技術コンサルタントの世界2008年


技術コンサルタントの世界 2008.12.24.
師走です、何時頃始まったのか記憶に無いのですが、23日、少々ひ弱で気になる天皇の誕生日の休日ですが、業界での長い付き合いの、坂部・橋本(孜)・中村・堀(山城精機)の諸君と、川口駅前で忘年会をやりました。

22日には、大学・稲門の同級生諸君が8名、銀座の交恂社に集合して、ライオンで忘年会をやりました、私達の世代は、運良く日本の右肩上がりの時代に働いて、(いい奴に限って早死にしては居ますが)生き残った連中は、元気な年寄りとして、活躍しています。

20日には、第一回のサバイバル研究会をCICの山口大学の事務所で開催しました、12名が参加して(河面・浅野・大場・小林・鐘ケ江・中村・山本・仲原・柴田・菅野・藤田・森田)、私の構想を聞いてもらいました。
この会には、技術者以外に営業マン・証券マンにも来て貰い、色んな業界の実体から勉強するつもりです、サンセット(旧ガラクタ)研究会の島田君にも、次回から参加を要請しており、ゆくゆくは一体化を図る予定です。

19日は群馬県の大田市市民会館で、大塚政尚君主催のJETOの4周年記念講演会がありました、東京の講演会で大好評だった、山城精機の堀さん(オーナー)が、会社を東芝機械に売った顛末を、訥々と講演してくれました。
私は、来年から始まる企業の業界での生き残り(サバイバル)のハシリの実例として、企業経営者にも企業の技術者にも、参考になる話だと思います。

18日には、技術監査人のステアリングメンバーが集まって、来年の5-6月頃には出版される本の打ち合わせをやりました、日刊工業の鈴木編集人によると、読者はシビル業界の技術者だそうです、来年打ち出すアメリカのオバマ大統領の公共投資は、環境・電気自動車・エネルギー・医療関連だそうだから、いくらなんでも、日本だって何時までも「土建分野」だけがシビルという訳ではなくなるでしょう。

30日は我が家の餅つきです、多分37回目だと思います、今年も何とか賑やかにやりたいと願っているので、ceaの諸君は遠慮なく、食べにきてください。
技術コンサルタントの世界 2008.12.18.
100年に一度の大不況だと言われれば、誰だってビビルわけで、世の経営者は直ちに、この時の為に用意してある臨時社員を首にして、生産・販売計画を減らし始めた、私は合理的な行動だと思っている。
私も年末に買うはずだったトヨタの新車IQの購入を、無期延期した、別に車を取り替えなくても、何の不自由も無いからね、世の中の普通の人は、私と同じような行動をする人がたくさん居るだろうから、より大不況に発展するのでしょう。

さて13日には、ceaの忘年会を昼飯の時間にやりました、28名集まったそうで、まあ盛会だったというべきでしょう、昼酒は酔っ払うような気がしました。

暮れになって、ジャンルは違うけど、ceaの諸君が中核になって纏める、大気圧プラズマと技術監査人の本が半年後に出版されることになったというニュースが,入ってきました。

今年は3つ出来た研究会(微粒子問題・マイクロナノバブル・大気圧プラズマ)が、おおむね軌道に乗りかけてきて、段々面白くなってきました、私は意識して出来るだけ全部に顔を出していますが、お互い重なったり関連するテーマがポツポツ出てきて、眼が離せません。

新しく3つくらいのテーマ(自動化・省力化、バリ、生産技術)が浮上していますが、もう一つパンチが足りないので、持越しです、沖津君(化学)が意表をつく「錆び」の10項目を提案してきました、会員内のヤリトリに載せておきます、私は機械屋的な反応をしますが、電気屋・化学や・物理や等の色んな専門分野の諸君が、コメントしてくれると、大いに助かります。

17日は「型内塗装」補助金プロジェクトの定期会合が、伊勢崎にある申請した会社でありました、山本・田島・勝部の諸君が、それぞれの立場で出席していました、私は後から「技術コンサルタントである森田裕之の仕事ぶりを「陪席」して勉強するつもりで、よく見ておけ」と言いました。
実は、技術フォーラムの技術監査人が役所に監査に出かけるときに、新人が「陪席」して見学・勉強するというシステムが出来ています。

新人はどんな業界でも、先輩をメンターと見立てて、陪席したり真似をして、一人前になっていくのです。

今年も30日は我が家の餅つきです、私はこの日の為に一年中身体を鍛えているわけで、最近歩きすぎ?でアキレス腱を痛めたので、もっぱらプールで泳いでいますが、16日にしばらく振りで、プールメイトの田澤君(応用理学)に会いました。

技術コンサルタントの世界 2008.12.13.
今週の私のトピックスは、10日「森田先生、いつもお世話になっております。  ご提案、ご紹介頂いていた企画2点「大気圧プラズマ」「技術監査」ですが、2点とも、本日の最終企画会議で無事、弊社発行予定企画として成立致しました。  ご紹介、ご指導、およびご尽力、ありがとうございました。」という日刊工業新聞社の編集人の鈴木さんからのメールでした。
これで内田君のプラスティック成形の本、大久保君の微粒子ゴミの本に続いて、半年後には2冊の本が、cea関係者から生まれます。

鈴木さんは、私には息子の世代の文系の知り合いですが、私は密かに、「本の編集と言う分野の俺のメンターだ」と決めている男です、早速喜び勇んで11日には人形町に出かけて、美味しいコーヒーをご馳走になりました。

私達・ceaのインセンティーヴは、自分達の仕事先の開拓・仕事を作り出す、言わばマーケッティングの手段として本を書くわけです、私が新人にいつも言うように、「名刺代わりに自著を配るのは、効果的な営業の手段なんだよ、だから本を書きなさい、自分だけでは無理なら、仲間を募って、一緒に書きなさい」と言うことです。

世の中に類書はたくさん出ているが、マイクロ・ナノバブル・研も、生産技術関連・研も、本に書くような切り口・章立てをイメージして研究会を運営することも、重要なことかな、本が纏められないようじゃ、会の運営も未熟なんだ位に考えた方が良さそうだ。

鈴木さんが言うには、驚くべきことに、同じテーマの企画が、同時に2、3進行していたそうで、出版業界という観点からすると、同じ様なテーマの本が5つや6つあるものだと、考えておいた方が良さそうです。
本屋さんのインセンティーヴは、損しない程度にソコソコ売れればいいのだそうです、意外だけど良く考えると、そんなもんかなあとも思えてきます。

11日は続けて夕方人形町で、JETO・技術経営責任者協議会のステアリング会合があり、私は技術経営責任者(TM)=トレードマークを、右肩上に付けて、このタイトルを世に広めて認めてもらう活動にしようと提案しました、これは技術監査人(TM)と同じ様に、一人前の技術者の経営者への道を開く運動のシンボル・タイトルだ、と言うことです。

技術監査人のNPO・技術フォーラムは、おおむね首都圏の仕事してきたが、最近全国的に知られてきたらしく、地方の役所からの引き合いがぼちぼち出てき始めた、技術士に合格した諸君に、技術監査人とは何者か、どういう仕事をするのかということを理解・知ってもらうには、NPO・技術フォーラムで、年に何回か実施している研修会で勉強してもらい、先輩が役所で仕事をしている現場を「陪席・研修」することが、必修である。

私は昨年来、ある会社の監査役を引き受けたが、コンサルタントの役割と表裏一体とはいえ、厳然たる立場の違いが有り、なかなか面白い、しかし、いまさらNPO・技術フォーラムでの役所の監査の仕事は、出来そうも無いが、報告書の査読をやらせてもらっているので、技術士資格者には、最適な仕事領域だと言うことは、よく判かった。
来年は、普通の会社・団体へも、専門分野の監査人・監査役の派遣・プロジェクトの監査に対応できるよう、組織を固めていきたい。

技術コンサルタントの世界 2008.12.07.
6日(土)10-12時のcea・組合の定例会・独立支援研究会に出席して、締めくくりの時間に挨拶をしました、中身は「来年はサバイバルの時代になる、会社は合併・吸収・M&Aのあらしが吹き、専門部門はカーブアウトなどの切り離し・独立・売買が常識になり、個人は転職・独立・派遣が当たり前になる」、そこで我々は自分達の生き残りをかけた、「サバイバル研究会」を始めますが、年内は20日1時ー3時にCICの5階で、雑談会をやるので、興味ある人は顔を出してください。

(12月4日)秋葉原のダイビルで、小野君(産総研)の東北・仙台の研究所のポスターセッションがあり、見物してきました。
私流の理解は、「色んな手段でマイクロ・ケミカル・プラントを作ると言うテーマ」が沢山出ていた、ということで、我々のcea・研究会のテーマとの接点が、沢山あり、色んなお付き合いが出来そうだと、実感しました。

我々・ceaの研究会は、講演・見学を定期的にやりながら、色んな分野・業界の技術者・会社とお付き合いすることになるが、付き合いの中から仕事を創り出していかねば、目的を果たせない宿命がある、一緒に遊びましょと言ってるわけではない。

あまり嬉しくないが、09年は不況でしょう、会社も個人も淘汰が始まります、私のようなこの道40年近くやってきたベテランでも、明日がわからず、おびえの様な気分に陥ることがあります、自分のビジネスモデルが、試されるわけだ。

経験的に仲間を見ていると、不況のときに、独立・自営に踏み切る人はしぶとく続いています、私も何しろ第一次石油ショックの時でしたから。

我々cea・組合は、人材派遣や仕事の斡旋・転職のサービス機関・会社ではない、ただ先輩は後輩の自立を助けようと言う伝統は育ってきており、これから独立したい技術者諸君にとって、自慢じゃないが技術士協同組合・ceaのグループ活動に勝る組織は、世界中にもないだろうと自負している。

主張提言 2008.11.23.
先週は、「型内塗装」の補助金の会合に始まり、「自動化・ロボット研究会」の打ち合わせで横浜国大へ出かけたり、技術士の大学OB連絡会で技術士会の会合に出席したり、「大気圧プラズマ応用研究会」で伊勢崎にある日立の自動車部品工場見学に出かけたり、大忙しの一週間だった。
この間、新聞では工場閉鎖や帰休を含めた、生産調整の話で持ちきりで、会合の後の飲み食いの時間中、メンバー諸君が若干上の空状態であった、若い諸君には経験のない大不況の心配も無理もない世相になってきた。

私は、色んな研究会で喋らせてもらう時は「こういう技術者の会合は、会社での自分の仕事に役に立てるのが、第一義的に正しいが、同業他社の技術者と個人的に仲良くなることに、隠れた重要性があり、技術者の仲間意識を育成しておくのが、生活の知恵と言うものです」と必ず喋っています。

さて昨日の日立の見学会の後のパーティーで、あるメーカーの技術者が3人寄ってきて、森田さんが、この前の会合で話した(上述のような話)ことに共鳴して、改めて相談したいと申し入れてきました。
私は、大塚君のNPO・JETOが大田でやっている「りょうもう・IPO(株式上場)研究会」は、タイトルを「りょうもう・生き残り研究会」に名称変更しようと提案している所です。

そこで、昨今の情勢から言うと、やや泥縄式ですが、ここで「サバイバル研究会」を作りたいと提案します。
会社経営者には、同業者との合併・提携による市場縮小に対応する、専門技術者のグループには、「カーブアウト」という手段による「グループの独立か身売り」による生き残り、個人の技術者には、業界の仲間を利用した転職・独立の機会をつくる、というのが「サバイバルの思想」である。

しばらくの間は、ceaの諸君の集まりの中で、雑談を積み重ねて、世話役が出てくれば、色んな業界で試みてみたい。
技術コンサルタントの世界 2008.11.19.
急激な市場の収縮があり、ここ2-3ヶ月の世相の激変振りは、経営者は震え上がっていることでしょう、私も身辺見直しを覚悟しています、今回はこれまでのただの不況じゃ済みそうもありませんね。

17日には2ヶ月ぶりに「金型内塗装」の補助金プロジェクトが、関係者10名くらいで開催され、ようやく本格的にスタートしました。
要所にはceaの諸君山本・堀内・田島・近藤の諸君が顔をそろえているので、ロートルの私も何とか役に立っているのが、本当の所です、それにしても色んな立場の人が参加しているので、普通の仕事の2-3倍の時間・金がかかる感じがします。

15日夜には、メールマガジンで読んでいる、泉 幸男さんの「商社マンに技あり」http://plaza.rakuten.co.jp/yuzumi/ のオフ会があり、始めて参加してきました、食べたことのない「美味しいモンジャ焼きを食べながらの講演会」と言うタイトルに惹かれて、日暮里駅近くの店に出かけ、14-5名の初対面の人たちと、飲み食いしながら、泉さんが小さな弦楽器を鳴らしながら「吉屋信子の短編小説の朗読、斉藤茂吉・与謝野晶子・寺山修司などの短歌の朗読(というか節をつけて詠う)を演じました。
泉さんは商社マンですが、文学青年だったらしく、楽しそうでした、店の主人は泉さん知り合いの、脱サラ店主で15年くらい続いているそうで、元気な夫婦でした。
私には、モンジャよりは続けて出たお好み焼きのほうが美味いと思いました。

一月ぐらい前から、玄関の雨漏りを直すべく、大工さんが工事を始めましたが、色々な不具合箇所が発見されて、何時までたっても終わりそうもなくなり、ついには玄関を取り替えるということになってしまいました、長年付き合っている友人・大工なので、ストップしませんが、老いぼれた家は、いじくればきりがないのは、人間の身体と同じですね。
今は請求書を心配しています。

技術コンサルタントの世界 2008.11.13.
「なぜデパ地下には、人が集まるのか」川島蓉子著 PHP新書 を読んでいます、私と妻はこのところ20年くらい、毎週日曜日は、車で東京へ出かけて、主としてデパ地下巡りをするのが習慣になっていたからです。

5-6年前のこのコラムに、三越のデパ地下・食品売り場を回っている老夫婦のなかには、奥さんが車椅子で酸素ボンベを持参して買い物をしている風景を、描写した記憶がある。
大きなベンツやBMWを息子らしき若い人に運転させながら、車椅子に移り、食品売り場で買い物の陣頭指揮をする老婦人の姿も、印象的でした。

私達夫婦も70歳を超えていますから、ようやくデパ地下の風景になじんできたと思いますが、買い物はパンが主で、私が昨年の6月以来、一年半毎朝作っているクラブハウスサンドウィッチの素材・卵・レタス・ベーコン・ハム・チーズの類も概ねデパ地下にお世話になっています。

「ラーメン屋vs。マクドナルド(エコノミストが読み解く日米の深層)竹中正治著 新潮新書、私は数年前まで、アメリカに顧客があり、長男もLAに住んでいる事から、少しはアメリカ通だとうぬぼれていたが、この本を読むと、眼からウロコがポロポロと落ちました。
私は、若い頃はラーメン大好きでしたが、最近は全然食べなくなりました、不思議です、満州生まれのせいか餃子は今でも大好きなんです、我が家では死んだおふくろの作っていた餃子レシピを、私も妻も特意料理として沢山作って冷凍にしてあるので、手軽に食べています。

「技術監査人」の本については、かなり入れ込んでいて、副・編集長のつもりで、技術士仲間に電話で500字の エッセイ・コラムを書いてくれと、依頼しています、私は自分では監査を受けたことも、監査したことも無く、これからもするつもりは無いのですが、何故か今、「技術監査人(TM)」という技術コンサルタントと表裏一体の独立・自営の技術者の職域を、創り出そうというテーマで、頭が一杯です。
これまで2年くらいの間に、技術士資格者でISOの監査の経験者、役所・大手の会社の監査役の経験者等沢山の諸君といわゆるディベートをしてきました、会計士の先生にも色々教えてもらいました。
これまでの世に言う監査役・監査人と「技術監査人(TM)」の違いは、技術監査人(TM)は業務の対象が専門分野に限定されていること、これをピアチェック・ピアオーディットと言います、ですから世の中の組織の業務は複雑なので、どうしても業務監査は複数の専門家グループによるものになります。
これらの経験から、独立・自営の「技術監査人(TM)」グループの市場(と言う表現をして良いかどうか判りませんが)を確信するに至っています。

今日は(12日)上野の公園の近くにある、JSTの会議室で、岸君の呼びかけで、河北・渡辺・森君が出席して、第一回の仮称・バリ研究会の雑談会がありました、私はこれまでに20位の勉強・研究会を創ってきましたが、大抵が4-5人の雑談から始まります、そういった意味では、今日も一つ面白いのが出来そうだな、と予感しています。
技術コンサルタントの世界 2008.11.07.
先週、学校の後輩でもある掛川昌俊君が独立・自営に踏み切って、早速に技術士協同組合員に成りたいと、申し入れがありました。
3月に組合に参加した、マイクロバブル研究会の世話人の、佐々木君以来の申し込みで、証券を作り、書類をファイルしていたら、掛川君はNO.164でした。

途中退会したり、亡くなったりしているので、組合員の実数は120名位でしょう、この数字を多いと見るか、少ないと見るか、その評価は見る人の立場によって違うでしょう、私は最近、世の中では「知る人ぞ知る存在」になってきたと、自負しています。

それはさておき、組合員が世話人・ステアリングの主要メンバーであるグループ活動が、活発化してきました、これらは私を含めた私より年上の世代が、急速に老いぼれてきたなと、観察・自覚した数年前に、私が決心して始めたものです。

JETO・NPO技術経営責任者協議会には、私は毎週木曜日4時ーには出かけています、ceaの諸君は遠慮なく、顔を出して情報収集してください、ここには人材会社と付き合う専門の営業ウーマン・鷲見(スミ)さんがいます。
転職情報を独立コンサルタント情報に読み替える、という高等戦術を、研究しています。

NPO・技術フォーラムは、毎月第2週と第4週に会合を開いています、ここでは「技術監査人」というコンセプトを世に問う事業を始めています、私はこの分野は独立した技術者の大きな職域だと信ずるに至りました、技術監査と技術コンサルタントは、表裏一体な仕事といえます。

専門技術の研究会は、外部のグループと付き合いながら、専門分野の業界・学会のup to dateな状況を把握しつつ、cea内の他の研究会と、情報交換することが、技術コンサルタントの仕事を作る有力な手段であると、信じている。
私は、このやり方は、アメリカのSME(society of manufacturing engineers)の運営法から、学んだものである、多分これからの若い人たちは、抵抗なくやっていくと思う。

会社を定年した諸君も、あと10年くらいは、技術コンサルタントをやってやろうと本気で考えているなら、私に相談してください。
技術コンサルタントの世界 08.11.01.

