公正な入札なんかできないことは、誰でも分るでしょう。実際は、会計検査院が、このような観点からの検査をしていなかったのだと思いますが。検査をしていて問題ないと判断したとすれば、会計検査院の判断能力に問題があるか、法律そのもの問題があるということでしょう。どうですか皆さん。公共工事の不正・不良はなぜなくならないかの答えが1つ見つかったではありませんか。

 澤田さんの書き込みで、もう一つ重要なことがあります。

「仕様発注」で行おうとすれば、発注側には、問題の所在を見極めた上での真に最適な工法を選択決定する能力が欠かせませんが、凄く難しいのではないでしょうか。つまり、このような能力は、豊富な工事実績を有するゼネコン等の業者側の方がどう見ても高いと思います。とあります。

これは、全くの正解です。今までの公共工事は、ほとんどゼネコンの技術、あるいはその下で支えてきた業者の力で発展してきました。この力は、役所より高いというなレベルではなく、比較にならない高度な技術です。ですから、技術的にはゼネコンに任せておけば100%間違いありません。 
しかし、残念ながら、ゼネコンの不正問題が、取りざたされています。私は、ここで、なぜ、不正問題が起こるのかの問題に入り込むつもりはありません。一つだけ言えることは、入札を止めれば、すべての問題が解決するでしょう、いうことです。
入札を止めて、すべてオープンに、いろいろ提案させ、価格も含めて、その内容で決めるべきです。よく、ある業者の特許があるものは公平な入札にならないとの話も出ますが、公平性なんて考える必要はありません。費用対効果も含めて、特許を持っている業者が他社提案より優れていけば、その業者の製品を使うべきです。発注者は、ゼネコン以上の技術を持つ必要はありません。世の中の知恵を集約させて、ベストな製品を生成すべきです。それでは、公平性が保てないと云われるなら、この時点で、工事監査の一環として、利益相反のない立場の技術者による技術監査を導入すればよいでしょう。

 第6回 この法律こそが公共工事の不正の元凶第だ2019-9-5

澤田さんのメールに下記の書き込みがあります。
品確法(平成26年6月に改正された公共工事の品質確保の促進に関する法律)の第七条(発注者の責務)の二項「・・・その他必要があると認めるときは、当該入札に参加する者から当該入札に係る工事の全部又は一部の見積書を徴することその他の方法により積算を行うことにより、適正な予定価格を定め、・・・」にあります。
皆さん、これ、どう思いますか。これは、法律的には正しいと思いますが、これでは入札になりませんね。入札前に業者と接触しては入札にならないでしょう。私は、こんな法律がまかり通っている事こそが、公共工事に不正がなくならない最大の要因ではないかと思います。
これを入試に例えてみましょう、入試問題を作ったが答えが分からない。そこで、「採点に必要があると認めるときは、受験生から解答案を出させて、適切な正解を定め・・・」なんて法律を作られたら入試になりませんね。
話を、公共工事の話に戻しましょう。基本的に、入札の準備に業者を関与させたらダメでしょう。私は、役所の発注者が工事の内容や予定原価が分からないことを問題にしているのではありません。現代のような、日々、技術の進歩が発生している時代では、専門の設計者でも、例えば2年前の設計なんか使えないような時代です。お役所の担当者が、分からなくても当然です。決して恥ずべきことではありません。
例えば、大学の入試でなく、教授を採用するとします。事務方が試験問題なんか作って試験をしますか? 試験はせず、何人かの応募者から説明を聞いて、学校が求めている人材を採用するでしょう。
性能仕様書による入札の場合、見積というのは、は計画内容に対応して大きく変わります。相見積をとって予定原価を決めるというのは、計画内容をきめることになるでしょう。計画内容を決めるということは、業者を決めることになる訳です。これから、入札をやっても、ほとんど意味がありません。
入札をやるなら、相見積なんか取ってはダメでしょう。計画内容や、原価が分からなければ、入札は止めて、民間と同じように、業者と十分打ち合わせて、業者を決めればよいだけでしょう。
少し、乱暴な意見になりました。いろいろ反論もあるでしょう。皆さんのご意見を聞かせてください。

