技術コンサルタントの世界2006年

技術コンサルタントの世界。 2006.12.26

皆さん森田裕之です、今週(25日)から正月休みです、先週の土曜日には昼飯は生産者が泣いている牡蠣フライ、晩飯は牡蠣鍋を食べて胃袋を試してみましたが、事も無く元気に休みを迎えています。
問い合わせもあったようなので、お知らせしますが、30日(土)の餅つきは、例年どうりに行ないますので、皆さんいらしてください。
私が独立する少し前で長男が幼稚園生の頃だから、1970年頃から続けています、一度だけ悪天候で中止した以外は、例年30日は不思議に良い天気に恵まれた餅つきでした、たくさんの人が来てくれるので、あまりお客さん扱いは出来ませんが、ご遠慮なく飲んで食べていってください。

あまり反省好きじゃないので今年楽しかったのは、7月に3男三朗がハワイで結婚式を挙げたこと、2回目でしたが9月に中村さん(シュトルツ社長)にヴェトナムに連れて行ってもらったのが楽しく印象的でした、日韓の技術士会議が11月に沖縄であり、初めてだったのでレンタカーで一回りしてみましたが、知らなかった素晴らしい日本がたくさんあって、楽しみました。

大きく日本のことを考えてみると、2007年はグローバル競争に負けた企業城下町の崩壊と、税金事業の縮小による地方のビジネス格差は、役人や会社員の雇用流動化待ったなしの時代に突入でしょう。
技術士協同組合の諸君が中心になって作った、技術・経営関係のNPO(大塚政尚理事長)と、技術・監査関係のNPO(原田敬美理事長)が2年を経て基礎固めが出来て、それぞれ大発展の様相を呈してきました、これから独立・自営を考える諸君にとって本当に頼りになるグループが出来つつあり、私の長年の夢がもう少しで実現しそうです。

技術コンサルタントの世界 2006.12.22.
最近副島塾の1人で、脳神経外科医の崎谷博征さんが『グズな大脳思考、デキる内臓思考』(アスカ出版) と言う本を出しました。
そして「内臓思考」に関するコンサルティングを始めたと書いてあったので、副島さんの医学掲示板に、

貼り付けー

崎谷さん、始めまして森田裕之です、お名前は副島先生のsnsi関連でよく拝見しておりました。
今回の御本は、私の35年間の独立・自営の技術コンサルタント業の経験からして、全面的に共鳴・共感いたしました。
私も、現物・現場・当事者からの帰納法でやってきました。
コンサルタント業の成功をお祈りします。

貼り付け終わりー

私は昔から、技術者は「現物・現場・当事者」から帰納的に全てを考えていて、理論や法則はそこをサポートするものだと、信じていました。
お医者さんの崎谷さんは、脳が三層構造になっていて「脳幹」・生命の自律的な働きをつかさどるセンター、と「大脳旧皮質」・感情のセンターが、我々の内臓臓器と結びついている、と説明しています。
「大脳旧皮質」に覆いかぶさるように「大脳新皮質」と言う構造があり、この部分が人間の「創造力」「認知」「自意識」のセンターで、論理的に考えたり、言葉を駆使したりする能力は、「大脳新皮質」によるものだそうです。
詳しくはこの本を読んでもらうことにして、崎谷さんは結論として「ハラで考えよう・内蔵思考」を提案している、つまりもともと「内臓のために脳が生まれたんだ」と主張しているのです。

私は大げさに言えば、宗教も哲学も科学も全部「現物・現場・当事者」から生まれたんだと、主張します。
私のような普通の日本の庶民は、多神教信者ですから、麻原しょうこうが現実離れした現象を見せてくれたら、彼を信じてしまうことでしょう、キリストの近くにいて彼が病人を奇跡的に癒したら、信者になるでしょうね。
私が幾つになっても工場見学が大好きなのは、その会社の真実は工場の現場にあると信じているからです、会社の経営データや経営のイデオロギーはそれをサポートする情報だと思います。

独立・自営業者にはマニュアルも参考書もありません、たぶん会社の経営も同じでしょう、同業の先輩や仲間との付き合いから、試行錯誤をして自分の業を創って行くしかありません、私はあまり「大脳新皮質」を活用しないで生きてきた自覚があり、友人・先輩に何回も「お前は直感人間だ、あまり考えないで行動している」と言われています。
崎谷さんの本は、私をますます自信満々にしてくれました。
技術コンサルタントの世界 2006.12.17.
今日はcea・協同組合では始めての「本を書く」グループ活動があり、10数名の諸君が出席し、日刊工業の鈴木さんが編集者・出版社の立場を話してくれたり、本を出したばかりの内田君の周りの人たちの反響や今後の展開計画の報告と、これから本を出す大久保君の目論見書的案について議論しました。
仲間内だけの馴れ合い話にならないように、編集者・鈴木さんに来てもらったのは成功でした、これからもオブザーバーとして出席するようお願いしました。
今週は3ヶ月に一度の眼の検査があり(数年前の左目の白内障手術以来)変わりなかったのですが、医者に左・右で物の大きさが違うので、左目(1.5)で運転して右目(0.7)でパソコンやってます、と言ったら、「そういう人が多いのですが脳みそには影響ありません、メガネかけなくて便利でしょう」、と言われました。
相変わらず一日おきに忘年会をやっています、同窓会で突発的に来ない奴がいて家に電話したら、ノロ・ウィルスにやられて情けない声で弁解していました、流行しているらしい。
私は近年飲んで帰宅してから、フニャフニャになる(貧血らしい)ことがあり、妻から出掛けには必ず飲み過ぎないようにと、注意を受けています、同窓会の連中も段々出席者は減るし、会っても病気自慢になる傾向だし、歳をとるのは良い事ばかりではありません。
技術者の成れの果てとしての経営者は、すくなくとも会計・資金繰りを覚えなくてはならないが、同様に技術・監査人(engineering auditor,technical auditor)になるには、少なくともその人の専門分野の法律・法令・国際規格を知らなくてはならない、「本を書く」会合に出席していた中村博昭君が始めた、輸出機械のコンプライアンス業務http://www.saburai.com/は盛況だそうです、会社員のときに習い覚えた業務だと言っていますが、私は立派な「独立・技術監査人」の仕事だと思います。
来年・07年には実際に技術者のこういう職業分野を切り開いてきた独立・自営の先輩達を中心に、団体・グループ活動を始めました、当面はシビル業界がターゲットです、この業界ただ今激変中ですからチャンスだと踏んでいるのです。
こういう分野の話は、普通の文系の人や技術者でも会社員には判り難いようだね。

技術コンサルタントの世界 2006.12.11.
10日(日)は年末恒例であるカレンダー・手帳類の買い物で、銀座の伊東屋に出かけてきました、ついでに地方の友人達向けに、東京でしか買えないものを物色して送りました。
私は日曜日は、東京の盛り場に出かけて、人ごみを見る趣味が有ります、定点観測地は銀座、品川駅周辺、青山・神宮外苑、新宿・甲州街道沿い、上野・秋葉原です、本当はただの野次馬ですが、それでも私なりの景気の判断のおおもとは、これらの現場です。

このところ土曜日はCEA・組合関連の会合でふさがってしまう様になりましたが、その会合も人数が激増していることと、内容も分割したほうが良いと思われるので、来年からは会合のテーマ別のスケジュールを、管理人の菅野君に一任して変更します、なにしろ会合後のワタミで飲むときも、3-4のグループに分かれて喋っているので、立食パーティーのような効率が望めないし、テーマによるグループ分割はしょうがないことです。

さて本を書くというグループ活動を12月16日(土)3時ーから始めます、意欲ある諸君の参加を求めますが、鷲田小彌太さんというプロの書き手が、《文章を書く根本は、その長短にかかわらず、「目次」を作れるかどうか、にかかっています。この目次がなくて、文章を書くのは、登山図がなくて、山に登るようなものです。》と書いています。
私は一冊だけ本を出版しましたが、運良く若い編集者が私のこのホームページの過去のコラムから、編集して出版してくれましたので、目次を作る楽しみは味わっていません、多分今後も本を書くつもりは無いので、自分がやらないことを他人に強要するのは気が引けるのですが、今回の本を書くというグループ活動は、若くして独立・自営に踏み切ったCEA・組合の後輩諸君の育成を目的にしているのです。
ですからはっきり言って、「本を書くことは業務のマーケッティングであります」、たくさんの先輩方がこのやり方で、世の中に独立・自営業者として名乗りを上げています、今回のグループ活動の目的はその一点にかかっています、誤解しないように願います。
サラリーマン現役や引退したシニアの諸君は、独立・自営の諸君を助けて、立派な本になるよう協力してください。

技術コンサルタントの世界 2006.12.04.
「危機感」
2006年もあと一寸で終わります、年取ると一年経つのが早いと言われていますが本当ですね、よってここ3-4年を纏めて反省しています。
何故、私がボランティアで一所懸命にceaを続けてきたのか? そうして、今、新しい試みをやろうとしているのか?
それは、私は5年位前から直感的に、日本の将来に危機感を抱いてきたのです、今のままでは…残念ながら、多くの市町村で「夕張化」が起こりそうな予感がするのです、企業城下町の崩壊もたくさん出てくるでしょう。
日本では技術者が文系に支配されていることは、公知の事として歴史的にも、統計的にも、制度的にも、国民誰もが認めるところですね、これからの日本の危機を乗り切るには、色々な分野で技術者のリーダーシップを確立することじゃないかと、密かに考えてきました。

技術者の独立・自営に関しては、私は30数年の経験者ですから、後輩の育成に何がしかの貢献をしてきたつもりでしたが、3年位前に技術者から経営者への経験者である大塚政尚君が、自分の会社を上場し、その後会社を売って「自分もまだ若いので、技術者から経営者へ進む後進の育成をやってみたい」と言うことなので、JETO・技術経営責任者という資格者を自分達で認定する活動に、ceaの諸君と一緒に全面的に協力しています。

不思議なことに、一年半前に港区長を一期・4年経験した原田敬美君が、大塚君が技術者から経営責任者への道を提案したように、大塚君から一年遅れで、技術者から監査責任者・監査人への道を提案して、これにもceaの仲間が全面的に協力し始めました。
この二つの活動に共通していることは、色々な資格を持った技術者が改めて「会計・金融・マーケッティング・法律・・・など」の事務系の実務を勉強をして、経営責任者・経営者や監査責任者・監査人になることです。

私は勿論技術者はこれまでのように、研究者や技術者として生涯現役を目指す人が居なくちゃ困るとは思うが、数は少なくてもいいから、本気で経営者や監査人を目指す人たちを育成するつもりです。

現在の技術士資格は、この二つの資格に直接関係無しと言うことでいきます、我々独立・自営の協同組合の技術士仲間が、これら二つの資格認定の運動のリーダーシップを執っていることに、自信と誇りを持っています。

技術コンサルタントの世界 2006.12.01.森田裕之 Yuji Morita

師走です、夕暮れ時に久しぶりに芝川の堤を歩いていて、不意に「もう師走だ、今年になってceaの活動がえらく忙しくなってきたなあ」と言う気分に襲われました、世代交代がはっきりして来た事、世の中が大きく変わってきた事に関係あるんでしょう。

さて糸井重里さんのほぼ日新聞に、
貼り付けー
いやぁ、いまね、
「まずいなぁ自分」って時期なんだよね。
本がどんどん貯まっているんだよね。
どんどん貯まっているっていう実感があるのが、
よくないことだと思うわけよ。
いっくら貯まってても、
「貯まってるよなぁ」って思わないなら、問題ないの。
気にかけずに、本が増えていく状態は、いいわけよ。
貯まってるなぁって気になるということは、
じゃまだなぁとか、読んでないんだよなぁって
反省しかけてるわけでさ、そういうのがよくないんだ。

おれは、前々からね、
「本は背表紙」っていう名言を残してるからね。
背表紙を読んだら、もうそれでいいんだ、と。
そのくらいの根性がないと、本に負けちゃうよね。
読みかけたままで、進まないんですとか、
難しくて読めませんでしたとか、
そういうこと言ってちゃダメ。
買ったというところで、もう済んでるんだからさ。
そのくらいの図々しい気持ちがないと、
本なんて買えないし、読めないし、なじめないよ。
なじむことだよね、本にしても。
貼り付け終わりー
まるで最近の私の心境と似たようなことを書いてあったので、ほっとしている所です。

私はただの読書好きで、昔は何でも読んでいましたが、何時の頃からか読みたい本はちゅうちょ無く買える身分になったのは良いのですが、今では好きだったミステリーや小説類は諦め、エッセイやビジネス本がたくさん積読になっています。
一時期は溜め込んだ本は、あまり読み返すことが無いし、子供も私の本を読みそうも無いので全部売り払い、今では読み終われば誰かにあげることにしています。

これから独立したいという志のある人は、本を書くことを勧めます、自分ひとりでは一冊かけないと言う人は、何人か自分の専門分野の隣接している仲間と共同執筆したらいいのです。
12月16日(土)3時から第一回目の「本を書く」という集会を始めます、第3土曜日の3時ー5時を定例会にしたいと考えていますので、興味あるceaメンバーは参加してください、若い編集者にも声をかけているので、売れる本にするにはどうしたら良いかなどの世間の常識も勉強してください。


技術コンサルタントの世界 2006.11.25.
酒席が増えてきました、忘年会のはしりとでもいうべき季節です、大体が身から出たさびで、私が作ったグループ活動の酒席なので、逃げられません。
21日には大宮の生研センターという、農業機械の研究・独立行政法人を見学しました、日本独特の狭い国土での農業に対応してきた機械エンジニアの苦心が良くわかる展示がありました、日本の農業エンジニアはアジアや南米、アフリカに出かけていって世界の食糧増産に貢献すべし、と言うのが私の年来の主張です、世界マーケット用の機械を作ったら日本が一番の機械を作ることは間違いないでしょう、今はちまちました狭い日本の国土にあわせた機械作りを余儀なくされて、可哀想な気がしました。
22日はJETO・技術経営責任者協議会の理事長・大塚君の講演でした、新聞に出るような大きなM&A・合併・吸収の話ではなく、中小企業の実際の話ですから、社長にまつわる生々しい話などとても面白かったです、技術士も技術専門家のポジションを早く脱して、経営に関わるコンサルタントに幅を広げることも、一つの生き方ですね。
23日お休みなので、東京をドライブ・散歩しました、新宿御苑、神宮外苑は黄色い紅葉で鮮やかでした、帰路安売りスーパーのロジャースで、おじん専用のネックウォーマー、レッグウォーマー、ハラマキを仕入れて帰宅しました。

本の企画がぽつぽつ出てきているので、来年は月例会を始めたいと計画しています、日刊工業の若い編集者・鈴木君と言う男も捕まえたので、協力してもらいます。

技術コンサルタントの世界 2006.11.18.
「沖縄旅行」
今年の日韓技術士会議は11月13日に沖縄で開催されました、正確には知りませんが韓国から200名、日本から100名といった大勢の参加者があり、会場を2つに分けての開催でした。
30年以上前から参加してきたわりには、私は会議の中身に興味が無く、一年に一度会う人たちと「やあやあ」とニコニコするだけの大会です、それでも近年英語の分科会で毎年喋る、余 浩栄(Yeo,Ho Young)さんの毎度新しいビ
ジネスプランが面白くて楽しみにしています、今年も current Status of
Telematics Market in Korea というGPSとwireless networkを組み合わせたサービスビジネスを提案していました。
私も妻も沖縄は初めてだったので、14,15,16日はレンタカーを借りてドライブしてきました、聞きしに勝る素晴らしい沖縄でフアンになりました。
印象に残ったのは、7箇所のお城の跡地で世界遺産ということですが、それぞれ見晴らしのよい岡の上にあり、現在復元中でした、地名の漢字の読み方はまったく判りませんでした、歴史年表や城の石垣からすると中国の属国だったとしか思えませんが、独自色豊かな独立王国だった感じが随所にあり、人々の感じも本当によかったです。

沖縄に先立つ11日(土)には、朝から晩まで組合関連の会合があったんですが、九州の福崎君のご招待でNet-P.E.jpというグループ諸君の渋谷駅近くでのオフ会に参加しました。
さすがに福崎君が自慢するだけのことがあり、感じのいいグループで、たくさんの諸君と名刺の交換をしました、独立・自営のグループより一回り若い諸君ですが、「もう技術士はPEなんだ」という実感をしました、「その中でマイナーだけどCEが居るぞ」ということは、単に「現状の追認」という事ばかりでなく、技術者全体の絵のなかでも意味あることでしょう。
グループ諸君に下記のメールを送りました。

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Net-P.E.の皆さん、森田裕之です。
11日(土)のオフ会でたくさんの皆さんとお話が出来て、楽しかったです、翌日曜日から沖縄に日韓技術士会議という下らない会に出かけたついでに、レンタカーを借りて観光して帰宅しました、皆さんとお会いした印象などを、忘れない内にメールしておきます。
1.ご存知の諸君もいることでしょうが、connsulting engineerの日本語訳が技術士なのです、5-6年前に私などの大反対運動が敗北して、C.E技術士からP.E.技術士に変わりましたが、皆さんとお会いしてようやく実感いたしました。
皆さんが軽やかに、会社員や役人でいながらにして技術士を名乗られているのは、素晴らしい変化です、C.E.時代には出来なかったことです。
2.私はC.E.技術士ですから、K本さんには「弁理士とC.E.技術士は両立しませんよ、弁理士はお客にたくさん特許を出してもらう商売ですが、C.E.技術士は最小限出すことや、発明者自身が出願出来るような教育をします」というような話をしました、博士との違いとか、エキスパートとの違いとか、会社経営者との違いとか、色々あるけど、私はC.E.技術士が一番面白いと思います。

3.世の人や会社が技術者に大金を支払って直接的な技術情報を取得しようとします、私の友人のC.E.技術士の例では韓国の会社からプラ・バンパーのレシピを教えろ、といわれた時に、彼は3年がかりで試作研究体制・試験設備・人材教育を提案しました、有能な技術士は会社が雇うか、下請け・外注で使うか、取り込まれるケースが多いのです。
私のように独立・自営に興味ある諸君は、少なくとも3社以上のお客と同時に付き合わなければ、長い目で見て独立を維持できなくなります。
4.実は今我々のあるグループが、企業城下町の崩壊から、中小企業をどうサバイバルさせるかというテーマに取り組み始めているのですが、どうやら我々個人事業者のマルチ・クライアントの考え方と同じマルチクライアントであることが判りました。
2−3社がIPOすることになってきています。

Net-P.E.の皆さんの中で、独立・自営とかC.E.技術士に興味ある諸君は、ぜひ技術士協同組合のNET会員に参加して、色々ある勉強会に参加してください。
どうやらP.E.技術士という資格は、これまでのサラリーマンの組織への密着度を若干緩やかにする効果が期待されているのでしょうか?、C.E.技術士の頃とは大分違う状況が生まれつつあるのが判りました、これはこれで面白くなってきましたね、今後ともよろしく。
貼り付け終わりー

技術コンサルタントの世界 2006.11.11.
「生涯現役」吉本隆明著、洋泉社

私が著者名だけで買う吉本さんが、私にとって真にタイムリーな本を出しましたので、早速読みました。
吉本さんは丁度私より一回り上の方ですから、ここに書かれていることが、これから私の身の上にふりかかってくることは、間違いないことと覚悟を決めました、技術士の先輩である本田尚士さんや和田忠太さんとお付き合いしているのと同様に、人間の老化の過程を、肉体的・心理的に言葉にしてくれる吉本さんに敬意を表します、シニア必読の書です。

私は網膜はく離やバイパス手術をやった60歳をすぎた頃から、引退とか隠居と言うテーマに興味を持っていましたが、特に生活態度を変えることなく、もうじき70歳になります。
私はこの10年くらいは、同年輩の友人達と会ったあとや、冠婚葬祭の後に、突発的に引退や隠居について色々考えるたり、車の運転が出来なくなったらどうしよう等など、1人でぐずぐず考えてきました、考えがまとまらずいつも立ち消えになってしまうのは、いつも今現在を生きていくことが忙しくなるからでした。

忙しいと言えば、私は最近猛烈に忙しくなっています、ダブル・トリプルブッキングをやるなど、これまで考えられないようなことになってきました、私はもともとが種まき型の人間で気が多いので、育てたり・収穫してくれる仲間が受け継いでくれないと、悲惨な結果になるケースが多かったのですが、顧客のエンジニア・社長も技術士の仲間も私の取り扱い方が良くわかってきたせいか、やることが増えています。
身体についてはまったく自信がありません、網膜はく離も心筋梗塞(これは自覚症状無しでしたが)も突然起こりました、明日をも知れないのは覚悟の上です、人並みの(友人達と同様に)定期健診や薬・サプリメントを飲んでいます。