世界は連日株の暴落、為替の変動を報じ、ただならぬ様相を呈して、先行きの不安が一気に増してきました。
我々の商売は、何時でも「逆張り」的な側面があり、世間一般の風潮に流されない生き方を追求してきていますから、経験的には、過去何回かあった不景気な時に、優秀な独立・自営業者が誕生していますし、冷静に対応したいと思っています。
さて、「技術監査人」の本 の件で、29日に根本・高堂・岡の諸君と打ち合わせをしました、以下の原案を鈴木編集人にメールしました。
章立てで書いてもらう人の腹案は出来ましたが、本が出せる目途が立ってからお願いすることにしています。
ceaネット会員の諸君で、自ら「俺に薀蓄を語らせろ」という人は、私にコンタクト下さい、今回の本では、章立て以外に「1ページ(800−1000字)のコラム・エッセイ」を20ページ作る算段をしていますので、会員諸君の本作り参加を期待しています。
T タイトル
「技術監査人」のすべて。
「技術監査人」を提案する。 
「技術監査人と業務監査」
U 目  次
はじめに     
1.技術監査人とは独立した第3者の立場で業務監査を行なう専門家のことを言う(技術監査人の説明)、(ピアチェック、ピアオーディットについて解説))
2.西欧社会の「audit,auditor」がグローバルスタンダードになった歴史 (柳下)
3.不祥事と監査制度(橋本義平)
   倫理問題とのからみ
4.会計監査と業務監査(森正人会計士)
5.既存の監査制度と技術監査人(情報システム監査)、ISO
6.大企業及び関係会社の業務監査
7.中小企業の業務監査(大塚政尚)
8.役所・公共団体の業務監査 (原田敬美)
9.JST、JICA、・大学の業務監査
10.市民の生活と監査制度
前書き又は推薦文 川田 (会計法人代表者)
V 形  式
全体 200ページ程度
1章は約18ページ程度
1ページは約1000字程度
エッセイ・コラム、 1ページのエッセイ・コラムを20か所挿入する(20ページ分)
以上です。
技術コンサルタントの世界 2008.10.26
25日は、朝から原田敬美君主催の、通称・敬美会・技術監査人の技術フォーラム・http://www.cea.or.jp/efsca/の月例会がありました、新規参加希望者2名を承認、新規様子見の新人2名の出席もあり、20名弱の出席者でグループ発足2年目にしては、順調な発展振りである。

私は、持論である「技術士は、経営者かコンサルタントか監査人のいずれかの業務分野に活動すべきである」を、具体化するために、3年前から独立・自営を希望する諸君には、これら3つのグループ活動を紹介してきたが、ようやく世の中にも独立希望者にも、ぼちぼちわかってきてもらえた気がする。

午後は、早稲田大学のキャンパスで、稲門OBの技術士グループ会合があり、慶応の技術士グループの花谷 守正さんの「地球環境改善と木材チップ輸入」という講演を聞きました、花谷さんは、本田尚士先輩と幼年学校の同窓で、話をうかがうと東洋パルプという会社を育てた、会社に140もの特許を取らせた、大功労者でした。
昔の技術士には、会社にもこういう立派な先輩が居たんですね。

土木の小泉先生という技術士制度をよくご存知の先生とお会いしたので、私の「売れない本」を差し上げておきました。
読んでいただかなくても、先生の本棚に置いてもらい、学生の何人かが、独立・自営に興味を持ってもらえば、本望です、と申し上げておきました。

懇親会には、女子医大と提携して、先端生命医科学センター長の梅津光生教授が出席して、最新の医療器械の開発の話をショート・レクチャーしてくれました。
OBには、格別人気のある新進の先生で、私の研究室の後輩だが、この先生は明るくどしどしお金を使って、最先端の技術開発に邁進している感じでした。
暗い話題としては、つくば市と訴訟になっている、風力発電の教授も、同じ私の研究室の後輩です。

懇親会での立ち話としては、大学の先生は企業から利用される立場にあるということの理解が不足して、卒業生が厄介になっている会社だから、単純に善意で付き合っていると、思わぬ泥沼に陥ることがあるのじゃなかろうか、企業OBとしては、大学と企業との付き合い方をボランティアで「監査」すると言う提案してもいいなあ、と言う結論になりました。

さて12日から24日まで、遊びでアメリカ旅行をしてきました、私が何時までも働いているので、妻が心配して計画した旅でした。

まずワシントンでは、ホワイトハウス近くのLombardyというホテルに泊まり(前の何回かはホワイトハウスがよく見えるHay-Adamsに泊まったのですが、今回は選挙近くということか、一杯でした)美術館を沢山歩き回りました、毎日2万歩くらい歩くのですが、天気もよかったので、アメリカ全国から集まるおのぼりさんと共に、秋のワシントンを楽しみました。
アメリカ人は、キリスト教が先祖崇拝をしてくれないので、代償作用としてワシントンを共通の祖先の地として、追悼・巡礼するのではないかというのが、今回私が考えた仮説です。

ニューヨークでは、セントラルパークの南端で、カーネギーホールのまん前にある、パークセントラルホテルに泊まりました。
ここから(57st)地下鉄と徒歩で、やはり2万歩くらい毎日歩き回り、美術館と街見物に徹しました、ニューヨークの町を歩く人達は元気一杯で、速度も普通の町の2倍くらいあるような気がします、夜TVを見ていると、金融恐慌真っ只中のはずですが、街をいく人たちは、屈託無く元気一杯で、私はニューヨークという街から、途方もない「生きるエネルギー」を注入されたような、良い気分になりました。

晩飯を何処で食おうかと相談していたら、妻が何年か前に藤森かよこ教授に教えてもらった、中華料理屋に行ってみようと言い出したので、記憶を辿って、2(ave)・40(st)あたりのPhoenix Gardenを見つけて、食べてきました。

schience museumでの特設展・馬の展覧会を見た後で、次男・洋平の友人Ezra Caldwell君に会いに、Manhattan Ave.125th(st)にいきました、カスタムメイドの自転車を作っているエンジニアです、一人工房の地下室・設計室を持って、趣味の自転車を受注して飯を食っています。
この2年くらいで、100人くらいいた同業者が、200人に増えたと、自転車愛好家の激増振りがうかがえますね。

ところで、私が持参した本は、「アメリカ素描・司馬遼太郎」と「嘘だらけの世界史・岸田秀」でした、明治の先輩達とアメリカの付き合いのエピソードや、民族・国民の「屈辱・復讐・友好」などが、個人と同じことだという岸田理論は、外国でのホテルの寝床で読むのに、相応しい本です、お勧めします。

ロスアンジェルスは長男がいて、15歳の女の子と、7歳の男の孫がいます、3日も付き合うとくたびれるので、早々に引き揚げて帰ってきました。
技術コンサルタントの世界 2008.10.13.
10月9日に早稲田の大聖教授の講演を聞きました、研究室のOBが聴衆で、自動車・エンジンの権威ですから、久しぶりに日本の自動車の現状から将来の展望など、マクロな話が聞けて、満足でした。

他の研究室の学生が4人参加していて、終わってからの懇談会で、そのうちの3人は「私は自動車は興味が無いし、どちらかというと嫌いです」と言い、そのうちの一人は、「私はシマノ(自転車部品)に就職します、中国での電動自転車の流行は面白いです」と言っていました。

懇談会では、50年前に亡くなられた渡部寅次郎教授の息子さんの渡部 陽さんがいらしてましたので、「私は寅次郎先生のキリスト教会での葬儀の下足番をやりましたが、先生が亡くなる1週間前にキリスト教徒に成ったと、言うことが非常に印象的だった」と言うようなご挨拶をしました。
渡部さんは、ご自身80歳もになると言われて「あの時は家族は大騒ぎで、お墓に入れてもらうためと、親類縁者のためにと、2回葬式をやりました」とおっしゃっていました。

10日には、群馬県太田市でのJETO・両毛IPO研究会の例会で、マーケッティングのプロ・コンサルタントである、鈴木ルミ子さんの講演を聞きました。
「世の中の先行きの流れを読む手段としての映画鑑賞とか、街を歩くとか、本を読む、提案は少数派を目指すが、多数の人が参加してきたら、サッと引く」という若々しい先生で、大いに共感しました、聞くと私と同じ稲門で1960年卒業と、年齢まで同じとは驚きです。

11日は朝から、原田君の技術フォーラム、根本君の技術監査人・本の出版準備会の発足、午後からは、定例の「技術士の論点」吉田君世話人、「サンセット研」島田君世話人、「ニューシビル研」高堂君世話人と一日中会合がありました。
新しい人が様子見にチラホラ参加しています、自己紹介など発言することで、仲間内に自分を知ってもらうことが、付き合いのスタートですから、遠慮なくどうぞ。

私は24日まで、アメリカ・LA、NY,WNに遊びに出かけます、昨日ようやくGmailに設定して、出先でもOKにはなっていますが、しばらくの情報遮断も悪くないんじゃないかと、決めかねて出かけます。
技術コンサルタントの世界。2008.10.07.
「何故技術監査人が、独立・自営の技術士の職域を広げることになる、と思われるか、ようやく判ってきたので、cea諸君にも、理解してもらうように、説明してみます。」

技術フォーラムhttp://www.cea.or.jp/efsca/は、設立3年目に入りましたが、ようやくその存在が、世間に認知されてきて、役所の監査の仕事が入るようになってきました。
フォーラムの主要メンバーは、自分達で「技術監査人」という資格を作り、後輩の為の研修プログラムを作り、先輩の監査の現場を陪席することによって、後輩技術士の品質の向上を図っています。

技術監査人の監査する対象は「役所・会社・団体などの業務監査」です、そして技術監査人は「自分の専門分野の仕事・業務を監査(peer check)」します、現在技術フォーラムが役所から受けてい る監査業務は、今のところ比較的短期間、例えば一日から数日間に、業務の一部を監査する仕事が多いのですが、多くの専門家の参加が必要なチームによる監査業務も、世の中には沢山存在しています。

色々調べていくと、日本という国は、これまで監査に関しては、特殊な国だと思わざるを得ません、例えば会社の監査役というポジションは、外国の会社には存在しなくて、取締役が外部の専門家(会計監査法人と業務監査法人)の助けを借りて、監査チームを編成して、監査の仕事をするのが通常のようです。

組織の不祥事に日本の監査役がまったく役立たずであることが、どうしてなのか、私は彼等が会社の内部の人間だからだと思います。
形式的には、会社を退職して、会社との関係を偽装しても、世間の人は信用しません、accountabilityが無いとも言いますね、福島君が調べたら内部監査の本は200冊もあるが、外部監査の本は一冊しかないそうです。

内部監査なんていう言葉は、監査という言葉を使わないで、調査とか検査といったニュアンスの言葉が適当なんじゃないだろうか?
auditと言うもとの言葉は、たぶん外からのという意味も内包していて、組織内と言う言葉と矛盾する、「企業内・社内ベンチャー」と似たようなサラリーマン造語でしょう。

現在の日本には、監査と言う言葉が沢山使われていますね、ISOでも監査という言葉を使います、我々の技術監査人の監査とは意味が違います、この件は、岡君が本に書いてくれることになっていますし、ITコーディネータにもシステム監査と言う言葉を使っていますが、石川・田吹君あたりに比較してもらいましょう。

技術監査人の仕事の基本は「peer check=仲間内・同僚(同じ専門家)によるチェック」です、判りやすい例を上げれば、サンヨーで電池を作っていた専門家が定年になってから、東芝の電池事業部の業務監査をやるというような仕事です、それでもたぶん色んな専門家によるチームでないと、一人では出来ないでしょう。

大塚君の会社・技術経営機構に、今度鷲見 和美(スミ カズミ)さんという、やり手の人材紹介・営業ウーマンが入社しました、私はこの人に
「技術監査人」を売り込んでもらおうと、お願いしている。


「技術監査人」の本の出版には、まだ目次のたたき台が出来た段階だが、鈴木編集人がてぐすね引いて、待機している、108名居るceaネット会員諸君、興味ある人は参加してください、auditorとconsultantは同じ技術士の二つの側面と考えて良いでしょう、だから技術士の職域の広げるテーマだと、熱が入っているのです。
技術コンサルタントの世界 2008.10.02.
第38回日韓技術士会議が新潟で開催されたので、28,29,30日に妻同行で出かけてきました。

私にとって技術士会は、最近CEの会からPEの会に変更されたが、それ以前からなんと無く、会社員志向の諸君と相性が悪くて、日韓の委員会以外の会合に参加したことがありません。

日韓の委員には、初代委員長の本田尚士先輩に機械部門のメンバーが欲しいと口説かれて参加して以来、2代目の故・松平さん、現在の中山さんとは他の委員を含めて、家族ぐるみの仲良しになって、日韓の主要都市で交互に開催されてきた会議と旅行は、毎年の楽しみになっています、今年も本田さんと韓国側の初代の李(イーカンホー)先生がパーティーにいらしてました。

今年は、佐渡の観光にも参加して、天候にも恵まれた素晴らしい大会でした、分科会は青葉君・世話人の第3分科会で、技術者の倫理に関する議論を聞いてきました。

韓国側の辛先生は、ほぼグローバル スタンダードのエシックスの経済の世界市場での厳しさを説明したのに対して(韓国は有数のキリスト教国であると言うことも、案外スムースに受け入れられるのかも知れませんね、閑話休題)橋本義平さんが、日本では技術者は経営者になって技術者倫理を経営に反映しようぜ、という論理構成で話していました。

橋本さんの主張は、我々のNPO・技術経営責任者http://www.cea.or.jp/の主張そのものですから、反論ではないのですが、技術者倫理の実現はむしろ、技術監査人http://www.cea.or.jp/efsca/の目指す職域ではないだろうか、会社では業務の監査役、役所・色々な組織の外部監査人が技術者倫理の実現をピア チェック(専門家同士による監査)というやり方で保証する、というのが私の主張です。

毎年参加者が増加していますが、今年は多分400名くらいの参加者があったのではないでしょうか、パーティーでは、私の本「独立自営のススメ」を読みました、と言う人が2人、ファンです(どういう意味かね?)と言う人が1人話しかけてきました、これまであまり話をしたことの無い技術士会の事務局の諸君とも、色々な話題で話が出来ました、こういう会のお楽しみは、知り合いが沢山出来て、毎年会うのがお楽しみになると言うことだと思う。

私は、今回あたりで委員をリタイヤして、普通の参加者になろうと、同じ機械部門の大塚政尚君を口説いて、今回から参加してもらった、他部門の委員も含めて、世代交代の時期になったなあと、感慨ひとしおです。
技術コンサルタントの世界 2008.09.27.
26日に、半年に一度くらいに面白い見学会を案内してくれる「早稲田大学理工学術院総合研究所」の、豊田自動織機の大府工場見学で、RAV4(ラブフォー)のアセンブリー ラインと、技術技能ラーニング センターという学校を見てきました。

思いがけなく、ceaから五十嵐君が同僚と2人で参加していました、豊田佐吉の最初に作った会社なので、織り機・自動機が原点ですから、技術技能ラーニングセンターという学校ができたばかりと言うことですが、私のような機械技術者が原点の男には、素晴らしい実際的な教育機関を作ったなあ、と感心しました。

東レや帝人などは、繊維産業最盛期に矢張り学校を作っていて、今でも残っている学校もあります、アメリカではフォードがリーダーシップを発揮して、SME(society of manufacturing engineers)という機械業界 のエンジニア育成機関を作って、大学に寄付を通じて、工学教育カリキュラムを出している。

こういった分野にも日本の村社会的な組織の原理が働いているが、もう少し西欧の近代化とはなんなのか、公共の福祉(パブリック)とはどういうことなのか、会社が儲かって余裕が出てきたから、会社の為に社員教育をしようというように短絡しないで、豊田佐吉の自動化の精神を工学教育プログラム化して、色んな大学に会社OBの先生を派遣したり、寄附講座を作ったりするのが、西欧の近代化(アメリカ)方式です。

立派な設備を工場内に設置して、入社してくる新人教育のために、既存の大学工学部の先生を招聘したり、会社のOBを先生にして、会社のエンジニアを養成すると言う、日本的な村意識の強い国と、どちらに軍配が上がるかは、あと2-30年かかることでしょう。


