シニアの群像(技術士伝記)



会員内掲示板に、森田様他がシニアの話を連載していますが、後輩に語り伝えるべき大変貴重な記事です。
また、技術士の理解のために、公開して良い内容です。
 和田先生からお話を聞けなくなった以上、森田さんから聞くしかないことが多数あります。
森田さんが思いついた時点で、すぐに掲示板に出して頂き、あとでこれを「伝記」に転記するのが現実的と思います。
 非常に多くの記事があると思います。80歳以上の方は、何を書いても当たり障りはなく、ぜひ沢山思い出して書いて下さい。
故人もいろいろな人がいました。(青葉堯)

(言葉の説明)
青技懇 現在の青年委員会
交詢社 「知識を交換し世務を諮詢する」機関(1880年設立)



先輩の思い出(2017-3-21 森田裕之)
黒沢豊樹さん・電気部門は、私が合格して技術士会に出かけて、青技懇でも独立・自営を希望するグループに参加して、先輩諸氏の話を聞くだけではもどかしく、自宅や事務所に押しかけて、実態を観察するという、今では考えられない失礼な後輩どもだった頃に、新宿の花園神社の近くの事務所ビルに、機械部門の新井澄夫さん(協同組合の前理事長)との共同事務所で、仕事をしていました。
技術士会では、ロボット研究会のリーダーを機械部門の柴田勉さん、和田忠太さん達と運営していました。
黒沢さんは、技術士仲間と組んで仕事をするのに優れていたという印象が残っています。

本田尚士さん・化学部門は、そのころ銀座のど真ん中、泰明小学校の隣のビルのワンフロワーを事務所にして技術コンサルタントをやっていました、当時の人では最高の学歴・陸軍士官学校(幼年学校)の中途で敗戦、早稲田の応用化学のOBと輝いていました、確か幼年学校のOB会の事務局も引き受けておられたと記憶しています。
仕事の営業なんかしたことがないと「うそぶいて」いたことを、鮮明に覚えています、察するに士官学校のOB達には、無数の経営者が存在していたはずで、先輩諸氏に可愛がられていたんだと、今では思います。
数年前に、急に故郷の鹿児島に帰るんだと、後輩どもを驚かせました、鹿児島は明治維新以来、軍隊や警察に人材を大量に供給してきた歴史があり、西郷さんも最後は鹿児島に帰郷したということもあり、そういう伝統の力は凄いと、感心した次第です。
  一昨年には、私が高千穂の温泉巡りをして、鹿児島空港に戻る前に、国分町の本田さんの隠居宅に寄って、近況報告をしましたが、足は弱っていたようですが、口は相変わらずで、安心したのですが、残念です。

黒澤豊樹氏と本田尚士氏の追悼(2017-3-17 青葉堯)
 2017年3月、技術士協同組合の創立メンバーである黒澤豊樹氏(電気電子)と本田尚士氏(化学)が相次いで物故されました。
 両氏は、日本技術士会副会長ほか、多くの要職を歴任されました。また、技術士活動により、科学技術の向上と国民経済の発展に資する(技術士法第1条)ことを実現されたことは言うまでもありません。
 このページに、両氏の伝記を掲載しようと思いますが、その前に若干述べておきます。
 両氏は、青年委員会(現在の呼称)のときから、独立自営の技術士です。
 世間では、地位や名誉や財を評価することが多いのですが、技術士は違います。
 技術士は、公共に奉仕し、正当な対価は得ますが、利益を目的とはしない誇り高いプロフェッションです。
 両氏は、地位や名誉や財を得たわけではありません。技術士の実績は、そのようなもので
はかれないのです。

20161220 森田裕之 / Yuji Morita
技術士協同組合を作る時に、一番よく相談したのは、技術士会の事務局長だった高田一郎さんだった。
高田さんは、技術士ではなかったが、任意団体だった会の創成期・野武士の会の頃からの事務方で、技術士会を定年になってからは、四谷に有った「小堀遠州の会」で古文書を読む仕事をしていた。
組合の基本は独立・自営の技術士の集まりだが、農協やほかの専門家と違い、専門分野、業界が千差万別で、共通の利益を追求するのは無理なので、後進の育成というテーマに絞ることに決めた。
世の中的に見れば、相互扶助という観点から、看板を見て仕事を依頼したい会社や役所が出てくるのは当然のことだが、高田さんの経験では、名簿にある専門分野と年齢で、依頼された専門家を紹介するのは「無責任だ」ということだった。
私は、当時32−3歳くらいの若造だったが、高田さんの見識にほれ込んで、青年技術士懇談会という技術士会の若手のグループ活動に参加して、事務局に高田さんをしばしば訪問して話を聞いた。
組合の設立を思いついたのは、独立して2−3年たって、飯が食えるようになり、この商売は面白いから、会社なんかに一生縛り付けらることがないやと思う技術士を、フリーにしてやろうという考えに取りつかれてしまった。
高田さんは創世記の技術士会の先輩方とお互いに信頼関係を築いていて、その個人的な範囲での仕事の斡旋や紹介をしていた。
私の組合の立場での世の中との付き合い方は、高田さんの生き方に大きく影響を受けていて、組合を人材バンク・紹介機関的な運営には、あまり興味が向かない。
ただ、利用したい人の邪魔をするつもりはないので、お付き合いください。

20160823 森田裕之 / Yuji Morita
森田裕之さま

当方の「御報告」に対し、ご丁寧にメールをいただき、ありがとうございました。
確定1審、控訴審では技術士の皆さんに意見書を作成いただき、尋問にもたっていただきましたのに、確定審では裁判所に受け入れられず地団駄をふみました。
その後、刑事裁判における検察側手持ち証拠の証拠開示等、時代の流れもあり、より真実がうきぼりになってきたという面があります。
本件車両が直前に給油をしたガソリンスタンドで「追い足し給油が常態化していた」といった、ガソリンスタンド従業員の捜査報告書が出てきたのも、再審請求手続きになってからです。
警察検察は、被告人に有利な証拠を隠しますが、でも、真実は少しずつあらわれてきて、ようやく無罪判決を得ることができました。
技術士の皆さんには、本当にお世話になりました。
改めて、感謝申し上げます。

皆様の益々のご活躍をお祈りしております。
乗井

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森田裕之です、「お礼とご報告」のお手紙を拝受、20年以上も青木さん、朴さんを苦しめた事件だったのですね。

私は当時、車のガソリンタンクの鋼製からプラスティック化というテーマで、技術コンサルタントの仕事をしておりましたので、「火災の前にスタンドで満タンにして車庫に戻ったということ、当時のガソリンスタンドの従業員は、機械的に満タンでポンプが自動ストップした後も、チョンチョンと手動で追加して、注油菅の入り口寸前まで、ガソリンを入れるという習慣があったこと、我が家の2台目の車が車庫ではなく、天井の無いコンクリートの上に駐車していたのですが、晴れた日に満タンにして帰宅・駐車しておくと、たまにコンクリート上に、油の漏れがしみになっていたことが、よくあり、すぐ蒸発してしまうので、大事には至りませんが、危ないなあとの認識がありました。
図面で、お風呂の種火と車の注油口が、近かったので、この機序を提案した次第です。

私は今のところ元気で看板は下ろしていないし、独立・自営の技術士120名の協同組合の理事長を40年近くやっているおかげで、若い独立・希望者からの相談が絶えず、本件も冥途への土産話というよりは、若い諸君への自慢話とさせていただこうと思います。

20140616 シニアの群像 森田裕之

6月7日の協同組合の総会・パーティで、新人諸君に一番インパクトを与えたシニアの演説は、黒澤さんの「独立・自営は始めるのは、早ければ早いほど良い、定年が65歳になり、ぐずぐずしていると、スタートが60歳代後半にでもなると、70歳代には大体の連中は死んでしまう、と言うことが80歳になってわかった。」