 第5回 澤田さんの「性能発注」における予定価格の策定についてのコメント 2019-9-5


澤田さんから、貴重な書き込みを頂きました。実は、これは私がもっとも言いたかったことです。これは、プロポーザル方式であり、この方式にすれば、全く問題はありません。しかし、プロポーザル方式が行われるのは、わずかな件数で、しかも、特別に大きな設備だけですね。ですから、私がこれから提案しようとしているのは、一般競争入札でも、このような方式を導入すべ゜きだという主張なのです。

複数業者から見積書(必要経費、工期、工法)を徴収して、見積書の査定により予定価格を策定するというのは、民間の発注と同じですね。民間では、談合なんて話は聞きませんね。実は私が最も訴えたかったことは、入札そのものを止めて、民間のように業者の力を借りて、発注管理をすれば、すべてが解決すると思っています。従って、私は、澤田さんのご意見には全く賛成です。ただし、これは大型物件だけではダメだろうと思っています。

 第4回 計画段階で必要なのは会計監査でなく技術監査だ 2019-9-3


特記仕様書で澤田さんが特に問題にしていたのは、「特記仕様書に業者が特定される仕様を潜り込ませれば、自動的に業者が特定されてしまう」ということであったと思います。例えば、ある製品の寸法を指定すれば、その寸法の製品の業者しか応札できない、という問題です。性能仕様書というのは、普遍的な性能を指定するだけですから、どんな寸法のメーカーでもよい、即ち、業者が特定されることはない、ということだと思います。しかも、これなら、業者の力を借りなくても、お役所が自前で仕様書が作れるということだと思います。私はこれで、完全に不正なんか入り込む余地がなくなるように思いました。

ところが、ここで予定原価を作らなければならない、そして、その予定原価について、会計検査員の検査を受けなければならないとのことです。

会計検査員の検査を受けると云っても、積算原価はありません。あるのは、性能仕様だけです。これで、どうやって予定原価を決められるのでしょうか。

実は、ここで会計検査のために、業者から相見積をとっているとのことです。指定したのは性能仕様ですから、見積原価はバラバラでしょう。2倍、3倍の差があるかもしれません。そもそも、「男で目方で売る」考えからは、卒業した筈です。相見積をとって、どうするのでしょうか。
このバラバラの見積金額から、ある業者の見積を予定原価に設定したとします。これは、特記仕様書にメーカーを特定する仕様を織り込んだのと同じになってしまいますね。「そんなに心配しなくても、実際はそんなにばらついていない」と云われるかもしれません。それは、喜んでいる場合ではありません。それはそれで、情報が洩れている可能性も疑わなければなりません。

入札前に業者から相見積をとったら、喜ぶのは業者でしょう。どんな名目で相見積をとるのか分かりませんが、見積依頼が来た時点で、百戦錬磨の業者はすべてを理解するでしょう。あとは、業者はやり放題になるでしょう。

それでは、予定原価は、どうやって決めればよいでしょうか。「入りを量りて出るを制す」という考えがあります。原資は税金です。時々、工事が完了したら予算の2倍になったとかの報道も耳にします。とんでもないことです。予定原価は、予算枠から発注者が決めて、しっかり管理をすればよいことです。

実は、ここでは、会計検査より、もっと重要なことがあります。性能仕様書による発注というのは、多数の計画案が出てきます。その中には、やや不適切な計画もあるでしょう。これは、誰がチェックするのでしょうか。ここでやらなければならないのは、会計検査ではなく工事監査、即ち技術監査です。

我々は、外部監査として工事監査を依頼されることがあります。これは、ほとんど、工事が完成した状態で行われます。いろいろ問題点が見つかりますが、実は、計画そのものに問題があることが多いのです。しかし、工事が完成した状態の監査で、そんな指摘をされても困るでしょう。

実は、計画段階での工事監査が不可欠なのです。性能仕様書による入札が導入されれば、この重要性は更に増してきます。計画段階で工事監査をすれば、予定原価についても、大体の検討も出来ます。この話は、後半の監査のところでお話ししましょう。