RAV4は、我が家ではセコンド カーとして、最初のモデルが出た7-8年前に買って、今年の春に18万キロ乗って廃車しました、見学会の質疑応答の時間で、私は「答えは要らないけど、RAV4は最初のモデルはカッコよく、評判だって悪くなかっただろうに、モデルチェンジしたら無意味にでかくはなるし、カッコウもまったく個性を失った、そこで今度は今年最初のモデルが出るIQを、さいたま市で最初に、まだ見ても居ないのに、予約発注しました」と言うようなことを、発言しました、皆さんドッと笑っていました。

どうやら、自動車に関しては、どんなモデルでも、最初の車が最高で、モデルチェンジで良くなるケースは、あまり聞いたことがありません、簡単な理由で、最初は少人数で個性が出ますが、次には大勢の人が、色んな理由、主として工場でのカイゼン提案・コストダウンや作りやすさ等を主張して、いじくり回すので、個性を失い、安っぽい車になるんでしょう。
私は50年近く、色んな車を買いましたが、RAV4以外でも、軽ではワゴンーR、本田のターボU、スバル1000、ワーゲンゴルフ等は初代のモデルに乗りました。

最近の私の最優先スケジュールは工場見学です、今回の豊田の工場での、最近仲原君(よろず自動車)に教えてもらった、溶接現場に関しては、立派な会社の割りに最先端じゃなかったのに気がつきました、それにしても工場の現場から世界が見えるのは、素晴らしい経験です。
技術コンサルタントの世界 2008.09.25.
お彼岸ですね、私は長男なので、墓守でもあり、近所の高等学校の同級生が和尚さんである、浄土宗のお寺のお墓に出かけました、又妻の実家は3人姉妹ですが、何故か我が家が墓守をしているので、ここは矢張り近所の浄土真宗のお寺のお墓に行ってきました。

最近歴史の本で、徳川時代に仏教が政治に密着してというか、政治が仏教を利用して、町村民の生病老死に関わったことを知ったし、最近の新しく故郷を離れて年寄りになった連中が、仏教に関係の無い公共の墓地を選ぶ傾向にあるのも、大きな歴史の流れから見て面白い現象だなと思う。

23日には、しばらく振りに30年前に43歳で死んだ友人の村木君の墓参りに、青梅線の二俣尾と言う所にある海禅寺と言うお寺に行ってきました、村木君は横河電機で、ディーゼルエンジンの排気ガスメーターの開発を2年半やり、肺がんで亡くなりました、葬式には社葬ではなかったけど、社長以下800人の社員が参列した有名な男でした。

奥さんの享子ちゃんは、お習字の先生をしていましたが、今では青梅線沿線では有名な書家として、弟子が200人くらい居ますし、ここ15年くらいは、毎年夏には、ドイツの芸術大学で特別講義とワークショップを開催する芸術家です。
今回、私はもう500日近く毎朝食べている、グラブハウス サンドウィッチの道具と素材を持参して、食べてもらいました。

30年前に村木が死んだ時は、満州の奉天時代での7-9歳頃以来の「世の不条理」を感じて落ち込みましたが、30年経ってみると、案外バランスとれた物語になるものだと、思うに至っています。
村木は中里介山という、知る人ぞ知る「大菩薩峠」という長編小説の作家の甥で、私の大学でのマージャン仲間でした、私が独立・自営に踏み切ったときは、色々心配してくれましたが、自分は真面目な技術者で、会社に命を捧げてしまいました。
技術コンサルタントの世界 2008.09.21.
少しずつだけど涼しくなってきたので。散歩を復活してみる、13,14日の土・日は、それぞれ西の氷川神社、東の競馬場・別所沼公園で、大体15,000 po歩きます。

16日には、しばらく振りに副嶋隆彦さんの講演会を聞きに、菅野君も一緒に紀伊国屋ホールに行ってきました、印象的だったのは、個人も国も歴史的に、大きくふり返ってみることが重要で、国は60年が上昇、60年が下降で、コンドラチェフの波というのだそうです、ついでに覇権国は120年が限度で、ヘジェモニック サイクルと言って、アメリカの世紀が終わり、中国の世紀が始まったと副島さんは言っています。

私の世代は、日本の上昇期にぴったり合った、10歳くらいがどん底で70歳くらいから下降期という運の良い世代で、自分の歴史を振り返っても、「俺は運がよかったなあ」と思います。

17日には、近所の河面君のグループ5-6人の、飲み会に誘われて、色んな話をしたのですが、何しろ今私の一番関心事の技術監査人についての話題を、皆に聞いてもらいました、私は仲間に話すことによって、批判を受けたら結構ドンドン変節するズルイ男です、18日の午後には日刊工業の鈴木編集人との会合で、目次を見せたら、鈴木さんは人形町の美味しいコーヒーをご馳走してくれました、私はちなみにコーヒー中毒者です。

19日の午後は、MNB・マイクロナノバブル研究会の、第一回の講演・見学会が、高津にある株式会社ニクニで開催され、初回から67名が参加したのには、度肝を抜かれました、興味ある人は会員内の議事録を見てください。
日刊工業の鈴木さんは、「研究会の世話人は、森田さんとは正反対に、謙虚で繊細な気働きのある人が適任です、大学の先生とのコラボレーションも素晴らしい」と、私の人選・佐々木君を評価してくれました。

20日(土)は、JETOの大塚君の父君のお葬式が、大泉町の斎場であり出席してきました、大塚家は代々神社を守る神官の家で、86歳でなくなったお父さんは、教育者で町議会議長、福祉・介護の学校の創始者等など、大塚君からあまり聞いていなかったので、こんなにえらいおじいさんだったとは、全然知らなかったのですが、元・科技庁長官の中曽根さんなど、代議士が何人か来ていたし、通夜に400人以上、お葬式には1000人以上が参列したと、聞いています。

私は、物心付いて始めて、本格的な「神式の葬儀」を経験しました、神官の装束の男女が10数名居て、笙をはじめとする楽器を奏でてくれ、仏式と違う儀礼の方法も、非常に新鮮に感じました。
帰宅後、早速妻に、俺の葬式は「神式」でやってくれと、要望した所、先祖代々のお墓に入れなくなるので、メンドクサイ、と一蹴されました。

最近読んだ本で、日本の古来の神仏混交、徳川時代に仏教偏重した反動での、明治の初めの廃仏毀釈等が、思い出された。
現代の日本人は、徳川時代に墓地を占有したお寺に、縛られる家がまだまだ沢山あるね。
大塚家は、息子さんが神官職を受け継ぐんだそうです。
技術コンサルタントの世界 2008.09.15.

「不祥事と監査役」

13日(土)は、朝からけいみ会・http://www.cea.or.jp/efsca/のステアリング委員会、技術監査人会議、cea関連の「技術士の論点」、「サンセットビジネス研究会」、「ニューシビル研究会」、わたみでの飲み会と、一日中情報が飛び交い、議論が絶えない一日でした、せっかくceaのネット会員に参加した諸君は、こういう議論の集中する日をスケジュール表から見つけて、参加してみることを、お勧めします、ROMと言うのかな、議事録を読んでいるだけでは、伝わらない、面白い一日があります。

さて私の現在の関心事は、技術監査人です、グーグルで「不祥事」を引いて見てください、最近えっと驚くような不祥事が多いですね、汚染米の事件、相撲部屋の事件、大分の教育委員会の問題、グーグルでは役所、会社、団体等に分類して情報を見ることが出来ますが、私はどうして不祥事が生ずるのかに興味があります。http://home.att.ne.jp/sea/tkn/Issues/Issue-Fushoji.htm 

どんな組織にも、監査役が居ます、私も幾つかやっていますが、期末に会計報告の為に、ハンコ下さいといわれて、メクラ印を押すことしかしていません。
調べてみると、組織の不祥事と言うリスクの歯止めは、監査にあるらしいことがわかりました、組織のトップに対等の立場で議論・提案できるのです。

私が技術監査人に入れ込んでいるのは、この分野は「独立・自営の技術者」を必要としているからです、ここ数年前から日本の企業は、主として外国との付き合いから、ISO・内部統制・監査・企業倫理などという、これまでの日本社会になじまないテーマを、組織内で「無理やりやらされてきた」感があります。

私は大分以前から、会社が言う所の「企業内ベンチャー」とか「内部監査・統制」という造語に、違和感を覚えて、何回も発言したり書いたりしてきました、組織の内部から昇格してきた会社や団体の監査役という立場は、まったく何の役にも立っておらず、形式だけの存在であることは、日本人は誰でも知っている常識です。
我々の仲間内にも、監査役経験者が沢山居ますが、仕事をした人が居るとはとても思えません、まったくの役立たずだったはずです、私は彼等を非難しているのではありません、日本はそういう社会なのです。

会計監査法人を率いる川田先生に、色々教えてもらっていますが、監査には会計監査と業務監査があり、現在業務監査を看板にする法人が事実上無いということを聞き、これが原田敬美君の技術フォーラムhttp://www.cea.or.jp/efsca/のやっている仕事そのものだと、気がつきました。
原田敬美君は元・港区長で、役所における監査の重要なことに気がつき、退任後早速NPOを作り、実績も出てきました。
原田君の経歴から、役所の監査から始めましたが、来年くらいからは、普通の会社の監査の仕事へも進出すべく、準備を始めることになりました。

改正された新会社法は、4月から施行されたとかで、これから業務監査を標榜するグループが、世の中に沢山出現してくることでしょう。
我々のグループの強みは、主たるメンバーが「独立・自営の技術者」であることです、定年後の技術者も参加していますが、少数派であり、リーダーシップは若くして独立した諸君が握っているのが、特徴です。

独立・自営の技術者の選択肢は、こういう風に徐々に増えていくのです。
技術コンサルタントの世界 2008.09.09.
「病気」

今日(9月8日)は、朝から桜区のパブリックプールに出かけて、50分・2KM泳ぎ、プールメートの田沢君と彼の那須の仕事場の立ち話をして、仲沢内科の女医院長さんの定期診断を受け、積んでおいた本を読んでいます。

文芸春秋10月号に、堺屋太一さんが「モノ造り」依存の限界、と言うテーマで、我々技術者に大反省を求めています、曰く「先行性を保っていれば高技術品の製造で繁栄が維持できると言う「工業雁行論」は危険な夢想である」とか、「職人芸に頼りだすと、技術独裁主義の「零戦・大和現象」が生じる」、等です。
歴史から学ぶと言う点からも、この堺屋さんの意見は傾聴に値すると思います、そして解決策の、自由貿易協定(FTA)の拡大と、移民の受け入れ、第二に公務員制度の改革、第三の道州制、第四の新貨幣の構築、第五の官制教育の廃止と私立化、の全てに賛成です。

さて、大学のクラスメートの三浦君からのメールの一部を、貼り付けます。

貼り付けー

新潮社から”人が狂うとき”とか云う本が出ているが、統合失調症は恐ろしい病気のようだ。
一方、”うつ病”は心の風邪などとも呼ばれ、雅子様、安部元総理をはじめ、リンカーン、チャーチル、ルーズベルトなども罹患したとのこと。
ヤルタ会談の時は深刻で、一方的にスターリンにしてやられたと書いてあった。北方領土問題の一因。
ところで、加藤君の病名を知っていますか。

貼り付け終わりー

三浦君は機械学会を代表するISOの専門家で、年に10回も国際会議に出席している偉い男で、私は「技術監査人」に関して相談しています。
この男も、本を読んでストレスを解消する私と同類項の「病気持ち」なので、情報交換をしています。

私は、最近副嶋隆彦さんの連絡網で、「自分の所に寄ってくる若者達、少々神経を病んでいる人が多い、(年寄りだって)森田翁は常人に比べればかなりおかしいが、かろうじて社会的に意義あることに熱中することによって、社会に踏みとどまって、人の役に立っている」と話題にされている。
しばらく副嶋先生にも会っていないけど、さすが先生だなと感心しています、若い人たちだけじゃないでしょう、我々のような年寄りにも、躁なのか鬱なのか、神経症なのか、病気にまでなっているのかどうか判らないが、症候群位の連中は、私もそうかもしれないが、沢山居ると思います。

私は、自分が落ち込んでいるときは、広島で原爆を被爆した身体で、東燃を勤め上げ、元気な年金シニアをやっている古田君や初代の組合長の和田先生に電話して、近況を聞きます、これくらいポジティブな男達はめったに居ません、必ず元気にしてくれます。

私は、病名と言うような定義付けは、どうでもいいから、「誰かの役に立つ(愛する)、社会(会社・役所・近隣)の役に立つ」、ということに熱中すれば、世の中での(死ぬまで生きていいよと言う)存在価値があるというものだ、と考えている。
技術コンサルタントの世界 2008.09.04.
3日には、JETO・日本技術経営責任者協議会の4周年記念の講演会・パーティーhttp://www.cea.or.jp/が、大手町のサンケイホールであり、200人を越える人が集まり、大盛況だった。
組合・CEAの諸君も、数えたわけではないが、40人位来場していたと思うので、大いに楽しんでもらったと、気分よく帰宅しました。

私は、パーティ最後の閉めで挨拶をしました、その中身は「バラエティに富んだ講演者はそれぞれ面白かったが、前半の役所の方が講演のなかで、「中小企業は大企業より技術的に劣る」ということを、何回も繰り返されるのを聞き、非常な違和感を覚えました。
「団塊の世代の大企業定年者を新現役と定義付けして」全国の中小企業に売り込む、と言う政策を立てて、そのPR・キャンペーンを始めたのだそうです。
私は、大企業も中小企業もかなりの数の会社を、技術コンサルタントとして40年間付き合ってきましたが、中小企業が技術的に劣るなどとは、ただの一度も考えたことはありません、一体如何なる根拠で、こういう政策が出てきたのか、不思議です。
考えられる仮設は、「役所と仲良しの経団連企業の定年・OBは、退職金・年金もそこそこあるので、あとは仕事の生き甲斐・暇つぶしを中小企業に求めたのではないか?」
団塊の世代が何年ごろに、如何なることをしでかすか、は、それこそ何十年も前から判っていることで、有名な元通産官僚の堺屋太一さんの一連の本を読めば、予測できたはずです。
私は、役所の役割は、むしろ大学生が中小企業に就職するのを援助すべきで、役立たずの年寄りを、中小企業に押し付けるとは、けしからんと思います。」と言う趣旨の挨拶でした。

私は、会社員をやりすぎた諸君と話をして感じる違和感は、言葉に振り回されていると言うことです、今回は「新現役」と言う造語です、似たような言葉は、「社内ベンチャー」「内部監査・統制」など沢山あります、大きな組織では擬似的な社会が出来上がり、勝谷誠彦流に言うと「利権談合共産主義社会」により、世間の人・友人からどう見られ、思われているかと言う「感受性」が摩滅していて、傲慢なことを平気で主張します。

私は何年か前から、遠慮なく傲慢シニア・偽善者と一戦交えてきました、「正直すぎてくたびれるでしょう」と後輩に言われたこともあります、今しばらくは身体を鍛えて、暴力沙汰にも応えるつもりです。
技術コンサルタントの世界 2008.08.29.