身体の運動に関しては、50年前の高校生の頃並みに、自宅に居る時は市民プールで泳ぐか、芝川沿いを歩くかしています、これは癖になってしまいました。

私はまだ「生涯現役」で行こうと決めていません、吉本さんも別に「生涯現役」というイデオロギーを語っているとは思いません、もう少し自然に成り行きに任せて、身体・脳みそをそこそこ鍛えつつ老化を受け止めようと思います。

技術コンサルタントの世界 2006.11.06.
連休の2日間をかけてバラエティーに富んだ10名の自営業の先輩方が語る、第一回目の拡大版「独立・自営のススメ」セミナーが無事に終わり、関係者によるとおおむね好評だったとのことです。
私も講師の1人として、独立・自営を希望する技術者には残念ながら、技術士という国家資格の当てにならないこと、技術士会をはじめとする技術士のグループ活動の当てにならないこと、社会も役所も会社も「技術者の転職・独立などの流動性・モビリティーを増すことは良くないことである」という牢固とした観念に満ちていること、などを話しました。
第一土曜日にあるceaの月例会に出席すれば、必ず1人の先輩の話が聞けるようになっていますが、本気で独立・自営に踏み切りたい人には、纏めて10人の先輩に会ったことが、役に立つセミナーだったと思います。

4日には、副島隆彦さんが「歴史に学ぶ知恵」と言うテーマを、6時間喋り捲るというセミナーがあり大いに楽しみにしていたのですが、用があって前半しか聞けず帰宅しました、副島さんの思考の構想は常に枠組みが大きくて、私のような技術者の狭い考えは吹っ飛ばされてしまいます、以前は吉田松陰みたいな人だと思っていたのですが、今ではむしろ大講釈師じゃなかろうかと思います。
今回初めて「私は理科系の世界も疑い始める」と、ビッグバン理論やニュートン、アインシュタインを強く疑い、信仰の体系になっているんじゃないかと吼えていました。
副島さんにかかると、私のような技術者系統も理科系の中に十派一からげに入れられてしまいそうですが、技術者はせいぜい「モデルのある物を改良していく」能力や興味しかなく、定理とか公式を疑っては商売にならない人種です。
武蔵野公会堂の会場で、副島さんの本を並べて売っていました、私は弟子を自認しており全部読んでいますが、あらためて並んだ本のタイトルを見ていると、非常にジャーナリスチックというか刺激的などぎついタイトルばかりであることに気がつきました。(タイトルでレッテルを貼られている)
私は真面目な本の中身を知っていますから理不尽とは思いますが、読者の10倍は居るであろうタイトルしか知らない世の中の人たちに、陰謀論者の頭目に見立てられるのも無理ないかなあ、と残念です。

世の中ではリタイヤード技術者のグループと思われている技術士資格者のなかで、我々の組合ceaの周辺に30-50歳代の独立・自営業者が、一寸顔を思い出しただけでも14-5人出てきたことは、世の中変わってきたなあと考えざるを得ません。
文部科学省が世間を代表して、技術士は60歳までは企業内に勤め、60歳を超えたら地域の公共の福祉に奉仕してかつ後進の育成に協力するための国家資格である、と明確に決めてくれました。(技術士会の定款の変更案、役所・会長の期待する技術士像の新聞記事参照)
私はこういうことが世の中的にはっきりした途端に、若くして独立・自営をやってみようと言う技術者が続々と排出すると予感しています、楽しみです。

技術コンサルタントの世界 2006.11.01.
バイパス手術以来10年くらいになりますが、月に一回のチェックしてもらう女医さんとは「気のおけない会話が出来るようになっています」、私はどうしても中古の機械というイメージで体を考えてしまいますが、お医者さんはもう少し複雑な因果関係を考えているようで、これまで血液さらさらの薬だけだったのですが、5種類くらいの血管の硬化度を示すサンプル・ゴムホースを触らせられた上、納得して血圧・動脈硬化の薬も飲むことになりました。

このホームページの表紙にも出ている内田守彦君グループの本が本屋に出たそうです、これからプラスチック業界の色んな団体や会社に「セミナーや講演会、勉強会・研究会」の企画を提案始める事になる、独立・自営のマーケッティング(営業)の常道(上品なやり方)を来年一年くらいかけて実施するから、注目して(真似して)ください。

先週、私の満州時代の幼稚園の同級生と十数年ぶりに飯を食いました、私と違って聞き上手なのと記憶力が良いので、私の自分勝手な自分史を修正してもらいました、どうも私は幼稚園の頃も、大学生の頃も、今も、全然変わっていないそうです、本人としてはかなり進歩して良い人に成ったように思うのだけど、ここは勝海舟流に「「行藏は我に存す、毀譽は他人の主張、我に與からず我に關せずと存候」ということにしておきましょう。

色んな研究会・勉強会で土曜日が忙しい、既存のグループから新しいテーマのグループが出てき始めました、世話人・ステアリングの中心がceaメンバーでさえあれば、私は全面的に応援するつもりです。
30日(月)には、私が20年前に作ったコンペックス・グループの見学会で群馬県・大田にある、RP・東プラというプラスチックの真空成形技術を心棒にして、200億円くらい売り上げている中堅企業の見学に行って来ました、研究開発を少し減らしたら利益が沢山出過ぎてしまうと、社長が豪語している立派な会社です。
コンペックスのメンバーは概ねシニア・エンジニアですが、工場見学というと張り切って出てくる人が沢山居ます、私もその1人ですが、やっぱりエンジニアは現場が好きなんですね、業界の先輩方ということで晩飯をご馳走までしてくれたものですから、シニアどもは興奮して、色々経営のアドバイス(役に立つかどうかは不明です)まで口走る始末でした。

ようやく大好きな秋の気配です、私も車を整備に出して紅葉を見に行くぞと、てぐすねひいているのですが、11月は予定表を見ると終わり頃にならないと行けそうもありません、我ながら馬鹿な爺だと思います。

技術コンサルタントの世界 2006.10.26.
「定年が60歳(65歳)だとしたら、それ以降は好きなことをやろうじゃないか」と言うことを書きます。
何日か前の「会員のヤリトリ」に書きましたが、役所や世間の人(マスコミが世間を代表している)が技術士と言う国家の資格者達に期待している姿は、http://briefcase.yahoo.co.jp/bc/ky_proeng、この新聞記事に詳述されています、ceaの関係者はここに普通の会社を対象にした、コンサルタント・エンジニアの姿はありませんと言うことを、頭に叩き込む必要があります。

先輩方がアメリカのコンサルタント・エンジニアやイギリスのチャータード・エンジニアをモデルに技術士という言葉を創り出したことは有名な話ですが、5年位前に技術士の英文名をプロフェッショナル・エンジニアと決めたときから、こうなることは判っていた事です。
日本の「エンジニアの現状が追認された」のです、つまり60歳(65歳)までは企業内技術士、それ以降は社会・地域・日本のためにボランティア活動を主として働いて欲しい、と言うことです。
技術士は受験者・資格者を含めて、役所・シビル関係者(公共事業・インフラ関係)に偏っています、多分80%くらいがそうでしょう、
日本のGDPの6−8%位しかない技術の分野の人が、多数を占めているというのが、この制度の基本的な欠陥です。
しかし現状では、私は国家資格としての技術士のあるべき姿としては、この方針は正しいと思いますし、技術士会の部会や地方の技術士会の運営も、概ね世間の期待に答えるように努力していると思います。

ただ私のように、若い頃から独立・自営業に憧れてサラリーマンを辞めた人たちは、技術士という資格をどう活用してきたでしょうか、資格なんかなくたって独立する技術者は沢山居ますね。
技術士という資格者であるが故のマイナス・ファクターを考えて見ましょう、ただの試験項目である「専門分野」に自ら呪縛されることが多いです、先輩諸氏がやっている技術士関連のグループ活動に惑わされてしまう、具体的に言うとシニアの暇つぶしの相手をさせられる、シビル関係者だと思われる、定年技術者だろうと言う先入観で見られる等あります。
実際に独立・自営業をやっている先輩は、100%個性で仕事をしているので、暖簾分け的な「技術士補という制度は非現実的」で実施例を聞いてない、つまり先輩はあてにならないと言うことです。

さて受験者を含めて、このceaのホームページを読んでいる、若い独立・自営に興味ある諸君は、資格も先輩の資格者グループも、あてにならないことが判ったでしょう?、60歳(65歳)以上の人がやっているグループ活動は、やっている人の楽しみで運営されています、私がそうですから良くわかります、こういう人たちの悪口を言っても意味ありません。
こういうシニアに腹が立ったら、自分で仲間とグループを作るとか、独立・自営の精神にもえて孤高の道を探ってください。

私は定年後にコンサルタントをやってやろうと参加する諸君に「意地悪なことをしたり、言ったりしたことはありません」ただ、我々の所ceaは「食えない若い人がやっていけるように、食えているシニアはアシストする」方針です。

技術コンサルタントの世界 2006.10.21.
私は映画好きだったお陰で、若い頃マルクス思想にかぶれずに生きてこれたことを有難いと思ってきているので、今でも主にアメリカ映画ですが、見に行きます。
最近では、「冷血」の作家カポーティの伝記映画が面白かったです、「ザ・センチネル・陰謀の星条旗」という大統領の護衛スタッフの話も面白かった。
アメリカ映画の良いところは、金がかかっていることと、言論の自由があるということでしょうね、映画好きと言う点では一致する若い高堂君とは、見るジャンルが全然違うのであまり話が合いません、彼が感激して泣いた映画は私には全然面白くないなど、世代の違いか感受性の違いか判りませんが、面白いですね。

さて今週は、水曜日本田事務所での三水会に出てきた若い実装の技術士「真面目なサラリーマン」風のE上君と真面目な議論を長々としたお陰で悪酔いして、帰宅してから気絶しました。
19日は琵琶湖のほとりにある石山寺近くの、日本電気硝子の工場見学で「蛍光灯と液晶パネルの製造現場」を見て大感激でした、ガラスのパイプとか大きな平板の作り方が、私の想定範囲からかけ離れていました、70歳に近くなっても工場見学というのは技術者の一番楽しい趣味だと思います、近藤君見学会をドンドンやろうぜ頼みます。
普通なら琵琶湖に行ったのですから、ついでに妻と2-3日旅行するのがお楽しみなんですが、今回は20日の稲門技術士会・総会があり、女子医大の岡野光夫教授の話があるので日帰りしました、その期待どうり「細胞から臓器を作る」という2時間の講演は素晴らしくて、岡野さんの開発した細胞シートは、私がやった「網膜はく離」や「心臓バイパス」の手術を簡単にするばかりでなく、あらゆる臓器の再生に使えるようで、凄い話でした、こういう良い話は稲門出身だけに聞かせると言うのは、もったいない話で、cea、jeto,けいみ会、jttas等、連絡できる所には、情報をばら撒いたら良いと思うね。
それもこれも、お医者さんとエンジニアの協力・融合から生まれたのだそうです、我々も遅まきながら技術者グループとしては「他の士・グループ」「事務系会社」との付き合いを開拓しなきゃいけないなと痛感しました。

帰宅したら、島田君から内田守彦君編著による「プラスティック成形・周辺機器の選択」日刊工業新聞社、の本のニュースがメールされてきました。
貼り付けー
関係者各位(島田君、平野君、大久保君、谷口君、橋本孜君達が執筆者)
本日日刊工業新聞の武藤さんに会いました.。挨拶早々武藤さんからきれいに製本された本を渡されました.。表紙は実にシックなデサインで感心するできでした.。
もらえませんでしたが、執筆者には明日21日には到着するように発送したそうです.(1冊で見本とのこと)
貼り付け終わりー
私は、この本の出版を機会に、執筆者諸君が協力して、セミナー等を開催しながら会員制のミニ・研究会・学会を創り上げていくことを期待している、我々の先輩諸氏がやってきた独立・自営のための有力なビジネス・モデルのワン・パターンです。

技術コンサルタントの世界 2006.10.15.
NPO・日本技術経営責任者協議会(JETO)は2周年を経て、一段と飛躍するために知る人ぞ知る著名な野田一夫先生に会長をお願いしています、野田先生はステアリング委員である我々に、「諸君はこのNPOにいかなる思いを持って活動しているのか2-300字のレポートを書きなさい」という宿題を出されました、さすがは教育者ですね。
そこで私は;

「野田先生、JETO・技術経営責任者協議会のステアリング委員・理事の森田裕之です。
私は「大企業で育った技術者を流動化させることにより、日本のものずくり技術を世界的に磐石なものとする」と言う観点でJETOの活動に参加しています。
私の経験(私は30年来技術士協同組合という独立した100名ほどの技術コンサルタントのグループ活動をリードしています)によると、技術者・研究者の育成は大学だけでは不十分であり、これまでの日本では大企業が現実に育成してきたと思います。
一人前に育った技術者の次なる選択を大幅に拡大するには、JETOで「経営の実学」を勉強して「世の中に沢山ある中小企業を自らが始める」か「既存の中小企業に転職、経営者になるか」、又は「そのまま会社の管理者・経営者の道を選ぶか」と言うことになると思います。
技術者流動化の結果として、「企業城下町の下請け的体質が多い中小企業の活性化」、「ベンチャービジネスの成功率向上」が期待できるはずです。」

と書きました。
技術者の流動化というテーマは、日本では実際難しいですね、会社でも潰れないと中々会社から出てこないのが常識です。
技術の移転と言うテーマでも、実際は技術者と共に技術が移転されるわけで、発明者無しの特許・ノウハウの売買と言うのは考え難い話です。
CEAの仲間がやっているNPO・産業技術活用センターは、大企業にある技術をトランスファーすることを主たる業務として設立されたグループだが成果が上がらないのは、技術者・発明者と技術・特許を分けて扱っているからではないだろうか?
「技術者に転職の自由を」、と言うのは中々良いスローガンだと思うが如何。

技術コンサルタントの世界 2006.10.09.
「独立・自営業の面白さ」

新規開業支援研究会と言うコンセプトは、多分どんな業界団体にもあると思われる「先輩が自分達の業界の発展のために、後輩を育成するグループ活動」です。
私が先輩諸士に技術士協同組合を創りましょうと提案したのは、自分が独立・自営を始めて3年目くらいに、ようやくやっていける見通しがついた頃でした、それ以前から私はずうずうしい性格なので1年くらいかけて10人ほどの先輩諸氏の自宅に押しかけて、独立・自営の諸先輩の生活・仕事振りを十分観察してきました、そして「我々技術者の独立・自営というのは、その専門性や経験の多様性から言って、これと言った法則は無い、なるべく多くの先輩方を観察して自分のやり方を自分で考え出すしかないと結論付けました」ということで、組合のスタート時から、新人になるべく多数の先輩の話を聞く機会を作ろうという窓口がこの研究会なのです。
その後有志が技術士会にプロジェクトチームを申請して、技術士会の活動の一環になっています、ただステアリング委員のメンバーや毎月の講師は、独立・自営の先輩がやらねばならず、結果としては組合のメンバー(勿論技術士会員)が現在でもリーダーシップを執っています。

あらためてこんなことを書いておくのは、最近この会合に新人が激増していると言うことと、新人の内容も定年前後の諸君と若い諸君が半々位に変化してきたことです、これは実に画期的な日本の社会・会社の変化と考えるべきでしょう。
先週あったベンチャー学会の講演で、大阪市立大学の前田昇先生は「学生の就職先の優先順位が、大企業からベンチャー成功先に劇的に変化している」と言っておられた、「ベンチャーのタネは大企業にあるが、中では成功しない」という前田先生の断言も、広く調べておられるので事実なんでしょう「技術者の流動化必至の社会が始まった」と私も思います。
同じように会社から飛び出した技術者でも、そこから先の選択肢が多くなったことも確かですね、どっちにしろ先輩から教わって仕事を覚えると言うのは「職業教育」の基本ですから、新人はおのれを良く知ってメンターを探してください。

技術コンサルタントの世界 2006.10.03.

「独立・自営業の技術士はバラエティーに富んで奥が深い」

昔、山下清さんという天才切り絵画家が、初対面の人に「兵隊の位でいうと何ですか?」と聞くことで、相手の地位や肩書きを理解する方法を考え出して、有名人になり日本国中放浪の画家として人々に愛されていた。
そういった意味では、会社員の技術士は名刺を交換すれば、おおよそのその人のことが判り、自分の頭の中でレッテルを貼って分類して理解したつもりになる。
独立・自営の技術士の名刺は技術士事務所と専門分野が表示されているだけで、実際のことは相当付き合ってみないと判らない、ホームページやパンフレットを見ても、過去の経歴は判るが現在のことが判らないのが普通である。
ところが最近、断続的ではあるがニューシビル研究会での野本君の省エネ生活の報告や、星野さんの野菜つくり生活の報告、高木君の自宅リフォーム裁判対策・地域の水害と役所とのヤリトリ等の報告を聞いていると、これからの日本の社会での独立・自営の技術士の役割が見えてきたような気がする。
我々は技術コンサルタントのプロフェッショナルとして家族を養い、恒産を持ち、後輩を育成して行くわけだが、別に沢山稼いでいる奴が偉いわけでも、大きな仕事に関係した人が偉いわけでもない、それぞれの独自のライフスタイルの中で充実した生活をしている人は、仲間内から見て尊敬に値する。
私のように若くて独立・自営を始める人は、ほっといても試行錯誤の上で自営業者になっていく、あまり心配要らない、私が今心配なのは定年の前後の諸君の勘違いである、「生涯現役」などというスローガンに騙されてはいけない、若くして始めた私のような経験は諸君にはあまり役に立つとは思えない、彼等には私の昔やった試行錯誤の時間がない、彼等はceaメンバーで言えば、奥野さん(地域の調停委員等)や前述の野本君、高木君の生活が参考になるだろう。

技術コンサルタントの世界 2006.09.29.