これは私も同感で、趣味の世界も似たようなもので、絵描きの妻の説によると、60過ぎてから始めたような絵の初心者は、何年も持たないらしいし、俳句のや習字の先生も同じようなことを言っている。




[538] 東京は混んでいる 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/12/23(Mon) 11:31

連休の東京散歩は、買い物がてらで、築地、銀座、麻布十番にそれぞれ駐車して散歩した。

凄い人の出で、景気が良くなったのかなあ、荷物を持っていない人が、ただ歩いているというのが風景だ。

年末に健康で今年も元気に、東京の盛り場を散歩した、というようなのが「気分」「メモリー」として残るのが、良いんだろうなあ。
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[537] 台湾帰り 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/12/11(Wed) 23:36

今日の稲門技術士の忘年会で、内藤君が台湾帰りで、私と同じ歳で、今でも台湾の同窓生と会合をやっていて、仲が良いとのことでした。

機友会で顔は良く見かけるけど、話をしたのは始めてかも知れず、忘年会の功徳で、この歳で友人が増えたのは,ありがたいことです。

[536] Re[535]: 満州がえり 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/12/05(Thu) 19:01

今日は、旧大連で、私と幼稚園の同級生だった引揚者仲間と、東京駅地下で昼ごはんを食べました。
関西に居るので、年に3−4回しか会わないけど、子供の頃の体験を共にしているので、親戚みたいな気分で付き合っています。
帰国後に、田舎の連中にいじめられたり、戦争中や戦後の近代史に非常に興味があり、色んな本を読み漁り、なんでこんな目にあわなきゃならなかったのか、話が盛り上がります。
最近亡くなった山崎豊子さんの小説の瀬嶋竜三さんと、本田尚士先輩の士官学校の教師だった瀬嶋隆三さん、日韓技術士会議の始まりと瀬嶋隆三さん、満州引揚者・シベリア抑留者と瀬嶋隆三さん、超近代史は面白いよ。

[535] 満州がえり 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/12/04(Wed) 14:16

伊沢君・旭化成OBは、私と同じ歳で、私より早く満州から引き上げてきたけど、今では中国大好きで、中国の大学で教えている。
私が中国嫌いなことは昔から良く知っていて、最近、彼は中国人は相変わらず好きだけど、中国は嫌いになってきたと、私に告白した。
何で変身したのかは、武士の情けで聞かないことにしているが、面白いでしょう?

[534] 高橋宏太郎さん(在バンコック)とのメール 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/12/03(Tue) 21:44

森田さん、メールありがとうございました。
デモ騒ぎのご心配有難うございました。
日本のTV,新聞を見れば、Seriousな報道ぶりで、それを見た人が、
エジプトやシリアなどと同じような状態を想像して心配するのは当然で、
いつもながらの、日本のマスコミの言い方には、現地にいる我我は若干迷惑気味です。
 反政府デモ隊(政府支持デモ隊も同じ)は、日当付(一般の工場従業員の日当より高い)、
食事付、デモ用シャツ、デモもグッズ支給、送迎付き、で、集められた人たちが大部分で、
イデオロギーなく、後ろ(黒幕)から煽られてワーワーと、Spot siteでやっているだけで、
一般の人(在留の我我外人もふくめ)の日常生活、企業運営には、全く影響ありません。
 デモ鎮圧の警官隊も遠慮しながらのActionで,けが人(先日、死者がでましたが)は、
反政府、政府支持のデモ隊の直接対決の際、発生するもので、限定された場所だけです。
 街は、12/5日の国王誕生日、クリスマスの豪華な飾り付けがきれいで、待ちゆく人々は
デモ?今日はどこでやっているの?といった感じで、普通の日の生活ですし、有名なバンコクの
ネオン街もさんざめいています。
 当方は、年末の諸行事、ボーナス支給、年末の社内Partyの景品選び、年末年始の休日の
前後の生産出荷の段取り、などで、忙しく、過ごしています。
 雨季も終わり、一年で最も爽やかな気候で、小生も、ますます元気(80才になりました)で
従業員と、”サバーイ、サバーイ”《タイ語の、気分いい、の意味)で、来年も仕事がんばろう、と
張り切っています。
 年末は、12/25のフライトで帰国し、1/7に当地に戻るまでの間、在宅ですので、松本さん、と
3人の都合よい日に、是非、食事会しましょう。
日本は寒くなってきているようで、風邪引きに気を付けてください。
高橋宏太郎。在バンコク。


森田裕之です、タイの騒動心配しています、年末のスケジュールはいかが?

松本さんと飯を食いましょう。


[533] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/11/22(Fri) 21:25

情報化研究会の会長さんの小滝さんというアメリカの武器・兵器のウォッチャーの講演会を聞いてきました。

ユーザーのエンジニアリングと言う観点からしても、アメリカは圧倒的に凄いレベルにある、日本のロボット兵器はアメリカではサイバー兵器というらしい、日本のイメージはアトムだから、人間に代わるロボットだけど、アメリカは全然違うらしいことが判りました、面白いねえ。

長友先輩が来ていました、私より一回り上のシニアで、元気一杯で、質問していました。
娘さんが薬剤師で、薬を飲んじゃいけませんと、飲ましてくれないんだそうです。

[532] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/11/17(Sun) 20:02

黒澤先輩は元気一杯
貼り付けー
森田さん、メール有難う。なんとか元気です。10月に80歳になりましたが「望郷の念」など
全くありません。小生の2013年賀状の言葉は『終生前向考 必顕先見象』でした。現在、
未来思考にしか興味ありません。ご放念の程お願いします、いづれまた。 匆々
 
                 黒澤豊樹

[531] 前・技術士会の事務局長 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/11/17(Sun) 18:02

畠山君のメール

森田裕之様
大変ご無沙汰しております。お元気でご活躍のご様子でご同慶の至りです。
私が前立腺の重粒子線治療をしてから早くも満6年が経過しましたが、お陰様で副作用は無く快適な毎日を過ごしています。重粒子線治療の素晴らしさを実感しています。
入院中のお知り合いの方も快癒されることと思います。
技術士さんにも厳しい環境が続いていますが、大学技術士会も若い人が中心になって元気を出して欲しいと思います。
向寒の折、お元気でお過ごしください。
畠山正樹

[530] シニアの環境 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/11/17(Sun) 17:13

イオンのモールを歩いてみたら、5000歩くらいあった。
本屋があるし、お茶も飲めるし、救急室もある、シニアの散歩の環境としては、最高なんじゃなかろうか?

車で行くような所にしか無いのが、難点だけど、シャッター街の地方都市にも、探せば案外あるんじゃないだろうか?
[529] スーパーシニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/11/16(Sat) 19:41

スーパーシニアの環境での必須条件と言うのが、おぼろげながら判ってきた、これも高嶋、本田両先輩に会いに行ったおかげです。
何事も現場に行かないと、本当の話が理解できないものだ。

と言うことは、スーパーシニアには、近所に立ち読みできる本屋(ネットじゃ駄目)、図書館、喫茶店(バール)が必要なんだと言うことでしょう。

[528] 郷愁 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/10/31(Thu) 10:51

ちょっと長いけど、欧米人は郷愁を感じない、と言う記事があり、貼り付けます。

貼り付けー
一週間前、欧米では郷愁に相当する言葉が病名(=homesickness=nostalgia)であって、かつては、かかる病名すら存在しなかった、ということを、NYタイムスのコラム
http://www.nytimes.com/2013/07/09/science/what-is-nostalgia-good-for-quite-a-bit-research-shows.html
を読んで知って、私は衝撃を受けました。(注1)