26日には、SME主催の見学会が、鹿沼市にあるナカニシ・http://www.nsk-nakanishi.co.jp/industrial/home/index.htmlと言う、歯医者さんのツールの世界的なメーカーで、200億の売り上げの内、日本は20%という典型的な中小企業ですがグローバル企業です。
私は近年こういう会社の工場見学が大好きになり、何をさておいても見ることにしています、なにしろ現場から世界が見えてくるからです。

27日には、一年がかりで準備してきた、「常温プラズマ応用研究会」の第一回見学・講演会が平塚にある、日本エリコン バルザースhttp://www.oerlikonbalzerscoating.com/bjp/jpn/05-company/05-history/indexW3DnavidW269.php と言うスイスの会社の日本工場でありました。
この研究会は、山本君が千葉工大の尾上先生にご協力いただいて、ほとんど一人で立ち上げ、初回にしては、ほぼ完璧なミニ学会がスタートしました、山本君は立派なコンサルタントになるよ、たいしたものです、と、それはさておき、交流パーティでの、講演者のプラズマ機器のメーカー各社・講演者達と話をしていて、重要なことに気がつきました(右肩下がりのミニ業界の話です)、この話は凄く面白いのですが、ここでは書きません、会合で私を見つけたら、質問されたら話します。

ミニ学会は、メーカーとユーザーとアカデミア(大学・官)、それに我々コンサルタントと言うのが、構成メンバーです、私がこの研究会のやり方・due processを覚えたのは、40年位前に、アメリカ で俗称「コルベット・プロジェクト」と言って、オールプラスティックの車の開発に、確かGMがお金を出したことがあります、この時には、ガラスファイバーのオーエンズ コーニングをはじめ、樹脂メーカー、機械メーカー、金型屋、車のボディメーカーのエンジニアが200名位、臨時のプロジェクト チームを組んで試作しました。
この時のメンバーはその後30年くらい経っても、仲良しで、以来FRPの業界では、ありとあらゆる応用分野の会社や役所に、この時のメンバーが顔を出していました、転職やコンサルタントの利用法など、現在の「右肩下がりの日本のミニ業界」で学ぶことが沢山あります。

我々が創る、ミニ学会・業界は、看板領域にあまりとらわれずに、面白そうな近接技術分野はドンドン取り込んだほうが良いと、気がつきました。
プラズマ応用の話の中で、電気的なバリ取りの面白い例が出てきていますが、この「バリ取り・クリーニング」と言うテーマは、機械屋的な微粒子をぶつけてバリを取るという方法と、同じターゲットを競うことになることもありそうです、微粒子ゴミ研究会でも、取り込んでいけば良いと思います。
マイクロ・ナノバブル研究会も、過去にあった「マイクロ カプセル」とか、「超臨界」のテーマも取り込んだら良いと思います。

私は、技術者が経済だけが右肩下がりと言うような他人事で世の中を見ていると、自分の専門だと安心していた分野が、技術のレベルの高低に関係なく、消えてなくなることが日常茶飯事になる時代が来た、と実感している。

技術コンサルタントの世界 2008.08.22.
最近の天候は、南方型というのか、局所的に雷が落ちたり、スコール・大雨になったと思ったらすぐにやんだり、カッと照りつけたり、昔読んだサマセット モームの南海ドラマの描写みたいな日が続きます。
加えて、月末の土曜日の、けいみ会・技術フォーラムのシンポジウムで喋ってもらう、熊谷卓先生の「地震予知」が、大当たりで、20日の午後の茨城南部の4.5直下型の地震は、関東地方というテリトリーの、週単位で予言されていました。

今日(21日)日刊工業の鈴木徹編集長から、「ものつ”くり現場の微粒子ゴミ対策」清水伸二[監修] 微粒子問題専門委員会[編著]
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/32119620が、私にも1冊送られてきました。
これは、大久保俊彦君・世話人のceaの研究会が母体になって、毎月勉強会をやっているグループの、一つの成果です、まあ私流に言うと、成果というより、研究会のPR資料・カタログ代わりが出来たので、これからメンバー諸君は、大いにこれを利用して、仕事を獲得して欲しいと思います。

鈴木さんにお礼の電話をしながら、色々話したのですが、編集者と生産技術者には、良く似た共通点があることに気がつきました、それは私がこの本の最初の原稿を良く知っていたから、本になったらあまりに最初とかわっているので、ビックリしたのです、これは編集者があるポリシーにもとずいて、著者とやりあったからに違いありません。
私は今、生産技術研究会を何とか作りたいと、頭が一杯なので、類推してしまいますが、優れた生産技術者は、優れた編集者が作家・書く専門家に傑作を書いてもらうように、出入りするメーカー・専門家をリードして、同業他社に勝てる現場を作り出す役割を演じている。

私が近年、工場見学が大好きになったのも、工場はその会社の生産技術者の自己表現であるからだと気がつきました、その人が社長なのか、工場長なのか、部長なのかわからないが、いわゆる生産財と言われる、有名メーカーの成形機・工作機械・プレスが並んでいても、その周辺は実に各社各様なのが面白い。
この周辺こそが、競争力の源で、差別化・付加価値の源泉なんです、生産技術を看板にして技術コンサルタントをやる人は、ここが戦場だね。

桜区のプールもようやく平常状態を取り戻して、子供が減って空いてきました、プールメートの田澤君(計測器)とは、週に1-2回顔が会います、お昼ごろが一番空いているので、のんびり泳げます。
技術コンサルタントの世界 2008.08.17.
「主張提言」をします。

ネット会員諸君、諸君はこのCEAのホームページを利用して、発言・小論文を書いて「主張提言のトレーニング」をして下さい。

私は元来、本を読むのは大好きだったが、書くのは苦手で、技術士試験の小論文が面接の試験官だった、機械部門の故・柴田勉先生に突っ込まれて、たじたじとした記憶がある、つまり苦手中の苦手だった。

ただ私は主義主張だけは当時から強く、なにしろ安保第一世代の左翼の友人が多勢で、アメリカ大好きな私は不勢(ぶぜい)で、いつも彼等の標的になって論敵となり、論争だけは鍛えられていた、まあ口だけは達者だったということです。

そんな私が、パソコンが出来ない為に、組合のシニアの仲間20数名と一緒に、パソコンを共同購入してスタートしたのが60歳過ぎた頃で、このホームページである、今日までのアクセスが38万で2001年から始めて、現在一日に100-150回のアクセスがある。

私はそんなわけで、このホームページのお陰で、発言・小論文が割りと気軽に書けるようになった、知り合いからも、知らない人からも、「ホームページ見てますよ、」といわれることが多い、たまには面白いですと、おだててくれる人も居るので、毎日書くのが日課になっている。

さて、当たり前のことだが、このホームページは組合のものであると共に、特にネット会員の会費で運営されているコモンズ(入会地)であることは誰でも知っている、しかるにどうも森田裕之が圧倒的な量を書き殴り、他の人の文章があまり見られないではないか、と私・森田裕之があらためて気がついた。

そこで、改めてネット会員の諸君にお願いである、諸君は私のごとき、ただ昔から独立・自営をやってきただけの先輩に遠慮して、何も書かないのは、どうしてなんだろう?、遠慮なく何処でもいいから、書き込んでください。

私は、60歳を過ぎてから突然書き始めたといっていい、という事は、まあわざわざ技術士資格を取って、独立・自営に興味があるからネット会員に参加しているような諸君は、誰でも書く気になれば「発言・小論文」が、発表できるんじゃないのか?

会員がドンドン投稿してくれるようになったら、私は編集長をやってみたい、編集というのは技術屋で言うと、生産技術部門に良く似ていて、最近興味がわいてきている分野なのです。

お盆休みに読んだ本で、一番面白かったのは野末陳平著「ちょいボケ迷走記」・(はじめての老後)でした、5歳年上の陳平・立川談志http://chinpei00.hp.infoseek.co.jp/ の世代の動向は、いつも私の一歩先を行っているので、面白がって見ていたが、いよいよ人間最後の所にさしかかり、私としても興味津々の所です。
技術コンサルタントの世界 2008.08.12.
5日には、シニアの極楽プランの見学・温泉泊で、元厚木にある元湯温泉http://www.motoyu.co.jp/に一泊旅行をしてきました。
おなじみのメンバーの中で、近藤・島田・吉田(健)・上ノ山・上条・橋本(孜)の諸君が、カラオケが上手なことが判りました、中村・名手・青葉・森田のHi-シニアは、歌に関しては謙虚なのか下手なのか、飲食にいそしんでいました。

7日には、野尻君のNPOシンポジウムがあり、聞きに行きました、聖マリアンナ医科大学の斉藤教授による、熱源、温度センサやタイマーからなる筋肉の温度を一定に保てる装置によって、一定期間、筋肉に温熱負荷を与えることで、筋肉が増量することを見出した。
本発明は、動物及び人でその効果が検証済みである。

 また、上記装置に加え、機械的負荷を加えることで更に高い効果が得られる、ということは、ほっとけば、後藤先生の筋力と年齢のグラフによると、20歳前半の体力ピーク時に比較すると、70歳は腕立て伏せ・閉眼片足たちで20−25%、ボール投げ・酸素摂取量・脚筋力・垂直とびで50%、握力で80%に落ちている我々シニアにとって、重要な対策を示唆している。

私は学生の頃は、柔道だけは中・高で延べ3年くらいやり2段は取ったが、部活的な団体活動が嫌いで、社会人になってからは勝手に泳ぐとか歩くことで運動だけは、若い頃から欠かしたことが無い、バイパス手術後は特に出来るだけ毎日運動を欠かさない。

8日には、「りょうもうIPO研究会」で、私が推薦した新潟のキタック・社長の中山輝也さんが、講演に来てくれたので応援に出かけてきました、中山さんは生まれた歳(1937)も、独立した年(1972−3)もほぼ同じという、日韓技術士委員会の30年来の仲間です、私は30数年個人で通しましたが、中山さんはキタックを上場させ、売り上げ30億、資本金4.9億円の大きな会社を育て上げた立志伝中の男になっています。

講演終了後には、大塚政尚君が一席設けてくれたので、久しぶりでゆっくり話が出来ました、上場して会社を売ってしまった大塚君と、ある意味意気投合したようで、良かったなと思っています。

9日(土)は朝から晩まで、CEA関連の会議のオンパレードです、私は自分でも不思議なのですが、グループ・会議を作る名人ですから、うまいこと世話人がしっかり受け継いでくれれば、出なくても良くなるのですが、「10個作るぞ」と宣言した今の所めちゃくちゃに忙しいのです。

10日(日)は夕方の5時から、懸案で延び延びになっていた、我が家の近所の河面君のNPO・技術士ネットワークの諸君10名が来宅して、バーベキュウ パーティをやりました、私は得意のクラブハウスサンドウィっチと、有名映画監督のコッポラのワインを提供しました。
六本木のミッドタウンにコッポラのレストランがあるので、ワイン好きの人は行って見て下さい、http://furarigururublog.seesaa.net/article/38649169.html。

私はバーベキューの買い物に出かけた、六本木のスーパーマーケットのニッシンhttp://www.nissinham.co.jp/nwd/で買ってきました。

技術コンサルタントの世界 2008.08.05

31日には、SMEの見学会がJRの向河原にある、長津製作所というプラスティック金型屋さんであり、出かけてきました。
年商20億円の金型屋さんは、大塚君流に言うと200億円の売り上げのメーカーに相当する準大手、と言う所でしょうか、カメラのズームと言う難しい部品を得意としている、精密金型メーカーですから世界を相手に元気一杯な様子が伺えて、気分の良い見学会でした。

2日(土)は朝から晩までCEA・組合関連の会合で、午前中の「定例会・独立自営を支援する会合」は、何時ものように。新人が3名くらい様子を見に来ていました、スピーカーの1人である井口君・プラスティック押出機(東芝機械OB)は、「10数年前に、この定例会に出席して、独立を決めた」と言っていたが、私は彼の物静かで、控えめな人柄が独立・自営に向いているかなあ、と心配したものだが、杞憂に終わり、今では固定客もたくさん出来て立派に技術コンサルタントになっていた。

午後は、研究会のステアリング委員会のオンパレードで、気の多い私には、ドキドキするくらい面白い半日でした、覚えておきたいことは、

*青葉君が指摘した、「生産技術研究会の売り・提案は、本社の生産技術部門・研究所対象か?、工場の現場か?」と言う点で、我々の仲間内で言うと中村博昭君のテーマは本社向け、勝部君の生産技術=省力化は工場現場向け、と言うことになる。
仲原君の塑性加工(板金プレス中心)の生産技術の話も、橋立君の機械加工(工作機械)の生産技術の話も、是非聞いてみたい。

*佐々木君のマイクロ・ナノ・バブル研究会は、これまでに世の中で話題になった「超臨界=泡作り」とか「マイクロカプセル=液・液の泡」と言うテーマも、技術的には一緒だから、飲み込んで新しい光を当てて、取り上げたほうがよさそうだ。

*微粒子ゴミ研で、「微粒子の発生・作り方」が間歇的に話題になる、私が急に気になりだしたのは、粒子のサイズの問題だ、工学的に作れば、必ずばらつきがあり、正規分布になるはずである、大きいほうは作り直したり(機械にかけなおす)排除できるが、小さいほう、それも見えないサイズはどうなるのだろう?
それというのもナノサイズのカーボン(ランプのホヤについた油煙のサイズ・排気ガスにもありそうだね)は、皮膚から直接血管に入り血液中に混じって、粘度をあげると言う報告も報道された(朝日新聞)。

見えない微粒子ゴミは、怖いんだ。

技術コンサルタントの世界 2008.07.31.
夏休みの実感は、プールに子供が増えたなと言う程度で、私は連日出歩いて人に会っています、忙しいといっても良い日々が続きます。
初対面のこれはと言う人には、私のあまり売れない本http://ceapub.exblog.jp/i5/#を差し上げることにしています。
本と言えば、微粒子ゴミの研究会で纏めた本が、いよいよ9月には発売されるとのことです、この研究会のビジネスモデルは、大方のキーワードである、学会・大学・講演会・見学会・メーカー・ユーザー・本の執筆・等などを全面的に盛り込んで、大久保・世話人が巧妙に運営している。
これから続く色んな研究会の世話人・ステアリング委員の諸君は、見習ってください。

色んな人と話しての実感は、自動車が売れない、不景気になるぞ、と言う話である、自動車メーカーは勿論、部品メーカーとその他関連会社。理由は原油高騰ではない。3年前の「需要の読み違い」である。アメリカのビッグ・スリーはもとより、トヨタを筆頭に日本のメーカーも総じて2008年からの自動車の予想販売台数を2000万台として生産体制を確立した。2008年の総販売台数はすでに1500万台以下になることが確実になったので、今後自動車産業の財務体質の悪化から存続体制維持上の問題が起きるところも現れる。日本でもアメリカでも自動車産業の他産業への影響力は大きいから自動車産業の不振は即景気の足を引っ張ることになる。

ヨーロッパを良く知る人の話では、民営化された水関連産業にIPO・株式上場が相次いで、大きな産業に成長していると言うし、アメリカは明らかに戦争期待に方向転換中という話も聞いた、物騒なことだが、経済原則から言うと、有り得るのだろう。
機を見るに敏な、ゴア元副大統領の環境問題への政治シフトも、考えようによれば、これからの世界は環境問題にお金が流れると言うことだろう。

私が独立したのは第一次石油ショック後の不景気の時だったが、不景気の時期には、必ず若くして独立する人が出現する、私はそれが楽しみである。

技術コンサルタントの世界 2008.07.25.
実質的には夏休みに入った、午前中のプールは30分泳いで、20分水中を歩くことで、暑い郊外散歩は当分やらないことにした。
図書館で大量に本を借りてきて、クーラーの効いた部屋で、居眠りしつつ読んでいる、「機械・ロボット業界大研究」川上清市著が大変面白かった、機械部門の諸君は必読です、現在の世界での日本の機械メーカーのポジションが良くわかります、10社以上の世界的大会社になっている機械メーカーがあるという現実は、この分野の独立・自営の技術コンサルタントにとって、当分の間は心強いバックグラウンド・背景である。

話は違うが、最近人口10%分の移民受け入れようと言うニュースが、政治家から発言され始まりました、私が大老人になるまで生きると、多分外国人ナース・介護人に面倒見てもらうことになるのでしょう、日本人のお嬢さん方は、とてもこういう職種には、来てくれないでしょう。
私は賛成です、私は満州引揚者の中でも変わり者で、中国・韓国は嫌いで、仕事は一切してきませんでしたが、日本人であるだけで、中国・韓国人より好きという気分は有りません、当たり前ですよね。

もう一つの最近の話題は、正規社員と派遣社員の格差の話です、無差別殺人事件の原因にまで雇用格差が引っ張り出されていて、若干の違和感を覚えています、それは、独立・自営の技術コンサルタントと言っても、スタートはまずは例外なく、企業との付き合いは「日雇い」からスタートするからです。
企業側は常に技術問題を抱えていると言って良いでしょう、問題解決を最少の費用と最小のリスクで解決したいのは、企業の論理としては当然です、だから日雇いからのスタートになります。
そこから後のことは「力関係」と言ってもいいし、「技術問題の解決は、通常時間がかかる、と言うのも事実です」
コンサルタント業者としての初級クラスの人は、誰でも日雇いからスタートなんだと言うことを、忘れないで下さい。
技術コンサルタントの世界 2008.07.19.
7月17日午後に、吉田(技術士の論点)世話人の呼びかけで、大手町の野村ビル地下2Fにある、パソナ(人材派遣の会社)の経営する植物工場を見学しました、雰囲気を伝えるURLを見てください。http://www.city.okayama.okayama.jp/hishokouhou/tokyo/news/17fy/pasona/pasona2.html
農林業や漁業に人材派遣する、と言う話も聞きました、人材というのは究極の商品なんですね、私は「少子高齢化」とか「格差問題」と言う社会問題は無いと言う意見を持っている、具体的にはこういう会社が解決しているんだ。
見学の後は近くの日本ビルの地下で一杯飲んで、何時もの技術士の論点を、吉田、近藤、藁科、島田、菅野の諸君と2時間ばかりお喋りして、帰宅しました。

私の話を何回も聞いている諸君なので、誤解して聞いていなかったと思うが、私が38歳の時に、cea・組合を創ろうと提案したのは、まったく「私利私欲」の為で、他人の為に作ったわけじゃない、私の組合員に対する希望は、「自分の為に参加」して欲しい」ので、「お手伝いがしたい」とか「お役に立ちたい」というような自己紹介する人は、願い下げである、と言うような議論がありました。

今週私が技術監査人の活動で知った、役所の「情報公開」と「リスク コミュニケーション」の違いは、ceaの諸君は知っていた方がいいので、以下に高堂君が調べたことを記します、

「リスクコミュニケーションの目的」
情報の送り手と受け手が相互に理解し合い、信頼関係を構築することです
リスクコミュニケーションの基本原則
米国環境保護庁(EPA)の「リスクコミュニケーションの7つの基本原則」

@市民を正当なパートナーとして受け入れ、参加させる
A注意深く計画し、実施のプロセスを評価する
B市民の具体的な不安に耳を傾ける
C正直、率直、オープンであること 
D他の信頼できる情報源と連携し、協力する
Eメディアに要望を伝える
F明快に、思いやりをもって話す。

さすがにアメリカは先進国だけあって、沢山の訴訟から学んで、単なる情報公開より広い概念の、リスク コミュニケーションと言う言葉を造語したんでしょう。

さて7月16日には9月28-30日に新潟でやる、日韓技術士会議のステアリング委員会が技術士会であり、私は近くに住んでいる割りには、出席は悪いし、あまり役立たずなのだが、開催が近ずいた事もあり、毎月のように島根の藤井さん、新潟の中山さんほか新しい人が2人、北海道から市村さん、鳥取から伊藤君、名古屋から紅一点の人気者中西さんが出席されるので、せめて飲み会だけでもと、新橋の粋心にでかけました。

