本文へスキップ

技術士協同組合は1976年設立の文部科学省認可の事業協同組合です。



CEA:Consulting Engineers Associates

シニアのコラム

シニアのコラム

シニアのコラム 2017.12.8.森田裕之
喪中につきというはがきを頂く季節になりました、普段は自分が年をとっていることを忘れていますが、それぞれのはがきに、感慨があります。
そういえば、プールメイトも、同級生の神社仏閣散歩の会も、メンバーが段々減ってきて、その都度寂しい思いをします。
同年配の養老孟司さんが「遺言」という本を出したので、早速買って読んでみました。
なかなか難しい本で、動植物や文化・文明の寿命と私の寿命について、考えさせられました。
日ごろの付き合いは、独立・自営の技術士の育成を主張しているおかげで、若い後輩たちとの付き合いが多いので、養老さんののような「先生」の話は、色々考えさせられて、気分が一新したみたいで爽快です。

シニアのコラム 2017.11.29. 森田裕之
相撲協会が暴力沙汰という不祥事に右往左往しているのを、マスコミで見るにつけ、産業界での大企業の不祥事の対応とまったく同じで、野次馬的には面白い。
たまたま我々のM/Lでも、企業の不祥事と技術士の立場について、澤田君が問題提起してくれたおかげで、私が企業内の諸君やOBでも最近まで会社員だった人に、見解を聞かせてもらって、ますます相撲取りとおんなじだと感じている。
事件になると、法律や業界の決まりや倫理要綱が論じられるようになるが、新人が相撲・仕事を覚えるのは、親方の部屋・会社や役所に入って、先輩諸氏に教えてもらい、やがて一人前になるので、法律や倫理要綱は騒動を起こしたネガティーブな状況を回復させるには、説得力があるが、相撲取りや技術者を一人前に育てていくには、相撲でいえば部屋・親方という単位、会社でいうと、部だとか課というような小グループで、先輩・後輩の間柄から、教育がなされていくのが、世の中の正解というものである。

シニアのコラム 2017.11.22. 森田裕之
卒論の仲間に、川越を案内してもらったが、近くに住んでいるのに、知らないことが沢山あり、特に喜多院には、500羅漢を始め沢山の木彫があり、その中で、創始者の天海僧正の顔が、凄い顔で、顔にひかれて、中村晃著・天海という本を読み、ついでに、隆 慶一郎著・影武者・徳川家康 上・中・下をアマゾンで買って読み始めた、これが抜群に面白く、世良田次郎三郎という野武士で鉄砲の名人が(失業している技術士みたい)体形がそっくりなので、家康の側近に家康の影武者に採用され、本物が関ヶ原で殺された後、側近に支えられながら、家康として天下を統一して、徳川300年のシステムを構築していく話である、しばらくは読書の秋を楽しみたい。

シニアのコラム 2017.11.13.森田裕之

11日午後の組合の会合に、久しぶりに、実家のある九州と東京の自宅を往来している田吹君が出てきたので、3月に九州・国分で亡くなった本田尚士さんの「サムライぶり」の話になりました。

私も去年の夏に、イタリアからの友人たちと、九州の霧島温泉巡りをした帰りに、鹿児島空港の近くの国分に本田さん宅に2時間くらい滞在して話をした。

本田さんは田吹君には、「パテントを出した技術でお金が入るので、もう少し大きな家を建てるんだ」と言ってたそうだ。
私には「森田は未だ日韓の会議に出ているのか、俺が引っ張って入れてやったんだけど、辞めたきゃ辞めていいぞ」(要するに、本田さんは、最近の韓国は気に食わないとのことでした)とのことだった、私はとっくにいかなくなっていたが、黙ってうなずいておきました。
薩摩隼人の子孫である本田さんは、今度戦争したら勝たなきゃいかんのだ、と言っていました。

シニアのコラムコーナー 2017.10.30.森田裕之

このところ我が家では、電気製品が次々と故障して、エアコン、冷蔵庫、洗濯機は部品の取り換え、TVはネット会社のサービスマンが接続ケーブルを取り換えてくれてOKと、部品の寿命というものを実感した。
人間も多分似たようなもので、血管なのか、内臓なのか、脳なのか、年齢とともに故障することは、避けられないのだろう。
人間は電気部品と違って、病気という敵も年齢とともに増えてくるのだから、大変だ。
私は特に健康のために何かやっていないが、独立したころ、暇なもので近くのプールに出かけていたのが習慣になり、今でも毎日午前中はプールで25分泳ぎ、25分歩いている、80,90歳のプールメイトも居て、行かないと次の日にどうしたのと、聞かれてしまうのです、元気な爺さん・ばあさんが沢山来ています。

シニアのコラム 2017.10.24.森田裕之
恒例のIPF・プラスティック見本市に出かけました、稲毛の幕張は昔、川鉄に勤めていたころ、1年ばかり住んでいたので懐かしく、バスでぐるぐる回って、あのまま川鉄に居たらこの辺に住んでいたんだという気分に浸りました。
見本市は毎年見ているので、既視感があり、あまり立ち止まらずに、歩き回って知り合いの会社に名刺を投げ込んで、コーヒーを飲んでいたら、九州の福崎君から携帯に電話があり、人材派遣会社と独立自営の技術コンサルタントの話を、大きな声で延々と論じました。
2月か3月には、月初めの土曜日の定例会で森君が新人の前で、自説を述べてくれることになっています、楽しみだね。

シニアのコラム 2017.10.17.森田裕之
定年後時間が経ってみると、元気の良いのは、絵を描いたり、俳句をやったり、定年以前から趣味でやってきた連中が、その後も継続している。
独立・自営もその一つと考えると、判りやすい、定年かなり前から組合の会合に顔を出して、独立した先輩連中と付き合いをしてきた諸君は、その後長く続いている。

シニアのコラム 2017.10.5.森田裕之
10月3日には、周辺技術研究会とガスボンベ研究会の共同の見学会で、上田にあるフロンティアという、プラ業界では名の知れた、ペットボトルの機械・金型・成型など一連のシステムの開発をやっている会社に行ってきました。
この地域は、プラ業界ではよく知られている、私よりは少し上の世代の青木固さんという事業家が築いた、日精樹脂、日精ASB研、青木研、という射出成型機、射出ブロー成型機の機械とその応用技術の世界に誇る拠点で、フロンティアの経営陣も青木さんのお弟子さんたちだと説明を受けた。
ペットボトルの材料メーカー、ペットボトルに充填する内容物のメーカーは、それぞれ日本の巨大メーカーだし、ボトルメーカーも吉野工業とか、先月見学した北海製缶なとの大メーカーが目立つが、空ボトルを運搬するのはコストアップにつながるので、内容物の工場に専用のボトルラインがあるのが常識の様で、小型機から大型機までのラインが、生産されていた。
この業界の技術者は、成型加工、プラスティックの材料、成型物の表面処理、ボトルの設計、内容物の充填エンジニアリング等々、幅広い専門分野をカバーする必要があり、独立・自営の技術士に適した業務分野じゃないだろうか?

シニアのコラム 2017.9.27.森田裕之
卒論の仲間たち6名と、川越の喜多院周辺を散歩してきました、4−5KM歩いて、徳川の3代目くらいの頃に活躍したと言われている、怪僧・天海和尚(すごい顔をした彫刻があった)によって作られたと言われる神社仏閣、3代家光の生まれた部屋とか、春日局の部屋とか、色々な建築物や五百羅漢の彫刻があって、飽きさせない。

シニアになったら、近隣の神社仏閣だというテーゼは、日本国じゃ大当たりで、近いので知っていたような気分だったが、時空を超えて遊べるのは、まことにありがたく、今度何処に行ってみようかという楽しみが増えた。

街を歩くグループは、すべてアジアのどっかからの見物人たちで、ピーチクパーチクやかましい、工業製品じゃ稼げなくなってきたようなので、我慢するしかないのだろうか?


シニアのコラム 2017.9.12.森田裕之
我々は、ある専門技術分野での技術コンサルタント業者であるが、自分の専門以外の相談を受けることがある、私は最初から先輩のアドバイスのとうり、知り合いの紹介に徹している、「問題解決できるかどうかの責任はとれませんが」という前提条件での紹介である、直接話し合ってご自分で判断してください、ということである。

営業とか商売に敏感な人の中には、いわゆる「人材紹介業」を自分の専門とは別に、法人を作ったりして始める向きがあり、私に言わせれば「ご苦労さん」としか言いようはないが、長い目でこの技術士資格者による、技術コンサルタントの業界を見てきた私に言わせると、良い結末を聞いたことがない。

専門分野の隣接部門の人たちとグループを作り、問題解決の仕事をすることは、独立・自営業の日常業務であり珍しくないが、会社を作ったりNPOを作ったりすることは、せっかく会社を辞めて、独立・自営業者になった原点を無視することになることを、忘れないでもらいたい。

シニアのコラム 2017.8.26
森田裕之です、今年もまた夏休み恒例になりつつある、箱根のパビーラという藤田君のお世話による、ホンダの保養所で、8月24日・25日にマイクロナノバブル研と大気圧プラズマ研合同の研修会がありました、どちらも千葉工大の尾上教授の指導による研究会で、組合のメンバーはステアリング委員として協力している。

真正面に富士山とそのすそ野が地平線の半分くらいを占める、素晴らしい景観にあるホテルで、4時に集合して委員会をそこそこに、晩ご飯を食べてカラオケルームに集合、10時ごろまで全員が熱唱・絶唱、大笑いが続発の楽しいひと時を、過ごしました、藤田君、岸君の奥様も参加、思いがけない英語の歌や地方民謡まで飛び出し、参加者の思いがけない一面が見えたことも楽しかった。
こういうイベントは、思いがけない参加者の色々な側面が飛び出すし、プライバシーも見えてきて、付き合いが深くなる、定例の会合での真面目な議論も悪くはないが、機会があればぜひ参加してみてください。


シニアのコラム 2017.8.11.森田裕之
私は20年前にバイパス手術をしたおかげで、身体障碍者の赤い手帳を持っている、石原さんが知事の時の政策で、美術館が介添え者と2人無料にしてくれる。
先日、バベルの塔の絵を見に行って、絵葉書を買ってきたので、しばらくぶりに「暑中見舞い」をばらまいたら、結構反応があり、こういう年中行事というのは、やった方が良いんだなと改めて感じ入ったしだい。
赤い手帳は、水戸黄門の手形みたいで、高速道路や長距離の鉄道運賃も割引があり、大いに助かる。

シニアのコラム 2017.7.26.森田裕之

近隣を乗り回すのに、私はスズキのワゴンーRに10年くらい乗っていたが、先週車検でバイパスにあるスズキの販売店に出かけたときに、展示場にあったハスラーという新しいタイプが気に入って、買い替えてしまった。
妻を含めて周りからは、一体いつまで車に乗る気なんですか?と責められているが、車の運転が好きなので、あまり深く考えたことがありません。
さっそく、足慣らしに、日高にあるサイボクハムに行ってきました、ここは昔は豚の牧場だったのが、肉屋ー食品スーパーーレストランー温泉レジャーランドと、発展してきた面白いところで、我が家も子供が小さいころから、よくとんかつを食べに行ったものです、今でも家族ずれが主で賑わっていました。
日高には、色々行くところがあり、高麗神社はじめ神社仏閣も多く、日本建国の頃に今の朝鮮・高麗から大量の移民・難民が入植したと言われる「関東平野」=多分当時は関東大湿原と秩父山脈の、要・かなめの部分が日高だったんだと思う。
私の親父の田舎は、サイボクハムからは車で30分くらい東にある、稲荷塚古墳の近くにあり、よって我が家の先祖は高麗からの難民で、関東平野の開拓農民一家だったに違いない。
立川の出身で、三菱長崎に勤めて定年退職して長崎に居を構えている友人・野村君は、車で九州の神社仏閣を探索するのが趣味で、たまに電話で色々喋るが、年寄りの暇つぶしには、神社仏閣の散歩と歴史探索が良いと思う。

シニアのコラム 2017.6.18.森田裕之
大きいほうの車は車検だが、小さいほうの車・軽を買い替えた、何時まで車に乗るつもりですか?と言われそうだが、最初の給料でスバル・360を買って以来、スバル・1000、スバル・1100、ホンダのブルドック・4駆、ワーゲンゴルフ、BMW3、ベンツと乗り継いだが、近場は10年くらい前からスズキのMRワゴンに乗っている、これが故障無しで調子が良い。
車が好きで、車メーカーに就職しようと、機械科を卒業したのだが、ユーザーのほうが色んな車に乗るるんだと気が付いて、メーカーに行くのを辞めた経緯があった。
近所のスズキの展示場に出かけたら、赤と黄色の彩りの派手なのがあり、黄色を選んで、気分良く帰宅した、これなら駐車場ですぐ見つけられるし、ファナックの工場の色だし、気に入った。

シニアのコラム 2017.5.15.森田裕之
卒論仲間で年に何回か旅行していたが、最近は近場の神社仏閣がふさわしくなっている。
私自身も、外国は御免被るし、今更外国の名所旧跡には、興味が無くなった、不思議ではある。
さて先日、おばあさんの原宿で有名な巣鴨を散歩しようと、出かけました。
噂にたがわず、シニアの女性の買い物の店・ブティックが並んでいて、面白くないのでどんどん歩いて行くと、懐かしいチンチン電車があったのでこれに乗り、早稲田のほうにいくと、「鬼子母神」という駅があったので、瞬間的に神社だろうと下車して行ってみると、なんとお寺で、お坊さんがうろうろしていたのには、驚いた。
日本が神仏混交であることは、常識として知っていたし、大抵の大きな神社の近くには、お寺があり、大きなお寺の近くには神社があるということは、最近の散歩で判ってきた。
ただ、鬼子母神のように、神さまを祭るお寺があるんだということは、びっくりだった。

シニアのコラム 2017.4.20.森田裕之
第一土曜日の午後一にやっている、新規開業支援の会に新しく参加する諸君の自己紹介を沢山聞いているが、世間でいうとかなりの年配の人が急増している。
団塊の世代の諸君が、会社を定年になり、顔を出し始めたということらしい。

私の世代から言うと、60−70くらいの諸君は若いと思うが、案外爺さん臭いのにびっくりすることがある、かなりのばらつきがあるのが現実の様だ。

岡君は世話人をやったり、開業支援の講師をやったり、色々組合の活動に寄与してくれた後輩だが、駅で転んだり、車をぶつけたりしたという話を聞いたばかりの最近、仕事も辞めて、外出はしないという連絡があった、残念だが周りがしっかりしているので、しょうがないと思う。

私自身のことも含めて、シニアは周辺の人達が、しっかり観察していて、本当のことを本人に知らせることが理想的なんだが、なかなか難しい。

最近、仕事がらみで、私に怒り狂ったメールをくれた組合員がいるが、経過をよく聞いてみると、自覚症状のない半ボケのシニアがM/Lから顔を突っ込んできたということらしい。
私は、昔から技術士の名簿やリストから、仕事がらみの付き合いは無理がある、と主張してきた。
仕事の紹介は、技術コンサルタントの重要なテーマだから、名簿の情報程度で軽々にやるべきではない、と先輩ずらしている。

シニアのコラム 2016.4.7.森田裕之
3月29日に、同じころに独立・自営を始めた技術士仲間の、松本俊次さん・千代田化工OBと高橋宏太郎さん・大和製缶OBと、新宿の京王プラザホテルで、昼ご飯を食べておしゃべりをしてきました。
高橋さんは当時・1973年ごろから、タイ国にコンビーフの缶の中古の製造機械を持ち込んで、缶を作り日本のお客に販売している、今では世界でコンビーフの缶は高橋さんの独占なんだそうです。
84歳になりながら、初めから単身赴任で今でも自炊しているし、暇なときは絵を描いていると元気はつらつとしたシニアである。
いつ死んでも良いように、タイ人の社長を育成し、新事業として、ガスコンロのボンベを、同じように日本の機械をそのままタイに移設して、缶を日本に送るビジネスプランを打ち合わせていると言っていました。
ガスボンベのプラ化の計画は話していません。

シニアのコラム 2017.3.11.森田裕之
卒論の仲間と2−3か月に一度の散歩をすることにしている、昔はグアムに行ったり、外国にも出かけたが、最近は近場の神社仏閣である。

この半年では、成田不動、高幡不動、川崎大師、目黒不動、先週には巣鴨のとげぬき地蔵=おばあさんの原宿に行ってきた。

神社仏閣そのものにも、結構故事来歴が歴史を考えると面白いし、門前というか周辺の街の歴史もなかなか深い関係があって、出かけた後に図書館に行って調べたりして楽しめる。

神社と仏閣が必ずと言っていいほど「近くにある」というのも面白い、神社が自然の山とか川とか大木とか岩とか、自然に対する畏怖がご神体で古く、お寺は神社よりだいぶ後になってから、人間の悩みの解決を主とした役割で建てられているというのが、原則みたいだ。

別に遠くに行かなくても、日本には沢山の神社仏閣があるので、歩ける間はこれがシニアの暇つぶしの花形だね。

シニアのコラム 2017.1.8.森田裕之
私が出した年賀状に、餅つきに「延べ100人の参加者」と書いたが、私の関係者20名(技術士と学友)、妻の関係者(絵と太極拳)20名、親戚30名(私3人兄弟、妻3人姉妹)息子どもの友人30名で、半分は台所と家の中、半分は庭と、本当に大勢来てくれました。
その年賀状を見て、「100人とはすごい、地域おこしだね」というメールをくれた同級生が居た。
残念ながらピンボケのコメントで、地域・近所の人は一人も来なくて、四方隣の家には「うるさくしてすみません」とお餅をもって、挨拶に行ったくらいであった、これは48年前に始めた、私の道楽が、たまたま毎年続いたので、人が沢山来るようになったということなのだ。

私が始めた、独立・自営支援のための組合活動も、技術士のためとか、社会のためという見方は間違っていて、自分が独立・自営で食えるようになったので、道楽で始めたもので、あまり崇高な目的意識があったわけじゃなく、かといって、後輩に仕事を斡旋するような業者を目指したものでもないのが、実態である。
色々世話人を引き受けてくれる諸君が増えて、まことにありがたいが、そういう連中も、私の道楽に共鳴してくれているんだと、あまりお礼を言ったことがないが、本当は有り難いと思っている。

シニアのコラム 2016.12.24.森田裕之
人間は歴史上、北半球では北から南にしか民族の移動は無いんじゃなかろうか?
それだけ人間は寒さに弱い動物で、先日、内田君からアフリカのヨハネスブルグの話を聞いて、さもありなんと思ったのは、寒いオランダ、ドイツ、フランスといった旧・宗主国から、植民地だった、温かいアフリカに大勢の人間が移民してきているという事実である。
ロシアの昔から、ほっておけば人間は「南進」してくるので、あれだけたくさん人のいる中国が、国境を築いているんじゃないだろうか?
敗戦時のどさくさにソ連が分捕った4島は、帰ってきたら帰島するという数千人の皆さんには気の毒だが、沢山税金から弔慰金を払って、ロシアに差し上げたらいいと思います。
お前はそんなこと言える立場かと聞かれれば、我が一族は満州に親父が築いた資産を、放り出して帰国して、戦後をやり直しました。

シニアのコラム 2016.12.10.森田裕之
何時の頃からか、年末は過去との付き合いを思い出すことが多い、昔の信州の知り合いからリンゴが送られてきたり、四日市の後輩からお菓子が送られてきて、しばし色々思い出している。
年末の散歩や忘年会で、具合が悪くて参加しない奴が出るが、体の具合かどうか心配してしまう、これも皆シニアになった証である。

哲学者の吉本隆明がどっかで書いていたが、10歳以下の子供は無条件で可愛い、私も人類が人種を問わず、地球を制覇したのは、人間のDNAがほかの動物よりも、他人の子供もかわいがるという知性が、付加されているからじゃないかと考えている。

私は、小さい子供を2人、3人自転車に載せてよろよろ走っているお母さんをよく見かけるが、年取ったらわかるけど、10歳くらいまでの子供を育てているときが、長い人生で一番幸福な時期だったんだと、シニアの爺さんとしては、つぶやいているのである。

シニアのコラム 2016.11.16.森田裕之
卒論の仲間とは、最近は近隣の神社・仏閣の散歩をしているが、会話がどうしても「病気自慢」になり、寒くなると元気がない。
そういえば、アメリカを旅行したころ、フロリダ半島を車で南下していると、海岸に高層の住宅が沢山あり、住人は北のカナダあたりの年寄りが、冬の半年は移り住んでいるというコンドミニアムということであった。
アメリカというのは、今度の大統領選挙でもへーと思うような議論があるように、我々にはびっくりするようなことがあり、車でのんびり旅をしないと分からないようなことが多い、日本人はあまり群れていないが、年寄りばかりの村とか、ベトナム村とか、酒を飲まない村とか、特殊な宗教を信じている家族しかいない村なんて言うのがある。

私は、なるべく自分とは違うタイプの連中が、沢山居るグループ活動が面白いと思うが、つまり会社勤めには不向きな性格だが、独立・自営に興味を持つ、第一土曜日の会合に参加する諸君の大半は、organization-man的な、組織大好き人間が多くて、いらいらすることがある。

シニアのコラム 2016.9.26.森田裕之

毎日のプールと読書は、若いころからの癖なので、今でも欠かさずやっているが、最近は俳句が面白そうだなとは思うものの、年齢を考えると無理だとあきらめている。

会社の定年くらいの年齢の若い諸君は、ぜひ何か趣味を始めて、継続することをお勧めする。
仕事が趣味などと言う奴が居るが、仕事は自分だけで作れるものじゃなく、必ず相手が居るのが常識だ、年齢コードというのが世の中には厳然とあるのが、シニアになってみないと分からないのです。
 
 自分一人で暇つぶし=趣味ができることを、1−2始めておいたほうが良いよ。

シニアのコラム 2016.8.10.森田裕之
今年の4月になってすぐに、妻が自宅の前の電柱に、左側のバックミラーをぶつけて、修理に出したのを皮切りに、息子に貸したら左側を端から端まで10CMくらいの幅で擦られ(100%先方が悪いらしいが、保険では7対3)修理したところで、大宮の氷川神社に出かけて「お祓い」をして、厄を落としたつもりでいた。
7日の日曜日に、三郷のコストコに買い物に出かけて、なんと今度は私が駐車場で中国人のおばちゃんの運転する車に、バックで衝突して、バンパーをへこませてしまった。
連続して保険屋に頼むのも腹が立つので、イェローハットに現金を払ってきたが、帰宅したら天皇陛下がTVでお話をされていて、身につまされ、しゅんとしている。

シニアのコラム 2016.7.7.森田裕之
今月の周辺技術研究会は、6日に狭山にある「八千代工業」という、本田の部品やプラスティックのガスボンベのメーカーということで、米森君や藤田君などの技術士仲間が5−6名、全部で20名の参加者が、主としてプラスティックのガソリンタンクやバンパー、インパネ等の大型部品工場を見せてもらった。

私は大分前の新聞をにぎわした,再審事件「東大阪殺人事件」での私が裁判所に出した「仮説・ガソリンタンクの注油口からの漏れが、風呂のガスバーナーの種火に引火した」の話や、鉄板からプラスティックに変わった頃の、化学会社や機械メーカーの協力話をした、シニアはどうしても昔話をして、嫌われるんだよね。

周辺技術研究会は、始めてから5−60社を見学しているので、在庫が不足しています、新しくネット会員になった諸君は、ぜひ見学させてくれる工場を、紹介してください、技術士は大抵現場が好きで、見学会でもないと現場が見られないシニアは、最優先で参加するし、出来るだけ同業者お断りなんて言うせこい対応をする総務の人を避けたり説得して、同業者の技術者同士の付き合いを、増進してやろうという野心もあり、最優先で参加しています。

シニアのコラム 2016.4.12 森田裕之
10日(日)の夜10時ごろ、満州帰りの大先輩・長友正治(満州重工業で石油掘削の機械を作っていた)さんから電話、一関に原発の見学に来て泊まっているんだとのことでした、90数歳の爺さん元気です。

話は、エンジニアには地質や資源、鉱山というような山屋が沢山居るはずだから、役所も会社ももう少し資源開発に突っ込む風潮にならないものかねえ、というシニアの嘆き節で、100年前と今で日本は地政学的には何も変わっていないわけで、自動車やロボットで稼いだお金を、資源国との友好関係にどしどし使って、山屋を世界中に派遣することを真面目に考えられないものか。

JEFの井戸田さんに提案してみよう。

シニアのコラム 2016.3.10.森田裕之
9日、APP研・プラズマの見学会・旭硝子鹿島工場に参加しました、OBになりたての米森君のアレンジで、千葉工大・尾上教授以下10数名が、巨大な板ガラスの製造現場を案内してもらいました。

基本的な建設資材としての板硝子は、溶かして置いておけば、重力によって水平な板のなるという、判りやすい原理にもとずいて一貫ラインで生産されていて、輸入された原料ヤードから溶解炉、4M幅の板が熱風ガス(重油)炉の中を、延々と転がされながら3mmの板になっていた。

主たる発注者は建設会社・ゼネコン・建築設計者だから、最近40年くらいの美しいオールガラスビルの技術的な下支え(・強度・省エネ・ゆがみのない表面・)の当事者であったことが、よくわかった。

私の妻は絵描きで、40年くらい前の5年くらい、カラスビルに映る隣のビルを含めた風景・特に海辺のテーマに打ち込み、新橋・お台場に始まり、バルセロナ、サンフランシスコ、ニューヨークの写生旅行に付き合わされた記憶が強烈で、当時、いったいガラスビルを考えたのは誰なんだろうと調べたいと思っていた。

73年に独立・自営の技術士事務所を始めたころ、日本の自動車部品の会社を、ミシガン・イリノイ・オハイオあたりに案内する仕事が沢山あり、シカゴに宿泊する機会が増えて、市内観光にもよく出かけた、そんなころ、シカゴの町中を流れて湖にそそぐ川端に、多分シカゴ市のイニシャティーブで、世界の建築家の発案する新建築ビルが並んで立っていて、シカゴ大学のOB教授が案内人で、ガラスビルを熱心に説明してくれた。

旭硝子の案内者の話では、板ガラスの中国など外国からの競合は、輸送コストや性能面でレベルが圧倒的に違い、問題が無いんだそうです。

東京駅からの鹿島行きの高速バスは、一時間弱の快適なドライブで、帰路、米森君のアレンジで東京駅近くのイタリアンで10名、病気回復の尾上先生も参加して、ワインを飲みピッザを食べ、ご機嫌で帰宅しました。

シニアのコラム 2016.2.6.森田裕之
昨日、コンペックスの月例会がありました、20数名の参加者があり盛会でした、プラスティック業界のシニアの会合で、化学分野のエンジニアが多数を占めていて、講演もその手のメーカーの現役の新製品開発の担当者を連れてきて、用途開発の苦労話を聞くというテーマが続いたので、私は世話人に、ユーザーの話や公害・ネガティーブな話にも、講演者の範囲を広げてほしいと、要望した。

前回の会合で、コンペックスを始めたころの話を聞かせてくれという、世話人のリクエストに応じて30年くらい前のことを思い出したついでに、当時の人集めは、プラスティックのメーカーはもちろん、ユーザー、成型加工の会社、成型機械の会社、外国のメーカー等々いわゆる関係者を網羅していたように思う、それが今は化学会社のOBが多数を占めるグループになっている。

べつに現状が悪いとは言わないが、講演者をもう少しバラエティを持たせて、幅広い参加者を求めるのが、初心に帰ることだろうと、世話人にお願いした。

シニアのコラム 2016.1.2.森田裕之
いつの頃からか年賀状は、いただいてから出す習慣になっている、短い文章から顔を思い起こしながら、返事を書いている。

元気な先輩で、90になっても海外旅行を年間60日やっているなんて、超人的な人への返事に、私はもう海外の旅行はおっくうになり、最近は近場の神社仏閣の散歩です、などという賀状を出している。

毎年5月にやっている独立・支援の会の参加者で、独立して食えるようになったという賀状の近況報告がメモされているのを見ると、良かったなあと嬉しくなる。

私は、独立したいと思いついたら、あまり畳の上の水練はやらずに、始めてから試行錯誤することを主張し続けている。
誰でも試行錯誤は避けられないので、若くして始めたほうが有利であることも、私の主張である。

一番気になるのは、同年配の知り合いの賀状で、家族や体の状況が短い文章に込められていて、気になってしまう。

森田裕之です、室井さんは簡単に言うと、日本の化学工場は産業遺跡になると、言ってるのです。

私が独立した1973年は石油の暴騰の石油ショックだったが、これからの日本は石油安時代の逆石油ショックになるということらしい。
資源国でものずくりして、大消費地がるというのは、アメリカが大復活をするということじゃないだろうか?