余分に印刷した大学の先生の追悼文集を、あちこちに配ったお陰で、思わぬ先輩・後輩から電話やメールをもらいました。
こういったものに「なしのつぶて」の人も居れば「まともに謝辞を述べる人」もいて、世の中面白い、亡くなった先生のお陰で旧い知り合いと交流が復活するのは、年寄りの世界では悪くない話です。
年寄りと言えば、私とほぼ同じ歳の会社員の安藤さんは、最近知り合った機械部門の人で、今でも日立のお偉方らしく、秋葉原のダイビルと言う日立のビルの30階でご馳走してくれましたが、「日本の会社員は、ローマ帝国の奴隷と同じです、定年退職金で市民権を買ってローマ市民になる」という塩野七生さんの本の話で盛り上がりました、「要するに市民になって何をするんだ」と言うことです、私は彼等に原田君のNPOと、大塚君のNPOのパンフレットをあげて説明しておきました、定年までの会社生活の延長線上に生きがいを求めない、ということをくどく言ったつもりです。
定年前後の人で「生涯現役」と言う言葉を「狭義に技術士の専門分野での現役」と解釈しているのは「困ったチャンである」から、「生涯現役=生きている間は世の中で役に立つ」位に広く考えるように、奴隷の親分(安藤さん)に後輩への教育をお願いしました。
私は07年問題と言われている、団塊世代の大量定年は、今世の中や高堂君達が心配しているのと反対に、プラスの意味で世の中にインパクトを与え、よりバラエティーに富んだ社会になると思っている。
今物事を統計的に、つまり収入で考えて「格差社会とか再チャレンジ」と言うキーワードが政治問題化しているが、私は日本人の「稼ぎ」=PL(profit/loss)だけじゃなくて、「資産」=BS(balance sheet)も考えなくちゃお
かしいし、「使い方」だって、私の住んでいる浦和にある究極の安売りスーパー・ロジャースのような会社が生きている限り、それに土地だって東京の一部は値上がり・インフレ始めたと言うが、全国的に考えれば、ある種の値下がり・デフレ時代は続くと思う。(今度の安部政権はインフレにして国の借金のプライマリーバランスをとる方針だけど、しばらくはデフレだと思います)
私は三越の食品売り場も、ロジャースの食品売り場も大好きなんです、それに年寄りになったら判ったけど、そんなにお金は要らないのです、デフレは年寄りの味方だね。

技術コンサルタントの世界 2006.09.24.
お彼岸の日の朝、ヴェトナム・ハノイから帰ってきました、街の道一杯のバイクの喧騒が耳について離れません、エネルギッシュと言えばこんなに元気な街は久しぶりでした。
2-3年前にも同じ仲良しメンバーで南のホーチミン(旧サイゴン)に行きましたが、どうやら皆アジアでは一番好きだなあ、と言う意見です。
今回は半年前に事務所開設した会社の30歳の若者(自衛隊OBで、言葉は全然駄目、どっか海外に行かせてくれと希望があり)を激励がてらに見学・観光を頼んだのですが、非常に面白かった、日本だって素晴らしい若者が育っているね。

私の業界の話では、台湾の進出企業でノキアやモトローラの携帯電話を作っている会社を見学しましたが、2007年に上場、2008年までに700台の射出成形機を台湾・中国・ヴェトナムに設備すると聞かされ、その元気の良さには度肝を抜かれました。
企業進出の人数から言えば、韓国・台湾の会社が圧倒的に多いのにもビックリしました、言葉の問題やハングリー度合いから言ってもここ当分日本のお金や製品はアジアを席巻するでしょうが、日本人の進出比率は減ると思いました。

観光で面白かったのは、ハロン湾 http://www.geocities.jp/iwaken_chan/vinhhalong.html の奇怪な風景と、ハノイの水上人形劇 http://bagdadcafe.ciao.jp/Vietnam/Hanoi/Hanoi4.htm がヴェトナムの文化の伝統を感じさせてくれた。

技術コンサルタントの世界 2006.09.19.
酔っ払い運転の事故がクローズアップされてきましたが、70歳に近い私には、年寄りの「脳梗塞気味の暴走」が気になっています、我が家で。私は近隣では軽のワゴンーR、ツーリングにはRAV−4、通常はBMW−3に乗っています、最近クラスメートで車会社のOBの清水君がドライブについての感想をメールしてくれたのですが、私と同じようなことを考えているので、以下披露します。
貼り付けー
「昨日、長野県小布施市に北斎の肉筆絵、天井画などを見てきました。浮世絵と違い肉筆画は細部が書かれており見栄えがしました。北斎は小布施の素封家、高井鴻山の庇護を受け80歳から数回、逗留をしたようですが、聞くと船と牛馬を乗り継いで来たとのことでした。江戸から約250kmの小布施に来る体力あったとは驚きですね。

 小布施も日帰り、8月の上高地も日帰りしましたが、走行距離は各500数十キロでしたが、高速道路の巡航速度が100〜110kmと低いのには驚きました。昨日は特に、3車線の左2車線は100〜110km、追い越し車線を乗用車が130〜140km/hぐらいで走り抜けていましたが、きちがいみたいに高速で走っている車はありませんでした。
 最近続いている追突事故で、安全運転意識が高くなってきたようですね。このまま長く続くと良いのですが!
 私も視力が落ちてきたので前後に、稚拙な運転者がいる時は避けるために車線変更して逃げる以外、ユックリと走るようになりました。」
貼り付け終わりー
私もドライブ大好きで、5−600KMなら日帰りをします、道路公団の悪口を言うくせに、日本の隅々まで高速道路を作ってくれたことには、大いに感謝しています、空いている高速道路は大好きです。
              
久しぶりの3連休です、私はへそ曲がりですから、連日東京都内を車で楽しんでいます、がら空きです。
初日は浅草に出かけました、久しぶりに麦トロを食べて腹ごしらえをしたうえで、お寺の周辺を一回りしてきました、この地域のネオ・クラッシックな感じは、京都・奈良とは違う意味での日本の伝統で、結構若いカップルや我々のような老人カップルで賑わっています。

日曜日はイケヤとニトリと言う今流行の家具センターを見物に行きました、特に買いたいものがあるわけじゃないのですが、巨大展示場に置かれた西欧式生活空間には圧倒されました、妻は今更ながら、台所の食器棚を衝動買いしました、デザイン力とでも言う魅力に参ったようです。

三日目は日本橋に車を置いて、東京駅地下街で最近出来たという情報で狙いをつけていた、ニューオーリンズ風の「ガンボとオイスター・バー」でガンボとクラムチャウダーを取り、妻と半分ずつ食べました、記憶にある本場のより洗練されている(日本風にアレンジされている?)ような感じで、たっぷりあったし満足しました、ウィークデイはいつも満員だとのことです。
銀座に足を伸ばしてあらためてぶらぶらすると、何時の間にか店が変わっているのが判ります、食べ物屋と世界のブランド店に占領されつつありますね、それでも最近地方のアンテナショップが増えてきて私は気に入っています、地方都市でミニ東京を志向してきたところが壊滅的に寂れてきているのに対して、地方色を売る方向が生き延びてきているのは当然とはいえ、日本の底力・伝統力というものでしょう。

来週19-22日はヴェトナムに行ってきます、最近チラホラ言われ始めてきた中国リスクのalternativeとしてどんなものかと言う真面目な見学と観光です、3年前にも観光しましたが、私は人間も景色も食べ物も気に入っているんです。

技術コンサルタントの世界 2006.09.14.
「技術コンサルタントのインフラ」
12日はJETO・技術経営責任者協議会の2周年記念大会があり、経営者相談会、講演会が同時進行していたので、講演会・ハイライトのミサワホーム創業者・三沢千代治さんのお話を聞きはぐってしまいました、残念、面白かったようです。
私は相談会で都合3社の機械メーカーの社長のプレゼンテーションを聞かせてもらいました、DJBとみすず監査法人の方々と一緒だったので各々50分の会議があっという間に終わってしまいました。
一般的な私の感想ですが、市場開拓・営業というかマーケッティングにあまりお金をかけていないと言う印象でした、作る関係には案外惜しみなく投資しているのに不思議です、比喩的に言えば、スバルに1台売れれば、トヨタに10台、世界に100台売れるということが判っていないように思いました。
次に「投資対効果」(フィジビリティ・スタディー)を日常茶飯事に考えていないような印象を受けました、むしろ「希望的観測」(自己中的解釈)が社長業の日常茶飯事であるかのような印象でした。
私の率直な意見は、今回の経営者相談会を企画・提案したJETO・大塚政尚理事長に、報告書を提出してあります。

さて、当日夜のパーティーには、最近引っ越した鈴木駿司君が、わざわざ神戸から来ていました、地方で独立・自営を始めようと試行錯誤を始めているようです、200名を超える今回のJETOの2周年大会に(地方での開業・展開は難しいと感じて)ショックを受けたようでした。
独立・自営業を支えるインフラ・ストラクチャーは、わたし的にはようやく飯が食えるようになった頃からですから、もう35年を越える長年のテーマでした、戦後「野武士の会」と自称した先輩達も多分同じようなことを考えていたに違いありません。
私はCEAの各種勉強会にしろ、JETOや技術フォーラムは全て「独立・自営の技術コンサルタントのインフラ・ストラクチャー」のつもりで創り且つ続けてきました、鈴木君には申し訳ないが、今のところ東京以外には手が回りません。

技術コンサルタントの世界 2006.09.07.
6日朝早くプールからの帰りがけの車の中で、秋篠宮紀子妃殿下に男児をご出産の一報が流れた、いやあ目出度いことです、これで当分問題先延ばしになり、天皇一家ご安心ですね、さすがは伝統の力、一族の意思が土壇場で働いたと見るべきでしょう。

5日の日韓技術士委員会後の飲み会で、シビル関係業者の稲垣君が「新聞に景気が回復したと書いてあるけど、実感がない、森田さんはどうですか?」と聞かれました、私は逆にビックリして「俺の業界・機械は2年半くらい前から景気が回復して、今年あたりは絶好調だ、今時生き残っている機械屋は最早大小を問わず輸出が5−60%のグローバル企業になっている、国内それも税金関連業界は市場縮小なんてのは、何年も前からわかっていたんじゃないのかねえ」と答えました。
自分の属する業界の歴史を勉強して、自分の今後の生き方をマクロに検証していく作業は、未来の沢山ある若い人は特に必要で、高度の応用能力が実社会で試されている、はっきり言って私がシビル業にアプローチするなら、原田敬美君の開拓しようとしている技術フォーラムhttp://www.cea.or.jp/efsca/の方向だね。

3日(日)には鐘ヶ江君の紹介による、UCLAの先生の「低温のプラズマ応用機械の市場開拓」の話を聞きました、沢山の表面処理の技術専門家が集まり議論していました、私の関係会社も興味を持っているので勉強中です、ceaの人脈の凄さがようやく顕在化しつつあると喜んでいます。

2日には親父方の従兄弟の葬式がありました、戦争に間に合わなかった人たち=三島由紀夫や本田尚士さんと同じ世代で、先祖の財産がゼロになったところから、発展途上国だった行け行けどんどん時代を生きてきた世代です。
一回り違う我々世代は「安らかな企業戦士の休息」を享受しているが、これからの団塊世代はそうはいくまい、これからしばらく団塊世代の行く末が注目である。
満州から引き上げ後3年間同じ大きな屋敷内で暮らした一回り上の従兄弟ですが、その後は付き合いが無く、冠婚葬祭で顔をあわせる以外会っていませんでした、冠婚葬祭で会う一族の人たちは、何年か間を空けて会うと急に太ったりやせたり、ジーさんになったりバーさんになったり変化していて本当に面白い。
大体は私の子供の頃の予想は当たっていた、性格とか活力と言うのは一生の間あまり変化しないようだ、昔を知る一族の長老などという位置があった時代が懐かしい。

技術コンサルタントの世界 2006.08.31.
「師匠(mentor)は弟子を選べず、弟子が勝手に師匠(mentor)を選ぶのが世の常らしい」


大学の研究室の先生だった高橋利衛さんの偲ぶ会を一年かけて準備していましたが、日曜日に無事行なわれ月曜日は一日中呆然と脱力しつつタイトルのようなことを考えていました。

敗戦後復員してきた高橋さんは、稲門・機械科のロボット・人工心臓・オートメーション・等などの業界有名教授やメーカーの技術リーダーを多数育てた先生でしたが、ご自分は名利に恬淡とした方で1986年に定年退職されたときは、後継の教授に「名誉教授に推薦しないことを始め、高橋個人で生きていくので煩わしい事(稲門関係相談事・冠婚葬祭・偲ぶ会等のこと)は一切お断りだ」と言う厳しい文書を残されている。

今回の偲ぶ会の追悼文集の私以外の皆さんは「怖いけど優しい反面を持った先生だった」と書かれている、どちらかと言うと『怖い」ほうが9割で『優しい」が1割又は「優しい方だったんじゃないか」と言う人ばかりである。
私は卒業した次の年に結婚したが仲人をお願いしている、以来毎年正月にはご自宅に押しかけ段々ずうずうしくなり、35年卒の同期生を引き連れて行く様になった。

私が当初は無意識的ではあったが、高橋さんが師匠だと思ったのは誰の指図も受けないその自由な生き方だった、数学が得意だったこともあるのか全ての工学分野に興味を持って色んな分野のパイオニア的な役割を果たしている、そして弟子の中から適材を残して自分は又違う分野を開拓している、今度の追悼文集でもその片鱗がうかがえるが、自分の一生の指針を高橋さんに教えてもらったという人が沢山居て、現在の早稲田の看板であるロボット研究や人工心臓・医療機器研究は高橋さんの弟子や孫弟子の時代になっている。

師匠と弟子の関係での、私の解釈・定義は「弟子というのは勝手に師匠を丸ごと信じて・好きになった人」のことで、8割好きで信じているけど2割は胡散臭い・嫌いと言う人は弟子とは言わない。
キリスト・孔子から吉田松陰・麻原彰光まで、mentor・師匠の直接の弟子と言うのは10-20人の間くらいの人数なのが特徴だと思う、昔イエスの箱舟という中年のオッちゃんと12-3人の若い女性の宗教グループがあったが、師匠と弟子の原型を示していた。

唐突だが、「仕事を覚えるのも実はこの師匠と弟子の関係からしかできない」と言うのが私の理論である、つまり「先生が教科書に書いてあることを教える、という平らな論理的な教え方は知識の伝達に過ぎない、8割位伝わればいいほうだろう、」私は学校卒業して1.5年で川鉄を辞めたが(mentor・師匠が居なかった)、次に就職した家の近所の中小企業・松田製作所にいた辻田さんと言う技術者を師匠にして仕事を覚えた、3年して(会社の中で)自立し私は技術部長になった。

1970年に技術士を取り72年に会社がつぶれ73年には独立・自営を開始した、このときは独立技術士の先輩の和田忠太さんを師匠と決めた、だから4-5年たって協同組合構想を考えた時に和田さんに相談して独立・自営の人集めをお願いした経緯がある。

若い師匠も出来た、10年近く前に面白い本を書く人だなあと着目していた副島隆彦さんと知り合う機会があった、以来私は自分にない政治・経済分野の師匠はこの人だと勝手に師匠にしている、この人のお陰で世界の大きな構造が頭に入った気がする。

私も70歳近い老人であるから、誰か若い人が私を師匠と考えて仕事を覚えようとしていると思う、私は私の師匠だった高橋利衛さんや和田忠太さん、副島隆彦さん達のように『教育者的本能」の持ち合わせに乏しく親切じゃない、せいぜい出来ることは、後輩どもに仕事の作り方・金の稼ぎ方の現場を見せてやることだと思っている。

技術コンサルタントの世界 2006.08.26.
「楽観的にいこう」

昨年の9月1日に私はー「28日には懸案の(5年前になくなった)故・高橋利衛早大教授(私の仲人)を偲ぶ会を2006年8月にやろうと言う準備会をリーガ・ロイヤルで70-80歳台の名誉教授の先生方を含めて14名集合、ありきたりの追悼文集ではなく、戦後の早稲田の機械科の歴史が展望できるような記念誌を作ろうじゃないか、と面白くなってきた。」ーと書きました。
27(日)には65歳以上のOBが45名ほど集まります、本(記念誌)も出来ました、展示物もあり、バックグラウンドミュージックも決まっています、お楽しみです。
この一年、言いだしっぺの加藤君が入退院を繰り返す身になり出てくるかどうか不明です、委員長であり、会の展示・進行・記念誌の中身等に細かい指示を出していた肝心の土屋名誉教授が亡くなり、7月31日は先生ご自身の偲ぶ会になってしまいました、私もいよいよ明日をも知れない年齢になっているんだと思わざるを得ません。
それでも46-7年ぶりに、昔の卒論仲間8-9人が分担して色々な仕事をしたのは楽しく愉快でした、記念誌を頼んだニチゲンという本屋さんは、我々の頃はモッパラ専門書の海賊版や卒論の印刷をやっていた所で、社長は我々と同じような年恰好の2代目で、わが社のビルは機械科の先生方に建ててもらったようなものですから、制作費はいくらでも結構です、と言ってくれましたし、リーガロイヤルの担当者はこれまた我々と似たような歳の政経OBでトヨタ自工定年のオジサンで、早稲田の理工の落ち目論をめぐって私と大喧嘩をしてしまいました、それにしてもこのところのつくば市との風力発電訴訟や監査をめぐる大学の自治能力のなさはOBとして情けない限りです。
私に中締めで一席述べさせるそうです、「卒業生はなにかにかこつけて研究室に遊びに来たい筈です、OBのつどう機会を作ってあげてください、教育は大げさに言えば生涯、新車の時から中古車、ポンコツ車になるまで必要です、学生もOBと付き合うことのメリットを体得できます、良い大学と言うのはOBが利用しやすい大学のことで、その結果寄付なんか今の何倍も集まることでしょう」てなことを言うつもりです、嫌味にならないようさらっと言えれば成功だね。

技術コンサルタントの世界 2006.08.21
毎月欠かさず30年近く、第一土曜日の朝からやっている独立・開業支援の会合には、必ず顔を出すことにしています。
家庭や世間では偉そうな顔をしていても、新しい局面・未来におびえる気持ちが良くわかるので、新しく出席する人には極力声をかけることにしています。
若くして独立し何年もたったベテランが、私との会話を覚えていて励みになったようなことが今年の暑中見舞いのハガキやメールに書いてありました、組合のプロジェクトとして今年の11月に2日間、まとめて色んなタイプの独立・自営の先輩の話を聞くシンポジウムが企画されています。
私も多分挨拶程度ですが話すことになるでしょう、私は自分の独立話はもう昔むかしの話で今の人の役に立ちそうも無いので、長年独立・自営支援の会合に出てきた諸君のその後のお付き合いで気がついたことをお話しようと思います。

定年後の人の成功例は簡単です、住んでいる地域でなにか役に立つことを探せた人たちです、これが難しい人は『地域と行政を支える技術フォーラムhttp://www.cea.or.jp/efsca/」に参加することをお勧めします、ここで勉強してから自分の住んでいる所を見直すと良いと思います。
定年後の人は専門分野の話は「お呼びがかかれば、謙虚に応ずる」という態度が正解です、専門分野での新しいテーマは技術者は誰でも大好きですが、ぐっとこらえて現役の後輩に渡すとかアシスト役に回るくらい謙虚な奥ゆかしい先輩になってください。

定年前の若い人には、大いに試行錯誤をして欲しいと希望します、日雇い仕事に忙しくても定年後の人よりガツガツとお金を稼ぐテーマを仕込んで下さい、これが出来る人と出来ない人は歳食ってから大きな差が開きます。
若い人にお勧めは「日本技術経営責任者協議会http://www.cea.or.jp/」に参加することです、中小企業の経営者とのお付き合いで間違わないように勉強して下さい、専門家という立場に留まらず経営者とよき友人になることです。

というようなことを挨拶代わりに話そうと思っています。

技術コンサルタントの世界 2006.08.17.森田裕之 Yuji Morita

先週から妻がアメリカの孫の面倒を見るために不在なお陰で久しぶりに(規則正しくない)自堕落な生活を楽しんでいます。
今日はアイン・ランドの名著「水源」の翻訳者・藤森かよこさんと彼女のサイトでのヤリトリを貼り付けます、テーマは「国家内部崩壊国民棄民状態」についての議論が有ったので、私が投書しました。

貼り付けー
130. 「国家内部崩壊国民棄民状態」 森田裕之 2006-08-17 08:29:43 - PC レス読書
  藤森さん今日は、森田裕之です。
私は1937年満州生まれで1947年に帰国しています、敗戦後の2年間の奉天での生活が「国家内部崩壊国民棄民状態」だったような記憶があるのでその断片を記します。
 1.学校は開拓難民の住む所になっていて閉鎖、子供は近隣の中・高生に生きることの全て(貸し本や、賭け事の全て、満人との付き合い等)を教えてもらいました。
 2.日本に帰っても新型爆弾が落ちて壊滅しているからと、評判のいい八路軍(共産党)に志願した中・高生のお兄さん達が居ました。
我が家はなぜかお金があったらしくひっそりと暮らしていましたが、近隣で子供を売った話は沢山ありました。
藤森さん、私はこの「国家内部崩壊国民棄民状態」はまんざら悪くないと思います、役所や国を当てにしないし、人に指図されない嫌な性格になっていますが、いつも元気で『直感」のみで行動しています。
話は飛びますが、このたびの小泉さんの15日参拝は賛成です。

130.1. 藤森かよこ 2006-08-17 09:58:12 - PC

森田さん、ごぶさたしております。書き込みありがとうございます。
そうだ、森田さんは満州生まれでいらした。森田さんは、戦後満州の奉天に2年いらしたのですね。確かに、あのときの日本人は棄民されました。サッサと軍は逃げた。
  前に、森田さんへのメイルで、私は、「戦後の日本で面白い仕事しているなあと思った人々は、なぜか満州の引揚者が多いという印象がある」みたいなことを書いた記憶があります。『男はつらいよ』の山田洋次監督とか、敗戦後の開拓民の満州敗走記『赤い月』の作者で歌謡曲の作詞家で一世を風靡したなかにし礼とか、作家の宮尾登美子さんとか。私の小学校時代の恩師や、中学時代の恩師の国語の女性の先生もそうでした。なんか、人間の肌合いが全く違いました。人柄のありようがくっきりしているというか、周りの大人みたいに他愛ないところが全くなくて。
  若い頃の私は、無知なものですから、「地平線を見て育った人間は、やはり違う」とアホなこと思っていましたが、そうではなくて、「国家内部崩壊国民棄民状態」を経験したかどうか、だったのですよね。そりゃ、まったく、違ってきます・・・
  内地で棄民されても気がつかないでしょうが(いや、もう我々はすでにして、あらかじめ、棄民されているのでしょう、税金だけは取られて)、外地でしたら、ほんとうに個人で外国にさらされるわけですから、気がつかざるをえない。そうなると、ほんとうにその個人の力量だけですね。地位でも肩書きでもなく。
  あのときの、「国家内部崩壊国民棄民状態」に対する、森田さんの周りの大人の反応は、いかがでしたか?