私は若い頃は、酒を飲むと、すぐ真っ赤になり、眠くなると言う、典型的なモンゴリアンの酒に弱いタイプだと、自認してきたが、10年前にバイパス手術した後は、何故か酒が飲めるようになり、私の昔を知らない人は、私が飲める人であるという扱いをする、すると北浦和の駅を降りてから家までの10分くらいを、典型的な酔っ払いの、ふらふら、よろよろと歩いて帰ることになります、昔こういう親父共を見て、馬鹿にしていましたが、案外気持ちが良い状態なんだよね。
技術コンサルタントの世界 2008.07.14.
大久保君世話人の微粒子問題研究会の工場見学・講演会が、山口県のTHK(リニアガイド・ボールねじ)で11日に開催されたのにかこつけて、9日は妻と早起きして新山口まで新幹線、レンタカーを借り、秋芳洞ー萩ー青海島を回って長門市の海岸にある「プチホテル・YUIの家」で一泊。

10日は近くにあった「香月泰男美術館」(終戦時に満州からシベリア抑留を経験した画家で、私や妻の一家の経験と重なる所が多く、着目していた) http://www.city.nagato.yamaguchi.jp/~kazukiyasuo/をじっくり見てから、シベリア経験のある高嶋直一先輩に絵葉書のお土産を買い、西へ海岸沿いに向かい、本州最西端の角島への橋を渡り、今度は海岸線を南下して下関市に入り、長府城下町を散策してから、門司港駅前に出来た「門司港ホテル」http://www.mojiko-hotel.5star-e.net/で二泊目。

11日は、門司港名物と称する「焼きカレー」を食べてから、旧山陽道(2号線)を東上して12時前に新山口駅でレンタカーを返却し妻と別れ、電車で待ち合わせの「厚狭(アサ)駅」で、見学仲間と集合しバスでTHKの工場見学を楽しみました。
この会社はここ10年くらいの間に急成長した、機械業界の有名会社です、研磨機が何百台も並ぶ巨大な工場で、世界中の機械メーカーを顧客にしている、リニアガイドという2Mくらいのレールとそこをすべるガイドブロックを量産していました。

12日は、オプショナルツアーでしたが、超高温材料研究所、石炭記念館、を見てから、坂本先生の教え子の実家である、湯田温泉のホテルかめ福で昼飯と温泉に浸かり、16時4分の特急のぞみで10時に帰宅しました。
技術コンサルタントの世界 2008.07.08.
私はあまり自分の「未来予測」をしたことがありません、ふり返ってみると私には2度の転機がありました、一回目は最初の就職先の川鉄を一年と少しで、辞めたことです、何故こんなことを思い出したのかというと、6月16日に、近藤・世話人の新日鉄・君津の工場見学に行きました、私は川鉄・千葉を46年前に辞めて以来始めて、懐かしい熱延(ホットストリップ)工場(私は当時圧延部・整備課に所属していました)を見学しながら、23歳の私の川鉄での日々と、「えい!辞めよう」と決めた日のことを、思い出しました。

ついでに二回目についても、思い出してみました、1972年に第一次石油ショックがあり、私の勤めていた松田製作所が会社更生法を出して、倒産しました、私は35歳と若いけど、技術者40数名を抱えた技術部長でした。
大口債券者で会長に就任した鋳物屋の社長は、稲門の先輩でしたが、部員を半分に縮小してくれと命令されました、私は自分も辞めることを前提に、部下の半分の再就職先を探して、概ね整理完了した半年後の1973年に、独立・自営を開始しました。

転機ということではないけれど、組合を創ろうと考えたのも、現在の私には大きな影響を与えています、1975-6年の独立して3年経った頃、ようやく飯が食えるようになり、当時の技術士会で私が見つけたスター・ヒーローの和田忠太さんが、和田塾と言う不定期の飲み会・雑談会を主催しておられ、若い独立志望者のメンターだったのを、良いことにして、組合設立を提案しました。
和田先生は、たちどころに30数人設立メンバーを集めてくれたので、比較的若い仲間で組合活動を始めました。

沢山の試行錯誤をしてきましたが、ようやく最近、技術者の独立・自営に役立つ組織になってきたかなと、自負できるようになって来ました。
冒頭に書いたように、私はあまり未来のことは考えないし、語らないことにしています、何しろこれまでの私の転機は、予期しない時期に、予期しない方向に、訪れてきたものですから。

技術コンサルタントの世界 2008.07.03.
最近読んだ面白い本を紹介します、日垣 隆さんの「ラクをしないと成果は出ない 仕事の鉄則100」
大和書房、http://www.gfighter.com/0004/20080521003089.php です、日垣さんや編集者は、多分若い人向けに企画し、書かれたものと思いますが、これが以外に私のようなシニアにも、共感する所がありました。

仕事も遊びも、あまり考えすぎないで、さらっと直感的に、気軽に取り組んだほうが、うまくいくというのは、経験的に判っていました。
私が独立・自営をやりたいと思っているなら、あまり考えすぎないで、やってみることだと、若い人に勧めるのは、若い人ほど成功率が高いからですし、明日をも知れないと言う意味では、最近では役所や大企業に居ても、似たようなものでしょう?

中川秀直さん http://www.nakagawahidenao.jp/pc/ の「官僚国家の崩壊」は、久しぶりに読んだ政治家の本ですが、http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062147580/amzakblog-22/ref=nosimその主張には一々わが意を得たりです。

私は、中川さんと言う政治家を、よく知らなかったのですが、この本には感激しました、ぜひ近い将来には、この中川さんのチームが国政のリーダーシップを執って、日本国の改造を実現して欲しいと,心から願います。

先週末には本田尚士先輩の事務所で、ある会合がありました、この先輩は最近若い連中を集めて「熱ー電気変換」の基本の勉強会をやっているんだと、厚い本を見せてくれました、80歳を過ぎて足元も少々覚束なくなった先輩が、相変わらず「提案のネタ」を追い求めているのには、ほとほと感心します、頑固で憎たらしいところがある先輩ですが、こういう年寄りは、だいじにしましょう。

技術コンサルタントの世界 2008.06.27.
6月26日(木)小雨降るなかに、埼玉技術士会のお世話による「首都圏外郭放水路」http://www.ktr.mlit.go.jp/edogawa の見学会がありました、私は工場見学も好きだ けど、こういう巨大土木の現場の見学も大好きです。
16号線に沿って6.3KMと言う、地下50Mの巨大放水路は、その地下ドームの巨大さに、圧倒されました。
それに加えて、旭化成OBのシニア・戸村政雄さんが、自宅の幸手町を中心とした河川の歴史を調べたリ、写真を撮った冊子を、皆に配ってくれました、ネットではきれいな写真が沢山映っている、http://pub.ne.jp/zaza/戸村さんのブログに連載されています、元気なシニアの良い趣味ですね。

21日(土)は自動車部品の展示会、25日(水)は機械部品の展示会で、それぞれビックサイトを一万歩くらい歩き回りました、私は毎年出かける見本市は決まっているのですが、ただ歩き回るだけで、近年は翌日になると、何を見てきたかケロッと忘れています。

最近妻が、なんかの拍子で浦和の美術クラブの事務局係りになり、慣れない会計を始めたお陰で、我が家は壊滅的状況に陥り、アメリカ横断ドライブ計画もままならず、フラストレーションが溜まってきました、そんな時に、ceaの仲間の山本君(富士フィルムー群馬県)が私の関係している会社に、2年間に1億円弱の補助金プロジェクトを取って来てくれました、どうやら今年は私に働けと言う天の声なのかも知れません。

微粒子ゴミ・微細(ナノ・マイクロ)バブル・常温プラズマの研究会も、いよいよ本格化してきました、8月からは第一週の土曜日の午後を、全部これらの研究会のステアリング委員会をやることにします。
新しい仮・生産技術研究会も、この時間帯で始めることにします、興味ある人は顔を出してください。
技術コンサルタントの世界 2008.06.20
18日の夕方、久しぶりに本田尚士先輩の事務所での、平野・世話人の三水会に出席したら、最近独立・自営に踏み切った、清水君(シードコンタクトレンズ)と藤田君(ホンダ)が来ていました。

40歳台の独立は、私の知る限り成功率が高いので、安心して放談・与太話が出来ます、試行錯誤をする時間がたっぷりあると言うことは、諦めさえしなければ、立派な自営業者になれること請け合いです。

平野君は独立3年目くらいなのか、初心者からの脱皮を模索始めている様子であった、平野君は本田尚士先輩を近くで見ていて、80歳を過ぎても「一に提案、二に提案ーー」と提案ネタの勉強しているし、今日もレポート書きで完全徹夜明けだから、奥様が心配して、お出迎えなので、先に帰るよと帰宅されましたが、馬力とスタミナをつける必要を感じているようだった。

16日には、近藤・世話人の新日鉄・君津の工場見学に行ってきました、私は川鉄・千葉を46年前に辞めて以来始めて、懐かしい熱延(ホットストリップ)工場(私は当時圧延部・整備課に所属していました)を見学できました。

私のような、技術者の成れの果てにとって、工場見学は最高の娯楽・楽しみで、私の行動スケジュール的には、最優先項目になっています。
今後ceaには、沢山の研究会が出来ますが、現場の見学と言うのは、重要な勉強・項目になるので、大いに楽しみにしています。

技術コンサルタントの世界 2008.06.14.
「息子どもの世代」

今週は、若い人の話題を少々、10日(火)には、副嶋隆彦さんの弟子仲間の六城君http://www.rokujo-radium.com/index.htmlと、交恂社で昼ご飯を食べました、私は彼のラジウム石の愛用者で、毎晩お風呂の中で、袋に入った10KGの石を、腰に当てたり、肩に当てて、血行?をよくしています、妻も気に入っていて、なんか身体に良いような気がする、面白い仕事を始めた若者です、本職は非破壊検査の日雇い仕事があるらしいけど、いかにも独立・自営の気迫を持った良い男です。

12日は、同居している次男・洋平がアメリカのウィスコンシンからニュウヨークに行って来る、と出かけました、この男は、風来坊なのですが、自転車好きが嵩じて、同じ様なアメリカ人・オランダ人と、http://www.cogmag.com/
COGと言うフリー(無料)の写真集を作り始め、今年になってからあちこちに配っていたが、早くも第3集が5−6千冊発行されて、我が家にドッサっと送られてきました、あちこちに宅配便で送り出し、広告取りに歩いていたと思ったら、アメリカに出かけてしまいました。

入れ違いに、LAに住む、長男の大助が来日帰宅した、最近日系の会社  http://www.ok-kasei.jp/outline.html    に就職したので、あいさつ回りらしい、この男は、上智大を出てから、私の顧客先に就職してアメリカに住んでから、私と同じプラスティック業界で、日系ードイツ系の機械メーカーのセールスをやっていたが、今度はプラスティックの色を作るメーカーの営業をやることになった、と言っている。

三男の三朗は、学生時代のバイク・メッセンジャーの延長で、http://www.t-serv.co.jp/に勤務しています、去年社内結婚をして、中目黒に住み、たまに浦和のサッカークラブのOB試合に呼ばれて、帰宅するのですが、学生時代のスポーツクラブの延長で会社員やっているような、暢気な坊主です。

何しろ、私が親ですから、まともな会社員になるのは、居ないとは思っていましたが、現状はこんなものです。
技術コンサルタントの世界 2008.06.09

仮・生産技術研究会の準備会の後で、恒例の一杯飲んでいる時に、製造業の付加価値の話から料理の話に進展しました。
私がこの一年毎日欠かさず、朝飯にクラブハウスサンドウィッチを作っていると自慢したら、五十嵐君、仲原君が矢張りよく料理をするそうで、インド式にカレーを作っていると言っていました、我が家でも私にカレーに挑戦したらと言う意見が出されています。
最近の若者の独立・自営の方向はオーナーシェフと言うことのようだね、製造業とよく似ていて、付加価値が高くて、商業の好きなユダヤや華僑の民と、日本民族のDNAの違いが、こんな所に出てきているんだね。

生産技術というカテゴリーは、私なんかの技術者として生まれ育った所なので、見学会や講演会を企画したり、新しいテーマを見つけたり、やりたいことがたくさんある分野ではあるが、なにしろ間口が広すぎて、1−2回会合したくらいでは、まとまりがつきそうにありません、これまでのやり方から、大学や学会との関係、メーカーとユーザーの関係、業界の把握、要するにわれわれ流の「切り口」が出せるかどうか、大久保君と島田君の両世話人の会合の後半で、継続議論することになりました。
興味ある人は、参加してみてください。

7日の飲み会で話した、私の「技術士仲間の困ったチャン」論を確認しておきます、シニアのコラムに書いたものの再論です。

見分け方の一つは、「役所・会社で出世するのはゴマスリのうまい奴だ」と本気で思っている人、「弁護士・弁理士のような法律に裏ずけられた業務のある資格商売は飯が食える、技術士は無いから食えない」と本気で考えている人、「技術士は世間に知られていない、」と、本気で思っている人、その続きが「だから私は独立できない・偉くなれない」と演説したり、書いたりする人です、実は私のような長年やってきたベテラン・技術コンサルタント・業界人にとってはこういう連中が「困った奴等」なのです。

こういう人は、どんな商売でもピンからキリがあり、自分はキリであることを、最初から認めている「敗北主義者」なんです、業界人としては、気がめいるから、相手にしたくないねえ。

技術コンサルタントの世界 2008.06.03.

5月31日(土)の夕方は、組合の総会・パーティがありました。
創立以来のメンバー、長友、和田、本田、黒澤、の諸先輩に加えて、久しぶりに機械部門の熊谷卓さん(新興技研)http://www.sa.il24.net/~serc/jpindex.htm  が出席されたので、最初に近況を喋ってもらいました、77歳になられたそうですが、元気一杯で最先端の自動化の仕事の話と、最近市場開発中の地震予知装置の話でした。

私は挨拶で、こういうパーティーでは、知り合いと喋っていないで、なるべく初対面の独立・自営の先輩を捕まえて仲良くなり、先輩の自営の実態に迫って勉強してもらいたい、独立・自営のプラクティスに関しては、本を読んだり、講演を聞いたりするのも悪くは無いが、何より生身の先輩から吸収することが、一番手っ取り早い独立・自営の学習法です、とけしかけました。

組合員は現在121名、組合員のグループ活動も大分増えてきました、ceaのホームページから行けるところも、http://www.cea.or.jp/、http://www.cea.or.jp/snpo/、 http://www.cea.or.jp/efsca/、http://www.jttas.or.jp/ 
4つも出来ました。

今日は、ホームページ管理人の菅野淳君と電話会談を行い、ホームページの構造を少し改築することにしました、基本はこのホームページを、より「ネット会員」のために運営しようと言うことです、研究会の世話人諸君にも協力してもらい、スケジュール・議事録などは、内部文書ということになります。

6月2日(月)には、古くからの組合員の小野実信君(仙台の産総研の産業コーディネーター)の招きで、加美電子工業 http://www.kamidenshi.com:80/top.html と言う会社に、平田君(塗装のコンサルタント)をつれて行ってきました。

ここでは、NEDOのプロジェクトのhttp://www.nedo.go.jp/kankobutsu/pamphlets/bio/yugai/9.pdf   シンナーの代わりにCO2を使った塗装装置を開発していました、小さいけど立派な会社で、昔から色んな世界中の会社が試みたけど、ものにならなかったテーマに取り組んで、良いところまで来ている印象でした。

技術コンサルタントの世界 2008.05.28.
23日の夕方は、千葉工大の尾上研で、マイクロバブル研究会のキックオフミーティングでceaから7−8人参加して今後の運営を議論しました、佐々木・世話人が張り切って仕切ってくれるので、安心だね。
応用分野が広いので、もう少し違う部門の諸君にも声をかけて、意外な展開が有るような気がする、楽しみです。

24日(土曜日)は、朝から晩までceaの仲間内の会合が目白押しで、けいみ会の技術監査人の打ち合わせ、菅野君のニュービジネス、島田君のサンセットビジネスで夕方になりました、私は「日本の機械メーカーの今後の右肩下がり」を予感して、サンセットビジネスのカテゴリーでこの問題を議論しようと、口火を切り、仲原・勝部君のコンビに、これからの研究会の世話人を依頼しました。

25日(日)は、技術士会のご近所の、ホテルオークラに「クラブハウス サンドウィッチ」を食べに行きました、ネットで調べたら名物だと自慢してあったので、「俺のより美味いか、食いに行こう」と妻を同行しました。
結論は、美味かったのです、勉強になりました、料理は奥が深いねえ。

26日(月)は朝から晩まで、車で伊勢崎ー大田あたりをうろうろしました、夕方7時から、大田のぐんま産業高度化センターhttp://www.gidc.co.jp/guide.htmで、IPO研究会の諸君7−8人で大雑談会になった。
最近言い始めた、大塚政尚君の「日本の大方のモノ作リ中小企業は、税理士により会計諸表を税務会計方式でやっているがゆえに、無理に利益をひねり出して、税金を払い、体力が大きく毀損している」と言う話が、最も衝撃的で、対策を考えなくてはいけないのだろうが、我々技術コンサルタントは会社が儲ける提案・プランをどんどん出さなくちゃいけないね。

27日(火)は前の日働きすぎてくたびれたので、朝から大宮の三橋公園のプールに出かけてリフレッシュ、2KM泳いでへとへとになり、パソコンの前で居眠りをしていました。