 (注1)ホームシック(homesickness)という英語は、は欧州大陸のバロック期の医学でつくられた言葉たるノスタルジア (nostalgia)の直訳である。
http://en.wikipedia.org/wiki/Homesickness

 つまり、欧米の人々は、通常、郷愁を感じることがない、というわけです。

 世界各地で居住したり、世界各地を訪問したりした経験を持ち、文明、文化の違いに強い関心を持ち、また、コラムでもそういった分野のテーマをし ばしば取り上げて来た私であるにもかかわらず、そんなことさえ知らなかったことに衝撃を受けたのです。
 では、さっそく、この記事のさわりをご紹介し、私のコメントを付すことにしましょう。

2 郷愁「病」について

 「郷愁は、もともとは、スイスの医師のヨハネス・ホッファー(JohannesHoffer)によって、1688年につくられたものであり、それは、「要は悪魔的理由による神経性の(neurological)病 (disease)」と描写されたものだ。
 軍医達は、外国にいるスイスの傭兵達の間でそれが良く見られていたことから、アルプスにおける間断のない牛鈴(cowbell)の音によって兵 士達の鼓膜と脳細胞が、昔、損傷を受けたためである、と想像を逞しく(speculate)した。
 19世紀と20世紀においては、郷愁は、「移民精神病」、「鬱(melancholia)」の一形態、或いは、「精神的抑圧性強迫障害 (mentally
repressive compulsive disorder)」といった具合に、様々に分類された。・・・
 <しかし、郷愁は、人に>帰属と提携(belonging and affiliation)に係る、より強い感情を呼び起こし、<その人は、>他者達に対してより寛大になる<ことが分かった>。

→郷愁は、人間主義的感情を呼び起こす、というわけです。(太田)

 ・・・郷愁は、孤独、退屈、そして不安を中和する(counteract)ことが示されたのだ。
 それは、人々をして、見知らぬ人々により寛大にさせ、部外者達(outsiders)により寛容にさせるというわけだ。
 <実際、>郷愁的諸思い出を共にしている時、カップルはより緊密になり、より幸福そうに見える。
 <また、>寒い日々、ないし寒い部屋部屋では、人々は、郷愁を、文字通り暖かさを感じるために用いる。・・・

→人間主義は、心身を共に温めてくれるようですね。ということは、熱い地域の人々は人間主義を敬遠する?(太田)

 郷愁を催させる手っ取り早い方法は、音楽を通じる方法だ。
 <だから、>音楽は、研究者達にとってお好みの道具となっている。
 オランダでの実験で、ティルブルグ(Tilburg) 大学のJ.J.M.ヴィンゲルヘツ(Vingerhoets)・・・とその同僚達は、歌を聴くことは、人々を郷愁的にするだけでなく、物理的に暖かくする ことを発見した。・・・
 郷愁の感覚は、寒い日々においてより多く催される。
 研究者達は、(華氏68度の)涼しい部屋の中では、人々は、暖かい部屋の中の人々よりも郷愁を催し易いことも発見した。・・・
 「仮にあなたが、少なくとも主観的に、生理学的な慰安を維持するために記憶を動員(recruit)できれば、それは、驚嘆すべき、かつ複雑な る適応<手段>たりうる」、と<この研究者達の一人>は言う。
 「それは、あなたをして、食糧と避難所をより長く探すことを可能にすることで、<あなたの>生存に貢献することができよう」、と。・・・
 最初に、実験を行った人々は、若干の人々に対して、過去からの諸ヒットソングを聞かせて郷愁を催させ、その上で、彼らに自分達のお好みの歌の歌 詞を読ませた。
 そうしたところ、それらの人々は、制御集団(control group)に比べて、より、自分達が「愛されており」、「人生は生きるに値する」、と言うようになった。
 次いで、この研究者達は、実存的不安(existential angst)を催させようとする、もう一つの方向において、この効果を検証した。
 彼らは、若干の人々を、仮想のオックスフォードの哲学者で、いかなる一人の人間によるこの世界への貢献も、「無価値で痛ましく無益である (paltry,pathetic and pointless)」ので、人生は無意味である、と記した論考を読ませた。
 この論考を読まされた人々は、恐らくサルトル的絶望を撃退するためだろうが、より郷愁を催すに至った。
 更に、若干の人々は、この寒ーい論考を読む前に郷愁を催させられたが、彼らはこの論考について、<予め郷愁を催させられなかった人々>より納得 しなかった。
 記憶の小道を短時間そぞろ歩きすることは、明らかに、<人々を、>人生をより価値のあるものと見るようにし向けたのだ。・・・
 <この>研究の若干は、規則正しく郷愁を催している人々は、死に係る心配によりうまく対処できることを<も>示している。・・・
 郷愁の水準は、若い成人達の間で高い傾向があり、中年では下がるけれど、老年の間は再び上昇する。」

→音楽の人間主義化効果が裏付けられましたね。(太田)

[527] Re[526]: 熱海に転居した友人へのメール 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/10/29(Tue) 10:55

返信です。
故郷への引越しじゃなくて、みずから選んで老後の住処を決めたのだから、当然でしょう。
「帰郷の思い」と言うのが、曲者なのかなあ?

貼り付けー

久保田です。桜井君のメール転送有難うございます。
強がりではありませんが、真鶴に来たことは後悔していません。川越は確かに大都会だと言う事をこちらに来て実感しました。真鶴以外に、九州(家内の実家もあり、私の姉も住んでいるので)も検討しましたが、ちょっと無理すれば東京に行けるところとして、このあたりが限界かなと思い決めました。距離的に千葉の館山や九十九里あたりも検討したのですが、交通の便が良くないのでやめました。若い時は都会の喧騒の中で生活するのも、生きがいの様に感じましたが、のんびりしたいとと思う気持ちになり、当地を選びました。当地は新鮮な魚が食べられ、又風光明媚で一年を通じ気候温暖です。冬は平均5℃程あたたかく、夏もやはり3℃程涼しい気候です。
機会をみて一度遊びに来てください。

貼り付け終わり

[526] 熱海に転居した友人へのメール 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/10/28(Mon) 20:00

森田裕之です、孫崎さんの言いたいことは最近の政治家では、田中角栄、鳩山邦夫、小沢一郎がアメリカとその手先・検察にやられた、と言うことのようです。

今年になって、年寄りが何故か「故郷に帰りたがり、その後どうなっているのか?」と言う疑問に駆られて、85歳で小金井の自宅を売って、鹿児島・国分に帰った本田さんという先輩を訪問して、様子を見てきた、それから岐阜の隣町の笠松と言う町に帰った高嶋直一さん(この人は井の頭公園の高級マンションに住んでいた)を、たずねて3時間ばかり様子を聞いてみた。
結論、2人ともに「失敗だった、後悔している、本屋がない、図書館があるが遠くて行けない、喫茶店がない、友達が居ない・話し相手が居ない」と言うことが判った、頭の中で考えていた帰郷の思いと、現実の違いがあまりに大きいようでした。

君のケースは良くわからないけど、引っ越してよかったんでしょ?車で16号の君の旧居近くを通過すると、思い出すよ。
(さいぼくハムにカツを食いに良く行くのでね) 

[525] 本田尚士さん 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/10/25(Fri) 19:20

ひさし振りに長電話でシャベリました、私が霧島温泉めぐりの帰りに、お宅に寄った時以来です。

98歳の高嶋さんの話がしたくて電話しました、本田さんのほうが一回り若いはずだから、今の日本の時勢についての見解を問いました、『中韓以外のアジアは、日本と仲良くやりたい国々だから、組合のミヤンマー対応は賛成です」と言ってくれました。
ミヤンマーには戦後の日本の兵隊さんが、色々世話になった歴史があるんだそうです。
私は今どこの会合でも、最年長ですから緊張しちゃうけど、先輩と話をすると、ほっとするんだよな。
[524] Re[523]: 高嶋さん 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/10/20(Sun) 19:44