130.2「国家内部崩壊国民棄民状態」  森田裕之 2006-08-17 16:44:07 - PC レス読書
  10歳の子供の記憶ですからあやふやだとは思いますが、おおむね大人は「フーテンの寅さん」みたいな人ばかりでやたらと元気がよく、さくら一家のような平和な時代のマジョリティーはあまり見かけませんでした。
  我が家の親父も東亜同文書院卒で日本の国策銀行の支店長というインテリ・ハイソな仮面をかなぐり捨てて、3週間、3ヶ月と行方不明になってはやせて精悍になり帰宅、寝ぼけてシナ語をペラペラ喋っていました。
  お袋は親父よりも20年も長生きしましたが、生涯あの頃が一番エキサイティングだったようにはなしていました、それでもTVで残留孤児が出てくると、どっかに消えていました。
  今ではあまり夢も見なくなりましたが、小学校の校庭に裸の死体が積んである光景はほんとうだったようです。
  今でも不思議ですが、私はあの2年間で碁・将棋・花札・マージャンを覚え、貸し本やで漱石・鴎外・芥川や猿飛佐助を読んでいたんです、子供には学校なんか無いほうが教育が行き届くかもしれませんね。
  そんなわけで私は平和の時代はフーテンの寅こそが日本のリバータリアンだと信じています。

131.1. 藤森かよこ 2006-08-17 22:32:53 - PC

  なるほど・・・森田さんのお話をうかがうと、「国家内部崩壊国民棄民状態」を、むやみに恐れる必要もなさそうですね。わざわざ招くような事態では断じてないですが、来たら来たで、人間は対処できると。ある種の人々なら。
  子どもは、子どもで学ぶべきことを子ども集団の中で学び、大人は大人で体張って生きざるをえないから、目的合理的に動かざるをえないから、自分にも他人にも無駄口たたていている暇はなしと。
   フーテンの寅さんの映画って、あらためて観ると、おかしな映画ですよね。あそこで描かれる日本の地方の風景は、どこにもないような日本みたいなメタレベルの日本だし、あそこに描かれる日本人も、実はあまり日本にはいないような人々ですね。あんなに優しくも温かくも明るくもないですよ、普通の日本人は。サクラさんみたいな主婦は、日本人ならば、もっと差別的です。寅さん自身が、ああいう男性像は日本人の男っぽくない(あんな正直で清潔な男性っていないでしょう)。あの映画は、監督の「内地日本大嫌い」感情の産物ですね。
   あの映画は、外地で育った監督の観念の中の日本ですね。まあ、「表象」って、みんなそうであって、現実とはかなりずれるのが普通ですが、日本映画の代表みたいな映画が、実はしっかり日本離れしているというのは、皮肉ですね。私が高校時代に好きだった山本周五郎の時代小説の江戸期の一途な心情麗しい日本人も、幻の江戸時代の日本人かもしれないですねえ・・・
   優れたfictionってすごいですねえ。凝ったfiction性によって、リアルを獲得して、realityを変えてしまうのですねえ。

貼り付け終わりー


技術コンサルタントの世界 2006.08.10.
暑中お見舞い申し上げます、私は午前中は出来ればプール午後は都内をうろうろしています、都内中心部はがらすきで店もお休みが目に付きます、車も少ないし電車も空いています。
9月12日には技術経営責任者・協議会が2周年を迎かえますがステアリング委員会では大イベントを企画しています、技術士協同組合との基本的な違いは「企業内の技術者に独立・自立心を持ってもらうための運動・資格」であると言うことです。
ステアリング委員の大学の先生や会計士の先生に言わせれば、技術者が自分のテリトリーに立てこもって他の分野のことを知ろうとしないことは、個人にとっても会社にとっても日本のためにも良くないことだそうです、うーん耳が痛い。
後輩の前坂君のメールの一部を無断で貼り付けます、
貼り付けー
森田 様
ご無沙汰してます。前坂です。小生は何とかやってます。大金持ちにはなれませんが、私大生2人の子どもを抱えてやっております。
技術コンサルタント稼業には満足しております。7年前の森田理事長の言葉を指針に独立生活をやってこられました。この先どうなるか
予測できませんが、どうもなんとなく予感しているのは、気がついたことを掘り下げて、講習会などをやっていると、そのときの蓄積で企画提案が
可能になるとの経験的事実です。企画提案時期はまったなしです。今日話があれば1週間以内に提示できないと機会を失い、そのときに
自分がそのテーマに 全くの無経験では企画しようがないということであり。その意味で講演などを頼まれた時は無理しても応じて置くことが不確定な未来にとってとても大切な構えであることを知りました。その意味でコンサルタントとは不確定な未来に対する自己資源をどのように研鑽するかが生き残りの条件と思えてきました。過去の蓄積を当てにする方法はジリ貧と思います。
貼り付け終わりー
最近聞いた話では、資格者も5万人を超えると社会的認知が急速に進むと社会学的に認知されているそうですが、独立・自営の技術士に関しては、相変わらず厳しい生存競争の世界でベテランと言えど「メシのタネ」(前坂君の言う企画提案)を仕込んでおく必要があります。
私は今具体的に機械部門の後輩の内田君や大久保君をモデルにして、
0.勉強会・研究会を運営する
1.本を出版する
2.ミニ業界・学会を運営する
という技術コンサルタントのオーソドックスな『立場の作り方」を1-2年かけて実現してやろうと決めている。
この実践的教育プロセスはこのホームページの会員内の議事録に公開されているので、初心者は見物人でもいいから参加してください。
やってみたいテーマを持つ人は遠慮なく私に声をかけて仲間集めは私を利用してください。

技術コンサルタントの世界 2006.008.05.
ようやく夏らしい30度を越す熱帯夜がやってきて気分がすっきりしてきました、我々のどこかに南方民族のDNAが潜んでいて水をがぶがぶ飲んで大汗をかくのが快感だというときがあります。

30日(日)にはハワイ旅行以来我が家に来ていたアメリカの孫娘が帰宅の途につきました、5歳の時から毎年夏休みには来日していますがあと何年来てくれる事やら、私としては彼女が単純なヤンキー娘にならないよう毒気を吹き付けています。

31日(月)は早稲田の土屋喜一名誉教授の偲ぶ会がリーガロイヤルで開催され多分500人以上だと思うけど、盛大な偲ぶ会でした。
土屋さんは私と同じ高橋利衛先生と言う自動制御の先生の兄弟子に当たる先生で、人工心臓の開発者として著名な先生です、港区の住人で原田敬美君が港区長だった頃の応援団でもありました、偲ぶ会は陽気で楽しい土屋さんらしい会で、聞く所によると亡くなりかたも日頃口癖の「ピンピンころり」だったそうです。

4日(金)は18ー21時、東京都庭園美術館大ホールで日垣隆さんの企画:『糸井重里さんに聞く」by日垣隆 公開インタビューを聞いてきました、私は日垣さんの有料メルマガ「ガッキーファイター」の会員ですし、糸井さんの「ほぼ日」も一時期愛読していました、糸井さんがコピーライターとしての独立・自営業から30人位の会社「ほぼ日」の経営者業に変わってきたことを非常にわかりやすく話していました、この人は天才ですね。
他人の会社に勤めること、自営すること、自分が会社を経営すること、これらの立場の違いを明確に言語化して説明してくれたのはさすがです、よほど自分のことを客観的に見定めているんでしょう。

最近は息子が乗り回している我が家の4駆(4輪駆動車)RAV−4が17万キロ近い走行キロに近ずいたので点検してもらい乗ってみたら非常に快適で11年前に買った頃の気分が蘇って来ました、3日には日立那珂ー裏筑波を走り回って「湯葉会席ー日帰り温泉」を楽しみました、あと何年こんなことが出来るかなあ。

技術コンサルタントの世界 2006.07.31.
今更天候不順というのもおかしいくらいに季節が変わってきてしまった、7月も終わりだと言うのに梅雨が明けないのと豪雨・土砂崩れのニュースが絶えない、27日に酒席を共にした出雲の藤井さん(測量のコンサルタント)がニコニコしながら臨時の仕事が増えて忙しいとご機嫌でした。

28日にはJETO/技術経営責任者協議会の講演会があり、山一證券が潰れた時の総務部長だった永井清一さんの当時のお話がありました、凄いドラマだったんですね、迫力がありました。

29日(土)は朝から晩まで我がCEA/協同組合関係の3つの会合がありました、それぞれメンバーチェンジはありますが15名前後の諸君が集まり、熱心で真面目な会議を展開しています。
独立・自営という同業者がグループ・団体活動をするということは、世の中にいくらでもある話しで珍しくもなんとも無いが、私は長老組の先輩としてリーダーシップを発揮しようと思っていることの第一は、若くして独立・自営始めた人を大切にすると言うことである、会社に定年までいた人は業界有名人と言えど我々のグループではサブで動いてもらうことにしている。
最近こういったギルド的な伝統を理解するひとがふえて来たのは喜ばしいことで、物作り製造業対応の大塚政尚君のJETO,役所・シビル対応の原田敬美君の技術フォーラム共に2年目を迎えて大発展を遂げています、CEA/組合に顔を出した人はどちらかに出てみてください。

30日には3週間預かっていた中学生のLAの孫が帰国しました、お陰でミッションインポッシブルー3、カーズ、パイレーツオブカリビアン等映画をみたりDVDを見たり、若者趣味とお付き合いをしました、妻はくたびれたと言っていますが、私は楽しみました。

「信長は謀略で殺されたのか」(本能寺の変・謀略説を哂う)鈴木真哉・藤木正行著、を読みました、沢山ある謀略説を木っ端微塵に粉砕していて気分がいい本です。
私は謀略説の淵源は被害妄想にあり、突きつめると、麻原ショウコウみたいに「地震があるとアメリカが人工地震を起したと言ったり、アメリカがサリンを撒いたといって自分で撒く」ようになるんだと思います。
「政治の世界で起きることは、全てあらかじめ仕組まれているんだ」とルーズベルトが言ったそうですが、私は自分の経験で私に起きたことは、自分が仕組んで三割、偶然四割、他人の思惑で三割てなもんじゃないかねえ。

技術コンサルタントの世界 2006.07.24.
「格差社会を楽しむ」

どうやら格差社会と言う言葉は、小泉首相が進めてきた規制緩和により、国民の資産・所得(BS/PL)の統計的な格差が広がったという政治的な意味を持たせて、マスコミでは否定的に使われている。

私は先週息子の結婚式のためにハワイに行きました、前半LAの息子家族と泊まったmariotは街から離れた海岸にあり、大きなベッドルームのつながった部屋を借りました、案外安くてビックリするくらいでしたが、後半の4日間宿泊した、ワイキキビーチに近いhalekuraniは高くてビックリするホテルでした。
それぞれ息子が予約したのですが、老い先短い我々夫婦に高級なリゾート経験をさせてくれたのでしょう、支払いもしてくれれば言うことないのですがね。

残念ながら高級ホテルでの食事に関しては3日位で辟易(へきえき)してしまい、街の食堂で石焼ビビンバを食べて人心地がつきました、余談ですが私はファーストフードも嫌いじゃありません、我々の世代で食い物の薀蓄を語る奴をみると「けっ、哀れな奴め!」と腹の中で罵倒することにしています。

ブランド信仰者である姪っ子達とヨーロッパのブランドの店巡りを半日付き合いました、日本で買うより若干安いそうですが、日頃の慎ましい大和なでしこ達の底力を垣間見た思いです、ブランドを買い漁る日本女性と言うテーマで批判している文化人もいるようですが、皮相な見方しか出来ないアンポンタンですね。

「他人と差をつける、見栄を張る」ということは人間の根源的な欲望だと思います、この間大塚政尚君が雨降りの都内を大きな車で移動するのに便乗させてもらいましたが、彼は独立したての若い頃に、雨の中靴のなかがぐじゃぐじゃになりながら地下鉄に乗っていたとき、「突然、金が出来たら車で都内を移動するぞ」、と決心したのだそうです、傍目にはあんまり合理的じゃないな、と思えるような彼の行動にもちゃんとした理由があったんだと、人間の面白さ・複雑さを物語る出来事でした。

国民の(個人の)資産・所得(BS/PL)の格差と「他人と差をつける、見栄を張る」との間には、あまり相関関係は無いと思うのだが、社会・共産主義の好きな人たちは格差が気に食わないようで、金持ちであると言うだけで悪者扱いをする。
私は金持ちでもなければ、見栄っ張りでもない、金持ちではないがたまには今回のハワイ行きのような臨時に金持ちの余暇まがいのことをすることは出来ます、私の見栄っぱりな性格は今のところ、ネクタイと帽子のコレクションに発揮されています。

「格差社会とはバラエティーに富んだ、面白い社会なのである」というのが私の実感です、インド等のように階層が固定化してその間に行き来のない世界と日本の格差社会は似て非なるものであり、むしろ日本社会の活性化の根源はここにあると思う。

技術コンサルタントの世界 2006.07.18.
「夏休み」
先週は10日からハワイでの夏休みでした、前半はLAから来た長男一家とko Olinaと言う所のMariot Resortで泳ぎと散歩三昧で過ごし、後半はホノルルのワイキキビーチにある
高級なHALEKURANI HOTELに宿泊して、三男の結婚式に付き合いました。
式はダイヤモンドヘッドの近くにある小さな(公民館みたいな)教会でやりましたが、同じ敷地内に老人のデイ・ケヤーセンターがあったり、牧師がevangelist系の面白い奴でした、パーティーは海辺のレストランで親族16人、友人8人、会社6人の30名が大騒ぎをしました。
このところ何かと言うと最年長と言う会合ばかりあり、乾杯の音頭をとったり、演説したりでいささか老人を意識し始めています、積んでおいた本から「老いの超え方」吉本隆明著を持ってきたのですが、久しぶりで熟読玩味をしました。
一回り上の哲学者が、明晰に自分自身の状況を語っています、この人独立・自営業者としても我々の大先輩です、この本の随所に80歳を超えた現役の零細自営業者としての自分自身の状況をさらけ出しています、凄い爺さんです。
主としては老人の体のこと・健康・病気・精神に関する見解が述べられていますが、私にも思い当たることが少しずつ出てきています、ただ老いに関しては個人差がありすぎてあまり一般論的には議論できないと言うことも、良くわかりました。

技術コンサルタントの世界 2006.07.08.
「独立・自営の方法・形態論」

私は60年に大学を卒業して10年くらい経った頃、自宅の近所にある中小機械メーカーの技術部長で42名の部下を抱え結構楽しくやってはいたのですが、何時の頃からか「独立・自営」と言う考えに取り付かれ、70年には技術士を取得し、72年に会社が更正法を出したことをきっかけに独立、以来30数年やっています。
私の「独立・自営」の基本は単純で「人に指図されない事業形態」を如何に(顧客との間に)構築するかにかかっています、しかし長年の観察によると、こういう私のようなタイプの「独立・自営」業者は日本では少数派で、伝統的には「暖簾分けによる独立・自営」と言う方法・形態が一般的です。
弁護士事務所のイソ弁や建築事務所の助手、大学教授と助教授・助手達がすぐ頭に浮かびますが、「日本では企業と会社員、企業と下請けの関係」もまったく同じです、ある時期(年期奉公・定年)まで、とことん親方に奉仕することによって「独立・自営」が認められます。

慧眼の士である内田樹先生は、

貼り付けー

日本の世界戦略は「日米同盟を強化することを通じてアメリカから離脱する」というトリッキーな構造をもっている。
日本がアメリカの軍事的従属国という屈辱的地位から抜け出す方法を「リアリスト」の政治家たちはひとつしか思いつかない。
それはアメリカに徹底的に臣従することによって、アメリカのから信頼を獲得し、「では日本は自立してよろしい」という「許諾」を頂くという「暖簾分け」のポリティクスである。
「従属することを通じて自立を果たす」というこの戦略が他の国々からどれほど没論理的なものに見えるか、日本人はまったく理解していない。
先年、日本の安保常任理事国入りに世界のほとんどの国が冷淡な対応をしたのは、「単にアメリカの票が一つ増えるだけだから」という理由からであった。
それに対して「いや、それは違う。日本はアメリカに対しても反対すべきときは反対する」と言って、「例えば・・・」と説得力のある事例を挙げることのできた政治家も外交官も存在しなかった。
「アメリカに従属する」ことを持続可能な唯一の外交戦略だと信じているような国を「一人前」の国として遇するような国は存在しない、という平明な事実を痛苦に受け止めている政治家も外交官も存在しないということが「日本が一人前の国ではない」ことの紛うかたなき証拠である。

貼り付け終わりー

と痛烈である、私も国際的にはなかなかこの「相手の懐に飛び込んで信頼を克ち得る」という日本的信頼獲得方法は政治家やその国の国民には理解されないと思うが、ビジネスの世界では外国の会社でこの日本方式を理解して、成功する会社が出てくると思っています、世界的に見ても自動車会社・エレクトロニクス会社と部品メーカーなんかは典型的です。

話を技術者の「独立・自営」に戻せば、なるべく早く顧客を2社以上に増やすことが重要な事じゃなかろうか、指図されないようにもね。

さて来週の10-17日は森田家のハワイの休日です、3男の三朗が結婚式を挙げるので、LAの長男一家や双方の親族が20数名集まります。


技術コンサルタントの世界 2006.07.03.
暑苦しい日が続きます、さすがの私もネクタイなしのヴェスト・クールビス姿ですが、カラータオルの首巻とネットの帽子は装着して、東京を毎日うろうろしています。
26日に会ったceaの会計を30年来お願いしている前田さんは、色んな意味で豊かな先輩ですが、月に5万円の生活を試みてみて快適ですと言う面白い話を聞きました、欧米流に言うとお金持ちにふさわしくない、謙虚というのかへそ曲がりと言うのか、格差社会と言うレッテルでは日本の社会は分析できないね。
夕方から、日刊工業から出版予定の「プラスティック成形・周辺機器の選択」(内田君プロジェクト)の編集会議がありました、関係者皆忙しい人ばかりで、なにかと言うと予定がずるずる延びてきて本屋サイドの武藤君もいらつきはじめた様子がわかり、内田君の負担を何人かにバラシテつじつまを合わせることにしました。
27日は日韓技術士会議のステアリング委員会があり、昨年から平野君が始めたサッカー大会は沖縄・技術士会にサッカーの得意な人が沢山いることが判り一安心と言う所です、この会議も本気で自分の仕事に利用してみたいメンバーが出てくると、張り合いが出るんだけどね。
28日は顧問先の会議に出席、夕方には久しぶりで副島隆彦さんの立川事務所に寄って、若いお弟子さん2人とお喋りをしてきました、自分の子供と同じくらいの若い友人なので、どうしても説教くさい話になり、我ながら嫌味な年寄りだと、反省しています。
29日は近藤信竹君の企画で、橋本にある職能大の見学・飲み会がありました、現場の見学と言うのは、その現場に関わる本の10冊分くらいの情報が得られるので、老・若を問わず参加することお勧めします。
昔、青葉君に文部省で言う所のいわゆる「教育」のことを厚生労働省では「訓練」、経済産業省では「研修」って言うんだよ、と言われたことを思い出しました、職能大は労働省の指導者・養成機関なんですね。
30日は大塚君主催のJETOの2周年行事(9月12日・ceaの皆さん予定して出席してくださいね)以降の研修プログラム・拡大のための相談会がありました、話を聞いてみたい講師についてフリーディスカッションをするのは、ステアリング・メンバーの個性が出て面白い会議でした。
7月1日はceaのいつもの「新規開業支援研究会」と「技術士の論点」の会合があり、今月の論点は「談合」でした、私はいわゆるディベート式の議論に慣れていないけど、結構楽しませてもらいました、談合という言葉のイメージが悪いほうに定着してしまっていますが、どんな国にも文化としての談合があることは間違いないでしょう、ただ最近の大手のゼネコンはかなり本気で官製談合を止めようとしているそうです、元・港区長の原田敬美君がしばしば言及するプロポーザル方式なんていうのが普通の官からの仕事になれば、良いのでしょうね。
2日は日曜日ですが、100歳を迎えた機械部門の大先輩、芳野重正さんのお祝いパーティーが早稲田のリーガロイヤルでありました、稲門の後輩たち、機械部門の世話役諸君、長い付き合いの黒沢豊樹さん、本田尚士さん、技術士会事務局の畠山さんなど20名で昼飯を食べましたが、芳野さんは私のまん前で、乾杯のシャンパンは一気飲み、肉をパクパク、お寿司を一皿、ビールをグビグビと飲んでいました。
最後にカラオケ付きで早稲田の校歌を歌いましたが、何も見ないで3番まで熱唱していました、耳が遠くて細かいことは聞こえていないようですが、色んな人のお祝いにいちいち反応していましたし、全員の席を回って話し込んでいました。
誰かが帰りがけに、森田さん来年もやってくださいよ、と言っていました、その気分は良くわかるなあ、芳野さんは早稲田の大隈さんの意見としての、人間125歳まで生きても不思議じゃないけど、まあその8割の100歳くらいは皆生きなさい、と全員にハッパをかけてくれました、参ったねえ。