ポリエチレンが3分の1でできたら、自動車がオールプラスティックになるね。
アメリカで工場やるしかないだろう。
-----------------
森田 様
室井です。

私の日本の石油化学への危惧をご理解頂きありがとうございます。
これを脱却するにはグローバリゼーションしかありません。
日本の石油化学は欧米と比べると完全にグローバリゼーションに遅れてしまいました。
日本国内で良い物を作るという時代はとうに過ぎてしまったようです。

ご理解頂きありがとうございました。

シニアのコラム 2015.9.2.森田裕之
 今日は、コンペックスの会合で、室井高城さんという化学触媒の専門家に、「シェールガス革命の与える日本の石油化学への衝撃」という講演を聞きました。

このテーマは、私がマスコミなどで知って、私なりの危機感を覚えて、コンペックスの世話人など何人かの知り合いに、話をしてくれる人を物色した結果、著書もある室井さんにお願いしました。

コンペックスのメンバーは、大手の化学メーカーのOBで占められており、出身の会社の石油化学プラントが「産業遺跡」になるかもしれないという「危機感」に満ち満ちた質疑応答になった。

工業製品、自動車や電気製品の、大ユーザー・加工組み立て工場・部品会社・が世界一あるアメリカで、シェールガスというエネルギーであり、化学品の原材料が2分の一、3分の一の値段で採掘され出てくるというのは、歴史の皮肉としか言いようがない。

世界中に出ているアメリカのメーカーが、自国に戻ってもの作りに励むであろうことは、政治的にアラビアから手を引くとか、アジアからも手を引くという予測がされているが、政治と民間の事業家とが奇しくも同じ方向を向いているので、間違いないだろう。

近未来予測での「アメリカ製造業大復活」という昨年来の私の仮説は、ほぼ間違いないという確信を持つにいたった。

シニアのコラム 2015.7.4.森田裕之
30日に税金の支払いで銀行からお金を下ろし、帰宅途中の新都心の本屋とスーパーで買い物をして、市役所に行ったら、督促状とお金の入ったクリアーファイルが無い、いよいよボケが始まったのかと、がっくりして帰宅、もう一度一回りして税金を払い、妻にも話せずしょんぼり落ち込んで、パソコンの前で本を読んでいました。

7月2日のコンペックスの会合にも参加する意欲が起きず、ぶらぶらしていたら新都心の交番から電話があり、本屋からお金と税金の書類が届けられていますよと言うことで、受け取ってきた。

本屋のレジの客側の棚に置き忘れてきたらしい、こんな風にボケが始まるんだ、と言うことと、日本は素晴らしい国なんだと言うことが交錯していて、今週は機嫌がよろしい。

シニアのコラム 2015.6.9.森田裕之
総会が終わりほっとしているところだが、このところ地方・名古屋、福岡、神戸の若い技術士から、独立した、独立したい、技術士協同組合が独立・自営グループであることを、私の本や組合のホームページで着目していた、という話を聞いて喜んでいる所だが、これまでの独立希望者はおしなべて、田舎の秀才が上京して就職し、定年なので独立を考えると言う人が、圧倒的に多かった。

この人たちは、都会の住宅地に家を買ったと言う大きなハンディをしょっており、心情的にも田舎に帰りたいというハンディもあり、迷いの多い選択支で気の毒だったが、最近の地方の秀才は地元で就職して技術士を取り、地元で独立・自営をスタートするという、経済的には楽な環境にある。

問題は地方で仕事が確保できるかと言うことだけで、これも政治状況が地方の自立を促しており、企業も海外生産のリスクが増えることが予想されるので、時代に沿った生き方と言える。


シニアのコラム 2015.5.12..森田裕之

最近の独立・自営支援の会に参加する諸君は、60ー65歳の団塊の世代が多い、1970年ごろの私が独立したいと、技術士会に出入りしていた頃の仲間は、30-40歳の会社員が多く、時代の違いなんだろうと、気にしていなかったが、先週の飲み会のあとに『ハタと気がついたこと」がある、それは当時と今では「寿命」がかなり違っていたのじゃないか?と言うことだ。



最近、会社定年後の15年の独立自営の技術コンサルタントの第2の定年を宣言した、石川君の例を考えても、つじつまが合うような気がしてきた。 

シニアのコラムー見学会が一番面白い .森田裕之

周辺技術研究会・伊藤世話人は、見学会に特化していて、毎月見学をやってくれる、シニアにとって見学が一番面白いし、勉強になると思う。
3月24日には、筑波にあるベンチャー企業の、マイクロフェースと言うカーボンナノチューブのメーカーを見学した。

社長の大田さんが筑波大の先生で、通常は石油から作るカーボンナノチューブを、ガスから作る方法を発明して、用途開発を企業化するために、大学を辞めて会社を作ったと言うことでした。

半球型のガラスのドームの中で、半導体の板の上に触媒を塗り、ドーム内にガスを充満すると、見てる間に、板の上に髪の毛のようなナノチューブが生えてきて、これをかきとり回収していた。

太田さんの技術はこの製造にかかわるところで、出来たナノチューブを何に使うかと言う所は、通常の自動車や電機の部品に用途開発を求めているわけだ。

前の月に見学した、東邦大学の鈴木先生の「エンジンのデトネーション現象」を利用した、超高圧・高温(液の充満した狭い空間での)の用途開発もまったく同じで、既存の部品作りやシステムに使えないものだろうか?と言うことになる。

私は、見学会は毎月やっていると、種切れになり、私なりに懸命にあちこちの知り合いにお願いして、なんとか続けてきているが、今後はうまく発展している所ばかりでなく、用途開拓に新鮮な他分野の連中にも、門戸を開いて見学してもらう、という説得をして、見学先の拡大をしたいと思う。

ceaM/Lの諸君、見学先の推薦に協力して下さい。

「最近の宗教について」2014、3
                                    坂本國輔(工化)
最近の仏教の傾向を見ていると、その欠陥ばかりが目についてくるようになりました。私は見かけは仏教徒ですが、心はとうに無宗教になってしまいました。
宗教はもともと、生きている人々の苦しみを救うために大偉人が知恵を授けたものです。大偉人の一人のお釈迦様はあの世のことには一切ふれていません。教えの全ては、この世の悩める人々に「如何に生きていくか」について知恵を授けたものです。お釈迦様は、弟子それぞれの能力やバックグラウンドに応じて、理解しやすいように教えました。また、同じ説教を聞いても、経歴の違った弟子たちの頭を通じて伝わったものですから、弟子によって、それぞれ理解が違うのが当然です。更に、お釈迦様は、教えを書物にしなかったために、真の教えは、時代とともに変わって、だんだん歪められた宗教になっていったのです。
仏教は、まずは、小乗仏教と大乗仏教にわかれました。大乗仏教が主流になっていますが、大乗仏教にも、宗派が幾つも出来ています。どの宗派も、お釈迦様の触れてない「あの世」の存在を考えて、発展してきました。
奈良時代、平安末期の頃の真言密教では、女子は不浄なものとして成仏ができなかったのです。いくら修行しても極楽にはいけないのです。たとえ、男の自分は極楽にいけても、お母さんは地獄で永久に苦しむのです。当然、仏に仕えるお坊さんは妻帯は許されませんでした。これも時代が下ると、公然の秘密として妻を持つのが、常識となりましたが、ただ、親鸞は、堂々と妻帯をしたために、旧仏教からは猛烈な迫害を受けました。一遍上人以降、親鸞が、人間の平等を唱え、男も女も、念仏を唱えれば、悪人すらも成仏ができるといって、浄土宗や浄土真宗が一世を風靡しました。更に時代が下って、江戸時代には、商売気が入り、現在のお金儲けの葬式宗教の根源となっていきました。今の仏教は、あの世を舞台にした金儲けの葬式仏教の何者でもありません。本来の生ける者の悩みに知恵を授けている仏教は、ほとんどみあたりません。いずれも金儲けの宗教に陥っています。 
この程度なら、まだ害は少ないのですが、「お前は、この世ではこの程度の生活だ。あの世に行けば、もっと快適な生活が待っている。アラーの神様のためになることをこの世ですれば、来世ではきっと幸福になれるよ。アラーの神様は絶対神だから、他の宗教の存在を認めない。他宗教の文化圏を混乱に陥れれば、アラーの神様は喜ぶよ。」と言えば、爆弾を抱えて喜んで、飛行機をビルにぶつけることもできるのです。

さて、私を完全な無宗教にしたのは新聞に挟まった鎌倉のお寺めぐりの1枚のチラシです。参加費は5,000円でした。その内訳は、2700円が法話代なんです。私は、本来、法話は無料で聞かせるものだ。法話が済んだあと、お布施の形で、感謝の気持を表せばよいと思っていたのです。「ありがとう」の一言でも立派なお布施です。このチラシの場合、間に業者が入っているとは言うものの、先方から金額を示さるとは、全く意外でした。仏教も、ここまで堕落したのかと、目を疑いました。
戒名はなんのために付けるのか知っている人は少ないのではないでしょうか。戒名をつけるのは、しきたりになっているから、殆どの人は疑問さえ持たないのではないかと思います。ある和尚さんによれば、「あの世では、今の世の名前・俗名は通用しません。あの世の名前で通用する名前・戒名を付けてあげましょう。ついてはお金を頂きます。ステータスシンボルが高い戒名ほど値段が高いのです。居士は信士よりも、位が上です。大居士と大が付けば地位が高くなります。また、戒名の文字数が多いほど、ステータスシンボルが高いのです。それが高いほど、戒名の値段も高いのです。」と言いました。なるほど、徳川家康の戒名は20文字程度はありそうです。親鸞は「人間は、男も女も、貴貧も、悪人も善人も、皆平等です。」と言いました。それが、あの世では階層があり、しかも、この世で前もって差をつけるとは一体何事でしょう。
5,6人の友達と雑談している時、私が、「戒名の相場は30万円ぐらいかな。」言いましたら、その仲間の2人が、とんでもない、100万円だと言いました。あの世を見たこともないお坊さんが、どうしてあの世での戒名を決めることができるのでしょう。
今の仏教によれば、死んだ人は、死んですぐには成仏できません。魂は修行を積んで35年目で成仏するのです。死ねば、先ずは、戒名をつけ、葬式が始まります。十王様のお裁きが初七日から始まり、7日毎に行われます。49日目の閻魔様の裁き、初回忌、3回忌、、、、35回忌まで幾つかの法要があり、その度に、魂が成仏できるようにお経をあげてもらいます。それなりに費用もかかります。35回忌でやっと成仏できるそうです。成仏してしまえば、後は、「成仏」という成仏目的のお祈りの法要、念仏は無いはずです。ところが、江戸時代に、ある宗派は、もっと稼ごうじゃないかとの考えから50回忌を作りました。鎌倉の覚園寺のお坊さんのお話です。
 更に、江戸時代に士農工商に対して檀家制度が完成し、どの人もお寺に属さねばならなくなりました。当時は今で言う戸籍謄本はありませんでした。しかし、幕府としては、住民を一人残らず知る必要があったのです。それで、お寺の末寺に情報を集めさせ、それを本山が纏め、本山から幕府へ伝わるような制度をこしらえました。こうして、お寺を通じて、住民全員の戸籍が明らかになりました。このようにして、お寺は幕府の権威と結びついて、ステータスが確固たるものとなりました。その名残が今も続いているのです。
お坊さんの中には立派な考えの人も居ます。親鸞です。彼は「死んだ人が一番喜ぶことをするのが本当の法要であり、母親なら、一番して欲しかったことは子供が立派な人間になることです。」と言ったそうです。子供はいつも仏壇に手を合わせ、お母さんのことを偲びながら、お母さんの意向に沿うように努力すると思います。これが本当の法要です。寺で法要をしてもらうことではないのです。お坊さんの意味の分からない念仏なんて、なんの意味もありません。眠気を誘うだけです。
お釈迦様の意図された現世での悩みを救ってくれるはずの本来の仏教は、現在では、お金儲けの葬式仏教に堕落してしまいました。私なんかは魂の存在を信じていませんから、もともと、葬式を含めた一切の法事は必要ないと思っています。私には、鳥葬や水葬が最も似合っていると思います。毎日、禽獣、魚の命をいただいてきたのですから、野菜だって命があるのです。せめて死んだら、この体を、鳥獣や魚に食べていただいても良いと思っています。野菜の肥料になってもいいのです。ちなみに、日蓮は水葬にしてくれと言ったそうです。
 私は、死んだ世界のことよりも、現世での生き方や悩みにヒントを与えるもののほうが、人のためになると思っています。今の金儲け主義の葬式仏教にはそれを期待できないならば、何も宗教じゃなくてもいいのです。
 例えば、東京都の老人研究所の元所長の今堀東大名誉教授は、就任挨拶で「生物の世界では、子供を作ったら役目は終わりです。鮭を見てご覧なさい。卵を産んだ翌日は、死ぬ運命にあるんです。人間も例外ではなく、子供を作れば、死のプログラムが発動するのです。その1つが癌です。これが自然の法則です。老人になっても生かされている、あなた達は大いに感謝しなければなりません。」と言いました。私の頭の中には、40年余り、この言葉がこびりついて離れません。実際、鮭以外にも、このような例はいくらでもあります。雄蜂は交尾の瞬間が、死の始まりです。カゲロウは成虫になった時から、消化器官はありません。あるのは、生殖器官だけです。1日足らずの命です。
私には葬式仏教よりも、この世の自然ルールを教えてくれた生物の先生のほうが、生きる上での知恵を授けてくれたと思います。死期がくれば、これが自然の法則だと思えば、自然の法則に逆らって、悩みながら過ごすよりも、おとなしく自然のルールに従って、死を甘んじて受ける方が利口だと思います。幸いにして、医学の進歩により、緩和医療が発達していますから、苦しまずに死ぬことができるようになっています。慶応大学の医学部の近藤隆先生の書かれた「医者に殺されない47の心得」の、癌になったら、手術をしたり、抗癌剤を飲んだりして、無駄な(先生は有害なと言っています。)抵抗をして苦しむよりも、放置した方が癌の死亡率が低いという記述を見て、安らぎをおぼえました。「百歳まで生き、ガンで死のう」市川平三郎、講談社、も生き方の参考になりました。市川さんは癌研の初代所長です。癌は治るから、頑張って百まで生きられる。癌が見つかっても、その時から、少なくとも、半年以上は生きられるから、その間に死の準備をしなさいと言っています。その半年の間に、本を急いで3冊も書いた人を紹介しています。
「仏教の教えよりも、自然の掟のほうが、理系の私には役に立ちそうです。老稚園に入って、衆人の眼に、老醜を晒そうとは思いません。」 


(第2部)
今世紀後半の課題                   
 2012年吉日・
                              坂本国輔
 自然の知恵を調べ、下記の2つの自然の法則を中心に突き詰めて行くだけでも近未来の問題点が浮かび上がってくるのではないかと思います。

(1)生物の種は、如何に繁栄し、如何に長く存続するかが、唯一の目的であり、自然現象は全て種の存続を優先に働いている。
(2)すべての種において、個体数のマキシマムの後は必ず激減する。

「生物の世界では、個体数がマキシマムになると、激減するのがこれまでの生物の世界です。北欧のレミングという鼠の仲間は増えすぎると、リーダーが率先して集団自殺をします。いわゆる、人間世界で言う社会的ストレスが高じた結果だろうと言われています。バッタの異常発生の翌年は個体数が激減します。セイタカアワダチソウは毒素を出して他の植物を傷め、自らの繁栄を図りますが、増えすぎると自らの毒で勢いがなくなります。「個体数がマキシマムになると、その種が激減するのが生物界における例外のない法則です。どうして人間だけが例外といえるのでしょうか。」と山階鳥類研究所の部長さんの話でした。
自然界は、常にその種ができるだけ、存続するように仕組まれているように思います。子供を作ったら、親はお役目御免で、早速死のプログラムが始動します。その極端な例が鮭でしょう。産卵の翌日には死ぬ運命にあります。蜂の世界はもっと厳しいのです。春先に、女王蜂が巣を出て空に舞い上がると、雄蜂は群れをなしてそれを追い空中で交尾を行います。雌蜂には体に精嚢があり、それが一杯になるまで、多くの雄と交尾をします。そして、地上に降りると、早速巣作りを行い、多くの子供の産めない雌の働き蜂を産みます。そして、蓄えた精子が無くなるまで、数年間、働き蜂を生み続けるのです。蓄えた精子がなくなってくると、初めて女王蜂と多数の雄蜂を産み、新しい蜂の社会を作って世代交代をします。気の毒なのは雄で、雄は空中で交尾をした瞬間に死が始まるのです。幸か不幸か交尾に失敗した雄蜂は巣に入れてもらえず、蜜のとり方を知らない雄蜂は餓死するしかありません。いずれにしろ雄はせいぜい1月足らずの命です。この例からわかるように、種の保存という立場から見れば、蜂社会には少しのムダもありません。人間の社会だって、子供が生まれれば、本来は人類の種としての役目は終わったのです。子供を作った後も生き長らえるのはその種としては全く無駄なのです。人間の場合も、子どもを作れば、死のプログラムが働きます。癌は死のプログラムの代表的なものでしょう。病気にはならなくても、生きながらえている限り食料を消費します。何十億年もかけて蓄えてきた石化原料を始めとするエネルギー資源を消費します。人類の初期には、エネルギーは再生可能な光合成から作られる木から取り出していました。これでバランスがとれている間は良いのですが、人口が増えて、それだけでは間に合わくなってくると、長年月掛けて蓄えた資源を使うことになります。いずれ地球が蓄えた資源を使い尽くして資源の枯渇を来すのです。さらに、個体数が増え、自然のバランスが崩れるようになると、個体数のマキシマムの時点で激減するのです。人類にはその個体数のマキシマムの時期が近づいてきています。

山階鳥類研究所の部長さんは生物の専門家の立場から、また、東大の渡辺教授は化学の立場から地球が養える人口は,図らずも同じ100億人と言っています。それも今世紀後半に来ます。2050年には91億人になるだろうとの一般予測もあります。20年前は50億人でした。今は65億人です。百億人になるのは、そう遠くありません。何が引き金になるか判りませんが、過去にはマヤ文明が絶滅した例があります。今世紀後半には人類が激減する何かが起こるのではないかとの気配を強く感じています。
 先ず考えられるのは食糧難です。近々食糧難が来ます。現在は地球人口の半数が、栄養失調と言われていますが、この上、人口が増えるとどうなるのでしょう。また、13億人の中国人、11億人のインド人の人口が増え、食生活が豊かになると、今、食料輸出国の中国が、近々食料輸入国になるのは明らかです。中国は一人っ子政策だから、人口は増えないと言えるでしょうか。中国は、工業化が激しく、労働者が必要です。一般家庭でも一人っ子が死ねば、親の面倒を誰が見るのでしょうか。福祉政策でカバーできない心の問題もあります。また、漢民族以外の多様な民族にこの政策が浸透していません。また、彼らの食料は年を追って、贅沢になり、肉類を食べる食事が増えてきます。
1kgの牛肉を作るには11kgのトウモロコシが必要なのです。「一日玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、」と宮沢賢治の詩「雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ」にあり、そして、彼は人のため世のために尽くすのです。これが明治、大正時代の日本人の平均の食事だと思います。戦前でも、私の家庭では、すき焼きは、年に一度のお祭に食べたくらいです。中国の辺地でも、贅沢な食事になれば、食料需要は急速に伸びるでしょう。
中国は大豆を数年前から、トウモロコシは、近年、輸入をするようになりました。明治、大正時代には、鰊は海の色が変わるほど大群をなして、北海道に押しかけてきましたが、今の私達には信じられない話です。今はマグロ1匹が、今年の初売で5649万円の値がつきました。近い将来には食料全般にわたって、不足することが予想されます。
現在、食料輸出国である中国・韓国でさえ、将来の食糧難の到来を予測して、その時に備えているのです。韓国はアフリカに東京都と千葉県ほどの農地を買っています。中国はその数倍の土地をアフリカに手当しました。日本は植民地政策反対の立場からそのようなこと行っていません。かたや、アメリカはトウモロコシから液体燃料を作り始めています。
現状でも飢えに苦しんでいる人は世界人口の半数はいるとの報道があるくらいですから、2050年ころは大変な食糧難になることは覚悟しておかなければなりません。
中国が食料輸入国になれば、最初に影響を受けるのは、日本であることは間違いないでしょう。日本は外国に農地を買っていません。むしろ、中国人に日本の土地を買われているのが現状ではないでしょうか。

地球の資源が枯渇しています。可採石油埋蔵量は、通産省のデータによれば、後30年ぐらいと言われて、すでに10年以上たっています。オイルサンドやメタンシャーベットがあるではないかと、良く言われますが、経済が拡大すると、オイルサンドが実用になってもガソリンの値段は高騰するでしょう。日本周辺海域の2000mの地下のメタンシャーベットは固体で散在しています。これを掘り出して実用になるまでには時間と金がかかります。そのコストは、シェルガスの30倍と言われています。たとえ、コストが下がっても、今世紀後半に間に合うのでしょうか。大いに疑問です。
また、石化原料を使う限り、炭酸ガスが増えて地球温暖化が心配です。原子力発電は、今後危ぶまれていますが、再生可能な太陽光電池、風力発電、地熱発電などで、電車が動くでしょうか。国内の大工場を稼働できるのでしょうか。原子力発電が自由に行えない現状で今後のエネルギー政策に期待が持てるでしょうか。
今は、あまり話題になっていませんが、生物が生きていくために必須なリンは、2050年頃にはなくなると予測されており、アメリカは燐鉱石の輸出を禁止しています。リンは農業の三大必須元素の1つです。野村證券のレポートでは、中国は最大生産国で、現在は30%のリンを生産しています。リンは身の回りには豊富にあるようですが、回収は極めて難しいのです。資源枯渇になった時、リンやレアメタルを生産する中国の今後の動きが心配です。

 アンデルセンの童話の鏡の国に「赤の女王」が登場しますが、彼女は立ち止まることができないのです。立ち止まれば、直ちに死んでしまいます。普通に歩いていて、周りの景色が変わらないのです。動く歩道を逆に歩いているようなものです。人間とヴィールスの間には{赤の女王}の関係があります。新しいヴィールスが出てくれば、人間は知恵を使って薬を開発し、医療を発展させます。しかし、突然変異で薬の効かないヴィールスが1個でも残れば、そのヴィールスは20分後には2個になります。1時間で8個になります。1ケ月後には30兆個になるのです。新型のインフルエンザやエーズなどの例からわかるように人類には常にヴィールスとの戦いがあるのです。人間は立ち止まれないのです。最終的に「人間の知恵」と「ヴィールスの世代交代の速さ」とどちらが勝つでしょうか。最後に残るのはヴィールスだと言い切るその道の先生もいます。

社会的ストレスがレミングを集団自殺に追いやったと書きましたが、私達の普段の生活を見ても、その兆しがいくつか見られます。私達の小さい頃は殆ど無かった殺人事件、尊属殺人事件が最近は毎日のように起きています。結婚しない若者が増えています。人間の精子の数が減っているとの情報もあります。
年寄り優先の電車の優先席には若者が座っています。立っている年寄りの前に子供が座っていてもお母さんは注意をしません。宮沢賢治は、一日玄米四合と味噌と少しの野菜を食べて、「デクノボウ」とまで言われて、人のために尽くしたのです。あの素晴らしいもったいない精神を始めとする大和心は一体どこに行ったのでしょうか。
最近の中国やロシアの領土問題を見ても、第三次世界大戦が起こり人類が放射能まみれになることがあるかも知れません。

今世紀の後半は、上記課題が山積していますが、悲観してばかりはいられません。これらのことは、間違っていれば幸いですが、危機管理の要諦からいえば、最も厳しく考えて、最も安全な方法を取ることですから、これらのことを無視しないで、この条件下で最も良い方法を今のうちから考えなければなりません。実際の準備も必要ですが、心の準備も必要です。そのときになって慌てても遅いのです。自然は種の存続をするように仕組まれていますが、それだって、何時かは終わりがあるのです。私たちは種の存続など考えないで、個々の時点で、たのしくすごせるように知恵をだすべきではないでしょうか。知恵を出すことこそ、人類に与えられた、特権であることを忘れてはなりません。

シニアのコラム 2015.2.9.森田裕之
6日のコンペックスの定例会に、古くからのメンバー・坂本国輔君が久振りに参加して、今回限りで研究会参加をリタイヤすると、挨拶をした。

見かけは、昔と変わらず、赤いほっぺでつやつやしていて元気そうだが、本人曰く、耳が聞こえなくなったし、軽い脳梗塞も患い、足元が危なくなってきたと自覚しているんだそうです、そのくせ、新橋駅から技術士会まで歩いてきたとの事だった。

最近、石川君・電気も研究会を引退すると表明したので、組合の月例会でその心境を語ってもらうことにしている。

シニアのコラム 2014.12.28.森田裕之

私の年末の反省を組合の投稿したので、転送します。

最近、組合の独立支援の会合の月例会に出てくる新人諸君は、ほとんどが定年退職したけど、技術士資格があったので、看板を出して世の中の役に立ちたい、というシニアばっかりで、30−40歳台の若くて独立したいという人があまり居ないので、私は面白くありません。

私は、技術士という資格は、独立した技術コンサルタントになるための手段だと、若い頃に思い込んでいたので、32歳で合格して34歳で独立しました、以来の顧客は100%民間の機械関連の会社です。

役所は嫌いですから、技術フォーラムは、私と理事長の原田君が創立のメンバーなので管理職的には協力していますが、役所相手の監査やコンサルタントというフォーラムの仕事自体には、私自身は興味ありません。

独立して3年経って、飯が食えると自信がついたときに、後進の育成を考えて、協同組合の構想を独立している所先輩に提案して、奉加帳を回して作ったのが1976−7年ごろでした。

組合には120名くらいメンバーがいますが、3割くらいがシビル関係・建設、土木、水道、電気、情報、なもんだから、技術フォーラムという別法人を作って、役所に対応しています。

私は、グループを作るのが趣味で、技術士の関係でもずいぶん沢山のグループを作りました、盛んなグループ、しぼんじゃったグループ、色々あります、私以外のステアリング、世話人、で熱心な人が居ると、うまくいっているみたいです。

シニアのコラム 2014.12.28.森田裕之

「シニアの反省」

暮れの年中行事がおおむね終了して、遅すぎた嫌いがあるが、名実ともにシニアになったという自覚が生まれている。

独立したての頃に、技術士の独立・自営の先輩方を色々観察していたが、「一寸いやみな先輩だなあ」と敬遠気味だった先輩と、そっくりな自分が居る事に気がついた、困ったことです。

あからさまに自慢するわけではないが、「引退していない、現役であること」をさりげなく会話する、「健康であり、何処も悪い所がない」話しをする、「色んなグループで活動している」証拠のパンフレットなどを、関係ない人にも配る、等のことは、他人がやっていると気になるが、結構自分もやっているだね。

最近、我家の近所の知り合いのシニアの3人が、アメリカの国立公園で谷に転落して亡くなり、パリの街中で絵を描いていて脳卒中で倒れ、北浦和の駅のトイレで亡くなった、とたて続けにお葬式があった、団塊の世代の私より一回り下の知り合いなので、ショックである。

シニアのコラム 2014.12.13.森田裕之

私と同じ年で、同じ満州生まれ、旭化成OBでプラスティック業界では著作もある伊澤君が、どういう風の吹き回しか、シニアの会というエンジニアの年寄り連中を会員にした、月例会のようなものを、私と共同提案にしてくれと、頼んできた。

彼は最近、中国人に好きな友人が沢山いるけど、中国のことが嫌いになったと、私との永年の論争に白旗を掲げたので、協力することにした。

5日に交恂社で、副島門下の石井君に、何故日本だけ植民地にならなかったのか、というテーマで、福沢諭吉などの明治の賢人達のグローバル対応の話を、聞きました。

NHKのドラマなどでも、明治の話は沢山あったけど、最近副島隆彦さんが弟子達と共著で、『フリーメイソン=ユニテリアンが明治日本を動かした』 という本が、当時の世界情勢と日本の開国をよく捉えていると思ったので、歴史好きになるシニアの諸君に、聞いてもらった所,非常に好評だったので、13日のシニアの会でも話してもらった、

今回はフリーメイソンというグループの過去ー現在の立場の変遷を話してもらい、ミケランジェロやロダン、ベートーベンやバッハという芸術家から、アメリカのこれまでの大統領は全部、若いときにその洗礼を受けているという話でした。

私が、1973年に独立した時に(会社が潰れたので、独立せざるを得なかったのだが)技術士会の機械部会の 当時部会長だった新井政太郎さん・確か海軍中佐に挨拶に行ったら、先生の仲間と2人で、銀座・交恂社に推薦して入れていただいたのは、もしかしたら、フリーメイソンの仲間を増やす時の伝統儀式だったのかもしれない。

シニアのコラム 2014.10.17.森田裕之

15日に、沖津君・化学の案内で、ロボットの立石君や関君・機械グループの諸君と横浜・パシフィコの医療機器の展示会を回ってきました、マイクロバブルの世話人の佐々木君が農大のコマに居て、色々教えてくれました。

見本市の季節がやってきて、プラスティックの展示会も近日中にあり、古くからの知り合い達と飯を食う約束を、複数しています。

見本市と言う催しは、長い間定期的に見ていると、業界の様子が良くわかり、独立・自営のコンサルタント業の情報源として欠かすことが出来ません。

歩き回るので草臥れるけど、面白いことが色々あるので,やめられない。

シニアのコラム 2014.10.5.森田裕之
4日のcea・定例会で、久振りに出てきて近況を喋ってくれた、力武君・情報の話を聞いていて、我家のLA在住の孫娘・20歳と13歳の男の子の教育問題・英語に関する、私の意見を思い出した。

皇太子妃・雅子様のご苦労の記事を見ると、いつも切なくなるが、バイリンガルは脳の病気であると思う、物を考えるのは言葉で考えるのだから、同時に2カ国の言葉が出てきたら、脳は分裂していると思う。

私は、息子夫婦に孫たちは日系アメリカ人として、英語で暮らしたらいいと主張してきた、大人になってから、日本と関係のある仕事にでもついたら、たどたどしく日本語をスタートすればいいのさ。

最近の私の研究での、老人になって「故郷に帰りたがるのは、これも脳の老化の問題である」ことが、わかってきている。

私は40歳くらいの時の思い込み、技術士資格は独立・自営のためのパスポートであり、ある分野のエキスパート・専門家であることは、世の中に認められており、私の経験上、後輩諸君にコンサルタントを目指すことを、期待し・希望している。

シニアの世界 2014.9.17.
森田裕之です、今日は何年かぶりに、ディズニーランドに息子一家につれられて行ってきました。

ディズニーは凄いね、いたるところに「here is a happiness」(・ここに幸福あり)と書いてあるのに驚きました。

確かに、ここを闊歩しているのは、小さい子供を連れた夫婦と若いカップルで、私の経験・持論の『子供は10歳くらいまでが可愛い」から振り返ると、生涯の幸福なひと時をひきつけるランド・島を作り、進化続けてリピートさせるんだから、たいしたものだ。

我々夫婦のような老人はまったく見かけませんでしたが、今日は少々若い人たちから happiness を分けてもらって、楽しみました。

ただ子供連れの夫婦ばかりでなく、子供連れじゃない若い男一人、中年女複数、老若女連れ、老夫婦女連れ、と言う不思議な風景があり、想像力が働いて、退屈しませんでした。

シニアのコラム 2014.9.11.森田裕之

10日に埼玉技術士会の見学会で、日本エレベーターという工場見学をしてきました。

あらためて埼玉の技術士諸君とグループで会うのが初めてだったので、10人くらい名刺交換をしました、会社員と定年の技術士が半々くらいでした。

何十年ぶりの古い人や組合の諸君も3人居たし、私のことは技術士会でも最古参の独立自営の先輩であると言う認識はあるらしく、世話人も私にいつもの私の持論(出来るだけ若いうちに独立しろ、顧客の技術者の上司・先輩・株主・市民じゃない、コンサルタントというサービス業者である)を喋らせてくれました。

川口で機械設計事務所を始めていた国井君が、当時私が機械設計のコンサルタントをやった方が良いよ、とアドバイスしたことを覚えていて、あの頃は理解できなかったけど、今は良くわかります、と言いました、今は完全にコンサルタントだとのことです。

技術士の専門家としての能力が優れていることは、当然だけど、機械設計技術者の教育や企業の設計部門の育成のコンサルタントは、専門家として図面を売るよりも、レベルの高い仕事(・価値が高い)じゃないかと思ったんだよね、当時。

昔を知るシニアの諸君と久振りに話していると、私は組合設立した1976-8年ごろから、同じことを繰り返し話して居るらしい。

シニアのコラム 2014.7.29.森田裕之
100歳の高嶋直一さんをお祝いに、ナノ材料研究会のメンバー7名で、岐阜の長良川沿いにある観光ホテルに、会席料理を食べに行って来ました。

高嶋さんはタクシーで出現、タクシーで帰りましたが、会席料理は全部平らげ、すたすたホテル内を歩き、コンペックスを始めた頃の石坂さんの記憶を語り、油化をやめてのんびりしていたら、森田が色んなことを相談に来て引っ張り出してくれたお陰で、定年後の暇つぶしが出来るようになった、と、組合の付き合いとネットワークを、今でも高く評価している様子だった。

勲章も組合で申請したしね。

油化OB以外の青葉君、浅野さん、荻野さん、堀さん、のことを思い出して,いろいろ語ってくれました、私の顔を見たら1970頃を思い出したようでした。


シニアのコラム 2014.7.2.森田裕之
「続・国策(マスコミ論調)と言うリスク」

ある同年輩の大学教授の若い頃の回顧録に、いささか腑に落ちない時代認識が書かれていたので、私の記憶を書いておく、国策と言うより流行というか、マスコミの論調と言うことかもしれない。

私の浦和高等学校の同級生で、いつも大学進学の模擬試験でダントツの一番だった、木村実君は、体操の選手でもあって色んな大会に参加していたヒーローだった。

東大の理学部に入って、大学院の頃に、突然中国に亡命したと言うことだった、噂では、台湾の大学に来ていた中国の女子大生と一緒に、中国入りして帰ってこなかったということです。

時代は1960年代前半で、我家の近所にも北朝鮮に行ったきり帰らない女子大生が居て、時代は中国・北朝鮮は教育・病院は無料で、誰でも勤めるところが国に用意されており、失業者の居ない、働く人の天国だと言うマスコミの論調だった。