高嶋さんの部下だった岡崎さんからのメール。

貼り付けー

ご無沙汰しています。実は13日に名古屋で高島さんと食事をしました。
その節、岐阜グランドホテルでの貴兄等の写真とともに当日の様子をあれこれ伺いました。大変喜んでおられました。
それにしても岐阜まで10名も揃って出かけるとはコンベクス グループもなかなかやるじゃあないですか。森田親分の統率力ですかね。
高島さんの家系は長寿で姉上も兄上も100歳を超えてご健在の由、高島さんも100歳は大丈夫でしょう。高島さんより早くくたばらないように健康の維持に努めています。安倍晋三が暴走しないように見張らなきゃいかんしね。
貴兄もそろそろ歯を磨いたらどうだろうか、益々元気になると思うが。はたまた風邪でも引くかもね。楽しくお過ごしあれ。 岡崎伸夫拝
[523] 高嶋さん 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/09/27(Fri) 21:38

コンペックスグループの最長老の高嶋さん(98歳)はシベリア抑留を経て、帰国後に三菱油化の研究所長など要職を経て、技術士事務所を開設して、組合に参加した。

最近、井の頭公園のマンションから、故郷の岐阜に帰郷・移転したけど、会合に出られず、ぼやいているらしいので、10月のコンペックスの委員会を、岐阜でやることにしました。

故郷のある人の「帰心」と言うのは、余程強烈なものらしく、私には理解できません。
盆暮れの交通渋滞というのも、何時までたってもなくならないものの一つだけど、多分世界で日本だけの現象じゃないのかなあ?
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[522] 世代論 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/09/27(Fri) 18:53

シニアと言うくくり方では、いささかめが粗くて、捉えにくい。
敗戦のときに15歳以上だった世代(兵隊さんの気分)、60年70年安保の時に学生以上だった人たち、80年以降の日本の高度成長の経験者達、はそれぞれ違いのあるシニアたちじゃなかろうか?
私は日本の発展途上国状態での会社に取り込まれた世代で、独立・自営などはまったく考えずに、定年を迎えて年金老人を楽しんでいる世代です。
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[521] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/09/03(Tue) 07:44

名手君は東燃石化OBで、大塚君のスノーバ上場のパートナーですが、今はラスベガスに別宅を持って、横浜と半々の一年を過ごしています。
来週からアメリカに出かけて、12月には帰ってくるというので、一度組合で話をしてもらいましょう。
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[520] 評価 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/09/01(Sun) 13:33

東急の建設コンサルタント・石橋さんの話は非常に面白かった、住宅なんていうのは50年くらい経たないと、評価が出来ないものなんですね、東急と言う民間と、住宅公団という官の比較が、たまたま聞いているメンバーに多磨ニュータウンの公団に住んでいる橋本君の悲痛な話があり、生きていく色んな状況での判断と言うのが、難しいものだなあと、考え込んでしまった。
後で、誰かが、NTTの株を500万円で買って、今50万だけど「売った方がいいですかねえ」と半分ぼやいていた。
損きりと言うのは、海外に出かけてお金を使った個人・会社にも言えるけど、日本人はガラパゴスで結構、海外進出などは向いていないんだと思います、墨田区みたいに国内に投資して、世界中の人に来てもらうのが、いいと思うね。

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[519] 趣味 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/27(Tue) 08:02

墨田区の男声合唱団のコーラスを、錦糸町のポリフォニーホールで聞きました、同窓の坂倉君が団長なもので、後の飲み会と亀戸天神の散歩で楽しみました。
一緒に見に行った、高木君は柏で、横井君は横浜で、それぞれ合唱団でテノールをやっているそうです。
高木君の評価は、バスに凄い人が居るので、レベルが高い、とのことでした。
テノールは練習で声が出るようになるけど、バスは体の構造上の問題で、性能の問題だそうです。
シニアが案外歌を歌っている人が沢山居るんだ、と言うことがわかりました、悪くないねえ。

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[518] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/19(Mon) 21:31

下の青葉君のリストにある、水道の上岡君、八鍬君は確か今技術フォーラムでやっている「役所の技術監査」を始めた先駆者だったと記憶している。
何しろ青年委員会は、独立・自営を希望する連中が沢山居たので、そういう種を見つけては、仲間を集めて試行錯誤していた。
私は、会社が潰れるなど考えたことも無かったので、何で若い技術士が独立したいのか理解に苦しんでいた。
私は、中小企業で、お山の大将をやっていたので、ゼロ戦の設計者堀越二郎のように、会社が楽しくてしょうがなかった。
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[517] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/19(Mon) 20:27

下の青葉君のリストにある長崎昭司君は都の役人だったけど、面白い人で、土木のグループで田中角栄の日本列島改造論と言う本を勉強して、紀伊半島を運河で切断しようとか、東京湾から大宮あたりまで運河を掘って、外洋船が直接関東地方の真ん中で荷卸できるようにしたらどうだ?
等、真面目に計算して発表していた、この運動は復活してみたいねえ。
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[516] シニア番外編 投稿者:青葉堯 投稿日:2013/08/19(Mon) 11:43

青年委員会(青年技術士交流実行委員会/青年技術士懇談会)の委員名簿(一部)が手許にありました。40歳未満の技術士(現在は45歳迄の技術士・技術士補・修習技術者)で、シニアの群像に登場する方の多くがここに出ています。1960年長友先生、1964年弘田先生、本田先生は今も現役です。
1960
石川 源光(電気電子) 中山 登(経営工学)
山城 教成(衛生) 新井 槌之助(衛生)
市瀬 良男(建設) 高尾 令(水道)
永屋 元靖(機械) 宮川 育郎(電気)
河上 武(建設)     陶山 国男(応用理学)
森村 武雄(衛生) 加藤 泰正(化学)
松原 正美(機械) 長友 正治(機械)
村田 道雄(農業) 垣見 恒男(航空機)
1962
宮川 育郎(電気電子)
1964
弘田 幸弘(電気電子) 本田 尚士(化学)
1966
柳川 達吉(経営工学)
1968
広瀬 正尚(化学) 新井 澄夫(機械)
黒澤 豊樹(電気電子) 三廻部 真己(農業)
惣田 正良(衛生工学) 橋本 肇(金属)
1970
黒澤 豊樹(電気電子) 橋本 肇(金属)
三澤 昭(電気電子) 畔上 続雄(化学)
長崎 昭司(建設)
1972
新井 澄夫(機械) 伊豫部 将三(機械)
松本 俊次(電気電子) 長崎 昭司(建設)
1974
伊豫部 将三(機械) 小針 輝夫(電気電子)
上岡 昭春(機械・水道) 八鍬 稔生(水道)
鈴木 将成(電気) 傳田 勲郎(建設)
星 満(機械)     宮田 孝博(電気)
1976
鈴木 将成(電気電子) 茅野 光広(建設)
尾崎 光三(電気電子) 小針 輝夫(電気電子)
深野 宏之(経営工学) 青葉 堯(化学)
廣川 勝久(情報工学)
1978
深野 宏之(経営工学) 星野 務(建設)
伊藤 公紘(情報工学) 中村 喜平(経営工学)
1980 中村 喜平(経営工学)(以後は代表者と思われる)
1982 大塚 実(機械) 1984 藤森 正法(水道)
1986 北川 善久(水道) 1988 和久 昭正(建設)
1990 水谷 敏彦(建設 ) 1992 岡 孝夫(建設、情報工学)
1994 福田 遵(電気電子) 1996 渡辺 和樹(航空・宇宙)
1998 石井 聡(電気電子) 2000 北尾 由之(情報工学)
2002 時合 健生(化学) 2004 野村 貢(建設)
2005 石井 一夫(生物)/野村 貢(建設)
2006 野村 貢(建設) 2007 時合 健生(化学)
2008 田村 裕美(建設) 2009 以後は後刻追加します
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[515] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/18(Sun) 13:32