技術コンサルタントの世界 2008.05.23.
予想しがたいニュースが,つぎから次に報道されると,世の人は「予言」を求めるようになってくる、ような気がする。
例えば、http://news.www.infoseek.co.jp/society/story/19fuji320080519013/大地震の予兆の現象なんていうのが、ネットの世界にも色々書かれ始めた。

副島隆彦さんは、随分早い時期から、民主党はオバマだ、と予言していた、アメリカの経済問題に関しても、サブプライム問題を予言していたし、ここ数年は副島さん自身でも自分は予言者であるとホームページに書いている、私は副島さんは私淑している弟子であるとともに、友人だと思っているので、若干ハラハラして見守っている。

さて私は、自ら宣言した08年中に「10の研究会を作るぞ」などと言ったお陰で、段々追い詰められてきている、ただ技術のテーマによる研究会ばかりでなく、違う分野の連中とも付き合ってみたいので、切り口が難しい。

今週は旧い付き合いのダイハン(ゴム機械商社)の森社長と久しぶりで懇談、ウレタン発泡機のメーカーのメットの市原さんとも会うことになっている、旧い付き合いとの交友オンパレードだが、お互い70歳を過ぎて、業界で生き残っていることを喜び合う気分である、同年輩のサラリーマンは100%引退しているが、自営業・社長業は引退が無い、会話の半分はボヤキだが、本音の所は自慢も入っている。

大気圧プラズマの世話人・山本君とある会社の関係で、久しぶりの補助金申請の仕事をやっている、今回のテーマには、これまでの私の付き合って来た大勢の連中の協力が必要なので、認可されたらえらく大変なことになるなあ、とまあ今の所は暢気に構えている。

31日はceaの総会です、古くからのメンバーの中には、総会のパーティだけ出席してくれる先輩が居るので、私も楽しみにしている、世代の交代を和やかなひと時の内に、感じ取れれば、最高だね。

週に2ー3回 は出掛けている桜区のプールで、見かけた顔のオッサンがいて、挨拶したら、なんだ技術士仲間の田澤勇夫君であることが判った、お互いに裸で判別が難しかったのかも知れない、自営業者の特権で、空いているときを見計らって泳ぎに来る、と言う楽しみを共有していた、「このプールが休みのときは、大宮の三橋公園のプールがいいよ」等と、先輩風を吹かせて別れました。

技術コンサルタントの世界 2008.05.14.
独立・自営の資質」のごときものがあるとすれば、それは勉強家とは反対の資質、感のいい人じゃないかと思う。
長年独立・自営の先輩方や仲間を観察してきたが、長いことこの道で生き延びてきた先輩方は、何時の間にか、専門は関連はしているが、前と違うことをやっている人が沢山居る。
勉強家はどうしても現在・過去の流行に目がくらんで、勉強して「ドンと来い」と言う状況になった頃は、世の中は変わってきている、会社員で我々の所に出入りしている諸君の中で、いつまでたっても独立出来ない人は、「後追い」の勉強ばかりしているからである。

さて例年のように、連休が終われば、決算の時期である、領収書に出金伝票をホッチキスしながら、07年度を反芻(はんすう)している、一年間元気であちこち旅行もしたし、仲間内の勉強会もしっかり出席できたなあ、と思い出しながら、伝票を眺めている、なかなか味のある作業です。
一年間に会った人の名刺をひっくり返して見ていますが、記憶力減退のお陰で、3人に1人くらいしか思い出せません、今度から、会った時に覚えておこうと言う人を、覚えておけるような手段を考えなけりゃいけません、なんかの目安を作るしかないだろう。
逆の立場を考えてみれば、先輩や仲間に覚えてもらうと言うのも、独立・自営者の能力であるともいえる。

遠くに住む同年輩の友人達に長電話をして、状況を聞くのは大いなる楽しみである、長崎、長野、大阪、名古屋、北海道など、会う機会はほとんどなくなったが、高校・大学などの若い頃の友人は、気が置けなくて、ありがたいお喋り友達である。
彼等は、現役の頃は社会的に偉い奴だったが、今ではただの爺さんで、私の話し相手に丁度いい。

昨年スペインから帰ってきて以来、私が毎朝作ってきたクラブハウスサンドウィッチは、概ね完成の域に達してきて、最近妻の関係者・複数のグループに供した所、大好評であった、頭を全然使わなくても30分で、手が作ってしまう、不思議だねえ。
技術コンサルタントの世界 2008.05.10

「開業セミナーでの冒頭挨拶」

始めに、お金を投資して、今後独立・自営業の世界を勉強しようと考えた諸君に、敬意を表します。
その期待に答えることが出来るかどうか、35年前に独立・自営を始めて、30年前に自営者の協同組合を創ったメンバーの一人として、今日諸君にお会いしたのも、なにかの縁でしょうから、この後時間をかけて、私が自営の仲間と長年かけて創り上げた、技術者の独立・自営業者のインフラストラクチャーを勉強してください。
我々の活動は、指導者や上司が居て教えてくれることは有りません、自分から勉強会に参加して、先輩のうしろ姿から学ぶ以外の方法はありません、今日の講師連中も自分の経験を語ってはくれるでしょうが、独立・自営業の教科書とかマニュアルに言及する奴は居ないと思います。

一番古くからやっている先輩として、私の経験を簡単に紹介します、私は1937年生まれ、60年に大学の機械科を卒業して、川崎製鉄に1.5年、プラ機械のメーカーに10年勤めまして、72年に会社が潰れて、仕方なく独立・自営を開始しました。
当初はメーカーに居た時のユーザーから、お声がかかり、何でも引き受けてやっていましたが、3年くらい経ってからは、技術コンサルタントを意識し始め、以来30数年間技術コンサルタントの仕事一筋です。

組合・ceaについても少し触れておきます、組合のイベント参加者は、オブザーバー・野次馬ーネット会員(勉強・研究会に参加できる、会員内のサイトに参加)−組合員(独立・自営者、勉強・研究会を運営する)と言う風に分類されています。
技術士会との関係は、ほとんどのメンバーは技術士会の会員です、組合としては独立・自営に興味を持つ新しい諸君に組合・ceaの活動を知ってもらって、若返りのためにも、継続のためにも、参加を呼びかけていると言う立場です。

組合の諸君が主たるメンバーとして活動している関連団体が、社団法人工業技術振興協会、NPO・技術経営責任者協議会、NPO・地域と行政をサポートする技術フォーラム、NPO・産業技術活用センターの4つがあります、先輩に聞いたり、自分でよく考えて、これらのグループ活動に参加するのも面白いと思います。

予備知識としては、ネット会員に参加して、www.cea.jp の会員内にある、膨大な情報をよく読んで、自分の方向性を考えてください。

技術コンサルタントの世界 2008.05.04.
連休の真っ只中です、今日(3日)は新しく親戚になった一家が、福島から出てきて、我が家でバーベキュウパーティでした。
定年近い役人で天下り先を物色中、畑仕事が好きなんていうと、私と正反対な立場の奴だけど、稲門の後輩だし,奥さんがなかなか良い女だし、何時の間にか家族同士の仲良しになっています、縁と言うのは面白い。

2日には、古くからの付き合い3人に、最近仲良くなった1人を加えて、川口駅ビルで大いに飲みました、どうやって帰ったのか記憶が無いのですが、翌朝、左側のお尻りが痛いので、どっかで尻餅をついてきたようです。

後半は、個人会社と組合の決算という,35−6年もやっているのに、あまり好きになれない仕事をやっつけないといけません、会計事務所のおば様・と前田さんに叱咤激励を受けてやるんですが、我ながらよく続いたものだと、感心しています。

技術コンサルタントの世界 2008.04.28
NPO・地域と行政を支える技術フォーラムhttp://www.cea.or.jp/efsca/は、3年目を迎えて、26日一日がかりで、「技術監査人資格の認定講習会」を行ないました、16人受講しました。

今回二回目ですが、一回目は仲間内のメンバーを監査人にしたので、今回初めて一般公募の形式をとったのですが、半分くらいは、顔見知りの諸君が「あらためて勉強しておこう」と参加してくれたみたいです。

私は独立・自営の技術者のレパートリーとして、「技術監査人」のマーケットは、これから役所のみならず、学校・病院等の公共的なものばかりでなく、会社の外部監査の需要は、欧米先進国並みに大きく拡大すると、予想しています。

監査の仕事の本質は、対象の組織から「独立」していることです、「内部監査」などと言う言葉は、「社内ベンチャー」とか「社内コンサル」などという言葉と同様のサラリーマン造語の類で、騙されてはいけません。

技術監査人資格を与える技術フォーラムの原田敬美君は、港区長という首長の経験者であり、独立・自営の建築家・(都市計画専門)・技術士・工学博士という「役所を対象とした技術監査人」のシンボルに相応しい人物です。

私は、以上のような話を、幕開けの挨拶でお話した上で、終了後のパーティーでは「このNPOに参加すると、実際の役所での監査業務に陪席して、実地の観察・勉強する機会がある、ということと、それから後は、自分の住んでいる地域の自治体などに、NPO仲間の協力を得て、監査の営業開拓をすることを、お勧めしたい、勿論役所に留まらず、自力で世の中に沢山ある会社の技術監査分野のマーケットを、開拓してください」と演説しました。

私が心強よく感じているのは、受講者がシビル関係者半分、普通の会社の人が半分という構成になっていることです、最近の諸君が、「技術監査人」と言うのは、会社の仕事ではない個人の仕事であることを、よく理解しています、私がシビルの技術士を毛嫌いしていると思われていますが、理由は「技術士は会社の為の資格だ」と主張する奴が、あまりにも沢山居るからです。

技術コンサルタントの世界 2008.04.21.

研究会について、

私は機械屋ですから、大雑把に言って、世の製造物は「成形機(型)・プレス(型)・工作機械」という3分野の機械から作られていると言う仮設を立てて、研究会を作ろうと考えています。
私の言う「メーカー」とは、これらの機械を作る会社のことです、そしてこれらの機械を使って、製品を作る会社を「ユーザー」と言うことにします。
ユーザーの工場を見学すると、よくわかることは、大きく付加価値をつけるこれらの機械の周辺には、沢山の付属装置・周辺機械が取り囲んでいます、省力のロボットであったり、加工物の前後の工程との連結のための、材料供給・製品の取り出し・コンベアなどの自動機械が並んでいます。
普通ユーザーの技術者は、「生産技術者」と言われている人種で、メーカーの選定や自動化の周辺機械の設計・購入の選定から生産に関わるあらゆる技術問題に関与しています。
大きなユーザーには、会社の中に「生産技術者」を抱え込んで、専門化しますから、最も会社に密着した社員になります、中小企業には、専門技術者を置く余裕の無いところは、外注するのが普通です。
私は、これから色々な理由で、大手の生産技術者が会社を辞めて、世の中に沢山出てくると予想していまして、色んな分野の生産技術者のグループ研究会を作ってやろうと、準備中です、ceaのメンバーに限らず、心当たりのある人は、私に声をかけてください。

私の分類での機械メーカーは、アメリカではほとんど姿を消しました、ドイツも日本もアメリカの後を追いかけて、メーカーの数がここ数年で激減するだろうという「危機感」を抱いています、私はアメリカに顧客があり、出かける機会も多く、長年メーカーを観察してきましたが、日本だけはそうならないと、思いたいのですが、多分駄目でしょう、そうしたら、一体どうすればいいのか?と言うのも研究会のテーマに成ると思っています、この研究会には技術者だけでなく、商社・銀行・証券会社OBにも声をかけています。

もう一つ「自分の住む埼玉を中心の港にした、コンテナ輸送専門の運河ネットワークは、どの位運賃が下げられるか?、co2排出量が削減出来るか?フィジビリティ・スタディをやるための勉強会」が作りたいのです。
今の所、運送の専門家が見つかっておらず、鉄道・トラックでのコンテナ輸送の原価が判らないので、スタートが出来ない状況です、心当たりのある諸君のアドバイスをお願いします。
運河は、コンテナが運べる水路と考えて、あまり昔からある河川の利用とは考えず、船の設計・牽引の方法等も、ゼロから考えて見たいと思っています。

技術コンサルタントの世界 2008.04.16.

今日は私の誕生日です、月日の経つスピードが段々加速されてきています。
私の世代は、戦中・戦後の最低生活を味わってきているので、何しろ何時でも「今が一番いい」という、日本の右肩上がりの世界を経て、結構楽しいシニア・年寄りの世界に、足を一歩踏み入れた、と言う実感がある。
子供の頃から「自立」というキーワードを何よりの価値と考えて生きてきた、内田樹さんに言わせれば、「「自立」というのは、この「支え手である他者たち」の数があまりに多いので、入力の変化が当人のアクティヴィティにごく微細な影響しか与えないようなありようのことである。」と言うことらしいが、私の独立・自営のやり方も、なるべく多くの顧客達と、同時に付き合えるようなビジネス・モデルを工夫して、35−6年経っているが、「今が一番いい」状況である。

私の今の生活に、一番影響あるのは、車じゃないかと思っている、その内来るであろう「免許の返上」をしたら、私の生活は一変するだろう、今の予想では、浦和を引き払って築地近くのマンションに引っ越して、銀座を徘徊する老人になってやろうと、予定している、銀座は満州から引き上げてきた10歳前後の頃から、叔母さん(父の姉)が銀座の薬局に嫁いでいたので、散々うろうろした記憶があり、以来第二の故郷と言った所である。

今年は、多分これが最後になると思うが、大好きなアメリカを車で横断してやろうと思っている、何年か前に谷に落ちる事故をやって以来、自粛していたが、これが最後だと、息子や妻に宣言して、計画始めた。

技術コンサルタントの世界 2008.04.13.

9日には、名古屋にある旭サナックhttp://www.sunac.co.jp/と言う会社に、微粒子問題研究会の見学と講演会のセットに行ってきました、30名参加して盛況でした。
塗装機・圧造機のトップメーカーで、機械業界では著名な会社です、私は年とともに工場見学が好きになり、現場から世界をのぞき見るという気分に浸ります、売り上げ170億円という中堅企業ですが、世界中に輸出されています。

11日には、りょうもうIPO研究会第21回講演会が、ぐんま産業高度化センターであり、公認会計士・税理士の森 正人さんの 「税務会計からの脱却〜株式上場に向けて」−株式上 場に必要な財務会計と税務会計の違いを分かりやすく解説−
を聞いてきました、税理士と会計士の違いがよくわかり、目からウロコの講演でした。
講演会の後の交流会で、大塚政尚君が「日本の中小企業は、ほとんどが税務会計を課されているが、手形・在庫・償却などの点で、将来にリスクを先延ばしして、長年の間利益を出して税金を払っているので、体質が弱い」と、非常に重要な指摘をしました。

どうやら西欧先進国には、税理士なる制度は無く、弁護士・会計士がその役を果たしているとの事だ、また会計士はaccountantと、会社に対する第3者としてのauditorと言う役割があり、旧社会主義国は日本の税理士とよく似た制度があると言う話でした。

日本が国家社会主義だと外国から言われる所以が、ここにあった。

12日は朝から原田敬美君のNPO・技術フォーラム、技術監査人の議論があり、午後は組合・ceaのnew business研究会やsunset business研究会、new civil研究会と続いて、夜 は田町駅前のワタミで一杯飲んで帰りました。

一連の会合での私の問いかけは「右肩下がりの業界・日本国で生きていく技術コンサルタントは、どうすればいいんだ」 と言うテーマである。

技術コンサルタントの世界 2008.04.08.
7日には、稲門OB会の企画で所沢の航空公園にある、国土交通省の東京航空交通管制部の、航空管制技術官の仕事の見学会がありました、アメリカ映画でパイロットと管制官のヤリトリの緊迫した場面があったのを思い出したけど、スケールは大きいけど、神経を使う大変な仕事だね、ビックリしました。
コミュニケーションは日本語だと沢山喋らないとならない、とか、2−4名がチームになって24時間5交代勤務で、一人前になるのに4−6年かかる、とか、何処の国でもその国の役人の仕事であるとか、特殊な役人の世界の技術者で各国独特の世界を作っているらしい、こういう人たちの見る世界(他国の管制官の話)は、日本はまだまだ遅れているんだそうだ。
羽田の発着がモニター画面に刻々と映っているが、素人目にも凄ごく混んでいるから、遅れたり・早まったりは当たり前で、電車みたいに行くわけないことが、よく判りました。

最近の私は、研究会のテーマを考えることで、頭が一杯です、「微粒子ゴミ」から芋ずる式の「マイクロバブル」「常温プラズマ」は、思いがけないケミストリーが生じて世話人も決まりスタート出来そうです、これからやろうと思っているのは「ユーザーズロボット=生産技術」「省エネ・インフラとしての運河」「グローバリゼーション世代における、中小機械メーカー(同業者間)の事業売買・継承・合併・縮小」等の研究会です、我と思わんものは「世話人」に名乗り出てくれないかねえ。

今日は今年初めて花粉症の薬を貰いに、医者に行ってきました、月曜日ですから老人が沢山来ていて、混雑しています、私はバイパス手術をしているので赤い手帳の保持者ですが、役所から後期高齢者並にしてあげますよ、と言う選択の通知が来たので、「否」と返事をしておいたら、病院で伝票を書かされました、役人のやり方は本当に、嫌われるように・馬鹿にされるように、やりますね。
技術コンサルタントの世界 2008.4.01.
年度末というのは、正月よりも、「来し方行く末」を考える時期に、頭がビジネス化してしまったというべきか、感慨を持ってしまう、今の所「公私共に、あまり替わり映えのしない一年だった」、我々夫婦は「新しい所に一箇所、旧知の所に一箇所の旅行」がしたい、と言う程度のことですが、今年は干支で言うと「ね」の歳で、なんか改まると言う予感がしないでも有りません、私ももうじき誕生日ですが、今更新しいことなんか言うと笑われそうですが、公私共に新しい局面が、有りそうな気がします。