未来の予測が普通の人よりも見えそうな、頭の良い人が、案外判断をミスることがあるのだろうか、そろそろおしまいに近い年齢になった、私の判らないことである。

240529森田裕之
「国策と言うリスク」

私の両親は、1930年代の日本の国策であった、大東亜共栄圏と言うコンセプトに心酔して、満州で国策の銀行に就職し、敗戦になり財産をなげうって、りゅっくさっく一つで帰国した。
私が高等学校の頃には、今の北朝鮮への移民のブームがあり、学校や病院は国営で無料、清潔で蚊や蝿が居ない天国みたいな国だと言うことだった、私の学年で一番の秀才と言われた(模擬試験が一番)木村君は東京大学在学中に、北朝鮮に亡命した、ガールフレンドの後を追っかけたのだといううわさだった。
25年くらい前に、シルバーコロンビア計画という、リタイヤ層の第2の人生を海外で送ると言うプログラムを、当時の通産省が提唱した。
私の世代か少し先輩の知り合いが、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、スペイン、インドネシアに移住したが、ほぼ全員今は日本に帰国している、何人かに『どうして?」と聞くと、「日本で死にたい」と言うことであった。

シニアの一人として、あまり国策とか、マスコミでのはやりに惑わされないように、信頼・議論の出来る友人との付き合いを大事にした方がいいと思う。

240501
森田裕之です、ドイツ在住の同級生・桜井君からの最近のヨーロッパのレポートです、ヨーロッパの人たちのロシアに対する感覚が、日本とずいぶん違うなあ、という印象です。

貼り付けー

ウクライナ危機とプーチンの戦略
ジュネーブ合意後、一向にウクライナ情勢の解決の兆しがないどころか、キエフの暫定首相ヤツェニックは第三次世界大戦の可能性の示唆する言葉を口にする混乱ぶりは、いかに西側が途方に暮れているかを物語っています。西側の経済制裁(今のところ旅行制限と銀行口座の凍結)の脅しも全く口先だけの事である事は、プーチンも十分承知しており、今回のプーチンの戦略(ソチのオリンピック後に現れた素顔)は、オバマにとってもロシア通のメルケルにとっても寝耳に水だったのです。旧ソ連崩壊後、東方からの危険はもうテーマでなかったのです。それにかわって、世界平和を脅かすのは、イラン、北朝鮮、アルカイダが新たに登場しました。東西間の冷戦の時代には、第二次大戦の東部前線で大敗したドイツは、軍事競争にヒステリックな恐怖心を抱き、国内の左翼過激派に向かっては、”死ぬよりマシだ”とし、戦後の再武装気運では敵はモスクワでなく、むしろワシントンどいう声が強まりました。80年代末、90年代初めにかけて旧ソ連が崩壊すると、モスクワからの軍事的恐怖は一挙に姿を消したと錯覚し、ゴルバチョフの平和気運に酔って、ロシアの熊の恐ろしさをすっかり忘れ、折も折欧州の国家財政再建の最中で国防費削減が推進され、兵舎は閉鎖され、軍事力も減少し、徴兵制度も廃止されて、”東方を眺めても、どこにも危険はない”と考え、”平和はただではもらえない”事をすっかり忘れたのです。NATO の先頭に立つUSA も2001年9・11のテロ攻撃以来EU から防衛力を縮小し、そのかわりにイラク・アフガニスタンへの数十億ドルに達する冒険へ踏み込み、ドイツはドイツで同盟国としてのUSA に背を向け、対米関係は80年代米国ロケットのドイツ領域への設置紛争や2002年イラク戦争介入拒否ですっかり冷え込み、現在はNSA スキャンダル(メルケルの携帯盗聴)で、友好国間での関係ではなく、ただ事務的性格のものとなったのです。この間、元ドイツ首相のシュレーダー(SPD)はプーチンとタイアップ(プーチンとは俺・お前の関係)して、(ウクライナ領土を回避して)バルト海を通過するロシア天然ガス輸送用海底パイプラインのプロジェクトを推進させ、これでますますドイツや欧州のロシア産天然ガス供給への依存度を高め(ロシアはもう俺たちの仲間だ!)、その反面ではプーチンはチェチェンやグルシアでの反逆勢力を弾圧し、国内での基盤を着々整備するとともに、膨大な防衛支出で軍事力を強化させ、2016年までに現在の国防費を500億ユーロから710億ユーロへ拡大させ、英国を抜いて米国・中国に次ぐ第3位に浮かび上がってしまうという野心を抱いているのです。
今の時点で、第三次大戦の危険を口にする事は、いかにウクライナの暫定政権が絶望的であるかの証拠でしょう。ウクライナの東部では、キエフから派遣された11000人の反テロ部隊に囲まれて2000人の新ロシア武装勢力が立ち向かっており、事態は既に内戦状態。ウクライナ国境ではロシア部隊が集結して(2万から2万5千人の兵士と重機械部隊)軍事演習を展開しており、親ロ反逆派からの要請があればいつでもプーチンの一声で越境する用意があり、いつプーチンが ”平和援助隊”の名でロシア軍を派遣しても不思議ではありません。しかもウクライナ東部はロシアにとっても重要な重工業地帯(ロケットエンジンなどの軍事技術製造拠点)で、プーチンがロシア住民保護を口実にして軍隊を派遣しても不思議ではありません。この事実はクリミア併合戦略で自明であり、親ロシア住民の権利を断固として保護することを口実に西方への領土拡大(帝国主義)はプーチンの持つ夢である事は欧州の軍事専門家の見方です。
いまや事態は深刻であり、もはやウクライナの防御だけが目下の課題でなく(ウクライナはNATO 加盟国でないのでNATO からの軍事援助は不可能)、クレムリンの次の犠牲の候補は、モルドバからグルジア、さらにはEU とNATO の加盟国であるバルト諸国(エストニア、ラトヴィア、リトアニア)に及んでいます。EU は軍事紛争の場合には、集団防衛権行使の準備はあるものの、これら旧ソ連邦領域は親ロシア少数派の共存とロシアへの高いエネルギー依存度のために、いつロシアの攻撃の的になっても不思議ではありません。モルドバ共和国は、ウクライナとルーマニアに挟まれた国で、1991年に旧ソ連から独立した欧州でもっとも貧困な国ですが、EU への接近を望んでおり、数週間後にEU と加盟条約に調印する予定です。しかしこうなると同じようなEU への接近政策でロシアとの紛争に巻き込まれたウクライナの運命が懸念されるのです。という理由は、モルドバ共和国内にはガガウス自治国(gagausien)という親ロシア系の州があり、ここではモルドバ中央政府の意に反して住民投票を行い(クリミア半島と同様に)、住民のほとんどがロシアとの関税ユニオンに賛成したのです。ガガウスの存在は、プーチンにとって好材料であり、ここを拠点に反政府勢力の暴動を勃発させてモルドバの情勢を不安定化できるからです。25000人のガガウス人がロシアでモルドバの外国人労働者として働いており、その仕送りでガガウス住民の生活を支えており、モルドバがEU でなく、ロシアの関税ユニオンに加盟すればロシアからの天然ガス料金の値下げもあると経済的メリットが魅力なのです。最貧困国モルドバをめぐっては、EU とロシアが奪い合い競争を展開しており、モルドバがEU 併合の決断をすれば、ロシアはモルドバ産ワインの輸入禁止、ガス供給の規制をすると脅し、EU はモルドバ人のEU 域内旅行の自由(バイオニックスのパス持参で)を約し、EU 併合期日を6月に前倒しするなどして、ウクライナ危機のモルドバへの波及防止に懸命です。ロシアは既にウクライナとモルドバの国境沿いに位置する反逆勢力派のトランスニストリア共和国(Transnistrien)、別名幻のソ連が生きている国に1500人規模のロシア兵を、公式には平和援助隊の名で駐在させており、モルドバ中央政府はこれを平和の威嚇と見做し、トランスニストリアはクリミア半島同様にロシアへ併合され、モスクワはさらに軍事兵力を拡大し、ロシア軍によりウクライナ東南部を通過する回廊をトランスニストリアまで切り開き、モルドバの分割と関税ユニオンの拡大を意図していると恐怖しているのです。
グルジアは、南オセチアとアジャリア問題で6年前にロシア戦争の経験があり、その結果、自治地区となっていますが、ロシアは現在までに数千人のロシア兵を進駐させ、ロシア系住民の利益が損害されるならば、それは反ロシア行為としてそれ相応の反応もありうるとロシア外相が述べており、クリミア半島と同じ運命に晒される危険は十分にあるのです。
1990年91年まで旧ソ連に属していたバルト諸国は、ロシア政権下での苦い経験を二度と繰り返したくないとしていますが、天然ガスは100%ロシアパイプライン経由の供給に依存しており、クリミア半島のロシア併合以来パニック状態に陥り、国内のロシア系少数派保護の口実でロシアの影響下へ入れられる事を懸念して、(独自の空軍を持たないので)NATO に集団防御を要請し、ドイツをはじめNATO 加盟国が定期的に警戒飛行を実施中です。
こう見ると将来図はウクライナに限定されず、プーチンの旧ソ連を夢見たロシアの西方拡大構想は、西はモルドバを横断してルーマニア国境へ、南はグルジアを再併合してトルコ国境へとプーチン帝国の形成でしょう。
昨日メルケル首相と緊急協議したポーランドのツゥスク首相もウクライナ東部南部へのロシアの侵略とバルト諸国への威嚇を警告し、EU メンバー国28各国でのエネルギーユニオンの構築を提案し、天然ガスの共同調達とエネルギー備蓄の共有によってエネルギー危機の克服を提案しています。
ウクライナばかりでなく西側でも、信じがたいような無遠慮で、我慢ならないような冷笑主義で紛争のエスカレートを演出するプーチンに直面して目下絶望感が支配的であり、今後EU とNATO は長期的に対決する心構えが必要で、このためにはこれまで以上に断固たる結束力が望まれます。

(参考資料:Frankfurter Allgemeine, Sueddeutsche Zeitung, WAZ, DPA 等)

貼り付け終わりー


「私の視点」投稿原稿
2014.4.10.   奥野浩智
「STAP論文」問題の報道姿勢

小保方晴子氏がFirst AuthorであるSTAP論文の「疑惑問題」が、連日ジャーナリズムを賑わせている。
「STAP細胞の存在問題」については、世界の研究者が自発的に行う数多くの再現実験の結果によって結論が出る、という真ともな論調がようやく出てきた。
しかし「論文の不正疑惑問題」については、小保方氏の記者会見を、朝日新聞では紙面第1頁トップで扱い、しかも、あたかも科学的に重大な事象、現象を取り扱っているが如き報道態度である。
この「論文の不正疑惑問題」の核心は、世界の関心を集めたNature誌2014年1月30日発行の「Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency」論文が、科学論文して認められるものであるかどうか、また、世界の学界常識から見た、このことに対する投稿者の対応はどうあるべきか、という事にある。
先ず、この論文が科学論文して認められるものであるかどうかについてであるが、理研の最終報告で不正とみなした2点については、小保方氏側も認めており、それが不注意であれ未熟に寄るものであれであれ、根幹の証拠に不正なものが含まれている論文が、科学論文して認められるものではない事は自明である。

次に、小保方氏側の不服申立てでは、「捏造とされた写真は取り間違いであり真正な写真は存在し、2014年2月9日付でNature誌に送っている」と説明しているが、これは何の意味も持たない。
一体、申立者は、Nature誌がその真正とする写真を受け取り、2014年1月30日発行の「Stimulus-triggered fate conversion of somatic cells into pluripotency」論文の写真と差し替え、それを科学論文して認められるものにする、などという事が有り得ると考えているのだろうか? 
もしそんなことが有り得るなら、先発見、先発明の功のため、仮の証拠での論文を投稿し、受理されてから真正証拠を送り差し替えて貰うという事が起こるだろう。
Nature誌が、その様な自らの権威を貶すことになる行為を、投稿者に許す訳がないのは、これも自明である。とすれば、他の共著者が表明している通り、科学論文して認められない論文は一度取り下げ、真正な証拠を用いて新たな論文として投稿しなければならないことは、これも自明なことである。

この様に、この問題の決着は既についている。理化学研究所の研究論文の疑義に関する調査最終報告、それに対する小保方氏側の不服申立て以降の、「これは悪意の行為である」、「いや悪意(一般社会での)はなかった。未熟ではあった」、「STAP細胞はあると信じる」、「論文は取り下げない」等との報道は、もはや科学的な現象、事象の議論の報道ではない。
当事者の面子、地位保全などに関わる訴訟的興味報道であって、紙面第1頁トップを飾るような問題、事象では全くない。

新聞ジャーナリズムでの「紙面投書(声)欄」の掲載判断の責任について
                     2014.4.7. 奥野浩智


新聞社の読者投書欄には、読者のいろいろな考え・意見が掲載される。しかし、新聞社が紙面に載せる以上、それらの文書が、各々の立場の主張として筋道の立ったものであるかどうか、を新聞社が責任を持って判断したものでなければならない。新聞紙面は、街角の支離滅裂な演説の場ではない。
2014.4.6.朝日朝刊7ページの声欄、「「STAP」は組織全体の問題」(会社役員 菊本昭一)の掲載内容は、朝日新聞の編集能力に疑問を抱かせるものである。それは、『今回の「STAP細胞」論文の不正疑惑について、理研は「STAP細胞の発見の事実とその証明」という本質を離れて、小保方氏の論文や実験の不備ばかりを指摘しているが、これは個人の責任ではなく、実験ノートを含め、研究員の仕事、成果のすべてに責任がある組織全体の問題』という主旨である。
今回の「論文の不正疑惑事件が小保方氏個人の責任か理研組織全体の責任か」又「研究員の仕事や成果のすべての責任と栄誉を組織の長が担うか」どうかについては、各人異なる意見が有るのは当然だが、それを主張するには筋道の立つ論拠が必要である。しかるに、菊本氏が述べている事柄は、何の論拠にもなっていない。
1.菊本氏は、今回の事件の本質は「STAP細胞の発見の事実とその証明」をすることである、と述べているが、全く異なる。今回の事件は、小保方論文により世界一斉にスタートした時間と費用を要する「STAP細胞の発見が事実かという証明」という再現研究が、「「STAP細胞」論文の不正疑惑」により、それはまったく意味がないのではないか、という根本疑念を引き起こした事件であり、その「論文の不正疑惑の解明」が本質である。 
2.氏は、「博士研究員として米国大学に行った初日に、ノートブックを渡されて説明を受け、身の引き締まる思い。それに従い、実験方法、経過、結果を記載し、同僚に署名をもらった。」との事である。
とすれば、小保方氏が、ハーバード大に研究員として留学してこれらの研究員としての基本的トレーニングを受けている筈なのに無視している、と主張したいのか、それとも、菊本氏が「身の引き締まる思い」をした研究態度を、小保方氏が無視しても問題なしと主張されているのか、まったく不明である。
というように、77歳の博士で会社役員である由の菊本昭一氏の投書は、論旨の筋道はまったく不明である。このような見出しだけの投稿を採用し紙面に載せた朝日新聞の編集能力と意図に、大きな疑念を持つ。
?
「参考」

菊本昭一氏の「「STAP」は組織全体の問題」なる「声」欄掲載の文
朝日新聞 2014.4.6.付朝刊 12版 7頁

・・・・・・・・・・・

「「STAP」は組織全体の問題」 会社役員 菊本 昭一 (神奈川県 77)

35年ほど前、博士研究員として米国のある州立大学に赴任した初日に、教授から厚い表紙のノートブックを渡されました。
 見開きには「このノートは大学の財産である」と書かれ、記載方法の詳細な説明を受け、身が引き締まる思いでした。研究員や学生は実験方法や経過、結果などを記載し、一日が終わると最後に署名し、同僚に確認と意見を求める署名をもらいました。
今回の「STAP細胞」論文の不正疑惑について、理化学研究所は「STAP細胞発見の事実とその証明」という本質を離れて、小保方晴子ユニットリーダーの論文や実験ノートの不備ばかりを指摘しています。しかし、これは個人の責任でなく、実験ノートを含めて研究員の仕事や成果に全ての責任を持つ組織全体の問題であるはずです。
 先進的で自由な研究を若者にさせることを口実に、問題を個人の責任に帰するような理事長はじめ幹部、調査委員会の態度はどうしても見過ごすことはできません。
                                     
・・・・・・・・・・・

「STAP論文の調査委員会最終報告」に関する新聞記事に関して  
2014.4.2. 奥野浩智 技術士(情報工学)
   
本日4月2日の各朝刊には、昨4月1日の理化学研究所発表の「STAP論文の調査委員会最終報告」に関する記事が大きく載っている。
私が読んだのは「朝日」、「日経」であるが、それらの論調は、偉そうに、この最終報告書と理研の研究組織の欠陥を大きく指摘、批判しているが、新聞ジャーナリズムが現時点で問題にし報道すべき事柄は、このような事と違う。

今問題にすべき事柄は、小保方論文が科学論文として信用できる体裁が整っているかどうか、という問題である。一般的に、新しく大きなインパクトを与える思われる事象が、真実かどうか正しいかどうかは、多くの人の多大の労力と時間とを要して決着するのであって、すぐに解決するものではない。
今回の理研の最終報告書のポイントである「今回論文の中心の画像が、他の細胞由来の画像と思われる博士論文の画像と酷似している。その由来は追跡できなかった」との指摘に対して、小保方氏側の反論は「取り間違えた単純ミス。真正画像は存在している、捏造の必要はない。」、「ネイチャーには、14.3.9.付けで訂正写真を出している」とのことである。とすれば、新聞社が、学者や当事者に任せられないとして、又小保方氏側がその真正画像なるものの一般公開を拒否しているのであれば、今新聞ジャーナリズムがやるべきことは、この真正画像なるものを徹底取材し入手すること、そして専門家、専門機関に、それが信用できる真正画像なのかどうか、を取材し記事にすることである。それでこの問題の決着はつく。現在の新聞ジャーナリズムには、この基本的行動・姿勢が皆無である。

ところで、「朝日」の紙面は、A)1頁目に、編集委員・田村健二との署名入りの解説に「イ)理研が論文に捏造があったという決定的な判断をしたなら、誰でもSTAP細胞は無かったと思うのが普通。ロ)理研が1年掛けて有るか無いかの検証をするというのは、理研がSTAP細胞が存在すると信じたいという意向があるからだ。ハ)最終報告は出ても疑問は幾つも残る。理研自身の対応も含めて何があったのか丁寧に明らかにしなければ、STAP検証結果も社会から信頼されないだろう。」との何を言いたいのか訳の解らない解説記事がある。B)3頁目には「理研の組織検証、国が要求」の見出し記事で、「理研という組織としての監督責任を明らかにして欲しい。」としていた大臣(文部科学)が報告書を突き返したことで、指定(特定国立研究開発法人に)は不透明になった。」との記事がある。
Bの記事は、理研の野依理事長が、最終報告書を下村文部科学相に報告したことの記事で、そもそも本件最終報告書は、提案書・計画書などが受け取れないとして拒否されるようなものではないし、大臣が最終報告書の受け取りを拒否するという馬鹿げた事もなかった。
この様な噴飯ものの「捏造記事」を書いて、得々としている記者、それを見逃しているデスクの管理体制は、真摯な反省と見直しが必要なのではないか。
又、「日経」の1頁目にある「春秋」という社としての意見を述べるカラムには、「ようするに理研の調査は論文のチェックに終始している。・・・ STAP細胞の存否確認は「調査委のミッション(任務)を超える」そうだ。」と、全く見当違いな事をしたり顔に書いている。

こんな体たらくでは、記事は「社会から信頼されないだろう」し、一応自らは危機感を持っていると表明する新聞ジャーナリズムの衰退に、拍車が掛かるであろう。

シニアの世界 2014.3.31.森田裕之

ほぼ毎朝行っている桜区のプールで、今日(日曜日)は帰りがけにコーヒーを飲んでいたら、突然いつも見かける同年輩の爺さんに「チョコレート」を一枚貰いました、一言くらいしか喋ったことのない人ですが、ハモニカの名手で、あちこちに呼ばれて演奏しているらしい、荒川の河川敷で模型飛行機も飛ばしているそうで、NHKの埼玉支局の番組には、よく映されているとのことです。
私は単純に50分間行ったり来たり泳いでいるけど、最近歩いてみたら結構草臥れるのに気が付いて、一日おきに少し浅い所で歩くことにしています。
後期高齢者の会合の話題は、頭と身体のテーマが半分くらい占めるのが普通で、あとは家族、安倍さん、オバマ・プーチンさんと言う順番になっています、私の最近の主張の「経験上、子供は10歳まではとことん可愛がり、10歳を超えたらほったらかす」ということを、尊敬する哲学者の吉本隆明の本のなかに見つけて、わが意を得たり、と喜んで話すことにしています。
世の人が皆これを実行して100年もすれば、若者も歳よりも精神に異常をきたす所が無く、家庭内の暴力や崩壊の連鎖が無くなり、日本がもっと良い国になるに違いない。

シニアのコラム 2014.2.17.森田裕之
何年ぶりかの大雪で、家に閉じこもり、雪かきをしたりTVで映画を見たり、留守番をかねた半日を過ごし、楽しかった。
車は車庫から出したり入れたりが出来れば、道路は問題ないのだが、車庫周りが雪かきの労働を必要としていて、草臥れる。

最近の私のスローガンは「元気な爺さん」である、暫くぶりにかかってきた近藤君の電話に、私のスローガンの由来を、お喋りしたけど、暫く新潟に転居すると言う近藤君も、是非むこうで「元気な老人・爺さん」をやってほしいと、希望しておいた。

脳の化学を勉強している知人が、脳は新しい記憶の部分から老化が進んで、最近のことは忘れるが、古い脳の部分の記憶は最後まで残るので、「故郷に帰りたがる、望郷の念と言う奴に惑わされない方が良い」と言うのが、私の最近の見解である。

シニアのコラム 2014.1.31.森田裕之
病気の話

私は、15年位前に、心臓のバイパス手術をしている、血管系に弱点があり、去年の暮れにはふくらはぎが痛くなり、手術して血栓を除いてもらった、薬を飲んでいる。

以前から会議中に居眠りをする人が居て、話がつまらないからだろうと、気にしていなかったが、樋口大奉君があまりに盛大に居眠りをするので、注意した記憶があるが、彼はそれからわずかして、脳卒中で半身不随意になり、それでも不屈の男だから、特殊な自動車に乗って、我が家の餅つきには必ず現れている。

このことで、「私は会議中に居眠りする人は病気である」と決め付けることにしている、医者に行ったほうが良い。

本田尚士先輩は、たしか豊田の大学に講義に行った帰りに、豊田の駅で倒れて、入院して頚動脈の血栓を除いて以来、出かけるときは必ず奥様が同伴されていたのを、覚えている人は多いだろう。

何時の頃からか、同級生の仲間と、東京散歩をするのが楽しみになっていて、2月の6日には、靖国神社の参拝と科学技術館での昼飯を、企画している。
足腰が痛いとか、がんの手術をしたとか、病気の話題に事欠かないが、頑張って参加する連中である。

シニアのコラムー銀座の交恂社 森田裕之
足利の石井君が、地元の産業や日光の温泉観光地の歴史を調べていくうちに、アメリカ開拓の移民の思想的な背景に、ヨーロッパのカトリックに反発した新教徒・プレスビテリアンの民主主義・資本主義の担い手の根幹を見抜いた、福沢諭吉達の明治維新の影の功労者の行動に気がついたという話を聞きました。

私が独立した1973年頃に、機会部会の部会長だった新井政太郎さんという佐官級の軍人OBのおじいさんが、「森田君は若くして独立したので、交恂社を紹介して入れてあげるから、自宅を事務所にして、人と会うときには交洵社を活用しなさい、貧乏くさい事務所を構えるなんてことは、考えない方がいいよ」と教えてもらい、以来技術士諸君との会合にも利用しています。

ここの歴史は、2−3年前に135周年の記念事業をやっているので、なかなか面白いが、簡単に言うと、欧米での元々のこういったクラブは、強大なカトリック教会に謀反を企んだ独立・自営の石工の技術者集団を軸に色々な中小企業の団体が集まって談合するために作られたものらしい。

福沢は、欧米に出かけていって、資本主義のインフラである、保険業や銀行、証券会社のような産業を沢山作ったが、談合のためのクラブも不可欠な装置として考えていたようです、銀座と言う場所は、役所から少し離れていて、産業団体が沢山あり談合に便利だったと聞きました。

私は何年か前から、クラブハウスサンドウィッチに凝っているが、このクラブは港にある船員のためのクラブの食事で、男の料理が起源であり、レタス、ベーコン、卵焼きの基本素材に、コーンビーフや魚の缶詰を開けて追加するシンプルな料理です。
私は発展的に、東芝のパン焼き機を買い込んで、朝飯はいつもパンを食べています。

石井君の勉強のために、来月あたりに交洵社で事務局を紹介するのと、ご飯を食べる予定です。
------------
森田裕之です、プレスビテリアンじゃなくて、ユニテリアンだったね、原田君はプレスビテリアンのライス大学卒だといっているけど、今はフルブライト奨学金OB会の会長です、一度イベントに参加したことがあるけど、おばさん、おばあさん達が9割を占めていて、元気にやっているようでした。
明治期でも、案外女性が地方では、帰国子女として色々活動していたんだろうな。

---------- 転送メッセージ ----------

森田さま
いろいろとメールを有り難う御座います

私は、副島隆彦という大天才をそばで見たというのが、私の一生の財産です
同時に、この人の近くに長くいすぎる、被曝してしまうとおもいました(笑)。
(以前、副島先生が機嫌のいいときに、そう伝えたら、笑ってました)

副島先生に直言できる森田様の独立不羈には敬服しております。
そして、人とのつながりの大切さを森田さんから学びました。

いま、農業自給率の嘘っぱち,(要は農業弱体化を国民に煽ることで農水省官僚の予算獲得になる)
を暴いている著者の本を今やってます。面白いので、できたら献本します。

石井さんには、しばらくあっていないので、時間会えば、ぜひ同席したいです。

追記:
北浦和駅の埼玉大学がある出口の、赤羽寄りの路線ぞいに、十勝平野というジンギスカン屋があります。
オーナーが浦和高校柔道部OBで、不動産屋をやってる武笠くん。
高校時代、柔道の合宿で仲良くなった友人がやってますかなり、美味いです。

小暮周吾

「電気の技術監査人は見えない電気をみている」    
平成25年12月28日
高木育巨(技術士、電気電子部門

 監査にあたっていろいろな資料が貸与される。膨大な資料である。
機器の寸法から、盤面器具まで詳細に記載されている。配線ケーブルのサイズから長さまで詳細に記載されている。
実施設計も完了していない時点で、こんな資料を作るのは並大抵の作業ではない。
大変な努力に敬意を表する次第である。
これに対する監査の作業量も膨大なものになるが、実は、電気の監査ではもう一つ大きな作業がある。
電気そのものの監査である。
電気というものはとても恐ろしい。
特に高圧設備の場合、感電事故は死亡事故につながる。
しかも電気は見えない。監査資料との照合では何の問題も無くても、あるモードにおいて高圧電源が目の前に現れる可能性もある。
勿論、各種の安全装置は付いている。しかし、絶対に壊れない安全装置は作れないし、絶対にミスをしない人間もいない。
これに対して電気は自然の摂理に従って冷酷に反応する。どのようにこの危険を回避しているのであろうか。
実は我々電気の技術監査人は、電気設備だけでなく、その裏で展開されている電気そのものの挙動をしっかり見て、安全性の確認を行っている。
安全に対する完全な仕様書はない。
あるのは自然の摂理のみである。
我々はこの見えない電気をしっかり見て、自然の摂理を監査仕様として、安全性の確認をしながら電気の監査を行っている。


技術フォーラムコラムより

シニアのコラム 213.11.23.森田裕之
ドイツに移住しているクラスメートの桜井君からのメールです、息子のハイコは有名な漫画家です。

貼り付けー

森田君、

久しぶりにメールします。コンピュータがクラッシュしてしまい、メールが出来ない状態が、一週間も続きました。日本でもそうでしょうが、ウインドウズ8.1Pro にアップグレードを試みたところ、不具合が発生してしまい ”あなたのプロダクト・キーは無効です”等というマイクロソフトの警告が表示され、あれこれやったのですが、ダメで(現役時代にワーフロは使いましたが、PC を購入したのは会社を退職してからで、独学で習得した知識しかなく、コンピュータの故障時には苦労します)したが、やっとのことで復旧に成功して今メールしているところ。

日本もあまりドイツの真似をしてもしょうがないのではないでしょうか。脱原発にしろ、グリーンエネルギー開発にしろ、傍で見ているほどうまくいっていません。現在は大連立交渉が進行中で、一体両党のマニフェストに書かれていた事が果たして実行できるのか(それだけのお金があるのか)、分かっていません。政治の貧困状態が続いています。

初孫のマッティは、11月5日に初誕生日を迎え、そろそろ歩き出しました。一日ごとに一歩づつ一人歩きが出来るようになり、見ていて頼もしい感じです。でも、ドイツの嫁さんは、なかなか自尊心が強くて、旦那の両親である私たちも遠慮気味で、孫と一緒に風呂に入るなど出来ません。せいぜい散歩に行かせてくれる位です。ミルクを与えるときも、近くに居ると赤ちゃんの気をそらすとか言って、傍で見ることもほとんどないのです。子供が寝付くと、皆しんとしています。ですから気が疲れるのです。

ハイコの家族は、私たちの住んでいるところから、電車で約2時間、車で1時間離れたケルン市(ドームで有名な中世期の町)に住んでいます。

桜井

貼り付け終わりー

「郷愁」に想うこと 川上 英雄  KAWAKAMI Hideo

川上です。先般、森田さんからもらった郷愁に関するメールが印象に残りました。かなり高齢になってから、住み慣れた東京から帰郷した96歳と86歳の先輩のことですが、よくぞ東京のような大都会から岐阜の笠松と九州の国分に帰ったと云う話です。郷愁、望郷の念にかられてのことでしょうが、いささかびっくりしました。二人の結論は「失敗だった、後悔している、本屋がない、図書館があるが遠くて行けない、喫茶店がない、友達が居ない・話し相手が居ない」となりました。このような結論に至るのは至極当然なことかもしれません。相当のカルチャーショックを受けたのだと思います。
 私は、大学を出てから2年ばかり「スタンダードヴァキューム」の横浜本社で3カ月ばかりのトレーニングを受けた後、東京の大手町の都立会館のビルにあった東部支店に配属になって1年半ばかり働きましたが、サービスエンジニアー(潤滑技師)として営業マンのバックアップをやるのに嫌気がさして、どこかメーカーで働きたいと思って転職を計りました。丁度、スタンダードがアメリカの独禁法の改正でESSO とMOBILに分かれることになり、MOBILに行き先は決まっていましたが、再契約せずに転職を選びました。どうしても、メーカーの所在地は地方になりがちで東京からあまり遠くに離れたくないと考えて沼津の東芝機械を選んだわけです。それ位の理由でした。
25歳時の選択でしたが、当時、勤務場所が皇居の近くの大手町から沼津に来てビックリしました。新宿界隈に出かけるのに慣れていたせいか、沼津駅近くの中心街でさえ真っ暗な感じでした。当時は、まだラジオが主流でしたが、箱根を越えると、東京の放送が全く入らないのにはショックでしたね。あまりの東京との生活環境の違いに大変なカルチャーショックでした。東京の生活に慣れていたせいか、これが都落ちかなと実感しました。これは、相対的な感じ方だと分かりました。当時、会社に福井県から来た後輩がいて、沼津にはデパートが色々あって、街は賑やかですねと言われた。当時、デパートは西武と富士急の二つしかないと思っていましたが、長崎屋、ニチイなども全部デパートに数えていたわけです。人の感じ方は、相対的なものでどこから沼津へ来たかで随分変わります。(今では、西武、富士急、ニチイ、長崎屋、丸井など県外から進出していた店は全部撤退しました。沼津は衰退傾向なのでしょう)
現役の間は、会社という村社会の人間関係の中で延々として過ごしてきたきらいがあり、自分のルーツや郷愁を改めて感ずる余裕もなかったが、定年後退職後は意識の中に郷愁はあるようです。これは、童謡の「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川….」や、石川啄木の歌にある「故郷の訛なつかし、停車場の人ごみの中に、そを聞きに行く」にあるようなたぐいのセンチメントかもしれません。
その点、東京の場合は、いろんな地方から多くの人が入ってくるので皆がアウトサイダーであるが、インサイダーになったような気になります。五大都市ならともかく、地方の中小都市に共通しているのでしょうが、成人後、地方都市に入ってきた者にとっては、一世の宿命として自分のアイデンティティーを考えさせられますね。
つまり、地方都市では、90数%がローカル(土地の人)で外から入ってきたアウトサイダーは、マイノリティーになるわけです。街でばったり、小学校から高校の同窓生を見かけることなどは皆無でしょう。町の名前を上げれば、土地の人ならピンとくるが、アウトサイダーはこの地の町名にあまり興味がないせいか、いつになっても覚えないものですね。
 千葉県の人が沼津で暮らすのは実に珍しいと思います。たまたま、10年くらい前に、高校の同級生が藤枝市に住んでいるのが分かって、1年に1回か2回位、静岡市で会っています。彼はたまたまい静大の教授をしていて藤枝市に住みつきましたが。千葉県出身者は、卒業すると大概は、京浜に向かいますが、箱根を越えるのは、ほとんど皆無に近いでしょう。父親がアウトサイダーでも、京浜地帯で働いている息子や娘にとっては、ここが故郷になるわけで不思議な感じがします。
ちなみに、沼津のようなローカル都市では、80年代からは、大企業の工場進出はなく、むしろ減っているくらいであり、ここ20年くらい前からは、学卒はUターン組の地元調達で間に合い、彼らは自宅から通勤のために企業が提供するアパートや借り上げ住宅は、ほとんど不要となり、高度成長時代とは様変わりです。この現象は、他の地方都市でも大同小異でしょう。今や、大企業の進出や、設備拡張投資は皆無に近く、大方は、投資するなら、中国や東南アジアを指向しているのでしょう。前に森田さんが言っていたけど、今、早稲田の機械科の卒業生の志望先でトップは公務員なのだそうだが、さもありなんという感じがします。今なら、自分が沼津へ来ることなどは、全くあり得ないことでしょう。
ごたぶんにもれず、高齢化の進展で市のダウンタウンへ出かけるとシニアが実に多くなった感じがします。これはどこの都市も同じでしょう。
  