技術コンサルタントの世界 2006.06.24.
今週は18日(日)から毎日お出かけしている、身から出たさびで忙しいのである、妻に「いい加減にしなさいよ」と馬鹿にされているが、そのかわりほぼ毎朝、桜区と言う荒川べりにあるパブリックのプールで一泳ぎに出かけている、それなりにバランスを取っているつもりなんでしょう。

「昭和史からの警告」副島隆彦、船井幸雄著、ビジネス社、 を読みました。
名著というか快著ですね、私は子供に歴史は近代史から教えるべきだと思います、副島さんは明治期に関しては司馬遼太郎史観を、昭和期は阿川弘之の海軍史観を徹底的にひっくり返します、私は自分なりの頑固な思い込みがあるので、そう簡単には副島さんの仮説に納得してはいませんが、面白いですよ。
この本には、副島さんによる「船井幸雄は老子の説く道教の実践・思想家である」と言う章がおまけについていて、これがまた面白い。

積読の本が貯まっています、BSのNHK日曜日の朝8時から俳優の児玉清達がやっている本の紹介番組を毎週見ています、各界の本好き達3人が3冊紹介してくれるのですが、皆面白そうで困ります。

今日は筑波の産・総・研に田代君世話人の(伊澤さん会長の)ナノテク研究会に出席してきました、産総研は広大なキャンパスで会場を見つけるのに一苦労をしました、最近携帯電話を持っていくお陰で、行き先を確認せずに出かけてしまうという、だらしない生活が出来ることが災いしました。
この研究会は20年位前に私の発案で作ったのですが、最近面白そうなテーマが連絡されてきて出かけると、知らない人ばかりになっていて、世代の交代を実感します、パーティーで若い人と名刺を交換して喋りだすと違和感が消えていくのがわかります、論争と言うのはエネルギー源なのかもしれません。
それにしても、化学業界は元気ですね、世界のトップをいく自動車・エレクトロニクス・半導体を支えているんです。

技術コンサルタントの世界 2006.06.18.
13日には、早稲田の喜久井町にある研究室・公開見学ツアーがあったので見てきました、47年前に私が卒論をやった所です、ここで教えてもらった先生の7回忌・偲ぶ会を8月にやりますが、いよいよ私の世代も研究室では神代の時代になりつつあるようです。
電子ビームの研究なんてのは面白そうでしたが、昔から有名なロボットや建築構造の研究は案外つまらない印象でした。
一時代を画したテーマも時代と共に変わっていきますね、先生も大学も大変だなあ、と言うのが実感としてわかりかけてきました、それでも早稲田はまだ虚名があり、ほっといても偏差値のいいほうの学生が受験してくれるから、先生には大学の存続と言うような危機感は無いのでしょうね。

17日午前中に思い立って、東京駅から皇居を右回りに内堀どうり沿いに一周してみました、1万歩・1.5時間でした、100人位のマラソン・マンに追い越されましたが、ここはどうも反時計回りみたいですね、N.Yのセントラル・パークとの違いは若い人が多いですね、景色は皇居のほうが余程立派です。
17日の午後には、ceaのニュービジネス研究会で私の下の弟がセールス・レップとしての独立2年目の状況を話してくれました。
肉親と言うのは息子を含めて、日頃あまり仕事の話はしないので知らなかった「仕事に対する考え・想い」をあらためて聞き、ある意味で安心しました、独立・自営というのは形式・形態の問題ではなく、「他人に指図されない」という気分・意気込みが最優先しますから、他人がどう考えるかなんてことは気にする必要はありません。

今週はNHKのBSで、私が好きだった歌手のちあきなおみを特集していて楽しみましたが、今夜は(17日・土曜日)美空ひばりでした、私と同じ歳のこの歌手はリアルタイムではあまり好きではありませんでしたが、こういう回顧番組を見ていると、懐かしくなり時代を共にした友人のような気分になっています。

技術コンサルタントの世界 2006.06.12.
学校の先輩でもある本田尚士さんの偉いなと思うのは、いつも新らしいテーマの勉強会を幾つか平行して進めている事である、勉強会に参加している若い人は、先々は自分がテーマを設定して仲間を集める位のことを考えることだ、自分で集められない人は先輩を利用したら良い。
最近仲間内の会合で、自分達の仕事のマーケッティング・市場開拓と言うような議論が盛んになってきた、吉田君主催の「技術士の論点」に取り上げられたせいか、皆の願望が顕在化したというか、私は歓迎している。
私の経験では一番重要なのはテーマの設定であり、そのテーマは「周辺・auxiliaryの技術」とか「境界・boundaryの技術」とか「横断的・interdisciplinaryな技術」というような所から切り取ってきて適当なメンバーに呼びかける、というのが常套手段なのです。
私がいまやってやろうと思っているのは「微粒子・ゴミ(パーティクル)の研究」です、大量生産の物作り工場では乱暴に言えば「機械加工(工作機械)・塑性加工(プレス)・成形加工(射出成形)・表面処理」をやっています、世の中にはここで発生する微粒子・ゴミの対策についてはそれぞれの分野で沢山のデータがありますが、私は各分野の協力者を得て集大成してみたいのです。
大久保一彦君(機械)に世話人をお願いしました、山本亮一君(応用理学)も参加してくれるそうです、7月には会議室を取ってceaメンバーの参加を呼びかける予定です。
6月27日にはJETOの大塚政尚君が政策投資銀行との付き合い開始に大勢連れて行ってくれるし、原田敬美君のNPOは初仕事が東京都のA区からありました。
独立・自営の業者のマーケッティング・市場開拓をグループ・団体でやると言うのは、論理矛盾の気配が無いとはいえないが、若い人がどんどん参加してくれるような業界の発展のためには、やむをえないことです。

技術コンサルタントの世界 2006.06.05.
私の年度末のハイライトは6月3日ceaの総会・パーティーでした、年に一回しか会わない30年来の組合の設立メンバーが懐かしい顔を見せてくれます、90歳の高嶋先輩(化学)や80歳の和田・初代理事長あたりに「森田君はまだ若いからーー」などと言われると、日頃cea関連の会合では長老扱いされているのを忘れて気分がよろしい。
これらの諸先輩方がceaは大分若返ってきたね、と言ってくれました、私の努力が認められて嬉しいことです、この日の午前中の新規開業支援研究会には6名の新人が話を聞きに来ていました、今年になってから毎月6-7名新人が「様子を見に来ています」。
2007年問題と言う社会現象が我々の周辺に顕在化してきたと解釈すべきでしょう、独立・自営を看板にしているceaとして、これにどう対処するか、どうしたら優秀なタレントを発掘できて独立・自営の企業家やコンサルタントに興味を持ってもらうか、「家のローンがあるから、妻が反対するから、独立・自営は出来ない」と言う諸君にもなにか提案できないものかねえ?
私は、色んなタイプの変わったスターが出てくれば世の中変わると思うし、現にその徴候は色々出てきている。

新都心のスポーツ・クラブには出来た時から泳ぎに行っていたが、近隣に大マンションが続々出来てきたせいか、常時混んできて快適でなくなってしまった、最近は桜区という荒川べりの新しい区役所のパブリック・プールを愛用しています、私のような利用者と言うのは勝手なもので、採算の取れていそうも無い田舎の高速道路は大好きだし、儲かっていると思われるスポーツ・クラブよりも税金のムダかもしれないパブリック・プールのほうが快適で好きなんです。
子供の頃から役所にはアレルギーがあり、なにかにつけて民営化賛成人間であることを自覚しているが、本当は民営化というのは世知辛くてしんどい話が多い、競争社会のアメリカで育っている孫達を日本の子供と比べてみても「大変だねえ」と考えさせられることが多い。


技術コンサルタントの世界 2006.05.30.
我々が作ったNPO・地域と行政を支える技術フォーラムhttp://www.cea.or.jp/efsca/が一周年を記念して
シンポジウム「構造計算偽造事件----その構図と技術者倫理----」(技術者による議論)が、5月27日(土)10:10-より新橋の港区生涯学習センターにて40人以上の出席を得て盛大に行われました。
元・役所の技術者、構造設計を業とする建築士、技術コンサルタントの技術士(宮原宏君)の3人による意見の発表と、このNPOの理事長である元・港区長の原田敬美君が司会しました。
同じように技術を勉強してきた技術者が、その「立場上」事件の見方がこんなに違うものかと感心しました、意見と言うのは必ず言う人の立場をはっきりさせないと意味が無い、ということが改めて納得した次第です。

若い頃に先輩から「メシ食えてるか?」と聞かれて、苦労していても「何とかやってますと見得をはってきた」記憶があるので、ここ2-3年独立・自営業者の「仕事を創る」と言うことに腐心しています。
独立・自営業は興味ある人は沢山いますが、現実に実行してメシを食えるようになる人は「案外少ない」ことは知られています、私は組合発足以来「新規開業支援研究会」と称する月例会を開催して、独立・自営に興味ある後輩達が、実際にメシの食えている先輩諸氏の話を聞く機会を提供してきました、後輩が自分のメンターを探して自分の道を切り開くのは、どんな職業でも似たようなものでしょう。
大塚政尚君のNPOのJETO・http://www.cea.or.jp/も、上記の原田敬美君のNPOも、私の目標は我々の後輩たちの「仕事を創る」ことにあります。
社団法人と言う看板の工業技術振興協会・JTTAS、http://www.jttas.or.jp/は、3年ほど前に不祥事で解体されていましたが、青葉尭君のリーダーシップで最近復活しました、27日(土)の組合のニュービジネス研究会で私がその利用・活用法を発表しました。
こういったグループ活動には、その周辺に独立・自営業者のメシの種があります、参加してそれを探してください。

技術コンサルタントの世界 2006.05.23.
「うつ病を取り巻く私の仮説・日本人論」

同級生のK君がうつ病を発症して入院し連絡が取れなくなり、驚いています。
学生時代から神経の細かい奴だとは思っていましたが、この歳になって「うつ病気味のひと」から本格的に「うつ病患者」として入院させられたと言うことは、我々同級生達が計画して進めている「恩師の偲ぶ会開催」に大いに関係ありと思われます。
元々この会の企画はK君の発案によるもので、相談を受けた私が、こういうイベントが大好きなので大いに楽しめるぞと、先輩・後輩に呼びかけて、想い出原稿を募集したり、ホテルと交渉したり、その都度飲んだり食ったりしながら学生時代の交友気分に戻って楽しんでいます。
K君は今年に入ってから、関係者達にやや意味不明ですが、「偲ぶ会がうまくいくかどうか心配で心配でたまらない」という趣旨の電話をかけてくるようになり、困ったなあと言っているうちに、最近は音信不通になりました。

副島隆彦さんのところに集まる若者は2人に1人は「うつ病気味のひと」だそうです、昔なら「精神科で薬貰って飲んでいます」なんていう会話はあまりしたことは無かったですが、最近は気味悪いとも思わずに会話できるようになりました。
うつ病と言うのは、心理学者の春日武彦氏によると、「未来を先取りして失敗して、取り返しがつかないと言っているのが鬱病の特徴だ」と言うことらしい。

ここで突然employerとself-employer の話になります、K君は最近まで大きな会社のemployerでしたから、大抵の先行きのことは会社にお任せの人生を迷い無く送ってきたのでしょう、会社の仕事もあまりえらくならず、定年後ものんびり生活を楽しんでいたかに思えました。
K君自身が自分から言い出した偲ぶ会ですから、当初は張り切ってあちこちに手配して気を配っていましたが、本当にイベントが行なわれるかどうか心配のあまりに神経を病んでしまったとすれば、本当に気の毒をしたと反省しています、彼をself-employer扱いしたのが間違いでした。
彼は典型的な日本人で、インシャアラーのアラビア人、明日は明日の風が吹くのラテン系と対照的な性格なんです、だから日本の就業人口の80%を占めるemployerとしては無理なく生きてこれたのですが、「明日をも知れぬself-employerの世界で、一年後のイベント企画」という重圧に耐えられなくなったのでしょう。

このところ70歳を過ぎて元気に仕事をしている先輩どもに「先輩は若い頃考えていたり計画してきたような(夢見た)人生でしたか?」とインタビュー的な質問をしている、答えは100%若い頃考えていた事と異なる人生を歩いてきたとのことである。
若い人は、これからの自分の未来を考える前に、こういった元気な年寄りの本音をもうすこしリサーチしたほうがいいと思う。
うつ病気味の中高年によって「未来のリスクを現在減らそう」として考えられたのが、今流行の「キャリヤー・デザイン」というコンセプトじゃなかろうか?
もともとキャリヤーというのは「経歴」ということだろうから「過去」のことのはずだが、あたかも若い人に、これからの彼の「未来のキャリヤー」をデザイン(設計)できると思わせる教育は、うつ病の患者を再生産してしまうのじゃなかろうか。
就職時に老後が判るなどと言うイデオロギーは、多分共産主義・計画経済・マルクス経済学あたりの残渣に違いない、忘れたほうがいい。

もうすこし範囲を広めて考えてみると、日本では教育界・マスコミを含めて「夢を実現する」というフレーズが溢れているような気がする、実現しそうも無いのが夢ということであれば、日本はうつ病症候群に事欠かない社会であるといっても良い。

私も振り返ってみれば「独立・自営」というキー・コンセプトには執着したし、人を雇うような会社社長へのチャンスも3回はあったが、おのれを自己判断して個人の技術コンサルタントの道を続けてきました、実際には若い頃から明日をも知れない毎日を、出たとこ勝負でやってきている、というのが正直な気分です、あまり先のことは考えたことがない。
なんていっても到達すべきゴールは現在なんで、これは私が未来の無い年寄りになってから言い始めたわけじゃありません。


技術コンサルタントの世界 2006.05.17.
「必要経費=人と会うこと」

15日には、最近会社を辞めて独立した後輩の岡君(建設部門)の肝いりで、早稲田、中央、武蔵工大OBの技術士会が「大学技術士連絡協議会」と称する訳の判らない会合に6-70名の技術士が集まり、講演会とパーティーがありました。
岡君は若い頃青年技術士懇談会の幹事長をやったくらいの世話役向きの男で、フリーになって半年もしないのに、こういう人集めを始めたと言うのはたいしたものだ、と思うので紹介しておきます、来年は8大学に拡大するんだそうです。
こういった会合の本質的な部分は「会合後のパーティーでの人との出会いと親交」にあります、世の中がわかってくると「講演会は欠席しても、パーティーだけ出席することもあります」、その逆はいただけません。

去年は家のリフォームをしたので、大工さんへの支払いを会計事務所に持ち込み、「自宅兼事務所」であることを理由にいくらか経費を認めてもらうよう頼みました。
車やパソコンを買い換えるのを含めても、コンサルタント業の仕入れと売り上げの関係は本人以外には謎のようで、説明に困ることがあります。

以前どこかで後輩に「コンサルタント業とはいえ、資本主義社会においては投資にたいするリターンと言う原則から外れることは無いから、何らかの意識的な投資を継続しなくては、業を継続出来なくなる」と言う話をしたことがあります。
新人はえてして「専門分野の新知識をしっかり仕入れさえしていれば(講演会さえ聞けば、パーティはお金もかかることだし欠席する」という勘違いと言うか錯覚をしていますが、ここであえて私の暴論を言えば、「専門分野の仕入れは当分ほうっておいて、市場開拓=マーケッティングにお金を使うべきだと思います」
しからば市場開拓とは具体的にはどういうことかといえば「人に会うこと(にお金を使う)です」、古来我々は色んな縁で人に会いますが、これから独立・自営を志す人は「総てのスケジュールに優先して人に会うこと、人と仲良くなることをスケジュールにする」ことを、お勧めします。


技術コンサルタントの世界. 2006.05.12.
市場開拓(マーケッティング)は人任せに出来ない難問ですがーーー。

連休明けは、私の個人会社や組合等の決算書類を会計士さんにお願いするので、一年分のレシート整理などで結構あたふたします。
11日には、合間を縫って副島さんの弟子仲間の若い根尾君が東京駅の八重洲ブックセンター近くに、金融コンサルタント事務所を開設したので、お祝いを持って激励してきました。
技術士の仲間より一段と若い根尾君達と話していると、こちらも気分が高揚してきてガンガン喋ります、彼等も自営業者の先輩と見てくれて、神妙な顔をして意見を言います、金融業者の弱みは投資対象の分野の専門家ではないことで、あくまでも投資先の社長を信じるしかないコンサルタント業のようです、技術士と仲良くしたほうがいいと思うけど判ったかなあ?

技術士のほうも、市場開拓するにはなるべく毛色の変わった人たちと付き合ったらいいね、私自身は今更新しいお客は要らないけど、これから独立・自営を試みる諸君のために、色々と違う分野の人との付き合いを試みています、有力だと思うのはセールス・レップ業です。
http://www.e-rep.jp/
http://www.jrep.jp/
私が会った人は、豊田賢治さん、電話048−706−6555、070−5597−8831
で、私は会ったあとに例の私の本を贈ってあります、コンタクトしてみてください。

12日の技術経営責任者協議会のステアリング委員会でも、理事長の大塚政尚君が政策投資銀行や中小企業診断士協会の皆さんとの大きな交流の機会を作るべく動いてると報告していました。

組合の月例会をかねている独立支援研究会に、このところ毎月5-7名の新しい諸君が出現始めていることが我々の間で話題になり、「本気で独立・自営に興味があるなら、この際それらの人の延べ1年分くらいを集めるイベントを考えよう」と言うことになりました。
私は30-40歳台の若い人たちと、定年前後の諸君とは、若干違うことをレクチャーすることになると思います、我々はそれぞれに適した経験者を講師陣に用意することが出来ます。
私は沢山の人たちの実際を見てきた経験から「独立・自営を開始するのは、何歳から初めても遅すぎることも、早すぎることも無い」と思います。

技術コンサルタントの世界 2006.05.08. 
「連休はドメスティック」

*印象に残った本;

「やりたいことは全部やれ」大前研一著、講談社。
この経営コンサルタントに関しては、我々の隣接分野の人でもあり、元気な人だなあという印象は持っていたが、この本は仕事以外の大前さんの活動が主として書かれていて、あらためて元気な人だと感心しました。
私もやりたいことは大抵やっているほうだけど、とても大前さんほど好奇心の広がりがない、参りましたと言う感じです。

「次の超大国は中国だとロックフェラーが決めた」ヴィクター・ソーン著、副島隆彦訳、徳間書店。
アメリカにも副島さんのような人が居たんだ、というのが第一印象です、原題 The
new world order exposed 。by Victor Thorn,を副島さん流のタイトルにしたのが最大のミソで、グローバリズムが徹底する世界では国家・国民の影が薄くなり、事実上の世界政府はビルダーバーグと呼ばれるグループであり、今後日本に関しては彼等によって日中戦争まで仕組まれているという話である。
私は以前ceaの掲示板に、陰謀論大好きと言うタイトルで、
 貼り付けー
 『アメリカの宗教を研究しているマイケル・バーカンによると、アメリカに存在するさまざまな陰謀論に共通する信念は、「何事にも偶然はない」「何事も表面とは異なる」「何事も結託している」の三点です。陰謀論者は起きている出来事のすべての偶然性や非合理性を認めず、すべてを企んだ誰かをイメージします。しかし、ここにあるのはただの非合理で断片的な信念ではなく、むしろ逆に、偶然を含めたすべての出来事を合理的に説明しようとする脅迫的な衝動です。
つまり、陰謀論もまた、非合理なまでの合理化が生んだ「合理性の非合理性」の極致なのです。』(「UFOとポストモダン」木原善彦、平凡社新書 61p より引用)