 第3回 なぜ、現在の「特記仕様書」ではだめか


澤田さんのフェイスブックを見て頂けたでしょうか。性能仕様書の考えについて関心を持って頂けたでしょうか。

寅さんの、「男はつらいよ」の歌詞に、「目方で男が売れるなら、こんな苦労もかけまいに、かけまいに」というセリフがあって、「お前のよろこぶような偉い兄貴」になりたくてもがいている様子が読み込まれています。これは、形や大きさや重さのような外見だけでものの価値を評価してはならないということを云っているのでしょう。歌詞を「大きさや形で工事が売れるなら」と置き換えてみると「特記仕様書」で工事の価値を評価してはならないということが理解できそうです。澤田さんが、発注者の立場で、このようなことに取り組まれたということは、「偉い兄貴」になってくれたのだと実感させられ、心から敬意を表する次第です

寅さんは、いつも、愛する女性に献身的に尽くしますが、最後はその女性の前から姿を消します。いつも、本心を伝えることなく、我々はもどかしさを感じます。実は、特記仕様書のもう一つの問題は、本当は何をしたいのかという本当の課題が分からないことが多いのです。計画仕様書というのは、何をしたいかについての記載が中心になりますが、製作仕様書は、どのようにやるのか、具体的な記載が中心になりますので、肝心なことが抜けてしまういことが多いのです。
そんなことは、分かり切っているではないかと思われるかもしれませんが、これについては、猫の毛を乾燥させる話がよく使用されます。猫を連れて散歩に出た、突然、激しいあめが降ってきて、猫もずぶぬれになった。洗濯屋があったので、立ち寄って、猫の毛を乾かしておいてくれと言って、猫を預けて帰った。しばらくして、猫を引き取りに行った。猫の毛は、きれいに乾燥できていたが、猫は死んでいた。実は、猫は電子レンジに入れて乾燥されていた、という残酷な話です。実際は、こんな馬鹿なことは起きないでしょう。しかし、仕事が分業化してくると、後工程に行くに従って、本当の目的が伝わらないことが多いのです。
ここで言いたいのは、「入札段階では、製作仕様書までは要らない、計画仕様書で十分だ」ではなく、「入札段階では、製作仕様書は要らない、計画仕様書が不可欠だ」ということでしょう。

性能仕様書を作るということは、目方で男を量ることをやめた筈です。業者と接触もしなくても、入札準備が完結する。これで、本当に「おまえのよろこぶような偉い兄貴」になったのかと思った。しかし、実は、ここに大きな法律の壁があり、また、男の目方を量り始めたようです。この法律の壁とは何でしょうか。次回、この話をしましょう。

 第2回 すべての問題が特記仕様書から始まる。


公共工事の発注は、通常、競争入札によることが多いです。競争入札というのは、応札者は公示まで内容を知りえず、公示後も、原則としてこの件に関する質疑も禁止されます。ですから、不正など起こる筈がないのです。なぜ、談合等の不正が起こるのでしょうか。実は、この入札に使用する、特記仕様書に問題がありそうです。

仕様書は計画仕様書と製作仕様書があります。入札時点では、これから計画するのですから、計画仕様書があれば十分でしょう。計画仕様書は簡単です。発注者でも作れるでしょう。しかし、実際の特記仕様書は膨大な資料です。なぜ、こんな膨大な資料になるのでしょうか。実は、これは、計画仕様書でなく製作仕様書なのです。製作仕様書は、それで製作が出来なければならないので、すべての部品を指定しなければなりません。すべての部品がリストアップされています。これから計画する工事のすべての部品を拾い集めるのは気が遠くなるような作業です。大変なだけでなく、どんな部品がどれだけ必要かなんて設計しなければ分かりませんね。極端な例を挙げてみましょう。配電盤から、いろいろな機械設備への電線の種別と長さと本数が指定されています。こんなものは、設計者でも分かりませんね。電線は、ケーブルはリールで購入して、必要なだけリールから引き出して使うからです。更に、ほとんど意味のない資料もあります。詳細に部品が拾い出されているだけでなく、その略図も添付されています。例えば、蛍光灯が使用される場合、蛍光灯の姿図が添付されています。その他、誰でも知っているような部品の略図があります。まるで絵本です。