少し古い話になりますが、2008年の春の高校選抜甲子園選抜大会に21世紀枠に2校が選ばれて、わが母校(千葉県立安房高校)が甲子園に出場することになり、1回戦はTV観戦でしたが、これに勝って、2回戦に進出したので何としてでも、甲子園球場で観戦したいと思いに駆られて沼津くんだりから、甲子園に出かけました。宇治山田商との対戦で1回に一番バッターがホームランを打ち、2回表で3−0とリードしたので勝てると思ったけど、9回にあっけなくリードされて4A―3で敗れたが、いい試合でした。
この時、甲子園のアルプルスタンドをあちこち眺めまわしたけど、1人も知った人がいなかったのにはショックでしたね。郷里から、50台のバスと新幹線で5,000人が乗りこんできたことになっていたのだけど。18歳で郷里を去ったわが身にとって、郷愁とはこんなものだったのかと思い知らされました。この時、この高校卒のタレントのX JapanのリーダーのYoshikiが甲子園の警備関係で母校の第一試合に来場自粛を要請されて来られなかったと云うオマケもあります。彼は1000万円をバス代などに寄付したそうです。

「郷愁」は、ヨーロッパでは一種の病気に扱われているとかの議論がありましたが、日本人は、特に郷愁をもつメンタリティーがあるようですね。昔読んだ伊豆大島出身の石川好(ヨシミ)(慶応大法科卒)と言う作家が書いた「ストローベリーロード」(文春文庫)と言う本を思い出しました。石川好が1965年、高校卒業後、米国で暮らす短期農業実習生として渡米していた兄(アメリカの白人と結婚し、アメリカ人となった)を頼ってアメリカに行き、カルフォルニアの広大ないちご畑を這いつくばって暮らした2年間の滞米農業体験を日本に帰ってから、20歳の時に綴った作品です。大半の日本人移民一世達が、金を稼いで、やがて故郷に錦を飾ることを夢見ながら、むなしく、彼の地に散っていく様子が描かれています。明治、大正、戦前の昭和の時代の日本移民は、ほとんど農業、漁業を生業としていました。日本移民たちで固まった特殊な移民社会を作って暮らしていたようです。この本を読むと、戦前の日本人移民の強い帰郷意識が分かります。

・いまでは、世界中にチャイナ・タウンがあると聞きますが、米国には、ジャパン・タウンよりはるかに多くのチャイナ・タウンやコーリヤン・タウンがありますね。これも日本人の郷愁の強さの表れかと思います。
・詩吟をやっている関係で古い漢詩に接することがあるのですが、科挙の制度で任官して地方や僻地に回されて生活する中で、郷愁や望郷をうたった詩がけっこうあります。昔の中国人には、日本人と同様に郷愁が強かったことを感じます。
・郷愁に性差があるような気がします。ヨーロッパをツアーで旅行すると、現地で結婚したファースト・ネームが現地の名の若い女性がガイドを務めることがよくあります。女性は現地に溶け込み親和力が強いのでしょうね。それに比べて日本人男子の現地ガイドは極端に少ない。ガイドに限らず、女性たちは、ヨーロッパの隅々まで出かけ、現地で結婚して現地に溶け込んで生活している様子を新聞や雑誌でも見かけますね。女性は子孫を作るので郷愁に対する感性が違うのかなと思います。郷愁がないのか、希薄なのでしょう。
・こちらでも、会社定年後、郷里へ帰るケースを見聞しますが、その場合、圧倒的に夫婦とも同郷の出身者が多いですね。現地妻では、不可能か、容易なことではないのでしょう。
会社時代の10才位若い仲間の話だけど、夫が栃木県出身で、妻が北海道出身の夫婦で、1人娘は、東京に就職して、結婚した所帯だが、彼は会社定年後10年ばかりして、栃木の姉(80数歳)の夫がやっている自動車部品会社を手伝っていますが、栃木に移り住みたい話をしたら、妻から1人で行ってほしいと言われて郷里への帰還を断念したとのことでした。
・沼津の隣町の駿東郡長泉町に住む英語の学習などを通じて、私の知り合いの人ですが、5年位前に95歳でしたが、東京出身の東大卒の人で日立系列の国産電機をとっくの昔に定年して、長泉町の生活にすっかり定着して生活していると思っていたが、この人は相当前に妻を亡くして、10年位前、同居の1人息子がいたのだけど、何度か弁理士試験にトライしてやっと受かって自宅でビジネスをしていたけど、半年くらいで東京へ出て行ってしまった。その後、介護が必要になって川崎から妹さんが時々見に来ていたけど、近場に身寄りが全くなく見るのが大変になって、ついに京浜地帯の施設に引っ越しました。もう数年前に亡くなりました。この例などは、まったく自分の意志に逆らっての、止むおえない高齢での引越しだったと思います。私にはこの人が、どのような動機でこの地に来たのか分かりませんが。 

・郷愁がヨーロッパでは病気に起源があることを初めて知りました。確かに郷愁に当たる英語の訳語がhomesicknessなので理解できます。ヨーロッパ人から見ると郷愁はsicknessなのでしょう。彼らは広大なアメリカ大陸に渡って土地になついて郷愁とは無縁であるかのように生業を立てて暮らしていますね。彼らはどうも距離の概念が、一般の日本人とだいぶ違いそうですね。郷愁にちなんで感想を書きましたが、人それぞれの運命的なものがあるのでしょう。          駄文をご笑覧下さい。         2,013年11月 

「異端の人」    
平成25年10月8日
菅野淳(技術士、情報工学部門)

歴史上の人物で異端の人といえば、平将門、織田信長、坂本竜馬等が真っ先に挙げられる。政治家では、田中角栄、小泉純一郎、小沢一郎等があり、実業家では海賊と呼ばれた出光佐三、経営の神様の松下幸之助、ビジネスイノベータの孫正義などが思い浮かばれる。私の専門の情報処理分野では、池田敏雄氏、嶋正利氏、坂村健氏を挙げる。

池田敏雄氏は富士通社員でコンピュータ開発のパイオニアであった。1964年にIBM大型計算機に対抗してICを用いたFACOM230-60を完成させた。NHKのプロジェクトXでも紹介されたが、遅刻、無断欠勤の常習犯であったが、自由奔放に才能を発揮させ、1970年には富士通をコンピュータシェア1位とさせ、1974年に51歳で急逝している。スタジオジブリ作品で話題の「風立ちぬ」のゼロ戦開発者の堀越二郎氏を思い出させる。

嶋正利氏は電卓メーカのビジコン社員であったが、1969年にインテル社に派遣され、ここでテッド・ホフ氏と共に世界で初めて4ビットマイコン4004を開発した。子供の頃のけがで 右手が不自由であったが、その後リコー、インテル、ザイログで16ビットマイコンを開発した。1997年、京都賞(先端技術部門)を受賞した。

坂村健氏は国産OS「TRON」の開発者で、現在東大教授である。
1980年代に日立、東芝、NTTなど大手メーカを巻き込んで、リアルタイムOS,TRONチップ、応用システム開発を手掛けた。1990年ごろの日米ハイテク摩擦にBTRONが取り上げられ、マイクロソフトのMSDOS,Windowsにとって代わられた。コンピュータ業界の中枢に入り込んだが、外圧に負けてしまった彼をラスプーチンと呼ぶ人がいた。

彼らに共通するのは、従来の考えにとらわれずに、自分の信念を貫き通したことである。コンサルティングのコツとして常に対極から考え、メーカの立場であれば、ユーザ側からの意見を言い、一つの案が提示されたら、その案とは別のカウンタープロポーザルを示すことがコンサルティングの仕事に繋がる。監査の仕事も従来からの工事内容、技術内容を踏襲しながら、新しい視点で監査提言をしていくことが、顧客である監査事務局の信頼を得ることに繋がるのであろう。


技術フォーラムコラムより

シニアのコラム2013.10.23.森田裕之
ドイツに住み着いている友人の話では、ドイツは周辺の国の人たちからはあまり好かれていないらしく、悪口に事欠かないらしい。
ところがマクロにユーロを支えているのはドイツで、車なんかまともなのは全部ドイツ製だし、先の戦争では敗戦国だし、ナチに全部押し付けているのもばればれなことは、ヨーロッパの人たちの腹立たしい所でしょう。

日本の近隣諸国も、日本が敗戦国なのに、いち早く先進国に仲間入りしたり、豊かな様子が情報として氾濫しているのを見ると、癪に障るんだろう事は、容易に推測できる。
年功序列でトップに居た敗戦時のお偉いさんが、A級戦犯ということでナチのトップ並みに責任を取らされたことは、日本人には納得できないことで、せめて兵隊さん仲間と一緒に、靖国神社に祭ってあげようと言うのは、日本ではまあ当然の気持ちだろう。

私は何故か神社が大好きで、出かけるときは、目的地近くの神社を見つけて、お参りするのが、若いときからの習慣なんです、普通森の中にあって、フトンチッドが豊富だから気分がすっきりするのかなあと思っていたけど、最近街中の神社、住吉大社、三島大社、亀戸天神にお参りしたけど、気分すっきりは同じだとわかった、心理的なものなんでしょう。

シニアのコラム 2013.10.22.森田裕之
19日には、日本技術者連盟・JEFの会議室で、ミヤンマーのBOPビジネスへのJICAへの提案書をいくつか議論しました。

ミヤンマーへの提案については、井戸田さんの紹介で、神戸の森さん・電力関係の技術士が先行して出していると紹介してもらったので、我々の提案書をチェックしていただきました。

技術士仲間と言うのは、本当に有難いもので、初対面にもかかわらず、メールで提案書を前もって見てもらい、赤でチェックの上、JICAの審査の経験を色々話してもらいました。

アジアへのコンサルタントが長い森さんは、私と同年輩で、ベトナムあたりで転倒して頭を怪我して、オーストラリアの病院で手術されたと言う、健康にあやふいシニアですが、本当に親切な方で、シニアはかくあるべしと、私は感動しました。

シニアのコラム 2013.10.5.森田裕之

卒論仲間で、長野在住の阿部君と長電話をしました。
テーマは深川下町出身の阿部君は、長野でのシニア生活に満足しているか、故郷に帰りたいと思わないか?と言う最近の私の関心についてでした。
阿部君はエプソンの役員OBで、写真がすきで長野の四季を、きれいな写真集にして仲間に配ったくらい趣味に入れ込んでいます。
彼曰く「深川は昔の良き下町の環境を失い、あまり懐かしくないし、下町育ちで土をいじくる百姓に憧れがあったので、今は自分で食べるものは全部自家製であり、毎週写真を取りに山に出かけているので、足腰も丈夫になった、あまり不満はない、とのことであった。

シニアのコラム2013.9.26.森田裕之
振り返っていつも思うのは、私は直感で決めて行動に移すタイプの人間である、スバル360から始まった車の変遷を妻と話していたら、妻にそんなふうに総括されて、気がついた。

就職ー転職ー独立も,あまり根拠のない、他人から見たらかなりの意外性だったんだろう、最近の独立希望の諸君の自己紹介を聞いていると、誰が聞いてもそりゃそうでしょうとしか思えないような、論理的な破綻のないストーリーで、私にはあまり面白くない話が多い。

私はマクロ経済のことが良くわからない、国境を越えたグローバル経済の話となると、もっと判らない、興味が持てないので、これまで投資とか金儲けに興味なしできてしまったせいか、あまり心配事のない老後を迎えている。

直感型の強みは後悔しないことで、大方の技術士にありがちな論理・勉強型(最近ではネット信頼の)は破綻すると、立ち直りにえらく時間がかかるというものである。

「シニア技術者の時間の使い方」
2013年9月25日        佐藤 修 技術士(建設、総合技術監理)

 日本人の平均寿命は世界でトップクラスになり、企業の定年と年金支給も65歳というところまできた。今後も少子高齢化が進むことから公的年金を勤労世代の負担で賄うのが大変になり、年金支給年齢の繰り下げや支給額の削減といった議論も出ている。健康に働ける技術者は定年後もペースを落としつつも仕事をしながら、長い第二の人生を送ることが必要となる時代に入っていると考えるべきであろう。これまでに蓄積してきた技術・経験・知恵を社会で生かしていくための様々な取組み・工夫がさらに求められている。
 高齢者の増大が一層進み子供たちの安全な環境が損なわれるなど、地域社会を健全に維持していくためのきめ細かなサービスが求められている。自分の居住する地域社会での役割も期待される一方で、地球の一員として貢献していくことで日本の存立基盤を保っていくことも重要である。仕事とともに、余暇、家族や地域社会への貢献のバランスをとりながら如何に充実した人生を送るかが知恵の絞りどころとなる。
 一層グローバル化する地球空間で日本という国がさまざまな国の人たちから認められて生きていくために、これまでに蓄積した技術・経験を生かして、退職後の元気で活動できる期間をそれら時間に割いていくことも大きな役割と思う。それには、培ってきた技術・経験とともに相手との言葉・文化の違いを乗り越えたコミュニケーション力が不可欠である。発展途上国での会合などでは、欧米のシニアの活躍状況に目を見張るものがある。海外で活躍する日本人も多くなってきているが、他国とのやりとりの経験・蓄積ではまだ欧米に後れをとっているようだ。
 自分磨きと社会貢献を実践する人生の第2ステージの活動の場として、資源小国・技術人材大国の日本の技術者として、多くのシニア技術者にこれらの場に積極的に参加してほしいと思う。

技術フォーラムコラムより

「公共事業の維持管理」
平成25年9月4日     坂本 文夫 技術士(建設)

高度経済成長時代以降、整備した膨大な社会資本ストックは劣化が進行し、特に首都高速道路の道路橋については老朽化が著しく、大きな社会問題となっている。
建設後50年を経過する社会資本の割合を道路橋で見ると、平成8年度では6%であったものが平成28年には20%まで増加し、平成36年には47%に達する見込みである。
以上の状況下では、「高齢化した社会資本」の維持管理・更新が必要で、それも戦略的な維持管理・更新が求められている。    
 我が国の財政悪化が進行する中で、公共投資が毎年のように減額されてきた。
このように、公共投資の減少が毎年続くようになると、当然ながら社会資本の維持管理は後回しになり、その間に道路や橋梁の経年劣化が進行し、やがて使用することができなくなる日が来る。この状況は、1980年代の「荒廃するアメリカ」と酷似している。
最近、アメリカの高速道路で起きた橋梁落下事故の状況は、記憶に新しいところである。このような事故が発生した背景は、1970年代のアメリカは財政が苦しかったこともあり、社会資本の維持管理費が大幅に削減されていた。1980年代に入ると、社会資本の劣化がさらに進行し、いたるところで道路や橋梁の損傷が激しくなった。
こうした状況から、「荒廃するアメリカ」と呼ばれるようになった。
その状況はアメリカだけでなく、我が国でも維持管理不足による大きな事故が発生した。
2012年12月に発生した中央道笹子トンネル上り線の天井崩落事故がそれである。
今後は財政上の問題もあるが、社会資本の耐用年数を延伸するための対策として、必要な財源を確保し、対象物の点検を推進する。
その上で予防保全対策を早期に実施し、ライフサイクルコストの低減を図り、国民の安全と利便性を確保することが重要である。
 東日本大震災や笹子トンネル事故の発生以前は、長い間にわたって公共事業=「悪」とされた時代が続いたが、その後は公共事業=「必用」であることが認識されるようになったのは、時代の変化なのかもしれない。
技術フォーラムコラムより

シニアのコラム 2013.8.26.森田裕之

25日(日)の午後、錦糸町の駅前にあるトリフォニーホールで、稲門の同級生・坂倉君・テノールが会長の、墨田区の男声合唱団の公演を5人の同級生で聞いてきました。
柏で混声合唱団をやっている、高木君・電気も参加して、右側の方にいる「バス」に凄いのが居ると、セミプロ的な評価をしていました。
案外我々の知っている懐メロ的な歌があり、楽しめました。
私はキリスト教の聖歌隊みたいなのを、日本人がやるのは、苦手なので、会長が常識あるんだと、安心しました。

一杯飲んでからの亀戸天神への散歩も絶妙で、境内の道筋には、小さなぼんぼりが並んでいて、幻想的な雰囲気をかもし出していました、前日はお神輿の出たお祭りだったそうです、神楽をやっていました。

私は昔から、シニアになったら田舎に引っ込むよりは、街中に出た方が良い、という主張を繰り返してきましたが、はからずも、それが実現しているのを実感して、感慨無量です、私が実際に引っ越すかどうかは、まだわからないけど、工場が田舎に行った跡地が,公園やスポーツ施設にになって、住民がニューヨークのセントラルパークのそばに住んでいるような気分になっているのを見ると、悪くない景色だと思いました。

「少子高齢化社会への不安」
平成25年8月25日     久保 眞介 技術士(建設、総合技術監理)

標記に関しては、この10年来多くの学者、専門家及び評論家から来るべき少子高齢化社会の「未来予測」が指摘されてきている。以下がその結論である。即ち、
1.2030年ごろまでに、年金受給者を支える現役の勤労者の総数が確実に減っている。そのため年金原資(注 現役勤労者から徴収する)が大幅に不足する。

2.その対策として以下のような方法が提唱されている。
 ア.将来の年金支給額を減額する。
 イ.支給開始年齢をさらに引きあげる。
 ウ.厚生年金保険料率をも引き上げる。
上記以外は現実的な解決策は見当たらないように思える。

然しながら、これを実施した場合の影響(反動)は極めて大きいといえる。即ち、年金原資の支え手である将来の勤労者にとっては、高い保険料を納めて(とられて)、しかも存命中にどれだけの年金がもらえるかどうかは全く不明である。従って不安感が増大する。
この問題に対して民主党政権を含む歴代政府は、長期的・抜本的な政策を国民にいまだに提示し得ないでいる。社会保障費を捻出するために、曰く、「国家財政のムダを省く」、「不要不急の出費を控える」等々の抽象的な意見はこの際何の解決策にもならない。欧米の福祉先進国においても、日本と同質の深刻な問題を抱えており、どの国もこれの抜本的な解決方法を見いだせない状況にあるようだ。
現行年金制度を維持するための方策としては、消費税率を上げこれを目的税として使用する以外に現実的な解決策は見当たらないように思える。
技術フォーラムコラムより

シニアのコラム 2013.8.3.森田裕之
訪問した会社の担当課長が、技術士だったので、終わってからの飲み会で、早速「会社を辞めて独立する気ない?」と聞いた所、「技術士は会社を定年になってからやる仕事だと思っていた」と言う返事でした。
同行していたK君も若いし、私も今はおじんだけど、若くから独立しているので、そんな話をすると、興味を持った様子だった。
1970年代の始めごろは、敗戦後25年でしたから、戦争・外地帰りの元気な先輩や、今あるような大企業も、それほどのさばっていなかったので、技術士会に行くと、面白い人が沢山居たように、記憶しています。
思い出のシニアを掲示板に書いているのですが、私自身が半ボケシニアなものだから、沢山居たような気がするだけで、半分も思い出せないような気がします。

シニアのコラム 2013.7.28.森田裕之
私は技術者の神様は、論理と倫理じゃないかと思う、これは長年の経験と観察による、シニア・私の偏見である。
私の親友だった村木君は42歳の時「肺がん」で亡くなった、横河電機のエンジニアで、排気ガスメーターの開発を担当して、2年間ディーゼルエンジンの排気ガスにまみれた研究室で、あまり家にも帰らずに没頭した挙句に,急死した。
葬式には会社から社長以下800人の社員が参列して、社葬のごとき印象を与えたのを鮮烈に記憶している、タバコも吸わない男だったので、誰もが会社の仕事で殺されたと思っていた。
彼のことを思い出したのは、最近「風たちぬ」という宮崎駿のアニメを見て、主人公の三菱重工の堀越二郎という、ゼロ戦の設計技師の姿と、村木の姿がダブってきたからである。
私は、村木と奥さん・享子ちゃんの学生時代からのロマンスを良く知っているので、宮崎駿のでっち上げた堀辰雄の「風たちぬ」のロマンス物語を、堀越二郎夫妻にダブらせたのには、無理があるなあと言う印象だった。
私の知る戦中派・シニアの2人、本田尚士先輩はご承知のように、小金井の住まいを整理して鹿児島に帰郷されました、高島直一先輩は岐阜・枇杷島に引っ越されました、私の知る限り奥様は大反対でした、アニメのロマンティックな堀越二郎は、現代のアニメ作家の宮崎駿によって作られた、今の映画を見に来る日本人のためのヒーローなんだと言うのが、私の結論です。

シニアのコラム 2013.7.25.森田裕之

組合の設立以来だから40年近く、私は月の始めの土曜日の午後一の定例会には、必ず参加して新人と名刺の交換をしている。
振り返って不思議なことには、新人が必ず2−3人来ていることである、どうやら景気や流行と独立・自営を希望する人たちの人数は関係ないのじゃないだろうか?
我々の活動は特にどこかにPRされているわけではないし、技術士会のスケジュール表にそれらしいことが一行出ているだけである。

考えられる仮設は、組織などの束縛から自由を求めるリバータリアン的な傾向を持つ人間の比率は一定である、と言うことである。

「朽ちる水道」
平成25年7月23日       高堂彰二 技術士(上下水道部門、総合技術監理部門)

  日本初の近代水道は、明治20年(1887年)10月17日に横浜で給水が開始されました。近代水道とは、池や川の水をそのまま飲用するのではなく「沈殿・ろ過」などの浄水処理を行い、自然流下ではなく「ポンプ圧送」により送水し、石や木でできた管ではなく「鉄管」によるものを使用することを指します。
平成23年度(2011年度)の日本の水道普及率は、97.6%、東京都の水道有収率(給水する水量と料金として収入のあった水量との比率)は95.8%と世界一の水準であり、水道の蛇口から出る水をそのまま飲める国は世界にいくつもありませんが、日本では全国どこに行っても水道の水は蛇口からそのまま飲むことができます。
 ところがそのあって当たり前のような日本の水道が、今後どうなるかわからなくなっています。
 一つは、日本の人口が今後減少していくことにあります。平成22年度(2010年)に日本の人口は1億2,806万人でピークとなりましたが、それ以降減少に転じて100年後には4,000万人程度となると予測されています。これは、明治初期の日本の人口と同じ位です。
 水道料金は、独立会計で利用者の水道料金で賄っています。ところが、前述のように今後人口が減少していくにしたがい水道料金が減収となり経営上問題となることが予測されています。
 二つ目は、30〜50年前に埋設した拡張時代の水道管は、大量に更新時期を迎えていますが、ほとんどの自治体はその費用を積み立ててはおらず、特に過疎地の簡易水道ではとてもそこまで手が回らないのが現実であり、計画的な更新がなされていません。
 三つ目は、今後10年で50歳以上の水道従事職員(全体の47%)が大量退職するため、技術の継承が大きな問題となっています。
 この他にも、東日本大震災を踏まえた危機管理対策や、水道水源の水質の変化への対応等など想定される困難な課題があります。
 このままでいけば、近い将来日本の水道の水は飲めなくなり、水道管からの漏水も多くなり、水道経営も水質の安全も保障されない日がくると思われます。
 このようなことにならないためにも、30〜50年先を見据えたビジョンを各水道管理者が独自に持つ必要があり、そのような水道ビジョン作りや、要所要所での技術監査は、私たちプロの技術士集団の「技術フォーラム」がきっとお役に立つことができると思います。
技術フォーラムコラムより

シニアのコラム 2013.05.25.森田裕之
プールで珍しく3人の似たような年齢の爺さんに話しかけられた、私が彼らが水泳教室で練習している隣のレーンを、50分間休みなしに40往復・2000M、のんびり泳いでいるのが気になるらしい。

大人になってから泳ぎを覚える人は、「呼吸法」がうまく出来ないらしく、苦しくなって続かないのだ。
プールのルールで50分泳いだら10分の休憩時間があるので、止めて帰ることにしているが、時間制限が無かったら、いくらでも泳げそうな「脳内エンドルフィン」が噴出している気分である。

プールでの立ち話で、仲良くなると色んなことを話すようになり、結構楽しい、桜区役所は荒川の沿岸にあり、ラジコンや気球をグループでやっているが、たまにTVが取材に来て、プールメイトの爺さんが解説をしていた。

80歳でエベレスト登頂の三浦雄一郎さんには、昔大塚君がスノーボートの仕事をやっていた頃にお会いしたことがあるが、小柄で小太りなやさしいお爺さんという印象で、とても強烈な意思と体力の練磨を感じさせないお人柄だった。
三浦さんの影響は、以来セサミンを飲んでいることだね。
--------
2009年9月11日の技術経営責任者協議会5周年記念大会で三浦雄一郎さんとのスナップです。

シニアのコラム 2013.04.28.森田裕之

大連休である、TVで若い人たちが楽しそうに行楽・帰郷に励んでいるのを見て、人間若いうちが花だなあ、と我が家の年寄り夫婦は、あまりどこへも行くことも考えず、先週から来ているLAの孫娘・20歳に、世界の最先端都市の東京の案内に励んでいる。

午前中の区民プールは習慣になっているので泳いでいるが、朝から泳いでいるのは5−6人のジーさんバーさんで、若い人は見かけない、杖を突いてよたよた歩いている年寄りが、水の中では颯爽と抜き手を切って泳いでいるのを見ると、嬉しくなってくる。

2−3日前から、目がしょぼついてきたので眼科に行ったら、白内障ということで、8日に手術をしてもらいます、2年位前にやったことがあるので、あまり緊張はしていないけど、年をとるというのはうっとうしいことです。

大塚君が大泉町の町長選挙に担ぎ出されたけど、落選したと連絡がありました、様子を聞いたわけじゃないけど、「天の声」なんだから、政治のことなんかさっさと忘れて、我々の知っている大塚君に戻って、楽しい付き合いを再開しようぜと、提案するつもりです。

シニアのコラム 2013.04.11.森田裕之

広島で8歳の時に被爆した友人の古田君と長電話をしました、話題は放射線と体の不思議な関係についてで、彼は最近新潟の知り合いに紹介されて、95歳のガダルカナルの生き残りの人・兵隊さんに話を聞いたけど、マラリアで高熱を発して、帰国後半年ぐらい寝ていたが、以来病気したことが無く、元気はつらつとしているとのことです。


普通の常識では、原爆症というのは血液の再生機能が壊れて亡くなる訳だろうが、古田君は機能が壊れたかもしれないが、一部でも残って、子供だったからそれが増殖して、普通の健全な大人になったのかもしれない。

広島・長崎で被爆して、原爆手帳を持って生きてきた人が沢山居るはずだから、少し予算を付けて調査をしたら、面白い結果が出てくるんじゃないだろうか?