創立以来の技術士会の名事務局長・高田さんの後に畠山君という稲門OBが来たので、付き合いが出来ました。

技術士じゃないので仕事には興味が無かったのでしょう、話題は彼が癌を患って、重粒子線で癌をスポット的にやっつけると言う新しいお金のかかる治療法をやり、うまく行ったという話ばかりでした。

最近会わないけど、彼は技術士にあまり興味なかったからなあ。
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[514] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/17(Sat) 08:35

橋本孜君・機械・日本製鋼所OBは、稲門の後輩でもあり、室蘭出身で北海道について色々教えてもらった後輩である。
北海道の人は北海道が故郷と言うよりは、その先祖の出身地があること、橋本君で言うと樺太とか、福井や富山から北海道に渡った時期が有ったらしい。

橋本君は癌を克服したり、寂れた多摩ニュータウンの復活活動に励んだり、技術フォーラムの営業をやったり、いつも忙しそうな男である。
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[513] Re[510]: シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/16(Fri) 22:30

中西さんがお父さんみたいと言っていたのは、名古屋の古田二郎先生だったかもしれない。
シビルで水道だったし、専門が近いし、私の記憶違いだと思う。
でも、加藤先生のおかげで、組合のエリアは浜松まで広がっているのも事実である。

三水会世代の長老で、浜松の加藤幸男先生・機械には暫くお会いしていないが、名古屋支部の女性技術士中西さんから、お元気な様子を伺っている。

和田先生紹介の三水会の先生方は、若い頃から独立・自営のつわもので、中西さんに言わせると「お父さんみたいな先輩」ということらしい。
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[512] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/13(Tue) 13:08

鈴木清さん・農業は愉快な先輩だった、国際協力の先達で、いろんな国に出かけていたことは本当だけど、座談で「ほんまかいな?」と言うようなエピソードが、沢山あった。

風貌も一風変わっていて、いわゆる「総髪」(おかっぱ風)の浪人風で、日本人離れをした多分国際的に通じる、凄いおしゃれだったんだと思う。
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[511] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/11(Sun) 08:10

昨日のニューシビル研で、高木君から柏の合唱団・テノール担当の話を聞きました。
コンピューターを駆使して、楽譜をパートに分解したり、カラオケを作ったり、技術者としてのユニークな参加の仕方をしていて、皆感心していました。

25日には、たまたま大学の同期の坂倉君(スカイツリーの下に住んでいる)の合唱を聞いて、亀戸天神に参拝することになっているので、シニアの男・テノールは合唱団ではもてているらしいことが判りました。
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[510] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/10(Sat) 07:10

三水会世代の長老で、浜松の加藤幸男先生・機械には暫くお会いしていないが、名古屋支部の女性技術士中西さんから、お元気な様子を伺っている。

和田先生紹介の三水会の先生方は、若い頃から独立・自営のつわもので、中西さんに言わせると「お父さんみたいな先輩」ということらしい。
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[509] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/05(Mon) 20:50

宇都宮徹君・化学は、私の浦高の同級生で、帝人・OBです、定年頃に、今話題のケミカルアンカーをデュポンから技術導入して、土木業界に市場開拓をしていた。

今はなんと、ニンニクエキスやコエンザイムと言うサプリメントの通信販売をやっている、我々シニアがお客さんである。
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[508] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/04(Sun) 17:45

窪田稔さんと河北宗善君は技術士じゃないけど、なぜか組合の会合に出現してくる奇特な人である。
窪田さんは、ロスと日本を半々に住んでいるシニアで、営業・市場開拓のプロである、河北君は現役のシニア営業マンで技術分野の物知りでもある、得がたい人物です。
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[507] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/03(Sat) 18:23

堀 昭二さん・機械は、我が家の近くの人で、埼玉技術士会の前身の関東技術士会の会長さんだった、私より一回り上の大柄の体格でやさしい、ニコニコしたシニアでした。

当時は,日刊工業新聞社の浦和支社のビルで会合をやっていて、新聞社と仲良く色んなイベントをやっていました。

一回り上の先輩がたは、敗戦のときが20歳前後ですから、今よりよほど会社が少ないし、小さかったので、独立心が旺盛にならざるを得なかったんでしょうね、東京での三水会、浦和での関東技術士会、沢山の侍が居たのですが、名前が出てきません、今日の独立支援の会合で、堀さんと淺川さん(水の淺川エフェクトの先生・エンジンの燃焼室に霧を噴霧すると燃費が向上すると言う理論)を思い出しました。
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[506] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/02(Fri) 21:01

久重光人君・化学は、私の母方の実家の土浦の住人で、私の100歳の伯母や従兄弟を良く知っている。

私の母親が結婚した頃は、霞ヶ浦の予科練の偉いさんの宿泊する宿屋を経営したり、大地主で有名な一家だったが、戦後伯父さんが電気屋を経営し、没落した歴史があります。

最近土浦へ行くと、筑波に吸い取られたのか、なんとなく没落した地方都市になっていて、気分が落ち込む所になっているのが残念です。
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[505] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/02(Fri) 20:33

石川三千雄君・水道部門は私と同じ歳で、去年あたり引退の挨拶状を貰ったけど、親の作った会社が危機に陥って社長になり、会社を大手の上場会社(確か富士通)に買ってもらって建て直し、再び水道の技術士事務所でコンサルタントを再開して、引退した、という波乱万丈の職業生活の経験者でした。
元気なシニアだから、また何かやっているかもしれない。

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[504] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/01(Thu) 21:40

技術士会報で最近倫理の先生になっている橋本義平君は、同じ頃情報部門の技術士事務所で独立・自営を始めた同じ歳の知り合いである。
監査のグループに顔を出したり、日韓の会合にも参加しているので、長い付き合いではあるが、あまり親しいと言う気分の付き合いではない、才人というのはこの人のことだと思う。
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[503] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/08/01(Thu) 19:46

日韓の技術士会議には10年くらい委員をやったので、地方からの参加メンバーと知り合い、これが唯一良かったなあ、と言う功徳です。

委員を引退して2年になるけど、天気予報で出雲が水害というと藤井さん、新潟で山崩れというと中山さんの顔が浮かんできます。

2人とも似たような年配で、コンサルタント会社を経営して成功している技術士です。

年賀状だけのお付き合いになりそうだけど、そのうち機会があったら、お互いの引退プランでも議論したいシニアです。
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[502] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/31(Wed) 10:51


3代目の理事長の松井進作先生は、2代目の芦川先生たちの生産管理部門の御仲間で、専門分野では有名人だったと思います。
組合と言うグループには、思い入れがあるらしく、当時若手と言われた私の世代の独立・自営メンバーに任せてくれて、お会いして気分のよくなる、良きシニアでした。
今の私は、あの頃の松井先生の年配ですが、とてもあのような練れた人柄になれず、我ながら情けないです。
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[501] シニア番外編 投稿者:青葉堯 投稿日:2013/07/30(Tue) 14:05

ここに登場する方々の大多数は、日本技術士会会員名簿に載っています。同名簿は、健在であることの証拠として役に立っています。同名簿に掲載がない何人かの方は、物故されたと思います。もし、引退されても、技術士会には残るようにお願いしたいものです。
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[500] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/29(Mon) 16:23

新井澄夫さん・油研OB・機械部門は、私の前の組合理事長で、組合創立のメンバーでは、私と年齢も気分も相性が良くて、現在組合でやっている色んな活動は、当時新井さんと私が若手の代表として、基礎を作ってきた。