さて、3月29日には、早稲田のリーガロイヤルで、稲門の林郁彦先生が、勲章を貰った記念の大パーティがありました、林さんは私の卒論の先生の高橋利衛さんの同門の兄弟子で80歳、材料力学の専門家でプラスチック関係の協会・学会の会長を歴任しているので、私も色々お付き合いがあります。
多分3−4百人は来ていたでしょう,盛大な祝賀会でした、私は最年長組みですから、顔見知りが沢山来ていて、しばらく振りの諸君とは、少々長い立ち話を、何時もの連中とは気合を入れた挨拶をして、瞬間的に分かれると言う、高等パーティー遊泳術を発揮して、楽しい一時を過ごしました。
同年輩の諸君は、例外なくご隠居さんになり、棘の無い「良い顔」になり元気に(元気な奴しか出席しない)校歌を歌って帰っていった、我々の世代は戦後のどん底の貧しい時代から、ごく最近の日本の元気絶頂時期まで、右肩上がりの時代を生きてきたお陰で、なべてひねた所の無い素直な良い年寄りになっている。
話題は、これからの自分の子供や孫達についての心配が主で、何時でも楽観的に生きてきた世代の特徴かも知れない。

ガソリンが25%下がることになりそうです、30日には秩父の花見と日帰り温泉ドライブをしてタンクは空っぽだけど、エイプリル フールで妻の誕生日の4月1日に満タンにしてやるつもりです、しかしこの快挙で民主党は今回支持率を上げたね、「役人が公共の仕事を独占している弊害がばれてきた」というのが底流にあって、我々技術士にも、シビル、民間と言う仕事・マーケット分野に分かれたグループが存在するが、技術の分野とは何の関係も無い分け方だ。
私の今年始める研究会のテーマの一つの「運河」なんかは、普通ならシビルの連中がやりそうな話だし、グローバル世界での「日本の機械メーカー」のテーマなんかは、かなり技術屋離れしたテーマだけど、何時の頃から私の頭に住み着いて、何かというと気になってしまうので、今年は何とか始めます。
技術コンサルタントの世界 2008.03.24.
22日の上智大学での「微粒子ゴミ研究会」ステアリング委員会は、2ヶ月に一回開催されます、清水教授の研究室の見学とこれからの方向性などの話があったので、私の最近の疑問である「何故大学の機械科が、環境だとか情報だとか、訳のわからない看板書き換えに狂奔しているのか?、それも日本国中の大学の機械科で同時の起こっているのは、何故なんですか?、そして誰が推進しているのでしょう?」を質問しました。

清水先生曰く「それは予備校の要請なんです」という「目からウロコ」の理由でした、学校当局は単純に「受験生が増えれば収入が増える」ので、大学の入り口側の予備校にマーケッティングしたら「機械科じゃ受験生は増えません、環境とか情報と言う言葉をタイトルの付け加えたほうがいいでしょう」と言う結果が出たと言うことです。

かくして、商品(学生)を買うほうの企業の意向などより「受験料」と言う「不労所得」に目がくらんだ大学運営の当局が、現場の当事者(教授)の考えをほぼ無視して、日本国中の大学に機械科の看板が消滅することになっているのだそうです。
もっとも世の中のモノ作りでは、とっくに機械・電気とか情報でさえ一体化しているのだから、分けて学ぶ意味は無いかもしれないけどね。

  飲み会では、この研究会で知り合った双葉電子の橋立君と、私の持論「プロとアマ、メーカーとユーザー、技術者の業界就職論ーー」等で盛り上がった、橋立君はメーカーで修業して、今はユーザー大手の役員をしている、転職して渡り歩いている人は、サラリーマンでも私と話が合う、自動車のことはラリーやったり修理工場やっているエンジニアが一番良く知っているのは、誰でも知っていることだが、工作機械でもプラスチックの機械でもまったく同じことだと言うのは、案外知られていない。

 機械の発展の源はユーザーにある、つまり技術者は業界に就職してメーカーとユーザーを渡り歩くと言うキャリアーが理想的なのです。

独立・自営を始める人からの相談で、最近は簡単に会社が設立できるので、自分の抱えている専門のテーマで、会社を作ることからスタートしたいと考えている人が多いことが判る。

我々の周辺で、会社を作って上場した大塚君は、始めに工業技術振興協会・JTTASに「研究会」を作ることからスタートしている、既存の会社には、「食い扶持」があるから、新しいテーマを追求する持続力やスタミナがあるが、会社は資本金を食い潰すとお終いになる。 

新人には、案外こういう基本的なことが、判らない人が多く、友人や親族から資本金をかき集めて失敗する例が、後を絶たない。

私は年齢的にも、これから事業を起すつもりは無いが、後輩たちが面白いテーマを事業化するのを、援助することは出来そうなので、「NPOや社団での研究会ー会社設立」のやり方を、実際のceaの仲間内の諸君のテーマのうちから、 研究会のインキュベーションを思い立ってまだ半年くらいだが、上記の微粒子ゴミをスタートに、続々と新しいネタの提供があり、私は張り切っている。

80歳の本田尚士先輩が「少量の天然ガスを液化するミニプラント」構想を特許にしているので、研究会を発足した、参加メンバーに事欠かないのは、組合・ceaの歴史の厚みを感じさせる、技術士を年齢で差別しちゃいけないね。

年度末です、私の個人会社も組合も、別々だけどそれぞれ設立当初の会計事務所に世話になっているが、お互いに老いぼれてきている、願わくば、今しばしこっちが閉めるまでは、頑張って欲しいとお願いしてきた。
技術コンサルタントの世界 2008.03.18.
私は日頃、情報部門・ITの諸君とうまくコミュニケーションが取れないと、不思議に感じているのだが、あるブログを見ていたら、よくわかることをあるシンポジウムで、ITエンジニアでRuby開発者のまつもとゆきひろ氏と言う人が、述べている。

貼り付けー

「エンジニアが進化していくためにはどのようなものが必要か」という質問には、まつもと氏は「差別化が必要。そのためには、自分は社会の中で代替(交換)不可能な存在になること。日本は、空気を読めという同調圧力が強い。差別化と同調、同時に矛盾したことを求められることになる。会社が自分を交換不可能な人物であると認めてくれないなら自分の能力を伸ばしてほかのところへ行けばいい。差別化をする、ほかの人と違うことをする自分を強調することこそエンジニアとして進化するためのキーではないか」と自分に市場価値を持たせることの重要性を述べた。
小飼氏は、まつもと氏の発言を受け、「違いにこそ価値があるのに違うだけではお金を取れない。その部分というのが『言語』だと思う。違っているだけではだめで、違っていることを誰にでも分かるような形で示すことで価値を示せる。誰にでも分かるが自分にしかできないものがある人が最強」と語った。

進化のためには生き残らなければならない。まつもと氏は「surviveという言葉は日本では嫌われるらしいが、米国ではよく使う。インテルのCEOが『Only the paranoid survive』といっていた。偏執狂、つまり超心配性でないと生き残れないということ。世の中の事態はすぐに変化する。その変化に対して、常に自分に影響があるかもしれないとアンテナを高く張っておくことが生き残る秘けつ」と語った。

貼り付け終わりー

長年の技術士仲間の付き合いも、まったくそのとうりで、個性的・どちらかと言うと我儘な人が生き残ってきている、もう一つ言えば、自分自身が客観的に掛け値なしに判っているかどうかも重要だ、橋本(義)さんのいう技術士に沢山居る「コンサル天狗」は始末に終えない、仲間内の評価と言うのは、少し長い目で見ると正確だったということが多い。

昨年来、ceaに研究会を沢山作るぞ、と宣言したが、若いメンバーが共鳴してくれて大分面白くなりそうである、5つの候補が出現している、ただ先週あったマイクロ・バブルの会合で千葉工大の尾上先生が「年に1−2の成果を出しましょう」と提案されたのに、いささかギョっとした思いがあった、「そうなんだよな、そのためにやるんだものね」と、やっぱりシニアが駄目なのは、面白がったり勉強は大好きなんだけど、若い人は「成果」が欲しいし必要なんだね、反省しています。
技術コンサルタントの世界 2008.03.12.
都会で生まれ育った妻の友人が、最近移住した丹後半島から出てきて我が家に泊まっていて、11日天気が良いので水戸の偕楽園http://www.kairakuen.u-888.com/ にドライブしてきました、昼ごはんは那珂湊漁港
http://www.hcci.jp/navi/ichiba/ichibaA.htm の森田屋という魚屋レストラン(親戚じゃありません)で、鯛のカブト煮・海鮮どんぶりなどを食べました。
偕楽園は何回も行ってますが、今回初めて1−2分咲きから満開まで何千本もの梅が花をつけている幸運に巡り合いました、雨上がりで天気もよく、空気が澄んでいて最高でした。

最近私が「東京湾からさいたまに運河ネットワーク」論を唱え始めたのには種本があります、増田悦佐(著)『日本文明世界最強の秘密』(PHP研究所)です、何が国際競争力を決めるのか?

貼り付けー

「モノも資本も労働力も技術も簡単に国境を越えて移動できる時代になっても、消えてなくならない優位はどうすれば築けるのか?」が答えになると指摘しています。
つまり、「簡単に移動させることのできない生産要素は何か」の設問になります。原材料、労働、技術(情報)、エネルギーの4つは、合理主義レイシオに従えば簡単に移動していくが、人が移動させる「装置自体」は簡単に移動させることができない。しかし、こうした「人やモノの移動装置を始めとするインフラこそ、世界各国のエネルギー効率を決める最大の要因になる」と結論づけています。
・・・日本が21世紀を通じて先進国の中で一番よいパーフォーマンスをくりひろげるのは、高度化した「インフラ」とそれを動かす「ソフト」が、人口過密な大都市を犯罪の温床にもせず、機能麻痺に陥らせることもなく運営していける、世界に類異例のないしっかりした文明の基盤が存在していることをあげています。つまり、「これからの国際競争力はインフラできまる。・・・それは、「人口規模の大きさと大都市圏と、膨大な人口を安全、確実、そして予測可能性の高い時間で移動させることができる鉄道網(ネットワーク)の存在ではないか」と。

貼り付け終わりー

私の散歩エリアには、通船堀http://www.ne.jp/asahi/fjk/art/saitama-minuma.htmという江戸時代の運河の駅があります、私は技術者ですから、貨物を運ぶのに「トラック、貨車、船」を比べれば、船が一番エネルギーを消費しないことくらいは直感的にわかります、昔むかし油がバーレル1.8ドルくらいの時代に、アメリカに機械を輸出した経験がありますが、陸送とオーシャンフレイトは距離あたり10倍くらい違っていた記憶があります。

日本の製鉄所が海岸にあることが比較優位の一つであることは有名な話ですね、関東地方に住む6千万人の真ん中の埼玉に港を作り、そこから四方八方に運河でコンテナサイズの貨物を運ぶと言うのが、私の構想です。

当面ceaの仲間内で企画書をつくり、半年後くらいを目途に、せっかく作った我々の提案先インフラである、役所や内外の投資会社に打診したい。
技術コンサルタントの世界 2008.03.03.

> 副島隆彦さんのお弟子さんの中田安彦君が、最近本を出しました、『世界を動かす人脈』(講談社現代新書・1927)と言う本です、面白い着眼点だと思います、そして最近のブログで中田君が「ネットワークは保険、そうなんですよね」と言っています、若い人が既存のグループやネットワークを本音の所では「保険」と考えているのかと、目からウロコの感があります。
>
> 私の場合は、自分を取り巻くグループ・ネットワークは、ほとんど全部自前で創ったものです、既存のグループ、例えば技術士会なんてのは、加入してしばらくしてから失望したあげくに、技術士協同組合の創設に参加しましたし、組合も30年経つと、色んな勉強会やグループ活動が沢山生まれていますが、大抵のグループに顔を出しています。
> 私は、若い中田君達と違って、出来合いのグループに参加すると言う趣味・感覚はまったく無く、「自分中心に興味本位で動いていたら、グループが沢山出来てしまった」というのが正直な所です、私は今、週末はほとんどこういったグループ活動で日程がふさがっています、自分がまいたタネなので逃げ出せません。

27日にはビッグサイトに出かけて、電池ビジネス・食品ビジネス(主としてサプリメント)の最新の状況を観察できましたし、おまけで世界中の面白い植物による、健康飲み物を試飲してきました、12000歩も歩いたので見本市は健康的です。

28日は大田のスバルのエンジン工場を、微粒子ゴミ研究会45−6人の諸君と見学してきました、私の推薦工場ですから、ここの現場の諸君が10年かけて創り上げた「研磨機のクーラント循環液の微粒子ゴミが、液1リッターあたり0.01グラムに減少させる装置」を、皆にじろじろ見物して貰いました。
見学後のパーティーで、私は「同業者お断りをしなかったスバルの見識に感謝し、スバルと同じ様にドリルの寿命が倍になり、クーラント液が全然腐らなくなり、不良率激減・生産性向上(数字が驚異的)に興味あるなら、スバルに技術料払って機械を作ってもらうか、自分で作るのを指導してもらったら良い、同業者だって技術交流するべき時期である」と言う大演説を喋りました。

30日(日)は恒例のSME(society of manufacturing engineers)の年一回のステアリング委員会が、箱根の金型荘(温泉旅館)があり、13−4名集まり、12回分の見学先が決まりました、私はこの会の見学が大好きで、大抵出かけるのです、機械屋はグローバルな産業で必ず世界に繋がっています、今日本の機械屋は50−70%輸出出来る会社が生き残っています。
SMEのアメリカの本部が、会員の激減で支部からの会費の吸い上げが暫定的とは言えひどいので、抗議をするか、支部で勝手に「見学会員」のような制度をつくり自主運営するか、大議論になりました。
製造業のヘゲモニーがアメリカから完全に去った、と言うことであれば、日本のメーカーが談合して、金を集めて買収してくれれば、技術者教育などに関するソフトウェアーはかなり立派なものがある団体です。
工作機械関係の大学の先生・OBが5−6人見えていました、教育界も激動のようですね、ドイツの機械屋もそれ程元気じゃない、と言う最新情報も有りました。
大手工作機械メーカーの現役の中川君という顔見知りのドクターから、「森田さんの本を買って読んだので、サインしてくれ、ホームページも読んでます」と言われました、企業内の技術者に誉められたのは始めてだけど、自分ではそれほどの「普遍性」が有るとは思えないんだよね、でも嬉しかった。
技術コンサルタントの世界 2008.02.26.

本日2月25日、プラスチック業界の技術者仲間の集まりから「この度、特定非営利活動法人 ナノ構造ポリマー研究協会とSPE 日本支部は合同のpolymer nano technologyについての合同の講演会を開催する運びとなりました。
国内の技術動向、市場動向だけでなく、米国を中心とする海外の動向も 確認できます。」と言う知らせを貰って、講演を聞いてきました。

二つの面白いことに気がつきました、私が複数の業界に顔を出しているから気がついたのです。
その一はSPEというのは、society of plastic engineersというアメリカの技術者の協会で、雑誌を出したり、見本市を主催したり盛大にやっていたのですが、この10年くらいプラスチックの工場がほとんどアメリカから出て行ってしまい、SPEも会員が激減して、方向転換と大リストラを敢行しました、日本支部も時間差つきでアメリカの後追いしつつあるのが現状です。
一方ナノテクのほうは、テーマが新しいせいか、会員は増えるし賛助会社も増えてきたので、両方に席を置く会員が気を利かせて「合同講演会」をやる運びとなりました。

その二は、講演の演題「欧米におけるナノコンポジットの現状紹介 、SPE報 告より」 講師  神戸製鋼所  長岡 猛氏
だったのですが、技術的内容がceaで新しく研究会が始まっている「微粒子ゴミ」と重なる所が大きいことに気が付きました。
技術の問題は「凝集を解きほぐすこと(分散)相溶性をどうしたらUPできるか」で、機械・化学屋と物理屋が色々考えているそうですが、関係者の最大の問題は「health & safty issue」で、あまり楽観的な話は聞けませんでした。

私は機械屋ですから、アメリカのsociety of manufacturing engineersの日本支部の会員です、ここのアメリカの本部(デトロイトにあります)も最近会員激減で、大リストラをしたと言う話です、この分野は日本はまだまだ頑張っていますが、私は矢張り時間の問題で、右肩下がりの業界になると予感しています。

私は50年近く、プラスチックと機械の関連業界で飯を食ってきましたが、これから右肩下がりの業界で、中小企業がグローバルマーケットにどう対応していくか、事業継承・売却・合併・リストラにどう対応していくのか、ということを念頭に、自分自身のシメも含めて考えていきたいと思います。