シニアのコラム 2013.02.15.森田裕之

エレクトロニックス業界大手の会社の後輩から、業界全体にものすごいリストラ旋風が吹き荒れていると言う話を聞きました。

現象としては、製品が売れなくて、資金繰りが苦しくなり、人件費を減らすためのリストラでしょう、世の中に必要なくなったのではなく、外国の同業者に競争に敗れたと言うことで、グローバル戦略とか為替のところでの経営戦略の問題だと思います。

しばらく円安でも続けば、ドラマティックな復活があるに違いない。

我々個人業者も経営者の一人として、グローバル戦略とかどういう業界・学会に顔を突っ込むかなど、戦略的な動きが重要になってきたと思います。

新人諸君の自己紹介を聞いていて、自分に関する面白いストーリー・ヒストリーがはなせる人は、間違いなくうまくいく人材で、あまり年齢には関係ない。

世の中は、面白いストーリー・ヒストリーを求めているんだよ。

シニアのコラム 2013.02.03.森田裕之
柔道業界が暴力問題で揺れている、私は60年位前に中学生で新聞配達のバイトをしていて、その仲間と大宮にあった柔道の道場に入門して、講道館の初段のテストに合格していた。
高校に入って柔道部に入ったが、運動部独特の秩序観や先輩後輩の関係が町の道場の雰囲気とぜんぜん違うので、3ヶ月で退部した、今でもOB会から案内が来るが、出かける気になれない。

大学を出て 川崎製鉄の千葉工場に就職して1年でやめたのも、運動部的な会社の生活に、なじめなかったからだと、今になると良く理解できる、こういう会社多いんだろうね、運動部出身の若者のほうが就職に有利と言うのも、今になってみると、日本の会社の総務・人事の連中の魂胆(取り扱いやすいんだ)が良くわかる。

シニアのコラム 2013.01.19.森田裕之

トンネルの天井板の崩落事故は「ケミカルアンカー」周辺のトラブルで、帝人OBのU君が開発の関係者だったし、最近のロッキードの事故の原因のリチュームイオン電池は、ソニーOBのF君が現役のころからの開発関係者だったと記憶している、さぞかし気分的には忙しいことでしょう。

技術フォーラムで役所の監査の仕事を沢山やっているが、役所のコンサルタントの仕事は、事件や不祥事があると、かならずお呼びがかかるようになってきた。
会計士のグループ活動(会計監査法人)でも、新人が監査、ベテランがコンサルを担当することになっているそうです。

企業から見ると、シニアの専門家をコンサルタントとして雇うのは、開発や市場開拓の「前向き」な仕事ばかりでなく、トラブル・不祥事の解決やメンテナンスのような、「後始末」の分野でも大いにあるのです。

新人諸君の看板を見ると、こういうことに気がついている人が居ないのは、困ったことだなと、いつも当人には文句を言っているのです。

シニアのコラム 2012.12.22.森田裕之

12月21日、周辺技術研究会で、国分寺の駅前にある日立の中央研究所を見学してきました。

印象的だったのは、非常に人間くさい研究が多くて、個人認証技術(指静脈)や、駅や町に張りめぐられているカメラの画像検索技術、人間や物につけるセンサーチップ(超微小)技術の応用等など、具体的でとても面白かった。

環境が丘陵地帯の武蔵野の林の中にあり、周辺が都市化する中で、住民と仲良くするために、色々気を使っているのが、印象的だった。
一昔前の理想的な研究職場のイメージが強い、IBMをモデルにしているらしい。

周辺技術研の見学月例会や見学後の議論が、大いに気に入ったらしいので、参加してもらうことに、世話人に頼むことにした。

シニアのコラム 2012.12.08.森田裕之

5日のMPEC・微粒子問題研と7日のMNB・マイクロナノバブル研のパーティでは、乾杯の音頭をとらされ、スピーチで「同年輩・後期高齢者の集まりで元気がいいのは、広島で被爆して首筋にケロイドのある、原爆手帳を持っているF君と、満州引揚者の私です、つまり去年の福島の災害並な災難を経て、生き延びてきた子供は、元気になると言うことです、証拠の一つに、私は生まれて歯を磨いたことがありませんが、歯が全部残っていて、歯医者に行きません、アメリカの孫に、ジーちゃんの歯はヤッキーだ(汚い)と言われたことがあります。

最近、団塊世代の諸君が定年になり、新シニア世代を形成しつつありますが、意見は日本・会社・物作りの落ち目を嘆く向きが多く、おおむね将来に悲観的な話をしてくれます。
私も経験的には10−15年位前がピークだったのだから、今からは落ち目の時代なんだろうとは、予想します。
後期高齢者のかなりラジカルなシニア世代としては、「落ち目・貧乏ー大いに結構、必ず元気な子供があちこちから湧いてくるに違いない」と言う風に考えるのです。

シニアのコラム 2012.11.18.森田裕之

同級生でドイツ在住のS君へのメールです、S君は富士電機ーシーメンス・同時通訳の現役老人で、最近一人息子・漫画家に孫が出来て、大喜びのメールが来ました、私は長年読み終わった週刊誌を送っています、寝る前には必ず日本語の本を読んで寝る、と望郷の念を隠しません、ある種の愛国者になっています。

貼り付けー

森田裕之です、選挙なんてこともあり、なんとなく年末の気分にになってきました、急に寒くなってきて、セーターを出したり、手袋を探したり、朝から暖房を入れる季節です。

世の中の気分として感じることは、年寄りが比較的豊か何じゃないかと、気がついて、年寄りいじめの事件や、税金を年寄りから取れというような傾向が、顕在化してきたみたいで、気分が悪い。

高橋研の忘年会は、12月3日に浅草の麦とろを食い、船で東京湾から
スカイツリーを見ることにしています、あまり高尚な話は無くて、病気の自慢話みたいな話題しかないのですが、50年来の腐れ縁と言うようなものでしょう。

我が家では14万KM乗ったBMWの予定修理代が高いので、トヨタのハイブリットに乗り変えるかどうか思案中です、後何年車に乗れるか判らないもんねえ。

年末には来年のことを予想する本が沢山出版されます、楽観派は世界が日本化すると予想し、悲観派は、ヨーロッパから世界は大不況に陥ると、意見が二つに分かれています。

桜井君は来年は孫と遊べる楽しみが増えるとのこと、まことに結構な話だねえ、私はもう一度くらいヨーロッパに行きたいという希望は持っています、村木の奥さんの恭子さんは、ドイツの芸大で毎年ワークショップ・パーフォーマンスに出かけるけど、元気だねえ。

わが町から本屋がなくなりました、あまり本を読む人が居なくなって来たんでしょう、週刊誌もどぎつい記事を書いては、橋下大阪知事に謝ったりして元気がありません、潰れるところも出るかもしれないね。

昭和16年ごろの戦争前の雰囲気に似てきたと言う人が出てきたりして、やな感じです。

貼り付け終わりー

シニアのコラム 2012.10.22.森田裕之


満州・大連での幼稚園の同級生が上京してきたので、久しぶりで月島でモンジャを食べて、銀座まで散歩しながら、おしゃべりをしました。

引揚げの時の汽車や船の記憶以外に、これといった子供のころの記憶が無い私のことを、よく覚えている人がいることは、有り難いことです。
どうしても最近の国際情勢の話になってきますが、6−70年たつと、世代が変わってしまい、昔を知らない人達が、付き合うのだから、少しはとげとげしい時代が続くんだろうと言うことになりました。

我々の仲間でも、日韓での本田尚士さん、日中での長友正治さん、お元気ではありますが、実質リタイヤされています。

13日の技術監査人の技術フォーラムは、参加者が増えて20数名になり、地方からもわざわざ出てくる諸君もいて、元気のいいグループ活動になってきました。

13日の午後はceaの会合が2つあり、研究会テーマの「耳ロボット」の話と、「シェールガス」というアメリカ再生のエネルギー資源の技術的側面という話を聞きました。

シニアのコラム 2012.10.1.森田裕之

9月29日機械振興会館で、技術監査人の研修会をやり10名の新人が参加しました、名古屋や岐阜の遠方から、現役サラリーマン、独立して10年など、毛色の変わった技術士が、熱心に先輩の話を聞いていました。

私は、なるべく「技術監査」という仕事の客観的なシチュエーション・立場をしゃべりました、技術コンサルタントの重要な仕事の一つであることを、私の経験から話しました。

フェルメールの展覧会で買い込んだ絵葉書を、最近消息のわからない友人に20枚送ってみたら、半分返事がありました、そういう年齢になっています、電話の会話が復活した奴もいます。

28日には、SMEの見学会で羽村にある、プラスティックの型屋・羽村金型に行ってきました、技術士会の先輩で90歳の長友さんが参加していました、旅順工大OBで中国のために技術士会にグループを作って、派遣している先達です、「私・森田と同じ引揚者なのに中国がすきなんですか?」と問い詰めてみると、案外冷静に中国人、韓国人、ロシア人を分析していて、さすがは先輩,良いとこも在るんだと握手して別かれました。
公益社団法人を選択した技術士会では、出来なくなったグループ活動の一つなんだけど、長友さんも跡継ぎの諸君も、今のとこ理解していないようです。

新潟の中山さんが、モンゴルから勲章をもらったと聞き、日韓の会合に少し出てその後の飲み会でお祝いをしました、古くからの友人としばらくぶりで話していたら、なんかの拍子に殴りたくなりましたが,自制しました、3年ぐらい前にも日韓の飲み会で、隣席の若い人を一発殴った乱暴ものですが、もう後期高齢者ですから、止めたほうが無難だとは反省しています。

シニアのコラム 2012.09.15.森田裕之


独立・自営業を始めたばかりの、新人諸君に話しをする機会が多い、サラリーマンの時より楽しいし、面白い話はいっぱいあるが、最近私はそのリスクについて話すことにしている。

お金が稼げないというのは、リスクじゃなくて技術コンサルタントとして、能が無いということなので、 さっさと退場したほうがいい。

立場というのが自分で考えるより重要です、最近青葉君が巻頭に「公益法人」について書いていますが、世間の人は役所とみなしています、だから民間でできることには参入しないというのが原則です。
青葉君は役所の監査の話しを取り上げていますが、技術者の紹介・派遣についてもまったく同じです。

技術士会の内部の勉強会が、発展的に外部から仕事を受けて、お金を稼ぐ、ということは、歴史的には沢山あり、公益法人になる以前は、まったく問題がなかったが、試験機関として、アメリカのPEのNCEESの立場を選択したのだから、PEのNSPEのような別な法人が必要になってきている状況なのです。

独立・自営業者は、世間的には丸裸で、役所や会社のように個人を守ってくれません、仕事をすればお金になるのは当然として、どういう立場で仕事をするのかが最重要なのです。

最近は特に外国に出かける諸君が激増していますが、逃げて帰ってくる会社や、お金が取れなかった個人の話しがたくさんあるようです。
私はこういうあまり聞きたくない話も、反面教師として重要な勉強テーマであると思っています。

シニアのコラム 2012.08.15.森田裕之

生物学者の福岡伸一さんの本に入れ込んでいます、この先生の「動的平衡」には目からうろこでした。

おかげで、フェルメールと当時のオランダの顕微鏡の発明者のレーウェンフェックとの関係から、科学史や解剖の話に展開して、楽しい夏休みになりました。

我が家の妻は「絵かき」ですから、展覧会無料の障害者手帳の私の保護者として、良く連れて行ってくれるのですが、月内に少し涼しくなったら、ceaの諸君と銀座のフェルメール館と、もんじゃ焼きの半日ツアーを企画する予定です。(イヤシロチツアーにおねがいしますかね)


今月は、20,21日のMNB研の伊豆高原一泊研修、24,25日のMPEC研の金沢見学会と28日は周辺研の千葉の長生村の双葉電子の見学会があります、忙しい。

シニアのコラム 2012.07.27.森田裕之

> 24日はJEF・日本技術者連盟の会議室に、グループコンサルティングの興味を示すcea・組合関係者が10人弱集まって、FS報告書を出したM君が先方から、コンサルタント契約をしたいと求められているのに対して、どう対応したら良いか?というテーマで、ざっくばらんにそれぞれの自分の経験などをもとに、きたんのない意見を出し合った。
>
> 私も長いこと技術士のグループ付き合いをしてきたが、通常個人が自分で考えて、試行錯誤してきた内容を、あからさまに議論したのは、画期的な会合であったと、喜んでいる、M君良かったねえ。
>
> お金が取れるのか(回収できるのか)、先方のニーズ・長期、短期にどう対応するか、契約書は、成功報酬は、等これらをすべて「技術コンサルタント」として対応するのである、決して「コントラクト
> エンジニア・俗にいう日雇いエンジニア」の気分じゃ駄目だ、ということが最重要である。

技術者の問題解決法には、色んなアプローチがある、会社の中ではグループで議論することに慣れている諸君も、外部のいろんな立場の人達をコーディネートする経験はあまりないだろう。

技術コンサルタントの仕事の大きな部分に、コーディネーターの仕事がある、我々の仲間内の話し合いの様子で、コーディネーターができるひとと、できないひとは、経験上すぐ見分けられる。

出来ないひとは自覚して、訓練した方がいい。

シニアのコラム 2012.07.25.森田裕之

今日はJEF・日本技術者連盟の会議室に、グループコンサルティングの興味を示すcea・組合関係者が10人弱集まって、FS報告書を出したM君が先方から、コンサルタント契約をしたいと求められているのに対して、どう対応したら良いか?というテーマで、ざっくばらんにそれぞれの自分の経験などをもとに、きたんのない意見を出し合った。

私も長いこと技術士のグループ付き合いをしてきたが、通常個人が自分で考えて、試行錯誤してきた内容を、あからさまに議論したのは、画期的な会合であったと、喜んでいる、M君良かったねえ。

お金が取れるのか(回収できるのか)、先方のニーズ・長期、短期にどう対応するか、契約書は、成功報酬は、等これらをすべて「技術コンサルタント」として対応するのである、決して「コントラクト
エンジニア・俗にいう日雇いエンジニア」の気分じゃ駄目だ、ということが最重要である。

シニアのコラム 2012.07.11..森田裕之
このところ、色んなグループで、佃島のもんじゃ焼きを提案して食べに行くが、好評である。
最近行ったグループの、地元・スカイツリーの近所の町会長をやっている坂倉君が美味いのにびっくりしていたのに、こちらがびっくりしたくらいだ。

シニアの楽しみなんてのは、他愛のないもので、先週も地方から出てきた古い友人と、御茶ノ水のニコライ堂から、湯島の聖堂・天神様をぶらぶら散歩したが、ロシア正教が明治のはじめに函館を経由して、東京に初めて作った牧師さん・ニコライさんの奮闘ぶりを、ボランティアの90何歳かの女性が、滑舌爽やかにお話をしてくれました。

ここ何年か日曜日には都心に車で出かけて、駐車して散歩することにしているが、アジアからの外国人が激増しています、東京という都市が大変貌を遂げつつ有るんだな、と実感しています。

シニアのコラム 2012.07.04.森田裕之

福島の親戚を慰問するドライブ旅行をしてきました、玉子温泉という硫黄の匂いのする温泉に一泊して、大内宿という藁葺の街並みが残っている旧跡で、そばを食べてきました。

シニアである私が今やっていることは、かなり若い頃から始めたことばかりで、その内色々限界を感じて早目に辞めないと、最近目に付く、山での遭難や、交通事故を起こした人たちの年齢が、シニアのケースが多くて、気になっています。

最近始めたグループ派遣の仕事で、最初に先方からメンバーの年齢を気にするコメントがあり、私は技術コンサルタントに関しては、あまり年齢には関係ないどころか、むしろコンサルタントとしての経験があるシニアは、若いコンサルタント経験の少ない連中より余程役に立つ、と関係者に大演説をした。

新規開業の支援研究会に出てくる会社・定年の諸君の若い顔を見ていると、こういう元気な若い諸君を追い出すなんて、会社の経営者は馬鹿だなあと思うが、本人には後20年くらいの社会生活があるわけだから、むしろこれを人生の好機と捉えて、独立・自営業の面白さを追求してみて下さい。
ceaには、反面教師も含めて先輩が沢山いますから、イベントに顔を出して、仲間入りをすると良いと思います。

シニアのコラム 2012.06.25.森田裕之

出身大学のOBの活動で、大学技術士会というグループ活動があります、私は稲門の最古参の一人で、23日には、母校の教室を使った、年に一回の学生・合格者への技術士のPR・講演会・総会・パーティ・と盛り沢山のイベントがありました。

合格者(の把握がプライバシの過剰な保護風潮のせいで出来ないし)や学生へのPR(学内の立て看板程度)が難しいということもあり、ステアリングメンバーも入れて25名弱の会合でした。

講演もシンポジウムも内容は素晴らしいと、自画自賛するものの、聞いて欲しい後輩が全然集まらないので、鹿児島から奥様とわざわざ出てきて、著書を寄付までして、乾杯の音頭をとっていただいた、大先輩の本田尚士先輩には顔が立ちませんでした。

今年は大反省期間を取って、来年は100名集めてやると、固い決心をした次第です。

シニアのコラム 2012.05.28.森田裕之

今月の26日(土)に津田ホールで、フルブライト交換留学60周年記念シンポジウムが行われました、基調講演は、2010年ノーベル賞受賞者根岸英一氏でした。
この講演会は、原田敬美君がOB会長で教えてくれたので、私なりの興味で聞きに行きました。

フルブライトさんは、日本に原爆を落としてから2年目にこの留学補助金を提案して、法律にしたとのことです、極めて政治的な提案だったことが判りました。
根岸先生の話は、日系のアメリカ人の話で、アメリカの大学や研究機関でのテーマに、世界中の秀才が集まって、仕事をしているんだ、という話ですから、グローバル企業の成功した商品開発みたいな話で、私はあまり面白くありませんでした。

私は別に国粋主義者ではないつもりですが、この奨学金をもらってアメリカに住んだ経験から、アメリカが好きになった人と、嫌いになった人の討論会が聞いてみたい気がします。
何しろ政治的な奨学金ですから、功・罪、好き・嫌い、成功・失敗があるに違いないと思います。

シニアのコラム 2012.05.21.森田裕之

このところの諸先輩の情報を書きます。

15日には、鹿児島を旅行中に、国分という地名を見つけて、本田尚士先輩の引退された故郷だと思いだし、電話した所、御在宅だったので妻と友人の4人で押しかけて、昼ごはんをご馳走になりました。
「今日は5・15の日だぞ」と2・11くらいは知っているが、なんの日だか瞬間判らなくて、慌てました、相変わらずの軍国シニアです。

17日には、三菱油化の知人の複数から、樹脂研の記念日に初代の所長の高嶋さんが演説をしたと、写真とメールが送られてきた、93歳になったけど外見・口ブリ全く同じだったと言うことでした。
シベリアに10年以上抑留されて、俳句をモノにしたという大インテリですから、とてもかなわない先輩です。

19日には、稲門の機械のOB会・機友会があり、私の学年の担当だった斎藤孟先生が93歳で、お元気に開会の乾杯の音頭をとられました。
早稲田の機械の看板のディーゼルエンジンやターボチャージャーの権威ですが、ひょろひょろ痩せている割には、しっかりした声で演説をしていました。

体のことは判りませんが、共通しているのは、頭脳が冴えていることがあいかわらずで、しっかりシニアとしての立ち位置を確保している、羨ましい先輩方です。

シニアのコラム 2012.05.07森田裕之


茂木健一郎さんのコラムに、レッテルを貼ってくれと「挑発」しているテーマの答えがあったので、私の答えを書き換えてみた。

「以下に、私、森田裕之の見解を列挙します。

皇室 伝統を最大限に尊重。皇室典範の改正問題については、何よりも今上天皇、皇族方のご意向が大切。

国旗 日の丸が、国旗

国歌 君が代が、国歌

教育条例 卒業式などにおける、国旗、国歌に対する特定の行動の形式的強制には反対。ちなみに、私自身は立つし、歌います。

TPP 推進する。

原発 エネルギー安全保障の観点から、その利用の可能性を閉ざすべきではない。
原発事故経験を生かして、世界の原発への技術供与を推進すべし。

消費税 10%に上げることに賛成。

死刑 存続

記者クラブ 廃止。

教科書検定 廃止。

日本人の英語 TOEIC依存からの脱却

新卒一括採用・年令による定年 廃止。

連帯保証人制度 廃止。

大学入試 ペーパーテスト偏重を改める。センター試験のみを課し、二次試験は面接やエッセイなどの総合判定。

憲法 現憲法は絶対的な存在ではない。

核兵器 日本は核兵器をつくる。

さて、私は自分では国際派(自由化論者)、右派・保守主義者(天皇制維持論者) 、リバタリアン(役所・規制の最小化)のつもりです。」

シニアのコラム 2012.05.01.森田裕之

「4月28日の独立支援研究会に出席した10名の諸君へのメール」

私より一回り、二回り若い諸君が、自己紹介やこれからの計画を発表するのを聞いていると、現在の日本の社会・会社の定年制度の間違いが、よく判りました。

全員まだまだ会社に務めていたい人たちであることも、良く判った、この辺が私や若くして独立を果たした諸君と、決定的に違うところです、私は最初に務めた川崎製鉄・圧延部・整備課の1年3ヶ月の経験から、会社に務めるのが苦痛になり、若い頃からできるだけ早く独立したいと、考えていました。

あまりお金の必要がなくなったシニアの給料を減額して、若い人も雇い、企業・組合の生き残りを考えるのが、政治というものでしょう、独立支援の相談会以前に、社会・会社の矛盾が気になり、中小のオーナー会社なら良い人を安く雇える時代になっているんだろう、と言うことも考えました。

心ならずも独立の看板を出す人と、独立したくてめども立たないのに看板を出してしまう人と、いろいろな人いることは良く判るが、技術コンサルタントというのは、なかなか面白い商売だから、先輩方をよく観察して、しばらくやってみたらどうですか?


シニアのコラム 2012.04.08..森田裕之

5日に大学の卒論の仲間7名と「新宿御苑」に花見に行きました、新宿の中村屋に集合してカレーを食べ、晴天の満開だけど、まだ全然花びらが散っていない庭をぶらぶらと、3時間ばかり堪能しました、こういうタイミングは何年ぶりかなあ、ついていました。



帰りに、おばさん風に「追分だんご」でアンミツだとかトコロテンを注文して、おみやげの団子も買い、ご機嫌で帰りました。

こういう平和な楽しみは、近隣諸国にも知れ渡っているらしく、色んな言葉が乱れ飛んでいて、顔を見ただけじゃ全くわからないのも、なかなかいいものだなあ、と感心しました。



酒の持ち込み禁止というのが効いていて、酔っぱらいがいないし、ゴミも散らかっていないのが、民度が上がったような、いい気分を醸し出していました、昔からこういう花見がしたかったんだよね。

シニアのコラム 2012.03.26.森田裕之
24日(土)には、副島隆彦さんの講演会が、虎ノ門のニッショーホールであり、菅野くんがお嬢さんと一緒に来ていて、立ち話をしました。
複数のシニアの女性が、主として金融情勢・投資に興味があるらしく、株や金の相場にことを熱心に質問していました、若い人は世界の政治情勢と世相の興味は、分裂しているんだね。
世のシニアは、使い切れないお金を投資することに、血道を上げている人が、いかに多いことか、投資会社が倒産して、お金が帰ってこないという話が、何ヶ月か経つと必ず新聞を賑わせることで、よくわかる。
 六城君のラジウム鉱石製品が色々出来ていて、腹巻・ブレスレット・枕等、私もブレスレットを3個、外国の友人へのお土産に買っておきました。

最近の会合での乾杯や〆の挨拶で、私の歯磨きをしない歯の勝利の話は、仲々好評なんだけど、面白い話としか受け取ってもらえず、「おおむね若い時に決めたこと・就職・結婚・仕事が、後期高齢者の状況を作っているのだから、世の中の常識や他人の意見で、自分の生き方を決めるのは、やめたほうがいい」という私の発言の趣旨は、理解されていないようです。

シニアのコラム 2012.03.17.森田裕之

このところたて続けに、原子力の関係者の講演を聞きました、技術フォーラムでは日本原子力のOBの織田さんという方、15日には早稲田の機械科のOB会での師岡教授・共同原子力専攻(東芝OB)と、原子力の技術者です。

似たような話ですが、早稲田ではOB会のシニア共とあって、遠慮のない意見が飛び出し、面白かった。
専門の人は、反省はしているようだが、危険でないことを(死んでいない)強調するあまりに、あまり同情されない立場に立たされて気の毒だった。

私は日本では3年くらいは、政治的にも原発を作ったり、再稼働も難しい情勢が続くと見ている、関係者は世界に飛び出してマーケット・飯を食うことを、考えざるを得ない時期が続くと思う。
関係者は、いわゆるシビル・税金の世界で生きてきたので、世界の市場となると、一苦労しなければならないだろう、師岡さんの話では3.11以降、原子力志望の学生は増えているとのことだし、若い人は良いだろうが、シニアには厳しい時代になった、原子力技術者をアジアに派遣する事業をやっている、井戸田さん・日本技術者連盟いわく「原発は動かないと収入がなくなり、とたんに破産する」、OBにも年金が払えなくなる可能性が出てきたそうだ。

大阪・住吉の事件の再審決定といい、原発の未来といい、技術は政治のはるか下部に位置する立場にあり、政治の動きに一喜一憂する情けない立場であることが、明らかになっている。

シニアのコラム 2012.03.06.森田裕之

 強い者は生き残れない(環境から考える新しい進化論)吉村 仁著・新潮選書、をようやく読みました、正月に仕入れた積んどいた本です。

私は、独立・自営業者として40年間生きてきて、技術士仲間の生き残りをつぶさに見てきたつもりだが、この著者の新しい進化論に、全面的に賛同である。

この本の最後の所に書いてあることを、抜粋してみると、ーポスト市場主義のあり方を考えた場合、「持続可能な社会」という言葉は、一種の流行語のようになってしまったが、もし、本気で我々(自営業者)が生き残っていこうとするならば、「長期的利益」のために、「短期的利益」の追求(単独の強者であること)を控え、協同行動をとるべき時なのだ。
「強い者」は最後まで生き残れない。
最後まで生き残ることのできるのは、他人と共生・協力できる「共生する者」であることは「進化史」が私達に教えてくれていることなのである。ー

私は、自分なりに、この世界では「強者」を自認してきた、しかし今、人生の最後のステージに入ったと自覚する年齢になり、若い時に協同組合を作り、守り育ててきて本当に良かったと思っている。

シニアのコラム 2012.02.13.森田裕之
第二土曜日のニューシビルの定例会で、河面君が理事長をやっている、社会福祉法人・もくせい福祉会の話を聞きました。

知的障害者の働く場を経営しているんだそうだが、当然関係者の持ち出しや寄付・補助金で成り立っているそうで、余程余裕のあるシニアしかできない仕事だとは思うが、感心しました。

話の中で、世の中に障害を持つ人が10%居るとのことで、そんなにたくさんいるかなあと驚くような気もするが、私自身も心臓バイパスの経験者として、[要介護]の赤い手帳を持って居るのだから、障害者の一人である。

昔は大家族で、障害者は家族の中で守られ・面倒見ることが当然の社会だったが、「最近は日本国中少家族、個人がばらばらに孤立する社会になってしまったので、色んな障害者が顕在化したので、別に社会が複雑になり精神を病む人が増えた」と言う仮説は、当たっていないと思う、私の近所にも沢山いました。

今では、障害者を抱える家族は、河面君のような奇特なシニアの活動に世話になるしかしょうがないんだろうね。

シニアのコラム 2012.02.01.森田裕之
私の他の人と違う生き方の出所は、どうやら終戦からの2年間(8−10歳)の満州・奉天での避難所・仮住まいにあるらしい。

この間、学校に行っていないので、日本人の子供グループで、遊び・麻雀、トランプ、花札等を仕込まれた、貸本屋があり、大人の本を読みあさった、若い大人がシベリアに連れていかれたり、もっと若い青年が八路軍(毛沢東の軍隊)に志願して、居なくなったなどが日常的におこり、幼いながら生きていくために、かなりへそ曲がりな子供に育った。

今度の震災でも、親戚と後輩に、毎週パンを2斤焼いて送っている以外は、何もしていない、災難に会うと言う不条理な出来事で、生き残った人たちの中に、凄い人材が輩出するんじゃなかろうか、沢山の物語の中に。

技術士と言う資格の当初の世代・先輩達とかろうじて、接触があったが、その多彩な背景・出身は、今でも思い出すとワクワクする、軍隊帰り・将校だった人、兵隊さんだった人が沢山居て、最初の事務局の高田サンは、確か南洋庁と言う役所の役人だった。

丁度、我々の世代から、学校卒業して定年まで同じ会社に務めていた、という時代に、日本も突入したのだが、お陰であまり面白い物語が生まれないし、のっぺらぼうな、面白みのない社会になってきてしまった。

シニアのコラム 2012.1.11.森田裕之

 9日に卒論の7名の仲間と銀座で新年会をやりました、どうしても病気・薬・サプリメントの話が主題になりがちで、後から考えると、下らない会合に思えるのだが、半年ぐらい経つと、理由をつけて、有機野菜・ビールを一杯の昼飯を食べて、風月堂でコーヒーを飲みながら雑談をするという、定番になりつつあります。

交詢社のようなクラブも、シニアの会合ばかりで、日本がいよいよ本格的なシニアの時代に入ったことが、良く判ります。

同年輩の友人は、定期的に会っていると、親族のような気分になり、お互いの家族のことや、日頃の生活のことが気になります、自分のことは仲仲わからない分、鏡を見るような気分で自分のことが客観的に自覚できるような、不思議な付き合いになっています。

10日には、プラ業界で30数年前に、私が作った会合のコンペックスの集会があり、東京農大の鶏の研究者・渡邊忠男さんのお話を聞きました、この会合はとっくに世話役を、若手の内田くんに世代交代していて、主たるメンバーのプラ材料メーカーのOB・シニアの面倒を見てもらっています。

私自身は、プラ業界に新しく「周辺技術研究会」というグループを2年前に作って、若い業界のメンバーを20人くらい集めて、毎月見学会を続けています、研究会の性格付けが違うと、同じ業界でも違う技術者の集団になります、私は今、誰も真似できない「人集め」の研究の成果がものにできたのかなあと、ほくそ笑んでいます。

シニアのコラム 2012.1.3.森田裕之
  会合のあとのリラックスした時の話題で、結婚の話になることがあり、暮の餅つきの時も、金谷君が現れた途端に、台所の妻の廻りでは、そんな話題で盛り上がったそうです。
金谷君は最近独立した、我々の仲間内では最年少の若手だが、世の中では普通の適齢期の青年である。
大手企業から独立した途端に、もてなくなったとぼやかれて、我々シニアは独立者の沽券に関わるので、口コミだけど金谷くんに見合いの機会を作ろうと、話題にしているところなのです。

結婚と就職は、良く似ていて、大抵の場合は「誰と結婚しても、何処に就職しても」OKなのだと、私は昔から信じています。
現実の我が家の近くでは、娘が子連れで離婚して、親元の我らの隣人の家に同居している家庭が激増していて、私が6年やったPTAの会長の頃の近所のお嬢さんたちなので、私の信念が揺らいでいるところです。

ceaの会合でも話題にあげてみると、結婚しない子供を抱えている親が非常に多いことが判った、親切な大塚くんが、婚活でもやってみましょうと、やってみたらしいが、あまり大した成果が有ったとは、聞いていません。
- 元のメッセージを隠す -
時代に逆らうのは、至難の業なんでしょう、50年くらい前には沢山いた、面倒見のいい、世話好きなオバちゃんは、今は出番がないのでしょう。

私は、女性が働きだしたことに原因があると見ています、良い悪いの問題じゃないのです。


シニアのコラム 2011.12.13.森田裕之

日本はすでにシニアの時代になっているのじゃないかと考えている。
駅で待ち合わせをしていて気がついたのだが、ウィークデイの昼間の駅は「年寄りばっかりである」

統計的にも、現在、65才以上の人口は、すでに人口の2割。2680万人を超えている。国立社会保障・人口問題研究所によると、10年以内に人口の25%が65才以上になると予測されている。60才以上でみればもっと多いし、消費人口に占める割合では30%を超えてくる。

政府が余計なことをしなくても、企業がこれに対応して老人に暮らしやすい社会に、どんどん進んでいくに違いない、和田先輩に教えてもらったのだけど、年寄りになって好きになったのは「歴史・旅行・食べあるき・美術館」だそうです、それに私は「工場見学」を追加すると、シニアの技術士仲間の暇つぶしネタがよく判る。

今年あちこち見学して、判って来たことは、今後の日本の産業の底力を支えるのは、1950,60年代に作られた「素材産業・金属、化学、繊維、ガラス・セラミックス(セメント)等」の基礎産業である、とっくに償却している装置が、世界一面倒見のいいメンテナンス技術で、最新の装置に引けを取らない競争力をキープしているのが、現在の状況である。

鉱山や繊維という明治維新の初め頃から始まった産業が、「産業遺跡」と言うコンセプトで観光地の売り物として再現されている地方が、あちこちにあり、昨年・今年と新潟、山口、群馬、岡山に出かけた、これがめっぽう面白かった。

遺跡といっても、現在にその伝統が生きていて、地域の子孫が何らかの関連した産業を起こして飯を食っているのが、日本の凄いところだ。

シニアのコラム 2011.12.07.