貼り付け終わりー

すでに起きてしまったこと(歴史上の事実)は、いくらでもあとでつじつまあわせて、「それも計算のうちだった」と言えます。
真珠湾攻撃は仕組まれたものだったというのは本当か嘘か定かじゃないけど、イラク戦争が仕組まれたものだったのは世界中誰でも知っているが、それじゃその収拾は計算どうりに行ってないのじゃないか、合理的に動かない人間が存在するとか、偶然の存在は合理的な説明を困難にしている。
こういう陰謀論者が破綻するのは未来の予想をするときで、残念ながら大抵当たらない、多分人間は過去を勉強して未来に対応するので歴史は繰り返さない(格言は繰り返すと言っているが、私はそうは思わない)。

「上品で美しい国家」日下公人、伊藤洋一著、ビジネス社。この人たちの考えているグローバリズムは、日本の優れている分野は世界がこれを真似したり、取り入れていくだろうという非常に楽天的な仮説で、副島隆彦さんと正反対の世界観を論じている。私は現実に関わっている自分の世界から言うと、この日下さんたちの言う話に共感を覚える、私の関係者は総てミニ・グローバリストとして世界と商売をしている、ローカルな同業者と日々戦っている。

「9条どうでしょう」内田樹/小田嶋隆/平川克美/町山智浩著、毎日新聞社。4人の憲法改正反対論者の共著でした、内田、小田嶋さんの本は沢山読んでいるので親しみを感じているが、憲法改正に関しては私と違う、これは経験の違いだろう。

*6日の新規開業技術士支援研究会では、平田政司(金属、総合)君(40歳代後半)の独立奮闘話を聞きました、05・6月からスタート、ブログを窓口に市場開拓して8件も顧客が出来たと元気一杯でした、3-4年準備して独立・自営の先輩諸氏と付き合いを、サラリーマンの時と別人のように、自信満々顔で話してくれました。
この月例会は盛会で7名の新人が自己紹介、私の長年の希望である定年前の人・非シビルの人たちが増えてきたので嬉しい。その内「本気で独立・自営をやってみたい諸君のために、先輩が本気で話してくれるセミナー」をやってみようか。
これは、同じ6日の午後田町の駅前キャンパスイノベーションセンターでの「技術士の論点」の議論の後での飲み会で、高堂、吉田両君からの提案である、私はこれまでの経験から、「本気で独立したい」という所に疑念があり、再就職優先するような連中にマジに話すのは考え物だと言う持論を持っているが、高堂君達はお金を取って割り切ればいいでしょうと、主張するのである。


技術コンサルタントの世界 2006.05.03.
「血圧計で遊ぶ」

思い立って血圧計を購入して、2ヶ月近く記録してみました、面白いことが色々判ってきてかかりつけの女医さんと少々議論してみました。
バイパス経験者は普通の人より10−20低い所に高血圧の薬を出す判定基準があるんだそうです、ハンディキャップですね。
私は癇癪持ちですが、瞬間湯沸し時には信じられないくらい高血圧になっていました、成る程頭に血が上ると言う感覚は血圧が上昇すると言うことだったんだ、と理解できました。
歳並みに正常な120/80以下を示す状況は、朝のおきぬけ時、こたつに入って3-40分のんびりした時、お風呂から出た時、酒を飲んだ後しばらく等の頭を使わない時で、2-40高くなるのは会話が弾んだ時、TVで面白い番組や映画を見ているとき、寒い部屋で測るとき、医者に測ってもらう時ということが判った。
実際には血圧の薬は貰ってはいたが長いこと飲んでいませんでした、医者に逆らうにはデータしかないだろうと思い測って見たが、こんなに状況によって変化するとは知りませんでした。
私と同じ頃のバイパス経験者の蜷川幸雄さんは有名な癇癪持ちだし、チェイニーアメリカ副大統領はTVで I have a temperと
演説していました。
私は死に方としては、大興奮して血圧を上昇させてどこかの血管をパンクさせていかれるのは、まんざら悪くないなと思っています。

「連休は自宅です」
30日には利根川の土手をドライブ、銚子港でタイの煮付けの昼飯を食べてきました、1日は同級生達、2日は顧客の社長達と銀座・交恂社に集合して晩飯会、本日(5月3日)は弟達一家、子供たちが我が家でバーベキューです、後半は貯まっている本をかたずけ、映画にも行かないとね。

技術コンサルタントの世界 2006.04.26.
独立・自営を希望する諸君を考察する。

*「俺を誰だと思っているんだ症候群」
組合始まって以来30年くらい、月例会として第一土曜日には新規開業技術士支援研究会と言うタイトルで、これから独立・自営してみようかと言う諸君に先輩達が経験を語る、というプロジェクトを延々と続けています。
このところ毎回4-5名の新顔が登場して自己紹介をしてくれます、年齢的に比率から言うと50前の若い人が1-2名、定年前後が4−5名と言うバランスで定年組が圧倒的に多いが、定年組の選択肢では独立・自営は一番低いらしく、再就職口があれば出てこなくなるし、海外派遣の口でもあればホイホイと消えてしまうのです。
あまりにも似たような連中を見過ぎたので、私としても真剣に考えてみた、多分「それまでごく自然に享受していた社会的敬意が失われてゆき、身の丈にあった敬意(奥さんの見ている実像)しか受けられなくなったことに対する苛立ちの表現であり、これは「ぼけ」の最初の徴候として知られている。」と言うことじゃなかろうか、そうでなければ、退職金も年金も十分あって、特に沢山お金を稼ぐ必要も無さそうだし、あと20年くらいは気力体力十分と思われるのに、独立・自営を選ばないのは不可解である。

*「合理的な人」は独立・自営に向かない。(内田樹さんの本からのパクリで「結婚」と言うところを独立・自営と読み直した)
それは「合理的な人」が人間関係を「等価交換」のルールで律しようとするからである。

「私はこれだけ君に財貨およびサービスを提供した。その対価として、しかるべき財貨およびサービスのリターンを求める」と言う考え方を社会関係に当てはめる人は、残念ながら独立・自営(ビジネス)には向いていない。
と言うのは、人間の社会は一人一人が「オーバーアチーブ」、つまり「対価以上のことをしてしまう」ことによって成り立っているからである。
すべてのサラリーマンは自分の給料は不当に安いと思っているが、それは彼等が稼いだ「上前」をはねることで株主配当や設備投資が行なわれている以上当然のことである。「そんなの嫌だ、稼いだ分だけ稼いだ人間に戻せ」ということになると企業は資金も調達できずシステムの変化に対応できずテクノロジーの真価にも追いつけず、遠からず破産する。
独立・自営は企業と同じで、まずは「顧客先に投資することで成立する」、つまり自分が投資したもの(時間、労力、気使い、忍耐などなど)に対して「等価」のリターンを求めると、その場限りの(日雇い的な)決済で完了し、いわゆる顧客関係が成立しない、そのことに気がついている独立・自営志望者はまことに少ない。

技術コンサルタントの世界 2006.04.16.
12日には、日韓技術士会議実行委員会が技術士・水道部門の木村弘子さんが社長業の傍ら、60歳を機に女将を始めた「創作料理いこい」で開催されました。地元のさいたま市ですから、私は自転車で参加しました。
この会合は面倒見のいい新潟の中山さんが委員長なせいか、集まりがよく、北海道、島根、鳥取、名古屋からわざわざこのために委員が出てきます、今回は豪華な会席料理を食べに、技術士会の事務局を含めて20人位集まりました。
私がこの会合を楽しみにしているのは、技術士会員の基本的な対立軸、中央対地方、民間産業部門対官公需部門がはっきりしていて、20年来の友人達ですから「忌憚の無い意見交換」が可能で、続いているからです、ここ2-3年は官公需関係の会社の諸君は元気がありません、北海道から出てきた大手コンサルOBの市村君(建設)が、「定年後3年になるが、最近森田の言うことが判ってきたよ」と握手を求めてきました、大方の国民感情として「当面の敵は役人らしい、官営事業を国民のためと言うより、自分達役人の飯の種にして増税をたくらんでいる」と言うことがコンセンサスを得てきたことをひしひしと感じているそうです。

閑話休題、斉藤 学さん(元・国土庁のキャリア官僚、現在、国会議員秘書)の『まちづくりから日本を変える』(2006年3月10日、海南書房刊)によると、
引用開始ー
* キャリア官僚の思い――@地方自治や住民参加も信用できない。人材がいないし、エゴしかない。国は頭脳、地方は手足でよい。
Aわれわれは「wifeの死に目にあうより仕事が大事」でやっている。
B省益こそ、もっとも大事。これが自分らの最高の仕事。
C政治家には情報がない。したがって彼らはわれわれの案に従わざるをえない。
Dお金(予算・税収)を伴った権力こそ万全。これを手放してはならない。

* 官僚が嫌われる理由――@霞ヶ関のキャリアには東大卒が多い。特に事務官には東大法学部卒が多い。彼らでは新しいこと、オリジナルなことは絶対に出てこない。
   Aキャリア官僚が国民の自由を奪い、自立した市民の育成を阻害している。企業の活力や自由も奪っている。
   B日本は官僚天国。日本は官僚社会主義。
   C日本は中進国、個人生活の充実より、景気向上。これは官僚の意図。
   D心ある人は「役人はまともな人間ではない。税金にぶら下っているゴキブリみたいな存在だ」と思っている。
引用終わりー
概ね我が意を得たりと言う本です。

日韓委員会の酒席では税金の話が出たついでに、国民の高齢化・少子化の議論になりました、私は「これまでの国民生活の延長線上の政策を転換して、「年寄りは積極的に働こう」と提案しました、4月16日は私の69歳の誕生日です、同年輩の友人達は定年後は概ね御隠居さんの身分に落ち着き、それぞれ世界のあちこちに旅行したり、豪華クルーズの旅をしたり、フィリピンに移住したり、田舎で畑を耕しながらの晴耕雨読、等等楽しそうな話を聞かせてくれます、ただひと通り遊ぶと、がくっと老け込む連中が出てきました、これからの若い世代は判らないが、日本人は仕事・働くことが好きなんだね、なかなか遊び専門生活には耐えられないみたいだ。
最近、我が組合の定例会「新規開業技術士研究会http://www.cea.jp/reg/logtable.htm」に出てくる、私より10歳くらい若い定年前後の諸君は、 働く気十分である、何しろ皆若い、周りだって本人
だって彼等を年寄りだなんて思わないだろう。
傍から見ていると、折角自由な身になったのだから、お金の心配が無いのなら、会社での延長線上の仕事を第一優先にしないで、自分の好きな仕事・社会貢献を見つけたら良いんだ。なにしろ死ぬまでに20年くらい時間があるんだから、かなりのことが出来ると思うのです。
私が国を意識するのは、これまで私個人も私の会社も組合もわずかではあるが毎年税金を払い続けて来ていることを誇りに思っていること、同時に身障者(心臓バイパス)として高速道路料金、鉄道運賃を半額に割引してもらっていることを有り難い事だと感謝していること位かなあ。

技術コンサルタントの世界 2006.04.11.
今年の桜は夜になると寒かったせいか、なかなか散らずにしぶとく咲いていたようで、あちこちで堪能しました。
千鳥が淵のように斜面の上から下までびっしり樹があるところは、厚み・奥行きの量感が凄いんだね、河の土手の桜が例外なく河側にベントしていてトンネル状態になるのも不思議です、谷中の墓地の桜は何がしか妖気・瘴気が漂っていて、文学的雰囲気を感じました。

4日には妻と久しぶりで妙義山をドライブして、荒船の湯という日帰りの温泉に行ってきました、桜にはまだ早くてようやく梅でしたが、枯れ木が薄く緑がかってきた山の風景もなかなかいいですね、日本の里の春と言う風情です。

8日(土曜日)の吉田・世話人の「技術士の論点」はまだ始まったばかりのプロジェクトで、試行錯誤段階ですが、なかなか面白い雑談会になっています、今のところ「長年会社員をやってきた諸君を相手に、長年自営業を営んできた私が孤軍奮闘をしています」、なにかにつけて意見が違うのは当然かもしれないけど、定年技術士諸君は、数種類にパターン化された、開放されたばかりのロボット・奴隷みたいで、議論しているとくたびれます。
塩野七生さんがどこかで、ローマの奴隷も定年があって、お金(退職金)を積んで市民になれる道があった、と書いていたように記憶しているが、会社の定年・技術士諸君も本田尚士・安達真夫先輩位まで自営業者として働けば、あと20年くらい社会の役に立つのだから、半端な気持ちは捨て腰をすえて始めたらいいのじゃないかね。
残念なことには、今のところ定年から始めて旨くいっている先輩が、自分のやり方を後輩に公開した例を知らないので、皆それぞれが試行錯誤をしなければいけないのが可哀想な気がするが、反面若くして始める奴よりもお金の余裕はあるし、子供も仕上がっていることだろうし、住宅ローンなどのハンディが無ければ、それほどがつがつ稼ぐ必要も無いという有利な立場にある。
横道に逸れた議論だったかもしれないが、「金持ちって何だろう」と言うテーマと、「合理性(最も安上がり)を追求した結果がコンビニの4割廃棄される弁当であったり、自動車塗装工場の4割廃棄される塗料だったりするのは、なんか間違っているんじゃないか?本当にトヨタやセブンイレブンて良い会社なのか?」という話はなかなか面白かった。

もうじき07年問題に直面することになり、大量の定年組(解放奴隷)の諸君と対決して孤軍奮闘の議論をするのは、いささか気が重いので、私は昔からの独立・自営仲間を口説いて、この「技術士の論点」プロジェクトに参加してもらおうと、思案中である。

技術コンサルタントの世界 2006.04.06
私の卒論の指導教授であり、仲人でもあった故・高橋利衛早大教授の7回忌のパンフレットに寄稿予定の原稿を貼り付けます。

1.私は大学の先生が研究者・教育者の2面を持つ職業であることを認めるに吝かではないが、この歳(69歳)になってみると、沢山の「教え子との交流を持つ年寄り」と言う意味では、大変羨ましい豊かな老後を約束されている。
私がこんな考えを持つに到った理由の一つは、卒業後(1960)の高橋先生との交流・お付き合いに所以(ゆえん)している。
私の卒業した頃(60)は、それ以前の自動制御・研究室の先輩方は主としてメーカーと称する計測器メーカー、横河電機、山武ハネウェル、北辰電機等に就職していたようです。
我々の学年は、理工研(紀尾井町の理工学研究所)の建設が始まった頃で、「建設作業員」として大量の卒論学生を必要としたのでしょう、確か12名くらいが、町山先輩(講師)の部下として一年間「土木工事・機械の据付工事」にいそしみました、その結果比較的出来のよさそうな、素直な連中は所謂先輩方の居る自動制御機器メーカーに、それ以外の大半は私を含めて当時の高橋先生の言葉で言うところの自動制御機器の「ユーザー会社」に就職しました、高橋先生のコメントは確か「お前は開拓者タイプだから良いんじゃないの」というような割りとそっけないものでした。
私は川崎製鉄に就職しました、あまり深く考えず単純に「あまり先輩が居ない会社らしい」と言う程度の理由だったと思います、当時は日本の基礎産業の一大投資時期がスタートした頃で、入った途端毎月150時間も残業をする日々が続きました。
入社した年の秋に、職場(圧延部の整備課という鉄板の圧延機械のメンテナンス部門)で機械の不具合な動きにより右腕を骨折し、独身寮での不自由な暮らしに嫌気がさし、結婚を決意しました。
早速学生時代のガールフレンドを口説き落とし、国立の高橋先生のお宅に仲人をお願いにあがりました、当初先生は「俺はもう仲人やらないことにしているんだ」と困った顔をしていましたが、私と妻の母親どもが後から御挨拶に行ったら、歌子奥様共々ご機嫌だったと報告を受けました、私の母の名前が歌子だったから奥様が高橋先生を口説いてくれたのかねえ、と後々まで我が家では語り草になっていました。
私は同級の友人達に、大隈会館での私達の結婚式で「高橋先生はどうやら、60年卒グループに対して穴掘りばっかりやらせて、ろくに勉強させなかったと、気分的に借りが有ると思っているらしいぞ」という仮説を話して、それ以降私はより大胆に60年卒グループを引き連れて、毎年のように国立のお宅に伺いました。

2.高橋利衛先生との思い出で欠かせないのは、同じ60年卒の村木海介夫妻との絡みです、村木と奥さんの享子ちゃんは幼馴染で、卒業と同時に私達より早く結婚していました。
村木は30年くらい前に、若くして肺がんで死にました、横河電機で当時ディーゼルエンジンのガス分析計を開発していたので、たっぷりガスを吸い込んで癌になったのでしょう、「大体若くして死ぬ奴はイイ奴」ですが、村木は飛び切りのイイ奴でした。
高橋先生も子供がいない若い未亡人の村木享子ちゃん(お習字の先生になっていた)を可哀想に思って、色々面倒を見てくれたようです。
享子ちゃんは今では、押しも推されぬ書道の大家になり、朝日新聞に寄稿したり、青梅で毎年弟子達と大展覧会をやったり、夏には毎年ドイツの大学でワークショップを催す程の一家を成しています。

3.私は川鉄を2年目に辞めました、このとき高橋先生にはお正月にお年賀に伺った時に事後報告をしました、呆れた顔をしておられましたが、その内「お前の性格じゃ、いつかそうなると思っていたよ」と預言者めいた言い方をされました。
それから10年間、私は自宅近所の中小企業で、松田製作所というプラスチック成形機械のメーカーの技術部長という、お山の大将をやり、早稲田の林郁彦先生の所に機械を寄付して卒業生を3人貰うなど、色々早稲田大学にはお世話になりました。
72年の石油ショックで会社が潰れたのをきっかけに、私は独立して技術コンサルタント業を始めました、高橋先生ははなから「そんな商売は出来っこないよ、町山君にでも相談して就職しろ」の一点張りでした。
5-6年した頃から、私の60年卒同級生も高橋先生も、私が相変わらず元気で「独立・自営業」をやっているので、あまり心配してくれなくなりました、ある時私が業界紙に一年間書いたショートエッセイのコピーを差し上げたら、「お前は技術屋の才能が有るとは思えないけど、結構読ませる文章は書くなあ」と褒められました。
当時、先生は自宅では「毛糸の庄ちゃん帽子、甚平、マフラー」のスタイルで、理由を「老人は頭を暖め、首を暖め、肩の動きが自在になる服装が良いんだ」とおっしゃっていました。
この話は最近、土屋先生に聞いて思い出したもので、実は私は60歳を過ぎてから、自分なりの工夫のつもりで「長いタオルによる首巻・襟巻き、フリースの半袖ヴェスト、各種の帽子コレクション」と言うスタイルをとうしています、何のことはない高橋先生のスタイルを踏襲していたのです。

4.最近になって、高橋先生の7回忌で思い出話を書いてくださいと斉藤、林、田島の諸先生方にお話を聞いているうちに、我々から5年後くらいから卒業生が急増していて、これを推進していた先生方が大いに御苦労されていたと言うことが判ったが、多分その頃、町山さんが理工研で頑張っておられ、60年卒グループが6-7人陣中見舞いに出かけたときのことです。
近くの寿司屋で一杯やりながら、町山、橋詰両先生の前で誰かが「機械学会での早稲田の実績は最近余りよくないですなあ、レベルダウンしたんじゃないですか、週刊誌に出ていました」と先輩風を吹かせました。
その次のお正月に高橋邸に60年卒グループがお邪魔した時に、高橋先生が「森田、お前こないだ町山に早稲田の悪口を散々言って帰ったらしいな、どういうつもりだ、けしからん」と、ぷんぷん怒っていました。
私は当時町山さんて嫌な奴だな、何で直接俺たちに文句言わないで高橋さんに言いつけるんだ、と仲間内で言ってましたが、今考えてみると、当時学生を増やすことを推進していた先生方の一番心配していた話題だったんだ、と反省しています。
ただ他の門下生は知りませんが、私は高橋先生が全然怖くなくて、何で皆が怖がるのか不思議でした、あるとき「おい森田、山口百恵チャンが土地を分けてくれって来ているんだ、どうしようかなあ」とか、「リコーダーをやるから家で練習して、次に来る時には少しはふけるようになって来い」など下らない話をしたのを覚えています。

5.私は高橋先生の研究者としての業績とか学問についてはまったく判りません、最近早稲田のMOT研究所長の吉川智教教授と知り合いました、吉川さんは9歳年下の数学科卒業生です、「高橋利衛さんの工業数学知ってる?」と聞いたら、全然知りませんでした。
私は教育者としての高橋先生は、学生時代は全然知りませんでしたが、卒業してから色々教えてもらったような気がします。
勿論、反面教師的な面を含めてなんですが、私にこれほど多大の影響を与えた先生は居ませんでした。