この膨大な資料は誰が作るのでしょうか。設計事務所に依頼するから心配するなと言われるかもしれません。いくら費用をかけているのでしょうか。

実は、この資料は設計事務所でも作れないのです。設計事務所でも絵本ぐらい作れるでしょうが、本質的な部分は、実際に設計をしなければ作れません。設計はメーカーの設計者に依頼するしかないのですが、メーカーの設計者でも実際に設計をしなければできません。設計費を払って設計させればよいといわれるかもしれませんが、設計者は、いくら設計費を積まれても出来ないのです。
メーカーは巨大な製造工場や、膨大な管理組織を持っています。設計者は、工場が稼働するための付加価値を生み出さなければなりませんので工場に仕事が入らない設計は出来ないのです。どうしてもやるとしても、設計は1人ではできません。関連機器のメーカーとも何回も打ち合わせしなければなりません。関連機器のメーカーは設計者も決まっておらず、打ち合わせにならないでしょう。そもそも、入札段階でメーカーを関与させてはならないでしょう。ですから、この仕事はほとんど不可能なのです。しかし、業者にとっては、お役所は神様なのです。ほとんど意味がなくでもやるしかないのです。結局、形だけ整えた、使い物にならない資料が作られるでしょう。出来ない理由を探しても意味はありません。解決方法は簡単です。このような特記仕様書を止めればよいだけです。やめてどうするのか。

実は、すでにお役所で、特記仕様書を止めて、計画仕様書による入札で大きな成果を挙げている実績があります。この公共工事の発注問題研究会の発起人でもある、技術士の澤田雅之氏が、特記仕様書を止めて、「性能仕様書」による入札を提案し、大きな成果を挙げています。性能仕様書というのは、計画内容をまとめたもので、これにより、談合等の防止にも効果があったようです。これについては、澤田さんは、膨大な論文を発表しており、簡単に説明できないので、下記の澤田さんののフェイスブックを訪問してみてください。https://www.facebook.com/profile.php?id=100010918325100


 第1回 この連載コラムに対する思い


談合問題や不良工事等で、公共工事の関係者は、厳しい批判の目が向けられています。しかし、それぞれの担当者は、それぞれの環境の中で、工事の完成という共通の目的に向けて、みんな一生懸命頑張っています。
誰も、やりたくて談合をやっている訳ではありません。誰も、手抜きをしようと思って不良工事をしている訳ではありません。実は、ここには、業者と癒着しなければ、仕事のやりようがなかったり、どのように頑張っても、十分な品質管理ができる訳がなかったり、という、構造的な問題があるようです。

現在の入札制度は、明治時代にフランスの会計制度を参考に作られたようです。当時としてはベストなシステムであったのでしょう。しかし、時代の進化に伴い、いろいろな問題が出てきて当然でしょう。他の国では、時代とともに、どんどん改良されているようです。昔からの入札制度を、そのまま踏襲しているのは日本だけのようです。

このコーナーは、誰を批判するためのものではありません。みんなが一生懸命やりさえすれば、後ろ指をさされるような行動をしなくても工事が進行し、あるいは不良工事が発生しないような世界にしたいと願って、このコーナーを開設しました。

構造的な問題は、個人の手に負える問題ではありません。 
皆さんのお知恵とお力を拝借して、少しずつでも、構造的な問題を取り除き、誇りある楽しい世界にしたいのです。

そのため、皆さんの意見が反映できるフェイスブックの形態をとりました。公共工事は、我々みんなのものです。皆さんの貴重なご意見を頂き、みんなで取り組んでいきたいと思います。フェイスブックは匿名での投稿は出来ないようです。もし、匿名での投稿、あるいは、ハンドルネームで投稿を希望される方は、私のアドレスに直接メールして頂ければ、そのように扱います。私のアドレスは、takagiikuo@gmail.comです。
技術士は、法律で厳格な守秘義務を背負って行動することが求められていますので、投稿者が特定されることは絶対にありません。