森田裕之です、私の場合、割と早くからシニアの気分で暮らしているので、身にしみて読みました。

TIME誌、平成23年12月5日号 “10 Questions” のコーナーで、ノーベル賞受賞の心理学者・経済学者である Daniel
Kahneman 氏がインタビューに答えていた。

「しあわせ」 について、こんなことを言っておられて、まさにその通りだと思う。
「しあわせって何だろう。腑分けしてみると分かるのは、自分の時間をどう過ごすかというのが極めて大事だということですな。
自分好みのひとと過ごす時間をどれだけ多く持とうとするか。それが、しあわせを大きく左右するのですよ。
自分の置かれた境遇云々とは別の話として、しあわせかどうかということですね。」

Daniel Kahneman さんの発言の原文:

≪When you analyze happiness, it turns out that the way you spend your time is extremely important.
Decisions that affect how much time you spend with people you like are going to have a very large effect on how happy you are ― not necessarily satisfied with your life but happy.≫

シニアのコラム  2011.11.16.森田裕之

ここ数年、私は毎朝自分で焼いたパンを食べています、スタートは、スペインのホテルのルームサービスで食べた、クラブハウスサンドイッチが美味かったので、自分で作り始めたました。

そのうち、パナソニックのパン焼き器を買い、自分で焼き始めると、これがまたうまいのではまってしまいました。

今は、厚切りが好きなので、サンドにしないで、チーズ・(ベーコン・卵)・レタス・トマトを乗せるだけです。

14日に千葉大の柏にある園芸学部に、水耕栽培のハウスの見学があり、見てきましたが、レタスとトマトが栽培されていました、レタスは巻いているのと、ストレイトなのと両方ありましたが、やっぱり巻いたレタスのほうが、美味いですね。

水耕栽培は何よりも「清潔」が魅力ですね、トマトは妻が庭で作っていて、時々出てきますが、野菜も自家製となると、いささか負担が重そうだなあ。

シニアのコラム 20?11.11.07.森田裕之
卒論の仲間の一人である櫻井くんは、富士電機に就職して、会社が提携したシーメンスに移籍して、ドイツ人と結婚して、引退した今もドイツ人になり切っていると思っていた。

私が、読み終わった週刊誌を送っている一人で、外国に住むと、寝る前に日本語を読むだけで,結構癒されるらしい。

今度の震災で、急に日本の愛国者になったらしく、TVで日本の番組を見て、色々連絡するようになっています、
私は、決して無関心ではありませんが、割とマイペースで平凡な私の日常生活を返事メールにして半年経ちました。

最近の櫻井くんは、日本の我々・老人(75歳)が、ドイツの年金老人生活より豊かであるという知識を、どこかで得たらしく、羨ましがるので、いささか面食らっている。

早く死んだ同じ仲間の33回忌で集まった7名の仲間と、以上のテーマを話し合ったが、私の学生時代には、現在の川口市は、キュポラ(・スクラップの溶解炉)のある街、と呼ばれていました、昨年ベトナムに行ったらキュポラの工場見学があり、感動したものです、つまり当時の日本は今のベトナムみたいな発展途上国だったんです。

その頃の西ドイツ、シーメンスは成熟先進国の大会社で、そこに就職した櫻井くんは、気分としては、同期の仲間と比較して、かなりステップアップした気分だったんでしょう、50年経つと世の中変わっているんだ、と私にぼやいているんでしょう。

後でよく知る仲間に教えてもらったが、現役中の給料やボーナスは日本よりいいそうだが、退職金や年金は日本の半分ぐらいとのことです。

私に言わせれば、有名漫画家になった息子がいるし、オランダにしばらく住んだ稲門の後輩の岡君によると、消費税は高いけど、生活費・医療費は安いそうだから、文句言うなと言いたいところです。

それにしても、これまでの日本人は、良く働いて、無駄遣いをしないお陰で、少なくとも我々年寄りには、住みやすい環境が構築できたんだ、と櫻井くんとの交流で判って来ました。

シニアのコラム 2011.10.22.森田裕之

自分が名実ともにシニア・年寄りになって好きになったことは、「現場好き・見学会が優先スケジュール」「歴史好き・旅行をしてその地の歴史を知る=現場好きと同じ事かもしれない」

嫌いになったことは「トレンド嫌い・世の風潮に逆らいたい」「結果がわかったことを、解説する・薀蓄を述べる奴が嫌い」

「神社・仏閣好き」は、若い頃からの癖で、今でも地方の見学では、近くの神社・仏閣を探して、参拝・挨拶してから見学をすることにしている。

ceaでの「イヤシロチ研究会」は、私の癖が高じて、神社・仏閣の見学が主たる目的で、ついでに近くに見学に値する工場でもあれば、現場見学をお願いすることにしている。

シニアのコラム 2011.10.11.森田裕之

大抵の会合では、最年長で乾杯の音頭という役割を果たしているが、cea・組合にはまだまだ元気な先輩が、声をかけてくれる。

先日は出先の携帯に、長友さん(機械)から電話で、中国の要人が来日して、沢山仕事の話をしてくれるので出てこいとのこと、長友さんは満州帰りの先輩でもあり、私より一回り半位上のシニアです。

7日のコンペックス(高分子加工)グループの会合では、一回り上の荻野さんに「森田さんは元気だねえ、若いねえ」と言われ、同年輩の坂部さんと共通の知り合いのうわさ話を、しばらく楽しみました。

地震予知の「くるかも」は、たまに高堂君が転送メールしてくれますが、日本の自動機の大先達の、熊谷さんが趣味?で開発したシステムです、組合の総会には必ず顔を見せてくれまして,一席ぶってもらうことになっています。

初代の理事長の和田忠太さんは、数年前に蒲田から、イヤシロチの大國魂神社横に引越しをして、大いに元気で、たまにご機嫌伺いの電話をすると、歴史探訪の話などをしてくれます。

稲門の先輩でもある本田尚士さん(化学)は、最近故郷の国分にお引越しをされたので、会う機会がありませんが、漏れ伝えられる情報では、元気で地元にも融け合って活躍されているようです。
本田さんとは、思想信条の違いがあり、深い付き合いはあえて避けてきたが、独立・自営の技術士業の先輩としては尊敬してきた。

先輩が元気であるのは、本当に嬉しいことです。

シニアのコラム 2011.09.28.森田裕之

「新シニアへの提案」

一回り下の団塊の世代の諸君の、定年や独立や病気の話が話題になっている、私の弟の世代の諸君である。

私の弟は、大会社を50歳くらいで選択定年をして独立、欧州の機械メーカーの代理店をやって、最近は人を雇う位に発展している、昔からちゃっかりしていて、同世代の人間が大勢いることを、若い頃から意識していて、早くから始めたことが良かったと思う。

10年来のプールでも、ceaの独立・支援の会でも、新・シニアが続々と顔を出す時代です、先輩としては、このうち何人が続けて付き合うことになるのかなあ、とその歩留まりを考えてしまう今日この頃です。

新シニア諸君、何事でもいいが、とにかく続けることです。

シニアのコラム 2011.09.16.森田裕之
13,14日には、逗子の海岸にあるF電工の保養所に宿泊して、恒例のナノテク研究会・田代世話人でいろいろ勉強し・歓談しました。

13日は、東北大の西先生の「免震ゴム」の話で、時期を得た面白い話でした、これから作る日本のビルは全部基礎に免震ゴムが入ることになるでしょう。

14日はF電工やR-テックの若い社員の大学での専門教育と、今の会社での技術開発の仕事を披露するユニークな企画で、同業会社の参加者やOB・シニアのツッコミもあり、日本のこういう集まりも、変わってきたなあ、と感心しました。

私は、アメリカのSME(機械業界)やSPE(プラ業界)の技術者との付き合いがあるが、日本の技術者の集まりも,段々欧米的になってきたのかな、と喜ばしく思っている。

同室のZ化成の研究所長に、独立・自営の話を、根掘り葉掘り聞かれたので、私の売れない本を進呈した、読んで感想を聞かせてもらうことになっている。

日本の会社の諸君も、外国ではよく見かける技術コンサルタントという商売に、なみなみならぬ興味を持っていることは、確かだね。

シニアのコラム 2011.09.05.森田裕之
7月に出かけたLAの息子の家での経験で、驚いたことの一つは、アメリカ人が肉を食わなくなったことである、イタリー・レバノン・中華・メキシコ・韓国料理を食べたが、どこも有機野菜を料理していることをメユーの目玉にしているし、大学の近くも、サラダのレストランが林立していた。

孫娘は高校を卒業して近所のUCLAに行くことになっていますが、バイト先はガッテン寿司です、食べに行ったら満員で、今年中にはLAに5件・店が増えるんだそうです。


もう一つの驚きは、日本車が売れていないということです、韓国車が圧倒しています、ヒュンダイ・キーヤですね、大学のパーキングで本当にビックリしました。
家電のスーパーでも、日本の製品はあまり目に入らず、中国・韓国・メキシコ製が目立ちました。
息子の居るニューポートという地区は、消費の最先端を行く地区で、マーケッティング関係者の間で有名な、次の世界の流行を予測調査をする地域ですから、いささか心配ですね。

さてここで9月3日の独立支援研究会の新人の話になります、6人名刺交換をしましたが、なんと有名な食品会社のOBが3人来ていました、あとはゼネコン等のしビル関係者2名でした。

日本のシビル・インフラ技術や食の技術が、グローバルマーケットで、世界を席巻するんじゃないかねえ。

シニアのコラム 2011.08.21.森田裕之

技術監査人のNPOでは役員をやっているので、お客である役所の監査が主たる仕事だから、たまには役所から監査担当者の評価の如き情報が入ることがある、勿論いい先生だったという話もあれば、あの先生は困ります、等と言われることもある。

私は、対人関係における自分のキャラクターは、10人いれば2−3人には好かれるが、5−6人には好かれない、2−3人には嫌われるんじゃないかと、思っている。
それは自分がそう思うからである。

独立・自営業とはいえ、グループや団体で仕事をすることがある、私は若い頃から、他所の人が作ったグループで世話になって仕事をした経験がない、全部自分が主導権を持たないと気が済まない「わがまま者」です。

私が独裁者タイプじゃない証拠は、顧客に嫌われるタイプの技術者が、案外好きなんです、大体我々がやるようなグループ活動が、長年やっている会社みたいに、組織的にうまく顧客に対応できるはずがありません。

ギグシャクして当然なんだと思うね。

シニアのコラム 2011.08.10.森田裕之

今年も蒸し暑いお盆の季節を迎えて、エアコンのお世話になっています、60年前の高校生みたいに、プール・図書館・昼寝で、唯一パソコンが増えたと言える。

独立支援の会や監査人の新人研修会、ceaの研究会で新しい諸君と出会う季節でもあり、たくさん名刺をもらうが、このうち何人くらいが仲間として残って付き合うことになるのかなあと、考えこんでしまう、それくらいひ弱に見えてしょうがない。

一番ダメなのは、答えのあるテーマ(経験したこと、看板付きの手法、パソコン内で調べればわかること)を看板にする新人で、何年か経つと消えていなくなる。
専門家からコンサルタントへの転換は、当人がかなり意識的に推進しないと、アマチュアで終わってしまう。

どんなテーマ(解答のない)でも、メーカー・ユーザー・研究者が設定されれば、技術コンサルタントの存在が必要になる、というのが、私の長年の経験から生まれたノウハウなんです。

シニアのコラム 2011.07.22..森田裕之
  私が技術士の受験をして、面接を受けたとき、1970年だから今から41年前になるが、3人の試験官の真ん中の小柄な50年配の人が、「君は若いし、中小企業に務めていて管理職をやっているけど、技術士をとったら独立・自営を始めるつもりですか?」という質問をしました。
私は、「会社の仕事は面白いし、全くそんな気は有りません」という返事をしました、その3年後に第一次石油ショックがあり、会社が更生法を出し倒産しました、やむをえず看板を出して独立し機械部会に出てみました。

その時の試験官が居て、にこやかに「また会ったね、柴田勉です」と挨拶されました。
当時の試験官は受験者に必ず、独立・自営の意思を確認することになっていたそうです、独立・自営の先輩方には、部会長の新井政太郎先生(海軍士官)や、和田忠太先生(子供電話相談の先生)、フィルター業界の海崎瑛蔵先生、塗装の橋本肇先生、プラスティックの高嶋先生などの業界著名な先生方が沢山いて、機械部会は、銀座の交詢社で毎月やっていました。

私は部会を超えて、独立・自営の諸先輩方に非常に興味をいだき、独立希望の若手仲間を引き連れて、先輩の自宅訪問を10数回やりました、これが非常に面白く、かつ役に立ちました。
私自身の仕事のパターンは、この最初の3年くらいの先輩方の観察で決まり、以後かわりなく今日に至っています、何事も最初が肝心だ、ということなのかなあ。

シニアのコラム 2011.07.09..森田裕之

 稲門OBとして、最近決着のついた、つくば市と早稲田の機械科の教授の風車の裁判の話が、一番頭に来ている。

この件について、同期のM 君から、
貼り付けー

森田さん

橋詰教授について種々の意見が取り交わされているが、全て”伝聞情報”に基づいています。

原発問題に関する議論も同様でした。原発については、色々の事実/真実が明らかになって来ました。官邸及び東電の判断及び対応の誤りのために、多くの国民が強い放射能にさらされ、潜在的癌患者になっている。
5〜10年後に、この問題は顕在化します。

風車事件の真相についても、正確な一次情報の収集が必要でしょう。魔女裁判的要素も感じられる。

M.S

貼り付け終わりー

というメールが来た。
これに対し、私は、

貼り付けー

森田裕之です、裁判の記録が一番正確だろうね。

Mさんの言うことは、もっともだけど、我々は何しろOBなんだから、世の人から見れば、今回の原発災害で言えば、東電OBや原研OBの立場にあるんじゃないの、あまり第3者的な、関係ない人みたいな態度は如何なものかだぜ。

貼り付け終わりー

という返事をしました。

技術士仲間の付き合いでも、世の中、他所の人が自分たちを、どう見ているのか?ということに「鈍感」な人が案外たくさんいる、仲間内では悪口を言っても、第3者に仲間を馬鹿にしちゃいけないと思う、歳を取らないとわからないことの一つだ。

シニアのコラム 2011.06.18.森田裕之


6月17日に、稲門・機械のOBが10名、銀座の交詢社に集合、お喋りをしながら、パンの木村屋のサンドウィッチランチを食べて、解散しました。

話題は、早稲田が風力発電機の件で、筑波市に8900万円支払うことになったという、情けないテーマでした、ネットでは、

貼り付けー

橋詰教授、悔しかったら反論して来い!
http://blogs.yahoo.co.jp/carib7777/9305354.html
つくば市欺瞞風車問題[ リスト | 詳細 ]
つくば市の小中学校に設置された23基の小型風力発電。これが大問題になっている。
大人たちの欲望と欺瞞で設置された風車は、環境省の多額な補助金を受け、とても高い設備コスト、しかし全く発電していない(に等しい)。
この問題について、
風力発電のコンサルを受けた早稲田大学と早稲田大学が大きく絡む風車メーカー、(イーアンドイー)
http://blogs.yahoo.co.jp/carib7777/folder/1048252.html

貼り付け終わりー

この橋詰君は、我々が卒論の指導を受けた町山教授の後継者で、機械科の産学連携の窓口になっているある種の看板教授です。

2〜3日前に、長崎の野村くん・三菱造船OBで、風車の工場長を経験した同級生から、怒りの電話があり、このニュースが全国に流れたことを知りました。

後輩の水谷君からも電話で、同級生の教授に様子を聞いたところ、教授連中の間では、橋詰君に非常に同情的で、つくば市の窓口の大久保某という詐欺師の犯罪のとばっちりを受けたと、言っているそうです。

どっちにしろ、発電しない発電機を学校にたくさん配置したという事実は、犯罪的な内容なわけで、同情できません。

この事件が早稲田の機械のステイタスを、どのくらい下げたことか、計り知れない、恐ろしい気がします。

シニアのコラム 2011.06.05.森田裕之

4日に、稲門の技術会があり、挨拶する機会があったので、日ごろこういう技術士の集まりでの自己紹介の気になるセリフを指摘し、名刺を交換した何十年も単身赴任をしたことを自慢した会社員を「罵倒した」

自分のことを「企業内技術士」と言ったり「定年技術士」「年金技術士」などと定義付けをする連中である、会社員は、課長とか部長とか、会社で決められた役割があるだろう、技術士資格者の仲間内で、勝手に作った言葉で名乗り合っているのは、一言で言うと「気持ち悪い連中である」

私は、技術士ですと名乗るのは、独立していると自らを規定している人だけにしてもらいたい。

会が終わってから、何人かが残って整理しながら、「どうやらこういった会合の老齢化が進み、若い人が参加しない時代になってきた、若い人を無理やり連れてくるより、年寄りのお楽しみ会に、方針を変更したほうがいいのかもしれない」という、落ち目の国の、落ち目のグループの行き先が、見えてきたらしい。

シニアのコラム 2011.04.24. 森田裕之

今度の大震災は、私のような爺にも深刻な影響を与えているのが、ハッキリしてきた。

私はこれまでも、自分の性格の形成は、敗戦前後の満州での7-9歳の避難所生活にあると、考えてきたが、今回は似たような情景がTVで毎日放映されるので、いやでも子供達の様子が気になって仕方が無い。

大震災とはいえ他人事で、私はまったく何時もと同じ様な生活をしている、これがいやにしみじみと有り難い事だと思っている、多分老化現象の顕在化の一つでしょう。

もう一つ変わったことは、日本とか世界とか人類愛とか言う大きなことに興味が無くなり、知り合いとか血縁とかいう、自分を取り巻く小さな世界が大切なんだ、と言う思いが強くなった、ということで、自分でも不思議な気分である。

cea・組合は、ここ数年は世代交代である、団塊世代の後輩がようやく信頼できるようになってきた、研究会でガンガン怒鳴れるようになってきたのも嬉しい。

イヤシロチ研は、あまり技術問題のテーマと言うよりは、余裕あるシニアが集まって来ると、良いなと感じている、大阪を原点である宗教都市から再生しようと、大佛建立を提案するグループがあるそうです、究極のイヤシロチ・テーマだね。

シニアのコラム 2011.04.02.森田裕之 / Yuji Morita

大震災から3週間たった、1日には卒業51年たった同期生が6人銀座に12時に集まって、木村屋のサンドウィッチを食べて、お喋りをしました。

私は満州引揚者だが、朝鮮引揚者も居て、外国からの難民引き揚げの話になり、今度の津波難民は、日本全国民が助けてやりたい、という気分の横溢する中ですから、必ず良い方向に行くと思います、当時の外国からの引揚者社会では、まったく希望が無い、刺々しい外国での難民生活でしたから、私のように、二度とロシア・シナ・朝鮮の連中とは付き合わない、と思い込んでしまったシニアなんです。

当時の引揚者社会が、如何に絶望的な気分があったかというと、満州を新しく支配した、八路軍・共産党に沢山の日本の若者が、志願したことで良くわかります。
頭の良い人ほど、見通しが利かないというのは、私の歴史観でもあります。

今回の大災害は、明日をも知れないシニアの無責任な、不謹慎な意見ですが、日本の国民には悪くない経験じゃないかと思います、津波も原子力災害も、考えてみれば、人災で、これからは用心深く、謙虚に生きていけよ、と教えてもらったんですね。

今年から、cea・組合というグループ活動も、私の世代から、次の世代に意識的に移行しようと、決めました。
これまで割りに形式的だった組織運営を、研究会世話人の諸君あたりに頑張ってもらう予定です。

シニアのコラム 2011.03.01.森田裕之 / Yuji Morita
26日(土)に、技術フォーラムの講演会で、警察大学校の樋口晴彦教授の講演を聞きました。
「不祥事は財産だ」・祥伝社の著者で、大組織の問題を論じて、私には非常に面白い講義でした。
私は、大組織の経験が、川鉄の1年4ヶ月しかなく、これまではそのことを自慢してきたが、樋口さんの話を聞いたら、私は大組織から逃げ出してきたのが、本当の所だったらしいと、思い至った。

組織の持つ根源的な悪の部分を、どうしたら少なく出来るのか、というところに、正攻法で切り込んでいる、神を持たない日本とそれ以外のグローバルな先進国との組織の対策の違いが、よくわかって面白い。

私も、独立自営業者の組合と言う組織を、よく考えもせず、恣意的に動かしてきたが、今後は矢張り組織であることを、自覚して行動しなくてはいけないな、と反省している。

シニアのコラム 2011。02.07.森田裕之 / Yuji Morita

グループ活動の世話役をやった経験者は、多分誰でもメンバーが10人居れば1−2名の「困ったチャン」がいると言うことを知っている。

当人が気がついていないのが、こういう「困ったチャン」の特徴で、ベストな対策は世話人以外のベテランが、「ズケズケ」か「控えめ」かの手段の違いはあるが、注意して疎外(のけ者)するか、グループを追い出すしかない。

私は、数年前から、如何なる会合に出かけても、最年長組みに入るシニアであることを自覚して、出来るだけグループでの「嫌われ者」に、自覚を促すような言動をとることにしている。

そうは言うものの、馬鹿なことを発言した瞬間を捉えて注意するのは、「瞬間芸」に属する高等な議論の技芸だから、何時もうまくいくとは限りません。

シニアが年齢を意識して、「良い人キャラクター」に徹して、若い諸君・世話役にも好かれているのが、一番無難な身の処し方で、お勧めである、私も段々そういう方向に行くつもりだ。

シニアのコラム 2011.01.08.森田裕之 / Yuji Morita
暮れの餅つきに、我が家に来てくれた諸君は、近所に広大な豪邸が建設中・8割がた完成を見たことと思います、建築家の原田敬美君が話題にしたくらいですから、相当なものです。

さてこの家は「吉相の家」と称する工務店・ゼネコンの看板が長いことベタベタ周りに張ってあり、大いに印象的であった、

元々この家は、お百姓さんで,今でも無人の野菜スタンドで、100円均一の野菜を販売している60歳代の夫婦が住んでいた。

我が家に出入りする大工さんによると、マンション建設か自宅を建てるか、親戚中の論争の結果、自宅建設になったらしい。

建設が始まった途端に、91歳のお婆ちゃんが亡くなり、続いて60歳代後半の当主が亡くなり、息子は外国に転勤で居なくなり、結局60歳代のおばちゃんが独りで住むことになったそうです。

家を作るとか、引越しをするとか言うのは、物凄くエネルギーが必要なことだから、あまり年を経たシニア世代には、負担がかかると言うことだろうが、私の知り合いでも似たようなケースが沢山ある。

建築関係者には、神頼み・占い・方位や土地・イヤシロチに関心を持つ人が多いが、もう少し科学的な分析や、カウンセリングなんかを取り入れた、生涯一度あかないかの「家を建てることの研究」があっても良いと思いました。

我が家は築39年(餅つきと同じ)のボロ家だけど、建て替えは興味なくなった。

シニアのコラム 2010.12.29.森田裕之 / Yuji Morita


28日今年最後の忘年会、微粒子問題研究会でお世話になっている、上智大学清水研究室に伺いました。
学生が半分の30人位、若いOBは会社員、シニアOBはコンサルタント、工作機械の工業会や県の産学連携の人達、60人位の盛会でした。

最年長の私は、最初にお喋りさせられるのですが、最近の持論である「機械屋はつぶしがきく職業人なんだから、自動車や工作機械の業界にはしばらく就職は諦めて、技術士取って役所に勤めるとか、サービス業界なんかを狙った方が良い」と言いました。
そのあと、オリエンタルランドに就職が決まったと言う学生が挨拶していました。

何時ものように2次会があり、四谷のカラオケで懐メロを散々聞かされて、辛うじて28日中に帰宅しました。

明日、30日は恒例の我が家の餅つきを開催します、時間は何時でも結構、食べに来て下さい。

シニアのコラム 2010.12.10.森田裕之 / Yuji Morita

久しぶりに渡辺昇一さんが本を出しました、今年80歳になる氏の「知的余生の方法」と言うタイトルです、その内容を紹介します。

渡部氏の恩師が大学の要職についていたとき、その奥さんが重病にかかり回復の見込みがなくなりました。恩師は、妻が死んだら故郷の田舎に帰ろうと思い、病床の奥さんにその決意を話します。しかし奥さんは最後の気力を振り絞って猛反対します。

「田舎に帰るなんて絶対にダメです。あなたが夢見る故郷なんて、どこにもないのです。今さら故郷に戻っても、世話してくれる身内はいない、話し相手もいなければ、訪ねてくる人もいない。この住み慣れた大学街にいれば、友人・知人がいるし、教え子も訪ねてくるでしょう。あなたはここにいなければダメです。」その恩師は結局、妻の遺言を受け入れたそうです。

この奥さんは何と見識の高い方でしょう。年老いてから田舎に帰っても、長い間によそ者になってしまった者を暖かく受け入れてくれる故郷など、実はどこにもないのです。長年住み慣れた土地なら、人間関係が出来ていますから、そこが故郷です。

都会の老人には、孤独から犯罪に走る人がいるそうですが、ではそういう人が田舎に帰ったところで、もっと孤独になるだけです。実際に定年後、財産を処分して田舎に移り住んだ人で、退屈さとさびしさに我慢できず、都会に戻ってくる人が後を絶たないそうです。

今年は80歳を超えた先輩の本田尚士さんが鹿児島に、94歳の高嶋直一さんが岐阜に引越しをされた、交通便利になったとはいえ、良く決断したなあと、感心していたが、久しぶりの渡辺さん流の鋭い人間観察を読むと、私は人間を見る目が無いことが良くわかった。
今の所私の知り合いでは、外国移住からは引き揚げてきた友人が3人居るが、田舎から引き揚げてきた知り合いは居ませんでした。

シニアのコラム 2010.11.28 森田裕之 / Yuji Morita

26日の大久保君紹介の、埼玉大学「食の安全と健康シンポジウム」での基調講演・千葉大名誉教授・済陽(わたよう)先生の、15年200例の晩期ガンを、手術・放射線・抗がん剤と「食事療法」の組み合わせで、60数パーセント直したと言う経験談には、本当に驚きでした。

忘れない内に書いておくと、日本は世界で生産される抗がん剤の50%を使う、使いすぎ大国であること、済陽先生は患者の免疫力が回復できる範囲の最小限の抗がん剤と、食事は「豆・ナッツ類、ヨーグルト、果物、野菜ジュース、玄米」が良いそうです。

私が10年前にバイパス手術をしてもらった、自治医大の早田邦康先生が、アンチエイジングというテーマで、細胞の増殖や分化に欠かせない「ポリアミン」の含まれている食品と、その効果(ラットによる)の講演がありました、私も老人ですから興味を持って、聞きました。
済陽先生のがん患者用の食事は、そのままアンチエイジングの食事だと言うことが良くわかりました。
世界では、地中海地方の食事が、近似していると言う話です、ワインなんかもポリアミン食物との相性が良いとのことです。

小川町で無農薬・有機野菜の栽培と市場開拓に苦労している、星野結子さんも参加して質問していました、勉強になっただろうし、アンチエイジングは、これからの日本の老人のテーマですから、ビジネスチャンスもどんどん生まれるような気がしてきました。

シニアのコラム 2010.11.06.
{公共事業が日本を救う・藤井聡著・文芸春秋}、を読んでいます、私は監査のグループ(技術フォーラム)の諸君に、公会計の勉強をしよう、とか、発注者のエンジニアリングとは?というようなテーマを追求して、公共事業のコンサルタントの仕事に、挑戦しようと提案している。

ところでこの本、今の日本では少数意見だが、説得力がある、例えばヤンバダムの水源は何故必要か、といえば、関東南部(東京)の地下水水源取水をやめれば、地盤沈下が収まり、何兆円もの利益が生まれる、という理屈である。

私は、こういう少数意見が好きなのです、そのほかに道路や港湾に関しても、世界的な競争力という観点から、韓国あたりに比べて、コスト高になってきたという、私なんかのような素人の心配に、グサッと切り込んでいる。

私は、30年以上付き合っている、日韓の技術士会議で韓国のシビルの技術士の先生方が、日本と比べて、ワンランク、社会的な地位が高いのではないかと、長年感じてきた、それは、例年の午前の基調講演での内容が、何時も圧倒的に韓国側が視野の広い優れた論文と、発表者の格調の高い演説で、日本側を圧倒してきたからです。

特に昨年のインチョンでの会議と見学では、参ったなあと、仲間と嘆いた記憶があります。

アメリカのインフラがぼろくそになっていることは、私も気がついていました、1945-60年くらいに大投資をして、ホッタラカシにしてきた報いです、オバマがここに大投資をせざるを得ないと思います、日本だって10年遅れに又シビルの時代が来るでしょう。

シニアのコラム 2010.10.22.森田裕之 / Yuji Morita

最近、技術経営機構(TMO)のパーティで、障害者のNPO・理事長さん、人材会社の役員、と話す機会がありました。

驚いたのは、今の日本には若い人からシニアまで、沢山の統合失調症という病気に罹っている人が、居ると言う情報です。

就職したことの無い人や、出来そうも無いシニアに、生きていくための補助金を出すと言う、日本国の福祉にかかわる分野の事業なので、何を研修するのか、勉強してもらうのか、私には判らないが、そういう政策が、民主党から出されていることは、これまでの日本の、「例えば、働かざる人は食うべからず、と言うような格言が、成り立たない世界」の出現である。

私は、満州からの引揚者で、終戦後2年間、奉天という街で「難民生活」をしたが、学校にも行かず、近所の日本人部落の住民と楽しい2年間を過ごした、誰一人「精神を病んでいる人は居なかった、と記憶している」。

「平和の代償」と言う言葉が、浮かんできて頭を離れない、65年前の終戦時の日本人がどの位戦争が嫌だったか、今の日本人には想像できないだろう、戦争と言うより、そのあとが地獄だった、その地獄の生活は皆生き生き・はつらつとしていた、くどいが誰一人精神を病んでいなかった。

シニアのコラム 2010.10.11.森田裕之 / Yuji Morita
年金以外に稼ぎの無い、いわゆる年金生活者であるが、技術士を看板に掲げている諸君にアドバイスしておく。

技術者として興味のあるテーマに関する、ベンチャー企業・関係者には、あまり近ずか無いほうが良い、入れ込んだ挙句に、退職金やたくわえをなくしてないているシニアから、泣き言を聞きました。

ハッピーな引退をしたシニアは、出来れば何もしないで、趣味に打ち込むとか、もう一度大学に出かけて学問を勉強してみるとか、生きていくことのリスクの少ない分野に余生を賭けることが重要です。

ビジネス・仕事と言うのは、確かに面白いから、身体が元気な内は、これに関係して・役に立って、少しの稼ぎにでもなれば良いと、言う気持ちは十分に理解できます。

動き回るのにも、結構お金がかかるものです、私が言うのは一般論ですが、諸君は定年まで会社にいた事自身が一般的な人間で、特殊な、恵まれた人ではないことを、自覚すべきでしょう。

220930  市民訪問団体験記    川上英雄(KAWAKAMI Hideo)

7月20日から30日にかけて沼津市市民訪問団に初めて参加してミシガン州のカラマズー市を訪問した時の体験を綴ったものです。訪問団参加者は体験と感想を市に提出するノルマがあり、市に提出したものを少しアレンジして、3ページばかり追加しています。従ってイントロは形式的な体裁となっています。笑覧下さい。

もうアメリカに行くのも最後かなと思って参加しました。
今年になってから、確かパキスタン人によるテロ未遂事件の後、入国の手続きが厳しくなって、事前にネットを通じて米大使館に申請してESTAの申請番号を取得が義務付けられて厄介ですね。シカゴ空港の入国審査は厳しく1時間もかかりました。日本人は楽だけど、中東系の人が列にいるとすごく時間がかかります。
行きは沼津市立高校生10名+教師2名も一緒だったので結局みんなが終わるまでに1時間かかりました。UAの出発時間が2時間遅れもあって、シカゴからバスでカラマズーまで3時間かかり18時に現地に着く予定が、22時となり、歓迎会も中止で、まあ家を出てから24時間かかった勘定です。体力的にアメリカ東部はずいぶん遠いと感じました。

報告書(PDFファイル)

シニアのコラム 2009.09.14.森田裕之 / Yuji Morita

久しぶりに、和田忠太先輩に電話して、40分ばかり会話をしました、私が最近気がついた「産業遺跡」・宇部興産・安中・倉敷の話や、心臓手術の話、私がバイパス、和田さんは大動脈瘤の手術をやっている、技術者らしく、出雲の神様は鉄器に関係あり、関東の鹿島神社なんかは出雲のスサノオの尊が先祖で、戦争の神様で戦争中は、大いに繁盛したし、今は住友金属がアントラーズを含めて、沢山寄付していると言うが、因縁があるんだ。

産業遺産は、実は多くの観光客をアジア各地から招き寄せている、明治以降、大戦以降の日本の産業発展の足跡が、展示されているからだ、
私が見た遺跡は、全部、中国・韓国アジアの連中の視察団のメッカになっている、恐ろしいほどであ

私は、アジアの諸君の日本から学ぼうと言うインセンティーヴはただ事じゃないと、気がついている、昔むかし諸君の知っているJTTAS・工業技術振興協会は、日本から先進諸国の欧米の工業視察団を、年に何百と派遣して、会社の技術者の研修旅行
会社として、大繁盛した時期があった、