6.見聞・伝聞の高橋先生。
関係者は知っていることですが、高橋邸は国立の一橋大学の駅側の2000坪くらいの庭の有る大邸宅でした、庭は一部を国立駅前の紀伊国屋の駐車場に貸して看板が立っていました。
高橋先生が稼いで建てたとは思えず、余程立派なお家柄だったのでしょう、私は先生の親御さん関連には興味が無く、詮索しませんでしたが、とにかく先生ももてあましておられるようでした。
2-300坪もあったと思われる家の庭側の台所につながっている一部屋に、コタツからソファから机まで詰め込み、犬を2匹同居させて住んでおられました、私は昨年から今年にかけて我が家のリフォームを自分が壊れた時のために実施しました、私は高橋先生ほど徹底的にバリヤーフリーには出来ませんでしたが、今でも20年くらい前の高橋邸での見聞を思い出して今の自分に重ね合わせることが有ります、先生と言うのは本当に不思議な存在です。
高橋先生の伝説に関しては、先生の同級生から聞いた話に、「先生の上の女の子供さんが早くなくなったので、利衛という女のような名前をつけたんだ。」とか、「修学旅行で風呂から出て先生が裸でいつまで突っ立っているので、同級生が聞いたら、先生曰く、いつも家では浴衣を着せ掛けてくれる人が居たらしかった」とか、お金持ちのボンボン的な伝説が色々あったようです。
余談ですが、私は高橋先生と同年配の電気通信の伊藤名誉教授ともお付き合いがあります、下落合に立派なお宅がありますが、あの年代の早稲田出身の先生方は皆さん恒産の有る立派な御実家出身が多かったらしいですね。

私のself-employerへの過剰な思い入れの原点は高橋先生に有る、というのが私の卒論仲間である60年卒グループの連中の意見です。


技術コンサルタントの世界 2006.04.01.
「産総研」
SME(society of manufacturing engineers東京支部)の月例会で、久しぶりに筑波の産総研の見学があり行ってみたが、中小企業対応になっているのビックリしました。(http://unit.aist.go.jp/digital-mfg/)
会員内のページに3つの資料を入れておきます、私は3社の顧客先に勉強しておいたほうがいいよ、と資料を渡しておきました。
「講演会」
31日(金)には、JETO・技術経営責任者協議会の定例講演会があり、早稲田のMOT研究所長・吉川智教教授(http://www.wiaps.waseda.ac.jp)の講演があり、大変面白く勉強になりました、ファイルは二つです。
http://www.cea.or.jp/cmea.pub/20060331Lect1.pdf
http://www.cea.or.jp/cmea.pub/20060331Lect2.pdf
講演後の飲み会で、吉川先生とも大分話をして仲良くなりました、私は稲門の機械科、吉川さんは9歳年下の数学科と言うことが判った途端に、私の悪い癖で「先輩風」を猛烈に吹かせる会話に変化させました。
持論の「先生と言う商売の製品は学生なんだから、PLの責任をとって新車(卒業生の就職)から中古車、ポンコツまでの面倒を見て下さい」をお願いして、その見返りは「年とってからの卒業生との交流は、普通の社会人の老後より余程豊かなものになる」ことです、私は大変羨ましく思っている。
「組合定例会」
4月1日(土)はceaの定例会・新規開業技術士支援研究会があり、定年でこれから始める岸敦夫君と82歳の大先輩・安達真夫さんの対照的な2人の話がありました、世話人の菅野君は気の利いた組み合わせを考えたものです。
定年後にはじめても20年も仕事が出来るものであれば、人生腰を据えて「独立・自営業」に取り組めると言うものでしょう。
私の挨拶は毎回決まっていて、組合活動に協力している世話人の菅野君達の期待にこたえて、始めて参加した4-5人の諸君にインパクトを与えるテーマ「独立・自営が我々の活動の基調で、現在は会社員と言う人も何時かは独立するぞ、と言う人であれば仲間扱いはするが、所詮モラトリアム的な予備軍である。会社社会との違いは年齢に関係なく独立・自営している人を一人前とみなすことである。」と言うことを手を変え品を変えて演説しています。

定例会の後に、吉田君の「技術士の論点」のステアリング委員会がありました、定例会に始めて出席した鈴木君、国井君という典型的なモラトリアム・新人も出席したので雑談会になりました、定年の諸君の話を聞くのも私の役目かな?と思い定めて、大人しく聞いているつもりだが、「会社員のあまりにも同じような、似た話を聞かされると、いささかうんざりである、もう少しユニークで面白い奴が出てこないのか」と言うのが、正直な所である。

技術コンサルタントの世界 2006.03.27.
「定点観測」
私の日曜日の楽しみは、天気がよければ車で東京に出かけることです、ミーハーなシティー・ボーイの成れの果てですから、行き先は新しい盛り場です。
一寸前は青山の骨董通りに車を置いて、周辺を1万歩くらい歩き回ったり、六本木の公共駐車場(けいみ会でよく話題になる)に車を置いてうろうろしていました。
最近は塩留ー品川の駅地下の駐車場に車を置いて探検しています、品川のフリーマーケットでは帽子やネクタイを大分買い込んでいます、今月になって秋葉原を歩いてみましたが、まったく見違えるような変貌で、日本のバブル後遺症は完全に復活したと言う気分になってきました。
今のところ復活は最先端の都市からですから、田舎の過疎化・人口の減少とか所得の二極分化等、政治に対する文句がマスコミを含めて澎湃と湧いてきていますが、私は何年かの時間差はあると思うけど、都市の繁栄が田舎を救うことになると思います、世界中で社会主義の衰退がはっきりして来ているのだから、今更結果の平等はアナクロだし、田舎の豊かさは都会の豊かさのメルクマールとはまったく違うものであるはずです。
20年来の定点観測は、日本橋三越の地下食品売り場です、我が家ではパンとコーヒーくらいしか買いませんが、ここに買い物に来る人たちを見ていると時間がたつのを忘れるほど面白いのです。
点滴の袋をぶら下げているお婆さんや酸素ボンベを担いでブランドあるお使い物の買い物をしている人も居ます、大きなベンツから10分ぐらいかけてようやく降り立ったよれよれのバーさんが、買い物袋を持って颯爽とエスカレーターに乗り込んだ光景は忘れられません。
和田忠太さんのような先輩に電話するのも、私の大事な定点観測の一つです、30年前の和田先生は真っ赤なポルシェに颯爽と乗って北の丸公園にある科学技術館の展示を一手に引き受けていた私の憧れの技術コンサルタントで、毎週TBSラジオの子供電話相談室で無着さんと一緒に科学の質問に答えていた先生です。
今はもう80歳を超えたお歳ですから、府中の大国魂神社の近くに住んで大人しく散歩三昧の御隠居さんになっていますが、数年前までは毎週調布の飛行場から飛行機を運転して飛び回っていた元気な先輩ですから、教えてもらうことが沢山あります。
最近の面白い本と映画に関しては、同級生のN村君、M浦君と情報交換をしています、趣味のずれている所と重なっている所のある友人が居ることは真にありがたいことで、彼等が本格的な御隠居さんになったお陰もあり、最近は私が教えてもらうことが多くて大いに助かっています。
今日は原宿・神宮前に出来た表参道ヒルズと称する(あまり良い呼び名じゃないね)安藤忠雄さんの建築を見物に行って来ました、表の建物は以前の同恂会アパートの印象を残して低いけど、地下4-5階あったかなあ、真ん中が吹き抜けているので、あまり狭さを感じないユニークな設計で感心しました。
都市の盛り場の地価が上がったと言うことで、すわ又バブルの再来かと気の早いマスコミが書いていますが、私は日本人は同じことを繰り返すほど愚かじゃないと信じています、ひどい目にあった連中が死に絶える2-30年後には又あるかもしれません、満州で2年間難民生活を経験した私は幾つになってもユダヤ人程じゃないけど、土地なんてとても財産とは思えません。
遺言や家訓を作るとすれば、土地なんか勿論、お金も財産の内に入れないかもしれないな。

技術コンサルタントの世界 2006.03.19.
「オカルト話」
12日(日)に箱根の温泉でのSMEのプログラム・委員会で、同室に泊まったSMEセクレタリーの又城君は、アメリカ空軍の調布基地に勤務するエンジニアで10年来の友人で、デトロイトにあるSME本部の活動については彼が日本で一番詳しくて、頼りになるアメリカ通の仲間である。
その又城君が真面目な顔をして「森田さんは本当は長男じゃなくて、早く亡くなったお兄さんが居ませんか?」といきなり聞かれた。
確かに我が家でも今では私しか知らないであろうが、私には一歳上に死産だった兄がいた事は昔おふくろから聞いていた、又城君が言うには「森田さんはこれまでにその兄さんに2-3回助けられている、長・次男的性格があるのもそのせいだ、感謝しなさい」と言うことらしい。
おりしもお彼岸である、今日は墓参りで始めて名前も無い兄に、これまでの援助を感謝してきた、確かに8歳の時満州からの引き上げ船の階段から落ちて頭を3針縫ったこと、60歳で症状も無いのに心筋梗塞を発見してバイパスしたこと、4年前にオレゴンの山の中でレンタカーを転覆させたこと、それぞれ奇跡的といえば奇跡的に生き残ってきたような気もする。

「お金の話」
シニアになってわかったことの一つは「お金は若い頃心配していたほどいらない・必要ない」ということである、私も人並みに若い頃から「老後のために懸命にお金を貯めようと努力してきました」、今70歳近くなって「さて俺はもう老後になったぞ」と気がついてみると、案外使うこと無いのです。
私は今でも働いていますから、年金だけの老人とは若干立場は違うかもしれませんが、後輩に言えることは「お金は使えるときに使ったほうがいいよ」という事です。
世の中ではお金を稼ぐほうで人間を評価しますね、私なんかはへそ曲がりですからお金をどう使ったか、何に使ったかを評価したほうがまともな事のように思うんですがね。

技術コンサルタントの世界 2006.03.14.
「勉強会の効用」
今月は新潟の雪見酒・温泉、草津のPH1.4のお肌つるつる温泉に続いて、12日(日)には箱根の金型組合・箱根荘で「SME(society of manufacturing engineers)東京支部のプログラム委員会」があ
り、一年分の工場見学・講演会が提案され、旧知の工作機械関連の大学の先生方やメーカー・ユーザーの技術者12-4名の宴会・温泉と楽しいイベントがありました。
今年の支部長日大のR先生と、酒席で隣り合わせたので、私の持論の「教育者としての先生のproductsは教え子なんだから、卒業後ポンコツになるまでPLの責任をとってくださいね」とお願いしました、研究者として期待はしていませんよ、と言ったのは失礼だったなと反省しています。

会社を辞めて1人になった途端に、話し相手に困り勉強会を口実に技術士会に顔を出し始めてから40年近くなります、出来合いのグループが気に食わないので、どうしても自分で人集めをして勉強会を始めてしまいましたが、SMEというアメリカのエンジニアの団体だけは非常にうまく出来ていて、それこそ勉強・参考になるのでお付き合いしています。
勉強会に関しては、独立・自営の業者にとっては死活に関わる重要なテーマです、当面の仕事に関わる勉強会も重要です、私は新しい仕事を考える時は必ず長めのタイトルを考えることにして、仲間の顔を思い浮かべて勉強会をはじめます。
技術士仲間は専門分野に関しては大いに頼りになりますが、テーマの設定や仕事の構想に関しては長年の経験により、人任せにしないで自分で考えることに決めています。

13日には、ラスベガス在住の名手孝之さんが連れてきた、「一日で工事する浴室のリフォーム・ビジネス」を日本で展開したいユタ州の36-7歳の若者alan hansen 君と根本泉君(建設)に同席してもらい銀座の交恂社で食事をしながら話を聞きました。
alan君は若い頃モルモン教の布教で日本に2年いた事があるといい日本語が上手な上に、典型的なアメリカの元気な青年らしく、私の「self-employer大好き」論に共鳴してくれたので、私は大いに気を良くして協力を約束しました。

技術コンサルタントの世界 2006.03.08
ようやく花粉症の季節到来です、正月頃からびくびくしてきたのですが大分今年は遅かったですね、ここ数年来薬は避けてマスク一本で乗り切っています、そのうちもう少し老いぼれると花粉症にも見放されると言うことなので楽しみです。

酒の席ですが、シビルの技術士がサステイナブル=持続可能な社会云々という議論を始めたので、「それは今後も継続的に公共事業に税金を使い続けないとえらいことになるぞ」という主張・強迫かね?などという嫌味を言ってしまいました。
私はこれまで何回も、突発的に自分で制御できない「意地悪爺」になることがありました、振り返ってみると「多数派になることに耐えられないのです」、後輩には「満州引揚者に多い」と言う指摘も受けています、これまで常に「少数派に属してきたお陰で生き延びてきた」という事実と「本人は覚えていなくても、子供の頃よほど何かひどい目にあったので、ひねくれた性格になった」と言う仮説があります。
当分の間、役所・役人・税金の使い方に関する風当たりは強くなりそうですね、我々の作った「NPO・地域と行政を支える技術フォーラムの基調は民営化です」、今のところ始まったばかりなので「活動は監査業務の確立に集中している」が、そのうち民営化の流れの中に我々技術コンサルタントを必要とする巨大な分野が出現するに違いない、シビルの諸君で役所からの仕事ばかり追っかけない人が出てきても良い。

さて最近、「NPO・技術経営責任者協議会」の運営委員会(ステアリング委員会)について、何名かの諸君に下記の様なメールを送りました、ceaの諸君も考えてみてください。
貼り付けー
JETOの皆さん、森田裕之です。
会員の皆さんに相談です、JETOのステアリング委員会は毎週金曜日3時ー5時、西新橋の技術士養成講座・工業技術振興協会(JTTAS)の事務所で大塚政尚理事長を中心に行なってきました。
これまでのJETOのイベント・対外的なお付き合いについては、どうしても技術者・経営者としての経験がある大塚理事長のリーダーシップに「おんぶに抱っこ」してきています。
私はこの団体の言いだしっぺの1人として、これからは少しずつでもメンバー諸君の中からステアリング委員会に参加してくれる人が出てきてくれることを期待しています。
技術者は元々謙虚で、誘われなければお出ましにならない人が多いのはわかっていますが、お膳立ての出来たイベントに出席するだけの会員よりは、たとえ毎週でなくてもステアリング委員会に顔を出して、色々提案してくれると有り難いし、ひいては自分のためにもなると思います。
貼り付け終わりー
4-5日には、草津にある大塚君のリゾートマンションでPH−1.4という強酸の温泉に入ってきました、皮膚がつるつるになる(溶けるのかも知れない)とか、いつまでたってもさめないとか不思議な感覚になる、歴史的には病気の治療温泉として有名だけど、休日は観光客で賑わっていました。

技術コンサルタントの世界 2006.03.01
26,27日は、日韓技術士会議の実行委員会(ステアリング委員会)の委員長中山輝也さんのアレンジによる、新潟雪見酒の旅に参加しました。
月岡温泉の豪華割烹宿・いま井ー佐藤食品工業(サトウのご飯)見学ー寺泊・豪華昼飯・昼酒(きんぱち湯)という「御馳走・温泉・工場見学」の三点セットで12人の参加者は大満足でした。
私は15年来のこの会合で地方の技術士、シビルの技術士とのお付き合いが出来るようになって本当にありがたいと思っています、ここ数年の間に世代交代をしようとも考えていまして、韓国との付き合いに興味ある人はぜひ私に言ってください、今回は懇親会でしたが平野君が参加してくれました、ceaから高堂君、田吹君も会議には参加しています。

佐藤食品の社長さんが、ご飯のパックが売れ始まるまでの苦労話をしてくれました、神戸の震災で販売に火がついたんだそうです、昔からの「はじめちょろちょろなかぱっぱ」というご飯の炊き方を忠実に自動化していることや、無菌化によって8ヶ月も保存可能になっていること、広告料が大変だけど世の中に知られないことには全然売れないこと、矢張り創業の社長と言う人は偉いものですねえ。

寺泊で聞いた話では、地場の角上魚類という会社の大発展によって、寺泊が全国的な顔になったのは良いが、寺泊の港に入ってくる魚はそれほど沢山無いので、よその市場からの魚が寺泊の魚ということで流通しているらしい、看板とかブランドという価値付けによって世間の信頼を受けることが、我々の社会の基本構造になっているということなんでしょう。

技術士仲間の付き合いは、始めたら長く付き合うことが肝心で、会社や仕事の付き合いとは趣をことにしている、私はこのあたりのことが理解できない人は可哀想な人だと思っている。
それはさておき、連日の御馳走とお酒で1-2キロ重くなった身体を元に戻すために、28日は2000メーターの水泳と12000歩の散歩をしました。

技術コンサルタントの世界 2006.02.24
今年になって技術者の独立・自営の一分野である「セールスレップ」に関わっている人達の話を聞きました、日本ではこれまで生産者やメーカーは販売や市場の開拓を、既存の商社・問屋のネットワークに依存してきましたが、新商品や新素材の用途開発などの専門知識・経験を必要とする分野に関しては、欧米では当たり前になっている独立・自営の個人を「セールスレップ」として利用する需要が生まれてきた。
我が組合のフェロー会員である向井淳彦君は、アメリカの大手の化学会社が開発した新素材の日本でのユーザー(メーカー)の用途開発に関してセールスレップ契約をして日本市場を任されている(向井君は業界誌の記事を見て、自分から日本のメーカーへの市場開拓窓口としてのセールスレップを売り込んだそうです、偉いねえ)、同様に私の弟の森田譲之は、複数のドイツの機械メーカーのセールスレップを引き受けて市場開拓で飯を食っている、彼も組合のフェロー会員です。

22日に埼玉技術士会の定例会で新会社法の講演された豊田賢治さんは、文系の方ですが、日本セールスレップ協会http://www.jrep.jp を運営されているそうです、経済産業省認可にセールスレップ
協同組合というグループもあるそうで、我々は文部科学省ですが組合と言う点では親近感がありますね。
豊田さんの話では、日本でも地方の物産品を全国に販売展開したいという大きなニーズがあり、沢山の情報があるんだそうです、私は「企業城下町のメーカーが持つ技術・製品の市場開拓」に関しては、専門の業界にグローバルな見識を持つ技術者が独立・自営業者としてセールスレップ分野に挑戦するのは面白いのじゃないかと思います。

技術コンサルタントの世界 2006.02.21.
「京都を案内してきました」
18日(土)から、イタリアから来日している妻の友人2人を京都に案内してきました、19日はトヨタ・レンタカーでプリウスを借りて、銀閣寺ー金閣寺ー竜安寺をのんびり歩きました、20日には神戸から1人、横浜から1人妻の友人が加わり、私は女性5名を引き連れて?森田家のお寺の御本山である知恩院から円山公園、祇園町を歩き回り、おかゆや湯豆腐、鯖寿司を食べてきました。
京都には年間4000万人の観光客が訪れるんだそうです、物凄い人数ですね、私は駅構内のグランビア・ホテルに泊まったのでその一端を実感したような気がします。

もっていった本は、「不道徳教育」−擁護できないものを擁護するー橘玲訳(http://www.alt-invest.com)
 原著はWalter Blockと言うアメリカを代表するリバタリアンの1人で、私も副島隆彦さんにリバタリアン技術者とレッテルを貼られているからという訳ではないが、共感する所が沢山ある面白い本だった、このように具体的に「小さな政府」と「市場原理主義」の実例が出ていると、判りやすい。

技術コンサルタントの世界 2006.02.14.
先週末は山形の顧客先で新旧の友人達6名での雪見温泉泊になりました、朝飯が大広間でのお餅つきという名物の温泉宿でした。
日曜日には、卒論の仲間6名と未亡人1名、私は妻を同伴して、今年の夏に高橋利衛さんという早稲田の名物教授だった先生の7回忌・運営委員会と言う名目で、青梅にある河鹿園という割烹で会席料理を食べました、話のほうが忙しくて何を食べたか記憶にありません、本当は川合玉堂描く所の都下有数の渓谷美を誇る所にある料亭で、卒論の仲間で若くして死んだ村木君の地元と言うことです。

さて長年間違いなくいいことだと信じてきたことが、実はそうじゃないと言われても、にわかに信じがたい所であるが、「黒字亡国」ー対米黒字が日本経済を殺すー三国陽夫著、を読むと、金本位制をやめてドル本位になって以後の貿易黒字は、あたかもインドが植民地としてイギリスに搾取され続けてきた歴史と同じ構造が、日本とアメリカの間に起こっているんだ、と言うことらしい。
我々はこういう大きな構図でものを見ることに極度に弱いですね、20数年前の東芝機械事件と今回のミツトヨ事件と時代は変わっても優良な会社と思われている会社の対応はまったく変わっていない、純朴そうな社長・社員が突然悪者扱いされて呆然としている様子で可哀想だなあ。
確かに為替が60円になれば、トヨタ以下自動車会社はあっという間に赤字に転落するのですから、我々は明日をも知れぬ不条理の世界を生きているわけです。
いわゆる企業城下町に生きる中小企業や個人は、明日をも知れぬ不条理の世界のリスクに弱いですねえ、私は今更こういう分野のコンサルタント業務を開拓する気力は無いけれど、崩壊した大企業のケースを色んな角度で分析して、現在健全な会社や個人に対してコンサルタントするというのは、面白いビジネス・モデルになり得るのじゃなかろうか?