技術コンサルタントの世界 2008.02.21.
「工場見学大好き」

18日(月)には、甲府にある横河電機の主力製品の流量計の生産工場見学に出かけました、私は卒論は自動制御の研究室で、友人も居たし、研究室の後輩も沢山勤めているので、よく知っている分野です。
地味かも知れないけど、完全な世界企業に成熟していて、5000億の売り上げで500億の営業利益、6割が外国だそうです。www.yokogawa.co.jp/
相当細かい電気部品も自社内に自動生産ラインがあり、メーカーらしく製造の付加価値を全部自分のものにしているのは、凄い会社です。
19日(火)には、青梅線の羽村駅集合で、東成エレクトロビーム、www.tosei.co.jp
という、レーザーや電子ビームを使って、機械加工の受託を商売にしている工場の見学に出かけました、100人位の会社で、普通の工作機械では難しい機械加工を、引き受けて付加価値を高めるという、機械技術者好みの会社でした、上野さんという社長さんは日本の技術士という制度や会社に沢山居る技術士の営業的利用方法を、よく研究しているらしく、愛想良く応対してくれました。

この見学に、組合創立時の同年輩仲間の伊予部将三さんに30年ぶりくらいに会いました、その後のメールのヤリトリによると、私と同じように「現役」で頑張っているそうです、伊予部さんはスバルの出身で、技術士会で青年技術士懇談会の幹事長をやったり、機械部会の世話役もやったはずです、私とほぼ同じ頃、主として機械設計事務所の看板で、独立・自営を始めたように記憶しています。
早速、新規開業支援研究会で独立・自営のレクチャーをしてもらえるよう、お願いをしておきました。

工場見学はいいですね、私はなんと言っても現場が好きなんです、火曜日の見学会で一緒に回ったH社現役の偉いさんのA君が、いみじくも、「会社では本社に行くほうが出世と思いがちだけど、技術者は現場を離れちゃいけませんねえ、私はもう会社を離れたら何も出来ません、今になってみると、技術士会で一番えらいのは、森田さんじゃないかと、近頃思うようになりました。」と言っています、技術士はPEであると主張してきたA君に、そんなこと言われても困るねえ。

技術コンサルタントの世界 2008.02.15.
2月13日に昼飯持参のランチョンミーティングと言う形式で、技術士協同組合の初代理事長・和田忠太さんから、技術士が国家資格になる以前の(1951年ー57年頃)民間の団体だった頃の、技術士会に集まった豪傑たちのエピソードを、沢山聞きました。
和田先生は、私より一回り上の世代ですが、私が青年技術士懇談会と言うグループで「独立を夢見ていた」頃の憧れのスターで、和田塾という定例会では、いつも10人位のメンバーが、誰が早く独立できるか年がら年中「自己紹介」をしていたような記憶があります。
今回、和田先生が当時の資料を持ってきてくれたので、吉田君が電子化して会員内のどこかに入れてくれるでしょう、話を聞いた諸君もメモを議事録的に編集して、追記してください。
さて、独立・自営のメンバーが増える時期は、世の中的には景気が悪くて、会社の整理統合とか、いわゆる「乱世」であることは、技術士会設立当時の1951年頃のことを考えても、納得いきます。
技術士会に関しては、設立時は明らかに独立・自営の野武士的な先輩達が中心的に活躍したことは明らかですが、現在はPEの制度になり、試験も会員もおおむねPEに変わってしまった事は、皆さんご承知のとうりです。
今回のシニアの会の復活に、菅野君や河面君のように60歳になった若いシニアが、非常に興味を持ったと言うことが、私には印象深いことで、伝統というと大げさかも知れないが、50年も過ぎるとこういう形で初期の頃の話が神話化したり、語り継がれるものなんだと、しみじみとしてしまった。
それにしても、独立・自営と言う技術士の職域は、「中小企業なんだから協同組合というグループ活動が最も相応しい」と考えた、和田先生たち先輩の先見の明を、我々現在の組合のメンバーが活かしているか、改めて勉強しなおしてみようと思っている。
技術コンサルタントの世界 2008.02.12.
「2月15日NPO・さいたま技術士ネットワーク主催のシンポジウムでの、私の挨拶原稿」

NPO・さいたま技術士ネットワーク理事長の森田です、 当NPO法人は、企業の技術的支援や環境問題に取り組むために、 埼玉県在住で、比較的若くて独立自営をしている技術士諸君が中心となって、平成17年4月に設立した団体で現在10名所属しています。
私は独立・自営の先輩としてこのNPOをサポートするために、理事長を引き受けました。
今回のシンポジウムは、埼玉県NPO助成事業を受けて開催する運びとなりました。
この事業で、埼玉県の元気企業40社を紹介する冊子を作成し、この中の4社の企業の社長さんから、企業運営のノウハウ、苦労話などを話していただくシンポジウムを開催、この冊子とシンポジウムを通じて、企業の活性化につながれば、幸いです。

簡単に自己紹介をします。
60年に大学・機械を卒業して、72年に独立・自営を開始、35年間技術コンサルタント業を営んでいます。
独立までの10年間、当時浦和にあった松田製作所でプラスチック成形機の仕事をしておりましたので、以後35年間、業界としては、プラスチック加工・機械加工の周辺機械のメーカー・ユーザーを専門に、コンサルタントをやっています。
昨年の11月には、ドイツで3年毎のプラスチック・工作機械の見本市があり、見て きましたが、日本の機械・金型のプレゼンス・存在感が低下しているのに驚きまし た。
これからの日本の中小機械屋が目指す、世界で生き残れる機械メーカーは、国内五-三割 (輸出五−七割)で経常利益一−二割と言う所ですね。
アメリカはこの10年で機械 屋が10分の1に減りましたが、日本が今後10年でそうならないと言う理由が、あまり考えられません。
日本人が特に製造業が好きで、得意であるという理屈は、アメ リカの顧客と30年来付き合った経験からも、信じられません。
業者の淘汰が進むことは避けられないでしょう。
日本もアメリカの後を追って、メーカー数が5年後には5-7割、10年後には1-2 割に減るでしょう。
外国を含めた同業者・関連業者との合従連携、M&A,事業継承 ・会社の売買については、避けられない未来が待っています。
会社経営の皆さんに、これからの10年大変ですね、ご苦労様と申し上げます。
技術コンサルタントの世界 2008.02.07.
横浜とラスベガスの自宅を往復しながら、半分ずつ暮らしていて、small business支援組織として有名なscoreのhttp://www.score.org/index.html ラスベガス支部に属して活躍している名手孝之さんの紹介で、財団法人・上月スポーツ教育財団に伺って、「学生ベンチャー支援事業」のお話を聞きました、実際の補助金を受けた山梨大学のベンチャービジネスの諸君とは、1月の島田世話人によるガラクタ研究会で会って話を聞いていたので、日本でこういうアーリーステージのなんともわからない学生のビジネスプランに、お金を出すエンジェルに始めてお会いして「感激」しました。
この財団はコナミ株式会社のオーナーの上月景正さんの発意で作られたそうです、URL
www.kozuki.or.jp 、コナミはゲーム機の業界では有名な会社で、和田忠太先輩がこの業界に詳しいので、電話で色々情報を仕入れてから、財団の理事さんからもお話を聞きました、日本にもこういう立派な経営者が居るんですねえ。

さて、ここ2-3日考えていたのですが、我々技術屋は、いわゆるアーリーステージの特許だけとか、アイデアだけのビジネスプランと言うベンチャーの人は苦手ですね、多少は問いませんが、会社に生産が始まりキャッシュフローがあれば、これを「合理化・生産性向上」したり、「コストダウン」することには援助できるのですけどーーーー。
こういう段階では、お金をぽんと出してくれる人には、かないません、援助するステージが違うんです。

この分野では、我々はJETO・技術経営機構の大塚政尚君が「経営的分析を加味した技術評価項目集」と言うソフトを創り上げたので、これから「色んな会社に在庫しているビジネスプランの評価」というサービスビジネスの営業・市場開拓を始める。
ceaの諸君の専門性が活かせる仕事になると、期待しています。

技術コンサルタントの世界 2008.02.01
年頭に当たり、少し大きなことを考えてみている、世の中こうなったらいいのになあ、と言う程度の妄想かも知れない。

第一に、「定年退職は撤廃したほうがいい」と言うのが、最近の実感である、ceaの長年の定例会でもある第一土曜日の午前中は、開業支援の会でもあるので、長年新人に接してきているが、とにかく最近の定年退職者は若い、こちらがその分、歳をとったのかもしれないが、とにかく現在の定年制度は、官庁の制度が元になっているのだろうが、寿命が60歳くらいだった頃の制度じゃないのだろうか?

第二に、「民営化」出来るものはどんどんやって欲しいが、「官営化」という方向もあって良いと思う、同様に官から民への人事を「天下り」と言うのなら、その逆の「天上がり」と言う人事がもっと盛んになっても良いだろう。
公共事業を税金だけでやると言うのは、如何なものか?大体公共と言う概念を官が独占したと錯覚している所に、「偽装」をなんとも思わない連中が生まれてきたのだと思う。

第三に、日本はやはり「技術立国」でしょう、私は人生のおおかたを独立・自営業者できてしまいましたが、技術のプロフェッショナルは、会社の経営者に転身したり、同業他社に転職したり出来る自由度の高い社会で、もう少し優遇されても良いと思います、若者が憧れるような技術者の世界が実現しないか、これから私も微力を尽くしたいと思います。

この3つの見かたを踏まえて、私が出来ることは「技術者の流動性を高める」ことに貢献することだろう、年齢や業界や専門と言う枠を取っ払った、技術者同士の付き合いを広める、と言うのが、いいスローガンの気がする。

技術コンサルタントの世界 2008.01.25.
23日、久しぶりに日韓技術士会議のステアリング委員会に出席、新年会も付き合いました。
本田尚士先輩の始めたこの会合は、技術士会のイベントとしては、全国大会並に盛大な集まりになり、今年は委員長の中山さんの地元・新潟で9月ごろ開催されることになっている。
この会合の魅力は、日韓両国での交互の地方開催で、昨年はソウルでの大会、隠岐の島でステアリング委員会をやったけど、地元の藤井さん一家の案内で、委員連中は夫婦連れで楽しい旅行をさせてもらった、シニア委員メンバーの奥方連中にも、この会合は好評です。
今年の会合の中身の議論も始まりました、韓国の元気な次期大統領の登場に比べて、日本の地方の技術士諸君は、大方シビル関係者ですから、元気がありません、私は「今こそ日本は運河・水路による省エネ・列島改造論を打ち出すべきである」と、天才田中角栄の再来を期待する提案をしました。

酒席で、建築の宮原君と北海道の市村君から、若かりし日のA・グリーンスパンはリバータリアンだったと言う話が、話題になり、それはアイン・ランドというロシアから亡命してきた女性の作家から影響を受けたと言う話を教えてあげました。
http://www.aynrand2001japan.com/index1.html
私は、以前副島隆彦さんに、「森田さんはリバタリアン技術者だ」と教えてもらい、アイン・ランドの名著「水源」の翻訳者の藤森かよこさんを紹介してもらった経緯があるから、詳しいのです。
水源の主人公の建築家は、帝国ホテルの設計者でもある、フランク・ロイド・ライトがモデルだと言われています。
現在、アメリカの共和党の大統領候補者のなかで、ロン・ポールと言う人が、リバータリアンの代表者といわれています、結構健闘しています。

技術コンサルタントの世界 2008.01.18.
田町のCICにある、山口大学のサテライトオフィスから、TV電話を使った一時間の講義をやりました、これは吉田君の企画で、私は持論の「技術者の成れの果て」論を喋りました。

喋ってみると、案外纏まった意見になっているな、と気がつきました、私は後輩の大学の先生たちから、「少子化と理工離れのダブルパンチ論」や「若者の質の変化と言う現実」を沢山聞いているので、私の講義を聴いていた10人位の諸君に、私の話が何らかのインパクトを与えることが出来たか、疑問ではあるが、私自身には良い経験であった。

第一に、エンジニアは会社でしか育成されないと言うことである、エンジニアは技術的な付加価値をつけてお金を稼ぐと言う、第一義的な役割がある、という私の仮説・定義から言うと、そうなる、大学でも独学でも例外は除けば、エンジニアは作れない。
エンジニアの卵は、会社の先輩のなかから師匠・メンターを自分で意識して選び、真似をしながら仕事を通じて一人前のエンジニアになることが出来る、普通30-35歳くらいで一人前に育つ。

第二に、一人前になったエンジニアはずうっとエンジニアで行くか、経営者の道へ行くか、独立・自営の道を行くか、自分の性格や好みを主として考えなければならない、そして30歳代、遅くとも40歳代には、その方向性に従って行動しないと、50歳を過ぎると、選択の自由は著しく狭くなる、と言うことが、私の長年の観察の結果である。

第三に、60歳代で会社の定年になった諸君は、自分で自分の定年後の生き方を決めることは控えて、会社や家族、友人達の客観的な見方に従うべきである、定年を待ち望んで企画した自分の未来計画は、友人・先輩の批判に十分晒されてから、実行したほうがいいだろう。
30,40歳代で決めるべき方向性を60歳代で実行することは、ほとんど無謀である。

と言うようなことを20歳代のエンジニアの卵に喋って、意味あることかどうか?

技術コンサルタントの世界 2008.01.14.
ようやく何時もの定常状態に復帰しました、歳をとると何事もゆっくり構えないといけないようで、体が正月の食べ過ぎ、飲みすぎの余裕の無さから回復したようです。
さて仕事関係は今月中にゆっくり一回りすることにして、菅野君のceaの定例会、大塚君のJETOの初会合、けいみ会のステアリング委員会で段々元気になってきて、土曜の午後の、今年は沢山作ってやろうと思っている「専門分野の深堀り勉強会」のスタートでは、大久保君がイニシャティーブを発揮してくれたお陰で、3つスタートすることになりました、お楽しみです。
夕方には、NET−PEの会の会長で、特許庁の審査官の青木さんが来てくれたので、cea関係者との今後の情報交換を約束しました、ついでに夜の部のわたみでの飲食を共にしました。
2回りくらい若い世代でお役人ですから、私はまったく縁の無い諸君達だと思っていましたし、私は技術士はCEだと主張してきた立場ですから、PEの会には関わり無いような気もしますが、仲良くなってしまったことですから、今後色んな形でお付き合いしてみようと思います、とりあえずは私の本を贈呈しました。
連休には、福島の親戚に会いに行きがてら、温泉を回ってきます。

技術コンサルタントの世界 2008.01.06.森田裕之 Yuji Morita

第一土曜日の10時からは、独立・自営を希望する人たちに、先輩達が経験談を語る、というイベントを我々技術士協同組合は、30年以上休み無く続けて来ている、看板は新規開業技術士支援研究会と銘打って、技術士会報に載せているので、毎月3-5名の新人が「恐る恐る」顔を出すのが、最近の実態である。
一回来てみると判るのだが、独立・自営の方法は百人百様だから、出来るだけ色んな先輩の経験談を聞くことは、悪くないなと考えて、リピーターが増えてきている、毎月15-20名位の出席者が居る、私はなるべく出席して、一席ぶつことになっている。
組合には、定年前の30台、40台で独立した諸君も、定年後始めて結構盛業になっている諸君も居て、この第一土曜日に顔を出して、自己紹介がてらに後輩に話をしてくれる人が増えてきた、今年からベテランと若手のレクチャラーをセットにして、独立を希望する10人に10様の対応をしようと思っている。

今日も昼飯の雑談で話したのだが、長年の会社員が独立・自営を始めるに必要なのは「社会の常識」ではないだろうか、税務署の心配や事務所・看板といった独立・自営を取り巻くインフラ・ストラクチャーは、一日の講習会で簡単に知識を得ることが出来るが、私が話をして一番気になるのは「常識の無さ」である。
定年と同時に奥さんから三行半を貰う亭主の話があるようだが、あまり笑って聞ける定年野郎は居ないのじゃなかろうか?
独立・自営を支える仕事のネットワークの構築は必須の条件だが、基本は人間としての付き合いが有って初めて仕事になるので、逆ではないのだ、会社員をやりすぎた人には一番判り難いテーマだと思うね。
技術コンサルタントの世界 2008.01.01.

謹賀新年、2008年元旦は快晴で穏やかな朝です、屠蘇代わりの冷酒を飲んで、いささか酔っています。

餅つきも無事に終わり、孫どもと愚にも付かない遊びを付き合っています、私の爺は私が子供の頃に、当時の満州の我が家に遊びに来て逗留したようですが、怖くて恐ろしい禿頭・白い髭の爺さんとしか覚えていません。

昨07年は、私自身に関しては、顧客は増えるは、関係している団体はおおむね上り坂、復活の目途が付くなどの良い事ばかりでしたが、日本という国を考えると、下り坂の始まりだったのではないかと、気がついた年でもあります。


私は戦後の満州帰りの最後の世代だと思いますが、我ながら御し難いヒネクレモノで「指図されたくない」と言う単純なイデオロギーを持ち続けてきました、三つ子の魂百までと言いますが、本当です。


「 エンジニアの成れの果て研究」は、おおむね完了しました、一人前になった30-35歳の頃の、その人のその後の生き方に関する方針が、その人のエンジニア人生の最後まで決めてしまう、と言う冷酷な真実を、たくさんの実例から発見しました。
この発見は、私のcea・協同組合活動のバイプロダクトですが、かなり重要な内容があるので、若い人とコンタクトの機会を持つ諸君には語り継いでいくつもりです。

本ホームページは、毎日150人くらいの人が見ています、最近、あちこちの会合で知らない人から、見てますよと声をかけられる機会があります、私自身は知人に向かって書いているつもりですが、不思議な気分になることがあります。
私には元々、物事に関して世に訴えると言う気分は、まったく無い男です、「指図されたくない」し「指図なんかしたくない」のです。
今年も元気に飲食を共にして、議論・論争を楽しみましょう。