井戸田さんという天才営業マンが一人で、数百の技術研究会を組織したのも、その頃だった。

現在のJTTASを知る諸君には、想像もつかないだろうが、赤坂の真ん中の事務所からは、毎日のように外国に産業視察団が出かけていた。

現在の中国は、そんな状況が始まりつつあると、シニアは想像する。

シニアのコラム 2009.09.05.森田裕之 / Yuji Morita
「ボケ」

今年になって、明らかに私自身の「ボケミス」による自動車運転のミスを自覚して、自称「パニック症候群」=ハット気がつくと直ぐ行動してしまう、脳の回線が短絡するんでしょう、世の中では「瞬間湯沸かし器」とも言うね、これを誤魔化すことにしているが、ある種の精神修養が必要になるみたいだ、年をとると宗教にはしるのも、ボケを誤魔化す手段かも知れない。

自分がボケ世代に突入したと自覚した途端に、同世代の諸君のボケに興味しんしんになり、観察を始めたが、皆盛大にやっています、今日も一回り若い大塚君に告白したら、彼も周辺のシニアのボケに心を痛めていると言っていました。

彼は、事務所にお嬢さんが仕事を手伝っているが、最近「お父さんは言うことがくどい」といわれるようになったそうです、「くどい」という現象は、ボケの一種かも知れない。

先週あるパーティで、全然お呼びでないシニアのM君が、受付でもめた上に乱入して、訳のわからない演説をしたのも、40人の出席者にボケた哀れなシニアの姿を印象付けた。

自分がボケてきたので、ボケの扱いが判ってきたが、ボケた本人は無意識に誤魔化すんです、全面的にボケる前ですから、「マダラボケ」と言って欲しい。
この状態が、かなり長く続くから、あまり早くグループ活動からボイコットされても、かわいそうなのです。

私を含めて、70歳を過ぎたシニアの言動には、ボケが入ることを知っていてください。

シニアのコラム 2010.08.23.森田裕之 / Yuji Morita
30年来の会員であるSME http://www.sme-tokyo.org/
東京支部のメンバーである上智の清水先生から、SMEの団体運営に関して、アメリカの本部の弱体化(会員の減少)や東京支部の運営についても憂慮しているとのお話を聞きました。

私は単純に、会員として元気の良い機械関連の会社の見学が楽しみで、参加していましたが、支部長経験者の清水さんは、会員の激減で空中分解するんじゃないかと、本気で心配しています。

そういえば、見学会に参加する諸君が老齢化していて、あまり現役の諸君の姿が見えないなと、気がついていた。
見学の受け入れも、見学に出す方も、会社があまり乗り気でなくなったことも、関係有るかも知れない、業界のメーカー・ユーザー・産学連携の技術者の交流は、多角的にあったほうが良く、私が最近懸命にインキュベートしている研究会も、既存のグループ活動のスキマを狙った試みである。

私は、自分の性格からして、既存の団体を動かしたいと言う気分に乏しいので、SMEの話は、大変ですねえ、と言うくらいの話だが、寄付金の集まり方や奨学金のばら撒き方、教育界への干渉力等、学ぶべき点は、未だ有るかも知れない。

これから国際的に仕事をしようと考えている諸君には、大いに役に立つ技術者の団体活動です、多分アジアにも支部があり、その国の技術エリートが参加していると思います。

シニアのコラム・コーナー 2010.07.19.森田裕之 / Yuji Morita

我が家の次男がようやく結婚して、17日に銀座・交恂社で、親族の紹介パーティをやり、ホッとしています。

長男は早くから結婚してアメリカに移民しているし、3男は学生の頃から、チャリンコ宅急便で職場結婚をして、目黒に住んでいます。

次男は、COGと言う、写真のフリーマガジンを、アメリカの友人達と作って、3ヶ月に一回ぐらい発行していて、自転車屋に買ってもらっているが、飯が食える仕事になっているとは思えないので、とても嫁さんなんか来るとは思えなかったのですが、世の中は広いんだねえ。

先週、我が家に「パン焼き機」が来ました、2年と一ヶ月、欠かさず朝は「クラブハウスサンドウィッチ」を作って食べています、今後はそのパンも自家製になります、「パンの出来立て・焼きたては美味い」ねえ、ご飯の炊きたても美味いことは、何十年も前から知っていたけど、パンは始めての経験なので、感激です。

閑話休題、とある事件(会員内にヤリトリ)から、first refusal と言うフレーズを思い出した。

ネガティーヴな話では、不祥事を起した当人が居るのに関わらず、組織のトップを捕まえて、ぺこぺこ謝らせる、ある種のマスコミ・人民裁判は、おかしいと思うのが常識だろう。

今回は、良い話で、役所から会が表賞されたということで、会長が実際の活動グループに相談も無く、表彰式に出て,受賞してきたと言う話である。

言葉があるくらいだから、多分世界の常識なんだろうと思うのは、会長がグループ活動のリーダーに相談して、出席を要請したか?という一点である、優れた倫理の問題なんだね。

英語に強い人に教えてもらいたいが、反対語はlast refusalで、会長は善悪すべからく責任者が逃げ出しても、倫理上逃げられないのです。

シニアの論点 2010.07.12.森田裕之 / Yuji Morita

吉田世話人の論点で、久しぶりに畑さんの話を聞いて、ホッとしている所です。

畑さんとは、同年輩で青年技術士懇談会や、和田塾で共に独立・自営に夢と希望を共にした、いわば戦友に近い。

今では数少なくなった、組合の創立メンバーでもあり、勉強家で現場の見学好きで良くあちこちの見学会でエールの交換をしています。

若い頃一緒に、先輩宅訪問プロジェクトとしょうして、先輩の自宅訪問を沢山やりました、今の新人にも勧めたい、勉強法だと思います。

シニアのコラム 2010.06.15.森田裕之 / Yuji Morita


技術コンサルタントの仕事は「顧客との信頼関係から生まれる」と言う大原則がある。

信頼関係に至る経緯は千差万別です、技術者ですから、専門家・エキスパートの力量からの入り口が多いでしょうね。

私が今お付き合いしている会社とは、最初から技術コンサルタントとしての出会いではなかったケースが多い。

私は機械屋ですから、設計・試作・メンテナンス・市場開拓というようなエキスパートの仕事から、お付き合いが始まるが、しばらくすると「何か提案したくなり、余計なことを言いたくなる」のが私の癖なんです。

昔から、会社も個人も長く付き合っていけるかどうかの判断を、なるべく初対面で決めることにしているので、最初が肝心だと決めている。

世の中の常識にとらわれずに、自分で勝手に決められるのが、独立・自営業の醍醐味なんです。

シニアのコラム 2010 05.16. 森田裕之 / Yuji Morita

たて続けに、90,95歳の元気な先輩である、長友、高嶋さんにお会いして、いささかその毒気に当てられて、まだまだ俺なんか年寄りぶってはいけない、と言う気分と、とてもじゃないけど俺はあんなに長生きする訳きゃ無いな、と言う気分が交錯して、目まいがしました。

特に共通点を考えたわけでもないのですが、身体の動作が軽快ですね、好奇心が強いらしく、見学会や先端技術の講演会などで、よくお見かけします。

高嶋さんはシベリアで覚えたという俳句が趣味で、歴史探訪の旅行先での俳句集まで出版している、私が去年山口地方にドライブした時に、偶然見つけた香月泰男というシベリア抑留帰りの画家の美術館で買ってきた絵葉書を送ってあげたら、シベリア時代からよく知る友人だよ、同じ厨房係だったと言うことであった。

長友さんが生まれて育った満州の大連は、私の弟が生まれた町で、私は日の丸幼稚園と言う、日本人だけの地域で、お坊ちゃま生活をしていた。
長友さんは大連工大をでて、飛行機製造に関わっていたと、先日教えてもらった。

我々の親の世代の年寄りは、戦争経験者だから、生き残っている人は、なにか我々世代と違う背骨・骨格のしっかりした感じが横溢しているね。

シニアのコラム 2010 04.01. 森田裕之 / Yuji Morita

シニアを意識して何年か過ぎたが、半分は頭、半分は身体の老化が気になっている。

動作が我ながらオジンくさいのは、歳をとると「じっとしていると、各関節にコワバリが発生して、素早く動き始められない」ことが判った、老人の動作がドンくさいのは、血液・潤滑液の流れが悪くなるからだと思う。

2KMの水泳とか、10KMの散歩なんていうのは、ここ10数年全然変わりが無い、これは継続は力だなあと、我ながら感心している、気分はくたびれていないが、妻によると「寝つきがいい」と言われるが、身体はへとへとなのかも知れない。

頭に関しては、読書力が衰えて、一冊の本を読みとうす力が半減している、習慣で昔のように本を沢山積んどくのが楽しみだったが、最近は最初から最後まで読んだ本は、あまり記憶に無い、老化したねえ。

自ら招いたことではあるが、研究会の会合が多い、会合が仕事になってきたような気がする、必ず出席者をメモすることにしている、会合の内容を出席者の顔ぶれによって記憶することにしている。
最近予期してはいたが、研究会が3-4個活動始めると、境界・周辺のテーマが加速度的に増えてくるような気がしてきた、後輩諸君が世話人をやってくれると、私のような気の多い・ボケ初めタイプの先輩は、助かるんです。

シニアのコラム 2010.02.24. 森田裕之 / Yuji Morita
2月22日、私の最初の勤め先、1960-61年7月まで、の川崎製鉄の同期入社だった、伊庭・狩野・田宮君と銀座・交恂社で会い、昼飯をはさんで3ー4時間、歓談をしました。
伊庭君が定年後に行ったりきたりしていたニュージーランドの住まいを引き払って、帰国したということで、積もる話を聞きました。
彼が出て行った10年位前は、物価が三分の一で円の使いでがあり、豊かな気分で生活できたが、今では日本とあまり変わりの無い状況だそうです、為替のレートという予想しがたい問題もあるんでしょう。
我々は、後期高齢者寸前と言う年齢ですから、ヤッパリ日本で老後を暮らすと言うのが、10年前には元気の良かった年寄りの本音と言うもんでしょう。
狩野君は色々考えた末に、先生について絵を習い始めて、このところ先生のガイドつきの「お絵かき旅行」に情熱を燃やしているとのことでした。
田宮君は数学が趣味で、千葉大に生徒として先生として兼用の数学研究者というか教育者に成っていました。
私にはあまり実感が湧かないのですが、年寄りは何もしないことに耐え難く、死ぬほど退屈なのです、「人生は暇つぶしである」と、どこかの賢人が喝破していましたが、本当だと思います。
会社を辞めて10年以上経つと、あまり会社の話をしなくなり、毒気も抜けて普通の老人になり、付き合ってもいいかな、と考えています。

シニアのコラム 2010.02.16. 森田裕之 / Yuji Morita

「年下の友人・仲間へのお願い」

私が40年間、独立・自営の技術コンサルタントとして、一人で仕事をしてきたからといって、グループ・団体活動が嫌い・苦手と言うわけではないと、自負している。

60年に大学を出てから、62年ー72年には、松田製作所という中小機械メーカーに勤めていたが、入ったときには3人しか居なかった設計・技術部員を、72年の会社が潰れた時には、40名に増やして部長をやっていたし、サッカー部を作って部長をやっていたし、会社で6組みの仲人も経験している。

私は確か70歳になったときに、cea関連に10個の研究会を作ったら引退しようと、自分に縛りをかけました、私は新し物好きで技術者としても、出来れば先例のないモノの開発なんていうのが、好きですし、グループ作りも、先の判らない、人の集まりそうもないテーマを追求しつつ、工夫するのがすきなのです。

ところで、研究会は微粒子問題には大久保君、ナノマイクロバブルには佐々木君、大気圧プラズマには山本君という出来の良い世話人がやってくれたお陰で、私は役立たずになりつつあります、ただこの3つの研究会のderivative(派生してきた)的な、循環水研究会(機械洗浄・クーラント、空調、塗装等)や、イヤシロチを科学する研究会なんていうのが出てきました、両方とも技術士で言うと、全部門に関係あると言ってもいいほど、スケールの大きなテーマです。
予備的な会合をニューシビルの会やサバイバル研究会で始めたのですが、20名を超える参加者があり、私も実は驚いているのです。

循環水のテーマには、金川君、佐々木君、掛川君、藤田君が参加・協力を表明しています。

イヤシロチを科学するテーマは、これまではシビルの根本君、岡君、高堂君が自分の業界の話だと、話題を追っていましたが、JALの大坪君、電気の高木君、脳科学者の高木JR、の参加によって一気に面白くなってきました。
菅野君、吉田君、島田君など既存のグループ世話人諸君も、遠慮なく参加してください。

先行する3つの研究会は、大学・産学連携・メーカー・ユーザーという構造が出来上がっているので、今後は補助金やコンサルタントの仕事を追及していくことでしょう。

と言うわけで、私は今年は循環水とイヤシロチが軌道に乗るように集中します、そこで冒頭のお願いに戻ります、こういう先のわからない仕事は、ネットを含めて勉強したら解決するわけではありません、むしろ私の意見を否定するような若い諸君と議論したい気分です。

定年後の諸君は、会社に居過ぎたせいか、私を上司だとカン違いしている人が多くて、一般的に意気地が無く、言い訳みたいな話が多くて、面白くありません。

元気のある奴出て来い、と言う気分です。

シニアのコラム 2010.01.23. 森田裕之 / Yuji Morita

私と一回り下の「団塊の世代」が、定年で続々とある意味で、たっぷり時間のある世界に馴染まねばならない。

私の知り合いでは、技術者が多いせいか、絵心のある諸君が、写真や絵をあらためてお師匠さんを求めて始めたり、自費出版の写真集を送ってくれたり、展覧会の案内を送ってくれたり、こういう趣味を持っているシニアは運が良いなあと思うし、うらやましい。

旅行好きなシニアも良いねえ、私は最近あまり知らないところに出かける旅行が好きでなくなってきた、行ったことがある所は、また行って見たい気分があるが、これも好奇心が欠如してきた「老いぼれ度合いの進行」のせいだと自覚しています。

私は、生来のへそ曲がりなので、普通の年寄りがやらない年寄りの役割を追及してやろうという「野望」は10年位前のバイパス手術後に思いついて、仕事の面でも、組合活動の面でも、これからも追及していくつもりだ。

シニアのコラム 2009.12.26.森田裕之 / Yuji Morita
ここ10年以上年末は、中野翠さんのサンデー毎日連載の総集編、今年のタイトルは「おみごと手帖」を読むことにしている。
新しい日記を買い、来年の予定などを移し変える位のことはするが、今年の日誌を読むことはない。
中野さんの週日記を、コタツの中で読んで、一年をふり返るのが楽しくて、私の行事になっている。
中野さんは、世の中の生ずるニュースを全部自分のセンスで、言葉でコメントしている、年末になってみると、如何なる事件も中野さんが、当時正しい判断をしていた事が判る、例えばスマップの草薙君が公園で裸でわめいた騒動があったが、警察やメディアが如何にばかげた対応をしたか、私なんかも若かりし頃に、馴れない酒をのんで馬鹿騒ぎをしたが、草薙君ほどに、礼儀正しい裸踊りではなかった。
村上春樹のIQ84に関するコメントにも共感した記憶が蘇ってきた。

来年からやってみようと思うことが、段々判ってきた、なるべくこれまで付き合ったことのない、技術士のグループの見学会や講演会・パーティ等に出かけていって、面白そうな奴を見つけることを始めたい。
これまでは、cea・組合の活動に、寄ってくる諸君との付き合いが、主な業界の付き合いだったが、技術士がCEからPEになって、大分時間が経ったことだし、何時までも技術士はCE発生だったと、歴史的事実を主張していても、世代が変われば意味のない理屈になってしまうだろう。

皮肉なことだが、国の経済が落ち目になれば、CEが増えることは、イギリス・アメリカで実証済みである、面白いねえ。

シニアのコラム 2009.11.16.森田裕之 / Yuji Morita<BR>
組合を創ったときには、一番若かった私が、いよいよ最年長組みに入り、会の挨拶や乾杯の音頭をする係りになっている、慣れてくると、受けた挨拶・ジョークを思い出して、リピートしたりしている。

忘年会の季節はまだ早いと思うのだが、先週などは連日酒を飲み、妻に怒られている。

私は技術士会がCEからPEに衣替えして以来、総会で当時の梅田会長の「ダンコウ演説」(科学技術庁にたぶらかされるな、と言う主張)をやらかし、除名されかかった後、会での活動には一切興味を失っている、先日技術監査の件で、千葉県の技術士会の会長の「伍そうさん」と言う方からの申し出があり、銀座の交恂社で原田・岡君と共に、お会いすることになったが、2時間遅れで来たそうである。
私は、忙しかったので、10分ほど待って次の会合に行ったので、残った岡君から聞きました。

技術士会は、人数のみドンドン増えるものだから、政治的な地方分権の風潮にあわせて、各県の技術士会を作り、地域に根付いた活動をすることになっているらしいが、少なくとも千葉県の会長と言う人物は、自分のほうから会見を求めて、2時間も遅れてくるような、「半ボケの年寄りのようだ」

私は埼玉の技術士会にも会費を払っているが、イベントに出たことが無いので、判断できないが、私の周りの埼玉の諸君は、あまり県の技術士会で活動しているとは聞いていません、どうやら各県似たようなもののようだ。

各県の若手の諸君は、こういう年寄りを、なんとかしないと、世の中の人からは、同類だと思われているだろうし、面汚しだと思わないのかね、若手も意気地が無いんだなあ、最近は。

シニアのコラム。2009.10.06.森田裕之 / Yuji Morita<BR>

誰でも「何時の間にかシニアになっていることに気がついて、愕然とした」経験が有ると思う。
今日は、シニアの肉体の衰えに関する話でなく、頭脳の衰えに関する話題を提供する。

私は、原則週に一回(土曜日)はceaの関係の会合に出席して、沢山の技術士諸君と会っている。

生涯現役に生き甲斐を感じているのかどうか知らないが、専門家を看板にして外国にも出かけている諸君、コーディネーターを志向して、グループ世話人を引き受けて、若い諸君と上手に付き合っている諸君、うまい具合に元気の良いシニア生活を送っているのは、比較的に若い頃に(定年前5年くらいまでに)この二つの方向性を選択した諸君である。

定年最後まで、定年後も会社に関係する所で、面倒見てもらった諸君が、一番元気が無い。
こういう諸君が、ceaの会合に様子見に出て来て、私にからかわれたり、罵倒されても、反発が少ない、会話に元気が無い。
ceaは、独立・自営の技術士が寄り合う所で、そうで無い諸君が出てきても、我々としては、そういうシニアの扱いが判らず、しらけてしまう。

私の約束、10個の研究会は、ようやく5つ「微粒子ゴミ研」「NMBナノ・マイクロ・バブル応用研」「大気圧プラズマ応用研」「イヤシロチを科学する研」「セキュリティロボット研」のグループが出来かかってきた。

ceaに様子見に出てきたシニア諸君、こういう研究会にも様子見に参加して、何か役に立つパートを見つけて、時間つぶしをしてくれたらありがたいのだけどね。
当分お金にはならないけど、その内補助金プロジェクトに仕立て上げて、分け前が払えるように、頑張るつもりです。

シニアのコラム。2009.09.23.森田裕之 / Yuji Morita

あまり敬老の日などということに意識していなかったが、「高齢者人口:2898万人(22.7%) 男性:19.9%
女性:25.4%、*総人口1億2756万人に占める65歳以上の人口、○「男性は5人に1人、女性は4人に1人」という事実を知ると、まったく有難みが無い、多分100人に一人くらいの時代に出来た制度でしょう、制度設計をする時に、10人に一人くらいになったら制度が消滅するような、気の利いた一行がはいっていたらよかったのにね。

役人の天下りを禁止するという民主党のマニフェストに対抗するには、自民党は定年制の廃止くらいのインパクトある政策を主張すべきと思っています。

私は日常生活では、シニアを意識すような環境になく、5人家族だった子育ての2-50歳代に続く、妻と二人の平凡な日々があり、妻は絵描きのグループに属していて私より忙しそうで、あまり一緒に遊んでくれない。

私は社会生活で年齢によって、シニアを弱者と位置付けるのには、大いにむかつき反発したくなる、確かに頭脳にはマダラボケが始まっており、誤魔化したりカバーするのに密かな苦労が増えてきているが、仲間内には今のところ「バレ」ていないと思う。

私はcea・組合を創った当時に、沢山の先輩技術士の元気な皆さんに敬意を表して、「シニアの会」という月例会を運営・世話人を10年くらいやった経験がある。
最近、誰もイニシャティーヴとってくれないが、この会を復活して元気なシニアを若い諸君に紹介しようと、技術士の論点の世話人・吉田君にお願いしました。

シニアのコラム 2009.09.05..森田裕之 / Yuji Morita
「ボケ」

今年になって、明らかに私自身の「ボケミス」による自動車運転のミスを自覚して、自称「パニック症候群」=ハット気がつくと直ぐ行動してしまう、脳の回線が短絡するんでしょう、世の中では「瞬間湯沸かし器」とも言うね、これを誤魔化すことにしているが、ある種の精神修養が必要になるみたいだ、年をとると宗教にはしるのも、ボケを誤魔化す手段かも知れない。

自分がボケ世代に突入したと自覚した途端に、同世代の諸君のボケに興味しんしんになり、観察を始めたが、皆盛大にやっています、今日も一回り若い大塚君に告白したら、彼も周辺のシニアのボケに心を痛めていると言っていました。

彼は、事務所にお嬢さんが仕事を手伝っているが、最近「お父さんは言うことがくどい」といわれるようになったそうです、「くどい」という現象は、ボケの一種かも知れない。

先週あるパーティで、全然お呼びでないシニアのM君が、受付でもめた上に乱入して、訳のわからない演説をしたのも、40人の出席者にボケた哀れなシニアの姿を印象付けた。

自分がボケてきたので、ボケの扱いが判ってきたが、ボケた本人は無意識に誤魔化すんです、全面的にボケる前ですから、「マダラボケ」と言って欲しい。
この状態が、かなり長く続くから、あまり早くグループ活動からボイコットされても、かわいそうなのです。

私を含めて、70歳を過ぎたシニアの言動には、ボケが入ることを知っていてください。

シニアのコラム 2009.07.20.森田裕之 / Yuji Morita

6月には神力達夫さん、7月になって玉井丈生さんの訃報メールが来た、いずれも千葉の技術士で、神力さんは機械部門の大先輩、玉井さんは農業部門で日韓技術士会議の委員仲間であった。

独立・自営業者の付き合いには、独特のスタイルがあり、お葬式に出かけることは、めったに無い、しかし、亡くなってみると、私の人生の接点での彼等の存在感は、結構大きく残っているものだ。

神力さんの印象は、本当に戦争をした軍人で戦後急転回してクリスチャン、必死に平和主義者として生きていたという印象があった。
稲門の先輩の本当には戦争しなかった、軍人予備軍で敗戦を迎えた本田尚士さんと、対照的な人柄だったが、実際の行動の歴史は、多分高度成長を背景に、アメリカと擬似的な戦争をして、やっつけた気分が味わえた世代の先輩だった。

玉井さんは、県庁の役人から独立し、温厚な人柄が皆に好かれて、技術士会の役員も色々引き受けていました。
性格的には、私と正反対で腰が低く、千葉県のグループ内での役割は非常に高かったと、推察している、今後しばらく彼のような人が出てくるまで、大変かも知れない。

シニアともなれば、何時死んでもおかしくないが、私はあまり準備万端整えてから、死ぬという人生観を持ち合わせていない、100歳を超えた聖路加病院の院長さんが、TVで2年先まで計画が詰まっていると、ケロットした顔で喋っていた、いい気なもんだけど、そんなものかもしれない。

シニアのコラム 2009.06.12.森田裕之 / Yuji Morita
「生老病死」

親の介護の為に会合を欠席するとか、家族の病気で動けないとか、本人は元気だけど、ままならない話が、日常化している今日の状況です。

せっかくのグループ活動も、政治家と同じ様な「集合離散」の原理が働き、出会いがある反面の別れも必ず存在する、割りに楽天的であると、自己判断している私でも「世の中不条理の一言に尽きるなあ」と、天を仰いでため息をつくことも有ります。

我々独立・自営業者の付き合いには、改めてルールがあるわけでは無いけど、「お金の貸し借りはやらない」とか、「仲間の創意・アイデアには敬意を表する」というような不文律があり、暗黙裡に、拳々服膺している世界である、これが判らない奴は、先輩に厳しくグループ付き合いを排除されても、致し方ない。

「人の懐を詮索しない付き合い、というのも我々の不文律の一つである、英国風に言えば紳士・ジェントルマンの付き合い、というんだろう」独立・自営業者は、あるときは乞食の財布の時もあり、王様の財布になる時もあるのです。

こういう本当の話は、40年近くやってきたシニアにしか喋れないのだろうから、あえて書いておきます。

シニアのコラム 2009.04.09.森田裕之 / Yuji Morita

「お説教の依頼」

何時の間にか、何処へ行っても最年長なんだから、しようが無いとは思うが、最近「お説教」を頼まれます。

昨日もある講演会で、対応にもてあました世話役から「X君に話しをしてやってくれませんか」と別室で、新入会員(とはいっても定年を過ぎた大企業の技術者・OBで60何歳かのシニアである)に、身の処し方、付き合いの常識を一時間近く、懇々と話した。

基本は、自分自身が周りの人達から「どう見られているのか?」と言うことが、判っていないのです、専門分野の知識・ノウハウにいたっては、おおむね過去のことで、お金を払って聞いてくれる会社も無いと思った方が間違いない、それを「日本の会社はソフトにお金を払わない悪い習慣がある」などと、時代遅れの常識にしがみついた、自己中の態度でいつまでも変わらないものだから、家庭でも元の勤め先の付き合いでも、浮き上がった存在に成っている。

本人からも、世話役からも、感謝されるが、こっちだって、相手より一回り上のシニアなんだ、いささかしんどい役割です。

シニアのコラム。 2009.03.13 .森田裕之 / Yuji Morita

恐慌だと世の中が騒然としてから、時間が経つに従って、個人のレベルの話でわかってきたことは、いわゆる投資をしていた人が、資産を減らしたと言うこと、BS/PLで言う所のバランス・シートが悪くなった、仕事が減ったり、会社を首になった人は、PLでも赤字になることだ。

日刊工業の鈴木編集長によると、講習・講演会に人が集まらなくなった、本はソコソコ売れている、学会・業界の活動に、会社が協力しなくなってきた、ようは世知辛い、嫌な世の中になりつつある。

私の独立・自営の人生は、1972年の第一次石油ショック時代にスタートしているので、いまさらビジネスモデルをチェンジする気も無いし、むしろ面白くなってきたな、と世界旅行や引退は当分お預けして、ひと働きしてやるつもりです。

私が着目しているのは、こういう激動期に会社から出てくる若い人達です、通常の定年以上の年齢まで、会社に勤めていた諸君は、経済的には恵まれているはずだから、あまり私の援助は必要ないでしょう、むしろ自分の専門領域を深くして、若い諸君の援助をしてやるくらいの余裕を持って欲しいですね。

シニアのコラム 2009.02.08.森田裕之 / Yuji Morita

景気の悪い時は、嘆いていても始まらない、気持ちを切り替えて、何か勉強を始める、技術の開発のテーマを考える、私は過去の不景気の時は、何時もそんなことを実際にやってきた。

昨日もTAPAという欧米のセキュリティシステムを、日本の物流の関係者を集めて勉強すると言う団体を始めた、浅生君と話していたら、セキュリティロボットと言う具体的なイメージのロボット開発のテーマが出てきた。
早速、ロボット研究会を作りたい勝部君に浅生君とコンタクトしてもらうことにした。

シャープの山嵜君が組合に加入したいと、申込書を持ってきた、広島県に組合の支部が出来たことになる。
山嵜君は、MNBを利用して、シャープの工場廃水のプラントを管理運営している技術者である、この工場の「生活廃水の処理施設」で、MNBを利用したら、活性汚泥が激減したと言うことで、佐々木、金川、高堂、保坂、満田、森田のMNB研究会のメンバーが見学に行ってきた。

この成果を「全国の自治体の生活廃水処理施設に生かしてもらえないか」と言うテーマを、これから、我が「MNB研究会の応用テーマ」の一つとして、追及してみたい。

大気圧プラズマ研も、微粒子問題研も、大きな補助金でも必要になりそうなテーマを、創り出して欲しい。

シニアのコラム 2008.12.25.森田裕之 / Yuji Morita
2008年の暮れは、大不況の前触れにオノノク、気分の冴えない年末です、それでも忘年会だけは例年どうり元気よくこなしています。
同窓の忘年会は、おのれの歳を思い知らせてくれる貴重な機会を与えてくれますね、色んな理由で段々出席者が減ってくるので、私の出来る範囲で2−3の違うグループをくっつけて忘年会にしています、これが案外良いアイデアなんです。
共通の思い出なんてのは、精々5%くらいなもので、同時代を生きたことが、こういう同窓会での重要な要素なんです。

今年のシニアの話題は、我々60年安保に卒業した世代は、色んな意味で時代の子であり、時代のシニアであるが、どうやらかなり恵まれた世代だ、という結論になりました。
だから、「今時の若い者はーー」など威張らず、余計なことを喋らずに、謙虚に大人しく、目立たずに生きていこうぜ、という結論でした。

今日はJETOの人形町事務所で、めいめい持ち寄りパーティーがあり、明日(26日)はJTTASでお昼に忘年会という趣向です、27日には微粒子ゴミ研の上智大学・清水教授からの忘年会のお誘いがあります。
30日は恒例・我が家の餅つきで、長男が幼稚園の頃(1970年前後)から始めて、一度だけ雨・雪で中止しましたが、おおむね天気に恵まれて、年末を締めくくるイベントになっています。

去年くらいから、あらゆる会合で、先輩が居なくなりつつあり、挨拶や中締め要員になってきました。
確か今年の初めに、研究会を10ヶつくるぞ、と嘯いたのですが、何とか半分くらいの目途が立ってきたところです、作っただけじゃ駄目なことが判り、メチャクチャに忙しくなり、少々途方にくれている感があります。

「続報・シニアの履歴書」森田裕之 Yuji Morita 2008.12.03.