技術コンサルタントの世界 2006.02.09.
8日には、SME(Society of Manufacturing Engineers)東京支部の総会/2月例会の講演会、慶応大学の清水浩教授による「電気自動車Eliika(エリーカ)」を聞きました。
化石燃料は、エンジンで7%、燃料電池で15%、電気自動車で27%の効率だそうです、要素技術はリチュウムイオン電池、永久磁石(ネオジ)モーター、インバーターの3つで、それぞれ日本が世界一位の技術を持っている部品です。
テーマがいいことと、この先生のリーダーシップ・説得力が素晴らしいので、お金が集まるらしくポルシェと競争させた高性能スポーツプロトタイプから、軽自動車サイズの試作車まで作ってデモしています、この先生は環境情報学部の先生で、生徒も機械・電気の技術系から文系の学生も参加しているらしく、これまでの自動車専門家である技術者出身でない所に新鮮な発想が生まれているらしい。
SMEはアメリカでは巨大なNPO/エンジニア教育機関として有名だが、日本では200名足らずの主として工作機械関係者・会社に支えられて、工場見学会や講演会をやっています、2-3年前には会員の減少や世代の交代でピンチでしたが、昨年あたりから復活の様相を見せてきて、運営委員の又城・太宰君らボランティア諸君もほっとしている所です。
SMEには学ぶべきことが沢山あります、アメリカのエンジニアは割合は知らないけど勤め先の会社とこういう団体への帰属意識が日本のエンジニアとかなり違うように感じています、日本は会社以外は0なんだろうな、もう少し色んな人が出てくるとバランスいい社会になると思うんだけどね。

7日には久しぶりに教育同友会の伊藤糾次先生のお宅に出かけて、2時間ばかりがんがん議論しました、この先生82-3歳と思うけど、相変わらず冴えていて、私の最近やっていることをお見通しでした、この日に判ったことは、大学の先生も管理体制など屁とも思わない先生はself-employerなんだということです。(前に書いたと思うけど、アメリカ人は「誰かに仕事のことをレポート(報告)しなきゃならない人をemployerと言い、する必要ない人をself-employerと言う」のです」)

技術コンサルタントの世界 2006.02.03.
「変わり者歓迎」

1970年に技術士試験に合格して以来、技術士会の色んな会合に出席してきたが、何時の頃からか世間的に言うとユニーク・変わり者の系譜があることに気がつきました。
軍人上がりの先輩達が沢山活躍されていましたが、逗子の海軍住宅に住んでいた友人の故・塩山君の父上は、私が遊びに行くと、押入れから行李(竹で編んだコンテナー)を6-8個引っ張り出して、森田君今度戦争があったらこの青焼き・設計図(最新型なんだそうです)を使って戦艦を作ってくれ、と真面目な顔をして頼まれました。
大田さんと言う機械の先生は、遊びに行くと、人類の起源は広島なんですとか、キリストは青森で死んだのですとか、その後の桃太郎の紙芝居を見せてくれたり、帰りには皆に(若手5-6人がお邪魔した)一升瓶を一本ずつ「普通より軽い水」で怪我・乗り物酔い・便秘など万能の効果があるといってお土産に貰いました。
日本地電流地図を何時も持ち歩いて解説してくれる電気大出身の先生も面白い先生でした、一ノ宮・二宮などの神社のあるところや国分寺のあるところは、アースの良いところで人間の住みやすい場所なんだそうです。
当時高島平で銀座の鳩居堂の旦那が自殺した事件があり、その先生曰く、高島平はアース最悪の地域だからだと言うことでした。
電・磁場での燃料燃焼に関する淺川先生のいう淺川エフェクトなんていうのも、技術士仲間では有名な話でした。
私は自分が平凡な、当たり前な人間のせいか、こういう変人が大好きで、評判を聞くと仲間を誘ってお宅まで押しかけたものです、大抵の先生のお宅では、奥様が大歓迎をしてくれました、大体夫が変人だと奥さんは普通の常識人ですね。

最近の若い人では、今週4日の定例会で喋ってくれる河川のエンジニアから環境観察人に変身した野本優人君や環境エンジニアから有機農業を始めた星野結子さんあたりが、なかなかの変わり者で頼もしい。

技術コンサルタントの世界 2006.01.29.
23日の日韓技術士会議のステアリング委員会あとの飲み会で、最近名古屋から参加している水道部門の中西さんという元気な女性の技術士が隣に座ってくれて、我が組合の創立のメンバーの1人、名古屋在住の古田二朗さん(水道部門)の近況を聞きました、中西さんはとても親しく付き合っているとのことです。
中西さんは大手のコンサル会社の役員、古田さんは私より一回り上の独立・自営の先生方、和田忠太、安達真夫、故・柴田勉さんたちのお仲間です、なんかしみじみした話になり、技術士という制度も何がしかの伝統を生み出しつつあるのかなあと言う気がしてきました。
24日は一日中顧問先で叱咤激励していましたが、夕方には組合の仲間・島田、橋本、谷口、平野、内田君達に集まってもらい、この会社の専門分野に関わる本「プラスチック成形・周辺機器の選択」の第2回編集会議をやりました。
25日は大塚政尚君の技術経営責任者協議会の資格認定研修プログラムの先生方とスケジュール打ち合わせ、アルカデア市谷での昼飯会議だったので、そのあと散歩を試み渋谷まで歩きました、12000歩でした。
26日は久しぶりに伊澤慎一さんと昼飯・雑談しました、伊澤さんは同じ歳の同じ満州引揚者で、私と正反対に中国大好き人間で、旭化成退職後は中国に入れ込んでいます、プラスチック業界の偉い人でもあるので色々情報交換をしました、最近は韓国からもお呼びがかかっているそうです、東洋的大人の風格のある人なので向こうの人たちに好かれるんだろうと思います。
27日は技術経営責任者協議会の講演会、日本政策投資銀行の島さんが大田区・浜松地区・広島地区等の中小企業の調査結果をお話されました。
主として大企業系列の中小企業についての分析で、我々独立・自営のコンサルタント業と同様に客先を増やすことが最大のテーマじゃないかと思いました。
28日は朝早くから、NPO地域と行政を支える技術フォーラムの研修会があり原田敬美君と橋本義平さんの「役所の監査業務」と言うテーマの講義がありました、私自身は役所も役人もあまり好きじゃないし、仕事と言う意味では私の役に立たないとは思いますが、技術士という資格者の仕事としても社会貢献と言う意味でも素晴らしい分野であることが良くわかりました。
民営化の時代の中で、民間から官・公共への参加というユニークな仕事が技術士という資格をとうして少しずつ創られてきていることも良くわかった、これまでシビル分野の仕事をしてきた人ばかりでなく、普通の民間会社出身の人たちも参加して研修会には20名も出てきたことも驚きでした。
そうだ、この会合に出てきた星野結子さんの野菜パック・通販の情報が会員内にあります、私も一度餅つきの時に送ってもらいましたが、有機栽培・新鮮な野菜で妻も喜んでいました、ceaの皆さんにもお勧めです。
28日午後には千代田プラットフォームに場所を変えて,大久保君のPL研究会から発展して事務系会社と付き合う勉強会と、高堂君のニューシビル勉強会がありました、どうしても姉歯建築士の偽装事件やホリエモンが話題になってしまいます、コンプライアンスやエシックスを脇においておいて、ビジネスモデルとして総研コンサルタントの内河さんやホリエモン君のやってきたことを研究したほうがいい、と言う私の主張は、帰りがけの神田駅前の飲み会あたりではようやく皆に理解されたんじゃないかと思う。
それにしても今週は良く飲みました。

技術コンサルタントの世界 2006.01.23.
「07年問題・雑感」

我々の会合に顔を出し始めた新人諸君に聞くと、定年の技術者を活用したいという団体が沢山あるようで、07年の団塊世代が出てくるのをビジネス・チャンスと捉えててぐすね引いてる感がある。
シニアの先輩の中には善意で、後輩が定年後の心配ないような受け皿作りという建て前から、グループや団体作りを呼びかけている、私もそんな活動にいささか関係しているから判る事は、定年前の仕事の延長に手を貸すことは不可能と言っていい、余計なお世話だが、退職金や年金を減らさないためにも「シニアの技術を生かしましょう」と言うような主旨の会社や団体には近ずかないほうが無難である。

大きな会社では、定年前のサラリーマンに、定年後の生活についての研修会をやってソフトランディングしてもらうよう努力している、それだけある種社会問題化している。

定年の人の中身(コンテンツ)が活用可能だし、身体だって元気なことは良くわかるが、私はとりあえずやったら良いなと思うことは、自分が住んでいる地域の人たちとの付き合いを始めてみることだ。
勤めていた会社との付き合いは、定年以前に辞めた人と定年退職者との間では、現役の人の対応が全然違うことを理解しないといけない、簡単に言えば定年退職者は元いた会社には近ずかないほうが身のためである。

私の世代で元気がいいのは、早くから勤め人の足を洗ってきた奴で、本当の年寄りになるまで会社人間だった連中は(会社でのポジションは高かったかもしれないが)精気を失ってしまっている。

ceaも似たような活動を30年間続けている、我々は「自立を促してはいるが、仕事を用意してあげる」と言うことは一切していない。

技術コンサルタントの世界 2006.01.17.
正月気分は段々抜けてきました、年末来の咳も家内共々完全に直ったようで元気回復しています。
年賀状、沢山頂きましたが、半分くらいは印刷したものでした、何か自筆でちょこっと近況でも書き加えたらどれだけ良いことか、来年私に賀状を出す人はぜひお願いします。
文句のいいついでに、年末年始に名刺をもらいますが、肩書きが多すぎる人が居るんです、自己紹介の重要な道具の一つですから、自己顕示したい気分はわかりますが、私のような海千山千の年寄りには、なるべくシンプルな最小限の謙虚な名刺を交換する人が印象的です。

独立・自営の新人たちと話をしていて、何か一番重要なことが伝えられないような気がずっとしている、役所や会社に長いこと勤めてきた人は、どうやら「どっかに行けばお金がもらえる、価値あるレポートを書けばお金になる」ことを考えているらしい。
お金を払う、それもコンサルタントにお金を払うのは、信頼されたからである、お金を払う人がコンサルタントを信用しなければ何事も始まらない。
肩書き・資格や履歴書・契約書はインフラ・ストラクチャー・周辺装置と考えたほうがいい、この辺の説明は難しい。
新人は試行錯誤の上で一社とコンサルタント契約できたら、もうあと何社でも顧客を捕まえることが出来る、言葉に表しにくいコツがある、このコツは多分人によって違うもので、私のコツは他人に伝達できない、マニュアルになんかできるものでない。

と言うようなことを私は30年間主張してきた、しかし昨年来技術士の先輩でゴミ分別・循環社会を説くコンサルタントの畔上統雄さんや、新聞を賑わしている総研の内河健所長のビジネス・モデルを勉強すれば、ある種のマニュアルが出来、あとは新人が自分の業界で応用問題を解いていくような事が考えられるような気がしてきた。
今年のテーマである。

技術コンサルタントの世界 2006.01.12.
7日には我が技術士協同組合の新年会と「独立・自営のススメ」の出版記念パーティを兼ねた講演会がありました。
四十数名の参加者があり、始めて参加した人も4-6名来てくれて、世話人の菅野君の毎月の地道な「独立した先輩に喋ってもらう活動」が独立・自営を希望する人たちに、届き始めたような印象でした、九州の福崎君に紹介されてきた姫路の山田君という若者は、7000冊刷ったと言う日刊工業から出した自著を手に自己紹介していました、頼もしい後輩が出てきたものです。

お正月の最初は、技術士協同組合の登記された事務所になっている、御茶ノ水の大治右弁護士事務所に御挨拶です、大治君とは高等学校の同級生で、35-6年前・同じ年に独立・自営に踏み切り、5年くらい経って私が先輩の和田忠太先生を担ぎ出して組合を作ったときから世話になっている。
組合の諸君の中には大治君に世話になった人がかなりの人数いるはずですが、大治君は口が堅いので私は良く知りません、いい弁護士と仲良しであることは、生涯どのくらい得なことであることか、後輩諸君、早く気がついてください。
その大治君は「みのもんたと同じ腰痛」で、今年は手術をすることにしたとのこと、その割りには元気で「75歳まで働こうぜ」
などと「誘いの言葉をかけ、同意を促された」が、私は返事をしていません、とてもじゃないが自信が無いものね。
さて天気も良いので久しぶりに、靖国通りの古本屋を北上し、調子に乗って靖国神社を参拝、どんどん歩いて新宿駅まで歩き(万歩計によると11000歩)帰宅しました。

お正月の読書は元気の出る本をまとめて読んでいます、バブル崩壊以前のオピニオン・リーダー長谷川慶太郎さんが再登場して沢山本を出しています、この先生は私より一回り上の技術者出身の評論家で、この人の本は元気が出るから好きです。
私より一回り若い人では増田悦佐という人の「国家破綻はありえない」PHP研究所が元気が出る本でした、日本という国のついていることは、小泉さんのような変人に無駄な公共事業を辞めるための権力を振るわせることに成功したことで、10年前の政治構造では考えられないことです。
これまでの技術士の大半は、公共事業側の人たちだが、ここ10年くらいのスパンで主役を民間の会社出身に変えていかないことには、その存在する意味も疑わしいものになってきそうである、受験者に役所の人が多いということも、この資格の未来を暗くしている。
とはいえ、独立・自営の技術コンサルタントこそが私のアイデンティティであるので、私の中ではとっくの昔に資格離れをしており、むしろ今では、大塚政尚君が主張する「技術経営責任者・資格」を世に広める運動に血道をあげたい気分である。

私の今年の目標は、組合員が色んなテーマでグループ活動をしていますが、そこに「技術コンサルタントの仕事の作り方」という側面を附加していければ良いなと思っています。

技術コンサルタントの世界 2006.01.06.
「技術コンサルタントは資格離れをする」

今日のテーマは技術士受験生や独立前後の諸君には、少々刺激が強すぎるので、諸君は「まあそんなものかな」という程度に軽く受け取ってください。
独立・自営を初めて何年か経ち、何件かの顧客に信頼をされるようになると、あまり資格を看板にしたくなくなるものです(勿論個人差はあるので、誰でもそうなるとは言いませんが)、考えてみれば当たり前のことで、仕事というのは(お金の流れを考えれば判りやすいが)資格者だけでカバーできることはめったにありません。

私の会社の会計をお願いしている事務所は、税理士に名義を借りているので、私の所への請求書でその仕事の資格者への支払いが判りますが、15%位払っています。
仕事のまとまり方にもよるので、一概に決め付けるつもりはありませんが、どんな資格も関わっている仕事の10−20%というのが常識でしょう、名義貸しなどいうおかしな裏制度もそんなところじゃないのでしょうか?
資格者として信頼されてスタートした顧客との関係は、まともな技術コンサルタント志望者であれば顧客は必ず仕事の拡大を要求してきます、あわよくば全面的に雇用することを要求されるケースが非常に多いのです、特に若い諸君には一度や二度の経験があるでしょう。
35年以上の私の経験・観察からして、転々と就職したり、独立を希望しながらもとうとう会社に定年までいてしまったという資格者が如何に多いことか、独立・自営が一番面白いと信じている私には、歯がゆいというか残念で堪りません。
資格者が独立・自営を望むなら、なるべく早く資格離れをする、というのが私の提案です、資格を忘れろというのではありません、資格者としての倫理・仲間との付き合いを大切にしながら「仕事の幅を広げよう」と言っているのです。
姉歯事件がわかりやすい構図を示してくれますね、総研の内河と言う人は何の資格もない人ですね、それが沢山の資格者を操って全体の絵を描いたといわれています、我々の先輩の大技術コンサルタントである和田忠太先生は、あの人は大嫌いな人です、と広言しておられますが、コンサルタントとしての力は認めていました。

誤解しないように念を押して起きますが、技術士の資格分野の専門家として独立・自営を長く続けている先輩方も沢山います、森田の言うのは邪道だ位の悪口は言われるかもしれません、しかし私は自分が出している「専門の看板」にこだわりすぎて先細りになり自滅して言った諸君を良く覚えているのです。

もう一つ、顧客に信頼されるということは、肩書きだけではないことを知るべきです、肩書きは概ね仲間内で自慢する程度に考えたほうが無難です。
潜在的な顧客との出会いが無いことを、独立・自営の難しさと嘆く諸君に良く会いますが、名刺をばら撒いたり、出会いを企画されたパーティーに出て行ったりするのは、あまり意味がありません、実際に技術コンサルタントを営んでいる(日本では)数少ない仲間にまずは信頼されて紹介されると言うのが、現実的な方法です、私はそのために技術士協同組合を30年もやっているのです。

仕事と資格はあまり関係ないという今日の提案はくどいようですが、中級者向けのものです。

技術コンサルタントの世界 2006.01.01.
明けましておめでとうございます。
一昨日・30日の餅つきは天候に恵まれ、盛大に開催できました、cea関係者の皆さんもたくさん来てくれました、楽しんでくれましたか?、この場を借りてお礼申し上げます、私は最高に楽しみました。
年末には3男の三朗が結婚したので、福島に親戚が出来ましたが、ご両親が餅つきにわざわざでてきてくれました、長男の嫁さんのご両親もすっかりこの行事になじんでくれて、横浜から朝早く出てきて夜遅くまで付き合ってくれます。

伊藤洋一さん(http://www.nikkei.co.jp/podcast/)という住友信託の研究員がTVで「組織が不祥事を起した対策を発表するけど、日本の大組織のトップがほとんど法学部出身者で占められているせいか、論理的には(色んな意味で)間違いの無い対策をだすが、結果的にはほとんどが先送りになり、抜本的な解決にならないことが多すぎる、欧米も最近の中国でも理科系のトップが敢えてバランスの取れていない方向性を即断即決して、結果責任を執るという方向に向かっている」というような主旨のことを喋っていました、小泉首相なんかも今後の日本のリーダーシップのあり方の変化を象徴しているともいえるでしょう。

昨年5月の「独立・自営のススメ」の出版は、私には大きなエポック・メーキングな出来事でした、7日(土)14時ー17時ー品川区「きゅりあん」4F研修室ーにceaの出版記念講演会とその後パーティーを開催する予定です。
ceaの新年会も兼ねようという意味もあり、皆さんぜひ出てきてください、この2-3年ceaもご多分に漏れず若返りがはげしく、メンバーが入れ替わりつつあります。
私を含めたシニア・ベテラン組みのceaでの役割は、自分のビジネス・モデルを良いところも悪いところも、正直に後輩どもに提示することにあります、悪気があるわけじゃないのですが元々謙虚な人柄である上に、守秘義務やらを考えると億劫になるので、諸先輩方の生活の実態は掴めない、どうやって独立・自営の道を確立したか判らないと言うのが正直な所です。
年末になって姉歯建築士の偽装事件の全容が明らかになって来ました、私はこの事件こそ技術者の「独立・自営に関わる総てのモデルが存在する」ということに気がつきました、勿論実際は建設関係の分野の事件ですが、私は技術者を取り巻く役所・会社・営業・系列・下請け・資格・に関してはあらゆる分野の技術者の独立・自営に共通する教科書が作れるのじゃないかと期待しています。
7日には、私のこの着想をお話しようと思っています。

アメリカからつれてきた風邪はなかなかしぶとくて咳が抜けません、妻なんかは声が出なくなり優しくささやくように喋っています、この調子では今年は寝正月ということになりそうです。