独立・自営業の常として、彼は本職が忙しくなり、だんだん疎遠になり、今では暫くあっていない、埼玉の北部・ねぎの名産地の深谷の大百姓の息子だったと記憶している。
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[499] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/24(Wed) 13:14

宮原君・建設と言う自称・ひげーはげのシニアが居る、敗戦後に韓国から引き上げてきた引揚者ということで、私には親近感がある男だ。
私は引退したが、彼は韓国に思い入れがあり、日韓技術士会議では良く飲食をともにした。
専門学校の先生を長年やってきたせいか、言うことが説教くさいと、私がいつもからかっている、技術士のなかでも先生業の割合は案外比率が高いんじゃないだろうか?
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[496] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/22(Mon) 13:58

役所の天下りを受け入れる体制以前の技術士会を支えていた事務局長が、高田さんというシニアでした。
南洋からの引揚者だったと記憶しているが、独立・自営を希望する技術士連中から、大変慕われていた。
技術士会に入ってくる、専門家派遣やコンサルタントの仕事を、これから独立したいと言う若手に、優先的に情報提供してくれた。
私をはじめ、若くから独立した技術士で、高田さんの世話になって人はたくさんいるはずだ。
技術士会を辞めてから、中世の庭園設計者・小堀遠州の書いた本を解読していた。
私は、銀座・交恂社に来てもらって、色々技術士会の歴史の話を聞きました。
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[495] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/21(Sun) 17:00

豊橋市のゴミ問題と言うテーマだったと記憶しているけど、畔上さん・化学部門・石原産業OBという大先輩が、文芸春秋だったか中央公論に論文を書いて、技術士仲間の評判になったことがありました。

プランドと言うコンサルタント会社を作って、自治体のゴミ処理分野では、一世を風靡したシニアでした。

いまでも元気に発信されていると言ううわさです。
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[494] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/20(Sat) 14:47

技術士ではないのに、技術士に多大の関心を持ってくれているシニアが居ます。

技術士は明らかに敗戦後の日本の就職できない技術者の群れから生まれたのですが、アメリカのPEと良く似ていると言うことは、識者の知る所でした。

大分前になりますが、JEF・の井戸田さんがIHIのOB・副社長だった今井兼一郎さんと、アメリカのPEの年次大会にオブザーバーで参加しましょう、という計画を提案されて、私と青葉君が行ってきました。

ライセンスであるPEと日本の技術士は違いの方が多くて、交流できなかったけど、私には良い勉強になりました。

本気で、海外で、個人で、コンサルタントやる気のある人は、そんなに難しくないから、アメリカのどこかの州でPEを取得したらいいと思います、確か日本でも受験できるはずです。

私は一時期アメリカで沢山仕事をしましたが、全部日系の会社だったので、アメリカのPEとは付き合ったけど、自分は必要ありませんでした。
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[493] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/19(Fri) 20:52

技術士じゃないのだけど、私の作った2つある(コンペックスとナノ構造ポリマー)研究会の世話役をやってくれている、向井君・帝人OBと田代君・三菱油化OBはそれぞれ市場開拓のコンサルタントとして、長年の同じ年頃・仲良しシニアとしてお付き合いしている。
今日のブリジストンの保養所でも、同じ部屋に泊まって、長いことおしゃべりをしてきました。
若い頃知り合って、シニアになった仲間は、貴重な存在です。
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[492] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/17(Wed) 15:01

独立・自営のチャンスを見つけようと、張り切っていた頃、のんびりとしたセイコー社OBの中村哲哉君は、異色な技術士でした

あるとき、毎週名古屋に出かけるので、何しに出かけているのか聞くと、「博士号をとるために大学に通っているんだ」と聞いてびっくりしましたが、理由を聞いてまたびっくり、彼はいわゆる「逆玉」で、地元の秀才として有名で、大地主のお婿さんになり、中村性を名乗り、技術士をとり、博士号を取ることが、仕上げだったのです。

彼の村をたまに車で通過することがありますが、「てっちゃん元気かなー」と思い出します。
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[491] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/17(Wed) 14:39

組合の設立の趣意書に黙って出資してくれたグループは、初代の和田先生達の世代の「三水会」(多分第3水曜日に会合していたグループ)の先輩方だった。

これまで書いた柴田・安達・本田・柴田・橋本(肇)先生方である、そのなかで異色は弘田幸裕さんという工業計測(横河電機の代理店)工事会社の専務が色々教えてくれました。

兄弟で経営していて、独立・自営の先輩方とは、一味違うキャラクターの先輩でした。

私は、この先輩にも影響を受けて、自分も株式会社形式でコンサルタント料を売り上げにするタイプの独立形式で、以来41期続けています。
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[490] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/17(Wed) 13:33

大分昔の話だけど、教訓として話しておきたいので、書いておきます。
ISOのコンサルティングが日本で始まる大分前に、坂本三郎君という日立金属の技術士が、退職金でイギリスに出かけてISOの勉強をして来るんだと、本人から聞いて、ずいぶん偉い奴だなあ、と感心したのを、覚えています。
ある意味で彼は先駆者でしたから、会社のISOのコンサルタントの仕事と同時に、ISOのコンサルタント育成の仕事にも貢献したと思います。
少し後から、中村幸男君・旭化成OBがISOのコンサルタントで独立したのを記憶しています。
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[489] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/16(Tue) 22:09

私が技術士資格を取った頃、機械部会に太田博史さんという、7−80歳くらいのちょっと変わった発言をするので気になるシニアが居ました。

油圧の会社のOBでしたが、「水」の研究家らしく、薀蓄が只者じゃない感じでした。

私は独立・希望の仲間と「自宅訪問プロジェクト」を毎月やっていたので、太田先生の五反田の自宅にサントリーの大瓶を抱えて、伺いました。

奥様が非常に喜ばれたのが印象的で、「変人の夫が、会から若者が沢山自宅に遊びに来てくれた」と感じたらしく、大ご馳走をしてくれました。
帰りには、一升瓶に一本ずつの「水」のお土産をいただきました、「子供が旅行に行く時に飲ませると、乗り物酔いをしませんよ」と言うことでした。
どうやって作った水ですか?ときいても、教えてくれませんでした。

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[488] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/16(Tue) 09:00

市民と行政を支える技術フォーラムの原田敬美君・建設部門は、技術士稲門会の会長もしている、港区長を一期やり行政に通じているので、役所の監査をグループでやろうと言うことで、フォーラムを作った。
監査を通じて役所の信頼を得てきたので、コンサルタントの仕事や研修の仕事が出てきた。
これからの日本のインフラ・シビルはいかにあるべきか、発展途上国へのコンサルタントへの技術士の取り組みは?
等テーマが沢山ある、分野も建設土木が中心だが、色んな分野の技術士が、グループで取り組むテーマが、沢山ある。
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[487] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/15(Mon) 20:14

当組合の副理事長でもある、このHPでおなじみの青葉堯君は、公益目的の社団法人の日本工業技術振興協会・JTTASの理事長です。
この協会は歴史も古く、通産省管轄の時代から現在の経産省と、時代の変遷に生き残ってきています。

技術士という狭いエリアでの独立自営に関しては、私は気に入っているのですが、485.486.487の大塚君、野尻君、青葉君はもう少し広い意味での、技術者の生き方をサポートするNPOの経営者ですから、新人諸君もこれらの団体を研究してみることを、お勧めします。
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[486] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/15(Mon) 15:00

産業技術活用センターの野尻昭夫君(化学部門)は、古河電工OBで早稲田の応用化学の先生も兼任している、大企業の技術・特許を技術移転・TTする組織として、経団連の偉い経営者のバックアップを得て、スタートした組織です。

アメリカにそのビジネスモデルがあるらしく、日本語にはなじみのない、メンターとかメンティーと言う用語を使って、組織の運営をしています。

若い後輩だとばかり思っていましたが、団塊の世代が定年を迎える時代ですから、立派なシニアと言えるでしょう。
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[485] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/15(Mon) 11:59

技術経営責任者協議会・JETOの大塚政尚君は、私よりも一回り若いけど、自分のアイデア・人工雪の会社を作って株式上場して、会社を売り、その経験を後輩の技術者・経営者に伝えようと、色々やっています。
水耕栽培の会社も経営していて、もう一度株式上場をするんじゃないかと、私は思います、凄い男だね。

彼は、三洋電機で冷凍機の技術者でした、私は当時彼が会社を辞めるのに、いささか影響を与えたようです。
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[483] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/14(Sun) 12:42

仲佐博裕君・応用理学は電中研OBで、acoustic emissionの研究家なものだから、色んな応用事例の話が面白くて、話題が豊富なシニアです。
定年後は、豪華客船での世界旅行に励んでおり、あまり会合には出てきませんが、シナの砂漠にソーラーパネルを並べて、日本の夜に太陽光を送るなんていうアイデアを、聞いたことがあります。

1973年頃の石油ショックの頃に、田中角栄さんが日本列島改造論というカッパブックスの本を、青年技術士懇談会の若手が勉強会を作って、日本列島の土木の改造アイデアを出しあったけど、40年経った2013年に、新しいシビル事業を考えて、これからの日本の成長の柱にすべきなんじゃないかね。
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[482] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/14(Sun) 07:54

畑明君は私と同年輩、和田塾の集まりでは、東芝から青葉君、日立から畑君が熱心に参加していた。

見学好きは私と同じで、SMEの見学会なんかでよく会います、先輩の自宅訪問グループの時も、一緒にずいぶん色んな先輩のお宅に、一緒に出かけた思い出があります。

自分がシニアになると、ぼけたシニアを見かけて腹が立つことが多いのですが、古い仲間の健全なシニアぶりは、安心できます。
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[481] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/12(Fri) 11:16

PL問題に関しては、被害者側=弁護士、と企業側=保険会社があり、それぞれ技術士の先輩が開拓したルートがあり、新人諸君は、興味ある人は良く観察して参加してください。

私と同じ年代では、鈴木将成君が弁護士とのビジネスモデルを開拓して、色んな分野の後輩に仕事を作ってくれた。

今では確か大久保君が世話人をやっているはずである。

初めのころ、私も顔を出していたが、事件の「機序=シナリオ」の仮説を作るのが主な仕事で、私も技術士に向いている面白い分野だと思う。
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[480] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/11(Thu) 18:58

新宿の歌舞伎町の入り口のビルに、橋本肇さんという塗装の技術士の事務所がありました、橋本さんは私の一回り上くらいの先輩でしたが、私は青技懇の独立希望グループに入って、色んな先輩を訪問した頃は、橋本さんが一番で、茨城の自分の田舎に塗装研究所があり、新宿の事務所にも従業員が何人か居るような、個人の技術士事務所というよりも、会社の社長なんだと言う印象でした。
同じフロアーに黒澤さんや新井澄夫さんが事務所を構えていたので、青技懇のメンバーもなにかと集まって、飲み会をやった記憶があります。
橋本さんが開拓した、技術士事務所のビジネスモデルは、専門分野のセミナーの教科書を作り、セミナーを開催して、コンサルタントのクライアントを開拓する、と言うやり方で、新井澄夫さんは油圧分野、黒澤さんは自動制御、ほかにも色んな技術士が、このビジネスモデルで飯が食えるようになった、と今になって橋本さん(富士通のOB)は凄い人だったなあと、思い出しています。
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[479] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/11(Thu) 14:03

金川君は私と同じ歳で荏原製作所だかインフィルコのOBで下水道の専門家です。

メーカー出身だが勉強家で、技術フォーラムで役所の監査業務に参加している、若い諸君との飲み会にも積極的に参加しているし、定年後のシニアの良き典型と言っていいだろう。
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[478] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/11(Thu) 13:45

渡部孫也君も浦和の住人で、住友金属を定年後独立の看板を出しているシニアです。
息子がビオラの奏者で、ヨーロッパの歌劇団に居て、たまに帰国して演奏会をやっています。
渡部君は埼玉技術士会のボランティアも引き受けていて、いつもニコニコ会合に現れます。
イヤシロチ見学会で、鹿島神宮に行った時、ボランティアの案内人が住金のOBだと言うことだったので、渡部君に電話したら昔の部下だったとのことでした。
大企業のOBのシニアの生き方としては、技術士事務所の看板は、悪くないね。
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[477] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/11(Thu) 07:44

河面(こうも)君は我が家の直ぐ近くに住んでいる電気部門の会員です。
三菱電機のOBで、三菱総研でコンサルタントの仕事を経験していたらしく、メーカーのOBらしからぬ見識の持ち主です。
いつのまにか、福祉法人の理事長になっていて、忙しそうにしています。
シニアの生き方には色々あるなあと、思わせる仲間の一人です。
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[476] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/10(Wed) 22:09

技術士会が文部科学省の管轄になった頃の総会で、私が天下りの常務理事と会長の弾抗演説をした所、倫理委員会に呼び出されたり、理事会に呼び出されたり、大騒ぎになったことがあります、何年前か忘れましたが、私も若かったね。
そのときに、返事を文書で出したり、対応が結構大変でしたが、奥野さん・旭化成OBが大いに助けてくれました、奥野さんは多分私と同じ歳で、定年まで勤めた後に、組合に参加しました。
頼りになる仲間だな、と今でも思いますが、最近は技術フォーラムで、監査の営業をやっています、住んでいる地元の隠れたる名士なんじゃないかな。
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[475] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/10(Wed) 21:57

定年後に独立して、うまくやっている組合メンバーは結構沢山居る、私と同じ年代では、高木君・電気部門とは付き合いが古い、彼はメーカーに居た時に、役所と業者として付き合った経験を持っているので、技術フォーラムでの役所の監査の仕事にも,参加している。
最近は年齢を自覚して、若い人のバックアップに回っているのが、奥ゆかしく高木君らしい。
[474] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/10(Wed) 11:19

今週組合員を引退した二沢喬一郎君は、私と同じ歳で新日鉄OB・金属部門で、定年後に独立・自営の看板でスタートした最初の世代に属していた。
定年前から技術士仲間との交流をしていたので、私のように会社が潰れたからとか、若いうちに始めた連中ともなか良くグループ活動・PLに励んでいました。
私よりも孫の数が多いと言うのが自慢で、良いおじいさんをやっている様子です、
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[473] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/09(Tue) 22:43

尾崎君は弁理士・技術士を看板にしている、私とは稲門の仲間でもあり、独立も同じ頃だったけど、名門の息子と言う立場上、私は少々敬遠気味だったが、「君は弁理士で飯を食ってんのか、技術士で飯を食っているのか」といった質問には、彼は断固として「技術士だ」と返事をした記憶がある。

私は、どんな商売でも、コンサルタント的な対応が出来る人の方が、うまくいく、という信念を持っているのだが、尾崎君が良いサンプルだと思います。

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[472] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/08(Mon) 20:28

長友正治先輩には、よく驚かされる、先日もSME(society of manufacturing engineers)東京支部の見学会で、お会いした所、「俺は薬を飲んでいないんだよ、娘が飲んじゃいけないと言うんだ」と90歳を超えて、ますますあちこちに出没しているらしい。
私と同じに満州引揚者であるが、向こうの大学を出て就職しているキャリアーから言って、中国とのお付き合いも古くからあり、日中の架け橋的な役割を、技術士会のなかでも担ってきた重鎮です。
私が中国嫌いなことを、よく知っているものだから、最近は「ロシアと組んで包囲網を考えているんだ」などと、面白いことをおっしゃっています。
90歳のシニアになると、何を言っても許されるような気がして、薬を沢山飲んでいる、私なんかよりも、うんと元気なシニアです。
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[471] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/08(Mon) 14:29

組合には入る気はないけど、私と「469」の高橋宏太郎さんとまったく同じ頃に独立・自営を始めた、松本俊次君・電気部門は、千代田化工から独立した頃は電気集塵機の専門家と言う看板でした。

本も書いていたし、私と同じ年だったので、仲良くなり、今でも半年に一度は、高橋さんがタイから帰国中に、新宿の京王プラザで飯を食うことになっています。

松本君のコンサルタントとしての中身は知らないけど、独立してから、伊勢原に家を作り、箱根に別荘を作り、かっこいいドイツの車に乗っている所を見ると、大いに稼いでいると思われる。
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[470] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/08(Mon) 14:13

黒澤豊樹先輩は、今でも総会には必ず顔を見せてくれるので、新人諸君も知っている人が居るでしょう、技術士会では副会長をやったり、ロボット研究会や電気部会その他の世話役も色々やっているので、私は敬服しています。
組合の創設期には、当時新宿の黒沢さんに事務所には、組合立ち上げの私の相棒の新井澄夫さんが居たので、年がら年中あっていました。
温厚な人格者ですが、独立・自営業者としての姿勢がしゃきっとしていて、今でも当時とぜんぜん変わらない、不思議な先輩です。
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[469] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/08(Mon) 08:18

高橋宏太郎さんは、大和製缶OBで80歳、タイでコンビーフの缶の工場を経営しています。
私と同じ頃に独立・自営の技術コンサルタントをスタートしたのですが、仕事がほとんど海外のお客さんでした。
そのクライアントから頼まれて、経営者に変身して、以来3−4ヶ月に一度くらい帰国するけど、ほとんどタイ・バンコックに住んでいます。
さきの水害のときは、所有するボートで工場に通ったと,元気はつらつとしています。
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[468] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/07(Sun) 18:12

フィルターの世界では有名だった海崎さん・機械部門と言う先輩は、フィルターの同業メーカーの数が少ないと言う理由から、一社のお客から「アブセンスフィー」(と言う海崎流の用語を発明して)つまり同業・競合会社とは付き合わないから、その分契約した会社は沢山払え、と言うロジックで、数少ない会社とコンサルタントをやっていました、一般にはマルチクライアントが常識な世界で、ユニークな先生でした。
勝鬨橋の近くだったと記憶しているけど、都心のマンションに事務所があり、そういった意味では、憧れの的でした。
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[467] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/03(Wed) 14:03

故郷の岐阜に帰ってしまった、高島直一さんはシベリアに6年間抑留されてきた兵隊さんで、我々と付き合っていた頃は、三菱油化の常務でした。
高島さんが定年だと言うことで、私がコンペックスという、プラスティック関連技術者のグループ活動を始めて、その中心人物で現在に至っています。
抑留中に覚えたと言う俳句が趣味で、見学会には必ず2−3日早く出かけて、俳句を作ると言う優雅な所があり、尊敬しています。

そのうち、名古屋の方で見学会を企画して、会いたいと思っています。
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[466] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/07/02(Tue) 08:18

故郷の鹿児島に帰ってしまった本田尚士先輩は、銀座の泰明小学校の横のビルに事務所があり、よく遊びに行きました。
当時は、風呂屋のお湯の循環フィルターを発明して、大阪の三浦さんというメーカーが売りまくっていた、と記憶しています。
一軒のお客さんから、あまりたくさんお金を貰っちゃーいけません、とか、コンサルタント業の普通の商売との違いを、色々教えてもらったつもりです。
17歳と8歳での敗戦の年齢の違い、世代の違いにはいかんともしがたい世相感の違いがあり、よく議論しました。
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[465] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/06/26(Wed) 20:06

高堂君の地震速報のネタモトのクルカモは、熊谷卓先生からの情報です、熊谷先生は生産ラインの自動化では業界有名な先生で、著作も沢山あります。
私が若い頃にあこがれたせんぱいのひとりですが,コンサルタントにとどまらず、自動化ラインの設計・製作にも対応されていて、とても真似できないと、あきらめた思い出があります。
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[464] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/06/22(Sat) 12:06

芦川鯉之助先生は、組合の理事長の先輩でもあり、親しくしていただいたが、会社員の時は労働組合の委員長をされて、会社側と大いにやりあったというキャリアーの持ち主で、その頃のことを知る人から聞くと、信じられないくらい優しくなったとのことでした。
我々は、優しい芦川先輩しか知らないので、晩年御茶ノ水の駅のそばに引っ越されて、組合の事務所の近くなので、よくお茶を飲みました。
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[463] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/06/21(Fri) 11:18

私の技術士試験の面接委員だった柴田勉先生は、「それで君は受かったら独立するのかね?」と質問されました。
私は当時、100人くらいの近所の中小企業で、お山の大将だったので、「何で独立なんかする必要があるんでしょう、私は会社の社長になるんです」と答えました。
受かった後で、機械部会で挨拶をしたら、ニコニコして「元気が良いねえ、遊びにおいで」と言ってくださったので、早速鶴見にあった設計事務所を見物に行って見ました。
製図版がいくつかあって、職員も居る、自動化専門の設計会社を経営しておられました、弟さんも一緒に働いていて、印象は「絵が上手だなあ」ということで、機械の透視図やそれまで世の中に無かった、未来型のロボットのスケッチなんかを見せていただき、驚いたものです。
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[462] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/06/21(Fri) 07:53

安達真夫さんを覚えている人は多いだろう、長身で白髪、たいていダブルの背広で現れた、生産管理の技術士でした。
品川だったかなあ、奥様の経営する安達医院のビルの一角が、安達技術士事務所でした。
専門の分野では著名な方だったらしく、お葬式には我々の知らない沢山の人が参列していました、奥ゆかしい先輩でした。
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[461] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/06/20(Thu) 20:52

最近なくなった、和田忠太先生は飛行機乗りで、私も調布の飛行場から、八王子方面に飛んで、富士山の西側を回って、箱根の上をとうり、横浜から調布に戻る一時間ぐらいのフライトを、3回(3人の子供をひとりずつ連れて)別な日にやってもらいました。
寒くてダウンジャケットを着て震えながらも、楽しい飛行でした。
先生の相棒は、折り紙の飛行機の作り方で有名な方でした。
先生はまた、飛行船やラジコンにも趣味があって、色々作っていました、グループ活動も盛んにやっていました、趣味と仕事の区別は無かったと思います。
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[460] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/06/20(Thu) 16:15

私が技術士会に入会した頃は、機会部会は銀座の交恂社で毎月開かれていました、部会長は新井政太郎先生で、確か海軍の左官OBで、逗子の海軍住宅に住んでおられました。
私が73年に会社が潰れて、独立しますとご挨拶に行ったら、もう一人の技術士の先輩と、交恂社の社員(会員のこと)に推薦していただき、事務所なんか作らないで、交恂社で人に会いなさいと、アドバイスをしてくれました。
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[459] シニア 投稿者:森田裕之 投稿日:2013/06/20(Thu) 14:13

化学部門に辻薦(すすむ)サンという先輩が居ました、府中の駅前に界面活性剤の工場を持っていて、化学会社に手広くコンサルタントをしておられ、満州帰りの兵隊さんでもあり、たしか「暁に死す(だったか、「祈る」だったかも知れない」と言うようなタイトルの著作もありました。
組合を作りたいと何回も相談に自宅を訪問したことがありますが、生意気だった後輩(私)を可愛がってくれて、仲間に紹介してくれました。