最近、ある会合で、蒋介石に追われて満州に逃げてきた、毛沢東・林彪の八路軍は、ソ連軍が参戦して日本が負けたお陰で、満州の日本軍の武器や公共の財産を頂いて、強力になり、蒋介石を台湾に追い払ったのだと、聞きました。
私の記憶でも、近所のお兄さん達が、大勢志願して八路軍に入ったと言う記憶が残っています。

それにしてもあの時の日本の若者達は、その後の共産党でどういう生き残りを果たしているか、その運命や如何に、だね。

「シニアの履歴書」森田裕之 Yuji Morita(080908)

最初に就職した時以来、50年ぶりに履歴書を書いてみたくなった、あの時の履歴書の中身は、今考えてみると単純で、中身の無い、当人を理解するのにほど遠いものだった。

1937−1945年8月まで、
私の父親は、上海の東亜同文書院という日本が作った学校を卒業して、満州中央銀行という銀行の営口(えいこう)と言う街の支店長をしていた。
我が家には、門番・コック・運転手・子守などが居て、私はそこの長男、オボッチャマであった、8月6日に突然ソ連兵に街を占領され、7日には日本人は二手の分かれて追い出され、我が家は奉天(ほうてん)に向かった。
後でわかったが、その時親父は、銀行員全員に銀行のお金を分配して、再会を約したと言う、子供等・私と弟の着るものに、徹夜でお金を縫いこんだと、母親から聞いた。

1945-1947年11月
奉天では日本人街の一角に住み、約2年間生活した、親父はあまり家には帰らず、たまに若干痩せて精悍になった姿を見せて、何時の間にか居なくなったりしていた。
私は、学校が無いことをいいことに、近所のお兄さん達のグループに入り、勉強は貸し本屋の本、遊びごとはマージャン・碁・将棋・トランプ・サイコロバクチ等のありとあらゆることを、9歳までに覚えた。
毛沢東・林ピョウの八路軍(パーロ)が、規律正しい、凄い軍だと噂があり、近所の日本の若者が志願して入隊したと言うような話があった、一緒に遊んでいた子供が、突然居なくなったこともあり、売られたのか、誘拐されたのか、判らないまま、今考えると凄い世界・不条理な世界を、平気な顔をして、日常生活を送っていた。
日本に帰っても、新型爆弾が落ちて、廃墟になっており、しばらくは満州に居たほうが、いいのじゃないかというような噂が広まったり、日本の兵隊ばかりか、若者が大量にシベリアに連れて行かれたらしいと言う噂も、覚えている。
学校の校舎は、満州奥地の開拓農民が占拠していた、騒動があって死んだ人が一時期校庭に積まれたことがあったが、翌日には全員衣服を脱がされ、凍っていた身体を触った記憶がある。
後でわかったことが沢山あるが、満州の子供の居ない夫婦は先祖に申し訳ないということで、養子を世話するブローカーが存在していた、売られた子供も飯が食えるし、売った親も半年位生活できる、と言うのが当時の常識だったらしい、4-50年経ってから、負けた日本の方が豊かになり、中国に売られた養子が、残留孤児と称して、実の親を探しに日本に来たが、親が名乗らないと言うケースが沢山あったと聞く、当時の親の必死の決断が、間違っていたなど、とてもいえないだろう、世の不条理と天を仰ぐしかない。

1947−1950年3月
親父の郷里である、北埼玉郡の広田村に帰国して、4年生に編入して6年生まで、親父の実家で暮らした。
伯父は教育者で、村長をやった爺さんが築いた百姓としての土地は小作人に任せていた、戦後は土地を失い、色々な団体の幹部をやっていたが、一代で資産をあらかた失ってしまった。
私は、小学校では、友達が出来ず、いつも喧嘩をしていました、以来百姓とか農業が嫌いで、付き合いが無い、従兄弟たちともお互いに冠婚葬祭もほとんど通知だけです。

1950-1956年3月
親父が武蔵野銀行創立と共に、大宮に通うようになり、家族は北浦和に引っ越してきた、私は近所の中学の友達と、大宮の柔道場に夕方通うことになり、同じ仲間と、朝は新聞配達を2年半やった。
浦和高校では、当時はスターリン万歳の左翼全盛時代だったが、私はアメリカ映画大好き少年として、この傾向に反発して、よく色んな集会では論争を仕掛けた。
柔道より水泳が好きになり、図書館とプールが生活の中心だと言う気分が、実は70歳を過ぎた今でも、続いている。
ここでも友人は少なくて、少数派志向はおおむねこのころから、私の性格と言うことになっている。

1956-1960年3月
早稲田の機械科での4年間は、始めて友人らしき連中が出来て楽しい学生生活だった、同年輩の友人はおおむねこのころからの付き合いが多い。
高橋利衛さんという卒論の時の先生に巡り合ったのが、今の私の生き方に大きく影響を与えている気がする、仲人もしてもらったし、亡くなるまで毎年正月には、お宅に出かけていたが、随分後になって、この先生が早稲田の機械科の今日に大きな影響を与えていたらしい事が、判ってきて、世の中を動かすと言うのは、こういう風に、後輩に影響を与えてやる生き方があるんだ、と今考えている。
機械科の友人達は、ほとんどが企業の忠実なサラリーマンとして、生涯を全うしてきている、私は彼等とはまったく違う生き方を選択したが、彼等が真面目に会社に行っているお陰で、私のような商売が成り立つのだと、いつも考えていた。(皆が私みたいになったら、世の中成り立たない)

1960−1972年12月
就職は、当時一番給料のよかった川崎製鉄に入社した、機械科の卒業生は機械のメンテナンス現場に入り、150時間の残業、3交代と言う「奴隷生活」に投入された。
私は、1961年2月には、学生時代のガールフレンドと結婚し、寮を出て稲毛のアパート生活をしていたが、7月のボーナスを貰ってすぐに辞表を出し、浦和の実家近くにアパートを借りて、当時家の近くにあった、松田製作所というプラスティック成形機械のメーカーに転職した。
ここは私にとって、非常に居心地の良い会社で、早稲田の後輩を3人も引っ張り込んだり、高専や大学にエンジニアをスカウトして、72年に第一次石油ショックで会社が倒産した時は、私は40人の部下を持つ技術部長であった。

メリカの会社へのOEM供給や、大手の石化メーカーとの機械開発など、面白い仕事を沢山やったが、会社が更正法を申請したので、やむなく40人の技術部を、半年がかりで再就職先を探しで20名に減らし、自分も辞めた。

1973−現在
潰れたとたんに、ユーザーの何社からか転職のお誘いがあった、私は二度と勤め人をやるつもりは無いので、パートでやっとってくれれば、自分の知る限りのことは、全部提供する、そのかわり、初任給をくれないかと言う、私の提案をした。
私は、個人会社・メックを設立して、収入・支出を法人でやることに決めた、これらは技術士会で出合った先輩方を観察して、自己流のやり方を考えたものである、これは35年経った今も変わっていない。
以来私の個人会社は、なんとか生きながらえてきた、景気の良い時期、悪い時期は資本主義の世界に生きていく以上是非も無いことだが、お陰で3人の子供を一人前にしたし、家も建てたし、今の所は我が家のB/S・P/Lは、健全である。

1976−現在
自分がなんとか独立・自営でやっていけそうだと言う気分になった1976年に、同年輩の独立仲間、先輩方に協同組合を創りましょうという提案をした。
私の憧れの先輩の和田先生が、すぐ回状を回して、30人位の組合員を集めてくれた、独立・自営というメンバーは、それぞれが一国一城の主である、組合・集団として一体何をやるのか?と言うテーゼは、30年前も今も、実はよくわからない。
一つだけ最初からやって欠かさずやっているのは、第一土曜日午前10時からやっている「独立・自営を新規開業する人を支援する研究会」である。
この研究会は、「先輩が自分のビジネスを、後輩に正直に話してもらう」ことが基本形で、「これから独立・自営を始めたいけど、先輩はどう思いますか?」というようなケースもありの研究会である。
後進の育成に一番の力をそそいでいるお陰で、多分世の中に沢山ある、技術士のグループの中では、若・中・老のバランスがいいのではないだろうか。
最近では、個別技術の研究会、大きなテーマである生産技術研究会、技術監査人研究グループ等、思いがけない方向への発展が見えてきた、私の仮説は「独立・自営業者と勤め人との壁・バリアが、低くなってきたのか、なくなってきたのか」とにかく、世の中が大きく変わってきたとしか解釈できない。
会社員も顧客が一社しかないが、気分は会社から自立している人が増えてきたような気がする。

続・シニアは身体を鍛えよう」森田裕之 Yuji Morita 080808

8月7日、NPO・産業技術活用センターの講演会で、聖マリアンヌ大の後藤勝正先生の「加温式筋肉増量方法」の講演は、非常に面白かった。
私は、今日も午前中は、桜区の市民プールで30分泳ぎ、20分歩いて、運動にこれ勤めている、バイパス手術をしてくれた自治医大の先生に、運動で体調を維持するように教えてもらって、拳々服膺してきた、おかげで体力は維持されていると、今日まで思っていた。
後藤先生の筋力と年齢のグラフによると、20歳前半の体力ピーク時に比較すると、70歳は腕立て伏せ・閉眼片足たちで20−25%、ボール投げ・酸素摂取量・脚筋力・垂直とびで50%、握力で80%に落ちている。(そういえば長友先輩は、握手が好きで、別れ際に、必ず力いっぱい握手をする趣味があるが、85-6歳のくせに、案外力があるのは、統計的に正しい、握手が一番衰えない筋力なんだ)

帰りがけにエレベーターで後藤先生と一緒だったので、TV体操の話をしました、非常に効果的な老人向けの体力維持法ですと、言ってくれました、私は知人の実例から、昔のスポーツマンだった老人は、「運動をやりすぎて、足腰を痛めてしまう」という話をしたら、先生は「若いときの体力の記憶が、グラフにある現在値を無視してしまう傾向にあり、トレーナーの必要性を、教えてくれました。
私の桜区・市民プールメイトの田澤君も同じ様なことを言っています、同じ様な年齢の知人が「酔って階段から落っこちたり」「太ももの筋肉を疲労断裂させたり」「食事療法で3ヶ月で25KG痩せて、皺しわ爺さんに変身したり」「手が出ないで顔面から倒れて、鼻の骨を折ったり」と、あまり良い話を聞きません。

私は、高齢者に対して、至れり尽くせりと周りが寄ってたかって、お金を使うことが、老人福祉社会だとは思いません、元気に自立する老人が一人でも多いことが、国家の目標にすべき政治の原点だと思います。

「シニアは身体を鍛えるべし」 2008.06.11.森田裕之 Yuji Morita

2週間ぶりに、桜区のプールで田澤勇夫君に会いました、彼は奥さんと一緒に来ていました。
立ち話ですが、良い話を聞かせてくれました、彼は水泳は最近のトレーニングだけど、元々ウェイトトレーニング,(正確には、パワートレーニングと言うんだそうですが、)をやっているそうです、そういえばかなりの筋肉マンで、良い身体をしています。

私が最近の何件かあったお葬式での、亡くなったシニアの共通して持っていた3種の薬、「血圧降下剤、便秘の薬、睡眠薬」は、年寄りの運動不足が原因だと思うと話したら、田澤君は直ちに賛成して、トレーナー付きの「筋肉トレーニング」が良いと説明してくれました。

私は60歳でやったバイパス手術後に、運動で健康を保持しようと、昔とったキネズカで、水泳を50分/2KMか、又は15000歩/2.5時間を可能な限り、毎日やっている、最近は年齢の割りに若干やり過ぎかなとも思うが、もう10年は過ぎた。

トレーナーの居ない危険性は、友人の斉藤勝政北大名誉教授が、最近メタボリックなお腹をへこまそうと、お正月頃に、スポーツクラブの歩行器で自己流で歩き始めたが、やりすぎて疲労性の太ももの筋肉断裂で歩けなくなり、リハビリに5ヶ月かかってまだ杖を突いていた、歳をとると回復が相当遅くなるらしい。

私は、昔夏休みに子供がやっていたラジオ体操を、シニアが近所の学校で集まってやったら良いと思います、社会運動にしたいくらいだ。

そんなことをぶつぶつつぶやいていたら、妻が朝6時半から10分間、NHK第2TVで、TV体操やってますよ、と教えてくれた、これを始めてまだ10日位だが、以外に調子が良い、大体年とってくると、起き抜けや、パソコンの前で固まっていると、関節が強張っていて、ほぐれるのに時間がかかる、子供の100倍くらいは「柔軟性」が悪くなっているね、癪に障るけど。

そんな訳で、老人と言うのは、脳みそも体も、ほうっておくと、年齢並みの劣化が進むらしい、多分止めることは出来ないが、若干の無理を強いて、新陳代謝を上げることで、劣化を遅らせるという試みをやってみようと思っています。

シニアのコラム 2008.05.29.森田裕之 Yuji Morita

聞いた話です、シニアには60歳前後、67歳・厄年、70歳後などの生き残りの山があるらしい、早めに自覚して老人の身体に適応する人や、歳に抵抗して年齢の割りに若さを残そうと頑張る人が居ます。

身体のほうはともかく、問題は頭で、なかなか社会的な自己の立場・ポジショニングが定まらず、と言うか納得できずに、フラストレーションの溜まったシニア・年寄りが沢山居る。
私は好奇心もあり、なるべく色んなグループに顔を出しているが、いわゆる「困ったチャン及び困ったチャン予備軍」が直感的にわかるようになってきた。

見分け方の一つは、「役所・会社で出世するのはゴマスリのうまい奴だ」と本気で思っている人、「弁護士・弁理士のような法律に裏ずけられた業務のある資格商売は飯が食える、技術士は無いから食えない」等と本気で考えている人、「独立・自営の商売も、営業力のある人が成功する」と、本気で思っている人等などが、実は私のような長年やってきたベテラン・技術コンサルタント・業界人にとっては「困った連中」なのです。

本気で調べるなり、その道の人に聴けばすぐ判ることですが、弁護士だろうが弁理士だろうが、会計士だろうが、ガンガン稼いでいる人も居る代わりに、食いはぐれている人も沢山居るのです、技術士だって同じことです。
先日大塚君が技術士会のある部会で、「年に2−3千万稼がなくちゃ、独立・自営の成功者とは言えないでしょう」と、割りと正直な感想を述べた所、それを聞いた何人かの諸君から、私に感想・コメントが寄せられました。
どうやらその会合の出席者は、会社員現役とOBになりたての諸君だったらしく、まともな独立・自営の人が出席していなかったようでした。

大塚君は自分の会社を創業・上場・売却した経験者ですから、普通の技術士資格者よりは、金銭感覚が鋭く、彼から見れば、普通の色々な立場の技術士諸君が、もう少し経営感覚を磨いて、技術コンサルタント業に励めば、うんと稼げるポテンシャルを持った若い人が居るはずだ、と言うつもりで、技術士会の会合で、講演したのだと思います。
「講演者より聞くほうの人たちの問題である」と言う気がしてきませんか?

シニアのコラム 2008.04.09.森田裕之 Yuji Morita

とある技術士会のM/Lに、会に入会を勧誘する文章が書かれていたが「何もしていないシニアの名刺の肩書きとして、最適である」と書いてあったのには、大いに笑わせてもらった。
会社員のときは、技術士はプロフェッショナル エンジニアで、コンサルティング エンジニアじゃないと、主張してきておきながら、会社を辞めて、肩書きが欲しくなり、CEの先輩方が長年かけて作り上げた「技術士事務所」という独立・自営者の看板を、名刺の肩書きに利用しているシニアが量産されつつある。
勿論60歳を過ぎても、本気で仕事をしてやろうとか、若い人に協力しようと考えているシニアもいることでしょう、そういう人は、態度が全然違います、私は40年近く技術士資格を持つ人と会ってきましたが、最近は自分の直感で篩い分けることにしています。
案外、定年までに社業に専念して、技術士資格を取りそこなった技術者シニアのほうが、謙虚だし素直なので、付き合いやすい傾向にあることも事実です、グループ活動にはこういう人が向いている。

シニアのコラム 2008.01.21.森田裕之 Yuji Morita

1月19日のサンセット研究会(島田君世話人)に、名手さんが山梨大学の管野教授(先進医用工学分野)と、その卒業生3名による新会社・センシング研(ベンチャービジネス)のメンバーをつれてきて、会社の説明をしてくれました。
名手さんはラスベガスで、scoreというシニアによる若いビジネスマンの育成組織の仕事をボランティアしているので、そこに日本から勉強に来た管野先生方を、我々に紹介してくれたわけです、我々はscoreのような歴史のあるベンチャー育成組織ではないけど、やや似た所があります。

私がお話したコメントは、

0.我々技術士のグループは、大企業の定年OBが大部分を占めていて、こういうアーリー・ステージの会社の経験者は皆無と言って良いでしょう、技術コンサルタント経歴の長い私・森田でも、顧客は売り上げ数億円以上の会社ばかりです。
よって、我々と付き合っても、実質的な良いアドバイスは、期待できないと思います。


1.何か定常的な仕事を見つけて、キャッシュフローを作らないと会社ではない、補助金やスポット的な顧客会社の技術問題解決を仕事と思わないこと。

2.「技術者」は、学校を出た「技術者の卵」が、5-10年会社で先輩・メンター(師匠)によってしか生まれない、今の会社のメンバーは「技術者の卵」ばかりなので、技術的問題解決は難しいから、菅野教授の研究室OBネットワークに、外注するのが得策です。

3.大学での菅野先生の所で生まれた「なにごとか」を実現するために、生まれた会社であると思うが、ビジネスプランでは良くわからない、なんか世を偲ぶ仮の会社みたいですね。

以上です。

それにしても、若いというのはいいことだね、本人も偉いが、私は良い親御さんに恵まれた学生達だと、感心しました。

シニアのコラム 2007.11.17.
森田裕之 Yuji Morita
JETO・技術経営責任者協議会のステアリング委員会で、3年目になるので、どうしてもこれまでの活動の総括的な話題になります。
はっきり判ったことは「大企業の定年技術者は、今更中小企業を経営したり、勤めたりする気力が無い」という事実です。
JETOとは表裏一体で、会社の経営や人事・総務部門に営業活動を始めた、株式会社の技術経営機構では、技術者の流動性に関わるセミナーや講演会を沢山計画している、どうやら会社を出た人を対称にするより、会社に居る人をターゲットにせざるを得ない。
つまり、これからは、比較的若い企業内ベンチャーや、企業内技術士を会社の外に引っ張り出すこと、定年後の技術者には、自分の住んでいる地域の技術監査人の職域開拓を目指してもらうような、啓蒙活動が我々シニアの役割では無いだろうか?

インド訪問記
2007/07/09
福島 晴夫 
技術士 建設部門(トンネル)
E-mail: fukushima@cea.jp

JICAのインド貨物鉄道FSで、5月15日から1ヶ月半ほどニューデリー近郊に滞在した。
インドは、BRICsの一国で、IT産業に優れ、高度成長の真っ直中で、近い将来、中国とともに日本経済に取って脅威の存在になるだろうと言われており、団塊世代を標的としたインドの成長産業への投資が盛んに宣伝されている。しかし、私の感じたインドは、日本の新聞記事とはかなり異なった印象だった。
<民衆の暴動>
 5月の終わりに、ニューデリー近郊の約200km範囲内で、民衆による暴動が発生した。もちろん、日本外務省の海外安全情報には載っていない。たいした暴動でない証拠に、誰も死ななかったようだ。この地域が、プロジェクト調査地域の一部になっていたので、現地調査が1週間程度延期になった。JICAインド支局によると、暴動の原因は、戦闘カーストの一部が、「割の良い仕事をよこせ」と暴動を起こし、道路封鎖と車を焼いたらしい。
 このとき初めてカーストが、細かく分かれていることを知った。Wikipediaによると、「カースト(caste)、あるいはカースト制、カースト制度は、ヒンドゥー教にまつわる身分制度である。紀元前13世紀頃に、アーリア人のインド支配に伴い、バラモン教の一部として作られた。カースト制度によって定められる個々の身分もカーストという。カースト制度は基本的にはバラモン・クシャトリア・ヴァイシャ・シュードラの4つの身分(ヴァルナ)に分けられているが、その中で更に細かく分類されている。」で、長い歴史があることは、一般に知られている。しかし、戦闘カーストなるものがあることは、インドを研究している人でなければ解らないのではないか?
 カースト制度には、既得権があるようだ。日本の港湾荷役なども過去の封建制度に立脚した既得権があるらしいが、カーストの既得権はインド社会に深く染み渡っており、何人も侵すことが出来ないもののようだ。ハウスボーイは掃除だけ、洗濯女は洗濯だけ、コックは料理だけなので、担当者が来なければ、部屋中ゴミだらけ。最も、ホテルに泊まらなかったことが悪いと言われればそれまでだが、ニューデリー近郊のホテルの宿泊費は、7年前に来たときに比べると高騰し、200USDでも、泊まることが出来るホテルは、2つ星程度になっている。
 ITが、何故、発展したのかというと、ITは、カースト外の仕事だからだそうだ。要するに、カーストの区分にない新しい職業は、能力があるならば、誰でも一攫千金を夢見ることが出来るらしい。ただし、路上で生活し、施しをたかっているカーストは難しいと思うけれど。
<非効率>
 マーケットで買い物をしてレジに行く。別に変わった風景ではない。ところが、レジで20〜30分待たされる。トルコ、カタール、ベトナム、中国でかなりな期間滞在しているが、このような国は初めてだ。いらいらしてもしょうがないので、待たされる原因を観察してみた。
 買い物カートの品物をレジで精算する。バーコード方式で、日本と変わらない。時間によっては、多くのレジが開いているので、それほど時間がかかるはずがない。よく観察すると、支払いをマーケットの金券で支払う人が多い。たぶん、金券は、ディスカウントティケットなのだろう。1,000Rp以上の買い物をする人が多かったが、ほとんど金券で支払っている。この金券が、10〜20Rp程度のこまかい金券で、レジの人が、いちいち枚数を確認し、記帳する。当然、時間がかかるのは当たり前。1Rpでも違っていれば、最初から数え直す。こんな情景を30分以上見ている私も暇人だが、なんとかならないのか?例えば、現金専用レジを設けるとか、買い物の品数によりレジを分けるとかの方法があるだろうが!
 レジの人もカーストの一部に帰属し、効率を考えるのは別のカーストなのだろうか?インドに進出した鈴木自動車も、たいへん苦労したらしいが、非効率がまかり通っているインド社会が、日本のように効率を追究しすぎた社会に追いつくことは出来ないだろう。
<インドにファーストフードが必要なわけ>
 わずか1ヶ月半の滞在で、ひどい下痢を3回経験した。あまりにひどいので、2日以上の絶食に追い込まれた。原因は、現地調査時に町の食堂やパン屋で食べたカレー。早い段階で下痢に見舞われたため、その後は、出来るだけファーストフード店で昼食を取るように心がけた。マックやフライディ、サブウエイなどがあるので、かなり助かった。日本料理屋、中華料理屋、韓国料理屋もあるが、毎日の昼食用に利用できる値段ではないし、距離も遠い。
 ここで解ったことだが、インドは、一般の流通整備が著しく遅れており、コールドチェーンはほとんど無い。当然のこと、品質管理って何?と言う世界だ。その点、アメリカ流のファーストフードチェーンは、曲がりなりにも品質管理をしているようだ。マクドナルドの店頭は、日本と変わらない風景が見られる。とにかく、インドに行ったときには、強力な胃腸薬が欠かせない。最も、インドで市販されている胃腸薬は、日本の薬よりも数段強力のようだが。

 今回のJICAプロジェクトのテーマは、大型貨物輸送網の整備だった。インドの道路網整備計画は、2013年までに主な路線の整備を完了することになっている。しかしながら、インドは交通ルールがない。たぶんあるのだろうけれど、誰も守らないし、「我先に」が当たり前。カタールで、インド人の運転手や労働者がむやみに逮捕されて、1週間ほど投獄されると私のインド人運転手がぼやいていた。インドの実情を見ていると、強権で従わせるというカタールのやり方は正しいように思える。訳の分からないカーストという社会秩序が、海外におけるインド人の信用を失墜させているように感じる。

安達真夫さん(82)が先週の土曜日に亡くなり、23日・金曜日に五反田の葬儀場でお通夜があり、行って来ました。
ほとんど患うことなく、自分でカバンを持ち入院して、そのまま2日後に急性肺炎であっという間に亡くなったそうです、通夜に参列した技術士仲間は全員、羨ましい死に方だと言うことになりました。
安達さんは、生産管理・食品の技術士で、商売柄食べ物や酒に薀蓄があり、宴会では良くお付き合いをしました、cea・組合では若い人たちに「男のダンディズム」を講演して人気が有りました、本人もふさふさした銀髪をオールバックにして、ブルーストライプのワイシャツに赤いネクタイと言うお洒落を決めていました、かなり(かっこいい年寄りを)意識していたみたいです。
日韓技術士会議の宴会だけ出席する特権を維持していましたし、食品のグループでも遊ぶ所だけの参加者だったそうです。
戦友だった芦川鯉の助先生はじめ、技術士仲間が20名ほど参加していました、いまどきの82歳の年寄りの葬式としては、賑やかな、爽やかな葬式でした。

森田裕之 Yuji Morita(3/24)

インシャラーの世界IV− <エンジニア:その2>
技術士 建設部門
福島晴夫
URL: http://homepage2.nifty.com/Lithosphere_Tec/
b) エンジニアスタッフ
工事開始時期に約半年のタイムラグがある2件の電力ケーブルプロジェクト(GTC5 & GTC22)を受注した。2006年の4月にドーハのQATAR Cable Project Officeは、総勢20名以上の大所帯となり、日本やUAEからの出張者を含めると、30人以上になることもあった。
エンジニアスタッフは、電気系8名、建設系9名で、総延長30km以上の高圧ケーブル敷設工事を担当する。アラビア語Native Speakerのローカルエンジニアスタッフは、電気系2名(エジプト、パレスチナ)、土木系は1名(スーダン)で、残りはインド人が主体である。もちろん、インド人もアラビア語を話すが、ややこしい問題が起きるとnativeの助けが必要である。
アラビア語圏は、アラビア半島からアフリカ地中海地方の広い地域にまたがっており、エジプト、パレスチナの公用語、スーダンやヨルダンの主な公用語である。
プロジェクト開始段階は、現地の状況に詳しいローカルエンジニアを雇用し、現地で実績のある下請け業者を探し出して契約しなければならない。もちろん、契約金額、契約範囲や責任関係に関する取り決めが、重要な課題である。
現地乗り込み当初、右も左も解らない日本人スタッフに、アブダビ事務所のPMと土木のエンジニア(ヨルダン)が手助けに来た。彼らの助言は、「とにかく、信用できるアラビア語のnative speakerを雇え」と言うことだった。これは、海外プロジェクトで共通することである。また、この地域のエンジニアは、能力に関係なく、プライドが高いというコメントも付け加えた。
余談ではあるが、電気担当のエジプトのエンジニアとアラビア語圏の文化について話した時、「ゼロの発見は、エジプトで、プラトンやアルキメデスはエジプト人だ。」と誇らしげに話していた。私の知る限り、「ゼロ発見はインドで、プラトンやアルキメデスはギリシャ人。」と記憶している。クレオパトラとローマ帝国のシーザーの話は有名だが、彼の感覚では、シーザーもエジプト人なのだろうか?それ以上の議論は、彼のプライドを傷つけると思い、避けることにした。
湾岸諸国のプロジェクトで難しいことは、当該国のエンジニアを雇用することができないことであろう。カタール人は、建設工事のような3K(きつい、汚い、危険)の仕事に従事しなくても、国から十分な収入を受け取ることができる。
アブダビ事務所で高圧ケーブル工事の経験のあるスタッフに、カタールのプロジェクトの担当を要請したが、アブダビのスタッフは、同国のIDを取得しており、カタールに移転するための手続きが煩雑で、時間がかかることから断念せざるを得なかった。このため、新規に海外からの出稼ぎエンジニアを雇用することになる。
海外工事でエンジニア雇用に際して注意すべきことは、発注者に対する業務経歴(CV)の提出である。大規模な工事で、エンジニアやSVに対するプロジェクト適正をCVにより評価することは当然である。KAHRAMAAでもこの方式を採用し、電力ケーブル工事経験のないエンジニアは、認めない。私も、このような工事経験はなかった。最初に発注者に挨拶に言った時、経験年数を尋ねられた。30年以上と答えたら、エジプト人のプロジェクトチーフが目をむいた。私は意味がわからなかったが、すかさずPMが、「彼が、メンバーの中で一番年を取っている。」とフォローしてくれた。直ちにCVを提出し、Civil Managerに任命された。経験不足のCVでは、工事の管理に不的確と判断され、帰国を余儀なくされる可能性もある。
プロジェクトの看板であるMCの名前が魅力的だったのか、募集広告を新聞に出し、短期間で数人のエンジニアが応募してきた。応募者のCVは、一様にPMの経験が書いてあり、適切な評価が難しい。また、日本と異なり、建築工事と土木工事の境目が無いため、土木工事の管理能力を判定できない。ダムや橋梁のような大規模土木工事の少ない国では、基礎掘削のように小規模な土木工事の経験をアピールしても、実績として認められないのかもしれない。
エンジニアスタッフの選定は、工事経験が豊富で現地の状況に通じていることが条件である。先行するGTC5プロジェクトの土木担当として、スーダンのエンジニア1名と、インドのエンジニア、スーパバイザー(SV)を計3名雇用したが、彼らが働いていた企業の退職手続きに時間を要し、プロジェクトに加わるまでに約1ヶ月を要した。
プロジェクトが始まって1ヶ月ほど経過した頃、大変なことに気づいた。ルート設定や出来型の確認、出来高判定に必要な測量部隊がいない。下請け業者に依頼したが、下請け業者の測量部隊も弱小である。取り敢えず、一時的に測量専門業者に外注する。今後発生するであろう外注の予想頻度から外注費用を推定すると、非常に高額になる。また、外注では、発注者の気まぐれによる様々な要望を満足できない。測量機器を購入し、経験の豊富な測量技術者を雇用することで、プロジェクトの品質と工程を確保することができた。しかし、当初の測量の遅れにより、短い工期が更に厳しくなり、工程管理と工程確保に多大な努力を要した。
エンジニアやSVの雇用待遇は、月収25万円〜30万円と、東南アジアやトルコに比べて非常に高額である。ベトナムや中国は、所得水準が低いので比較できないが、同じ中東地域のトルコのPMクラスに相当する高給である。更に、砂漠を走るために欠くことのできない4WD車が貸与される。住宅費用は、所得の中に含まれており、自己負担だが、待遇は非常によい。
湾岸地域は、日本と大差がないほど物価が高い。年間を通じて高温多湿で、日中の気温が30℃〜50℃の環境下で、全長13.5kmの広範囲に及ぶ現場を効率的に管理するために、車は必需品である。
エンジニアを能力の面から比較すると、東南アジアに比べてかなり見劣りがする。特に湾岸地域に出稼ぎに来ているインド人は、前述の発注者に雇用されているエンジニアやインスペクターと同様、能力レベルが低い。更に悪いことに、階級社会で育ってきたため、自分の担当範囲の仕事しかしない。エンジニアが、SVの仕事を進んですることは滅多にないし、命令してもSVの仕事だと行って逃げる。やたらにプライドだけは高く、業務の区分けをする。いつまでたっても仕事が進まないので、私が動く。そうすると、彼らもやむなく、担当業務以外もするようになる。“ボスが動くと群れ全体が動く”という状態は、まるで動物の世界ではないか!
ベトナムでも、工事当初、同じ状況があった。ただし、スタッフのエンジニアは、ベトナム政府に選抜されて旧ソ連に留学し、工学博士号を取っている。当然、プライドは高い。最初は、彼のプライドを気に止めなかったが、ある時、「プライドを捨てろ!俺がボスだ。言ったことを守れ。お前の必要とする専門知識は、すべて教えてやる。」と怒鳴りつけた。現在、彼は、ベトナムのトンネルとGeo-techniqueの専門家として活躍しているようだ。
カタールでも、同様な方法で若いSVを教育したが、彼が最後に言ったことは、「この程度の能力は最初から持っていた。」だった。Dr. Kumarがmailに書いていたことを思い出す。意味もない(彼らは思っていない)プライドは、切り捨ててもらいたい。
スーダンのエンジニアは、交渉面で優れた能力を発揮した。契約当初、彼のCVを発注者に提出した所、電力ケーブル工事の経験がないということで、発注者から認められなかった。おそらく、発注者のインド人エンジニアが、自分たちの仲間ではないアラビア系を嫌ったのだろう。
工事が最盛期になると、道路局や関連コンサルタント、市政府の管理部門、警察などから様々な規制が入る。道路掘削許可取得、安全標識の不備、昼間の作業時間帯規制などで、違反すると当然のことながら作業停止で、PMに担当局から呼び出しがかかる。たちの悪い輩もいて、袖の下を要求することもある。
Native Speakerの土木担当はスーダンのエンジニアしかいないので、彼が忙しくなった。警察や市当局のマネージャーには、スーダン人が多い。彼は、窓口の担当者を飛び越して、マネージャーと直接交渉し解決する。彼は、交渉術に長けているが、同国人で無ければ、まねのできない能力だ。人のコネクションが非常に重要である。
工事が終わりに近づいた頃、彼は、発注者のプロジェクトチーフ(エジプト)から認められて重宝に使われるようになった。様々な会合や交渉に呼び出され、プロジェクトの現況と今後の状況について説明する。説明内容は、アラビア語なので知るよしもないが、適切な対応を行っているようだった。常識的に考えると、不得意な英語で討論するよりも、native言語で討論すれば、意志が率直に伝わることは、当然である。
道路の設計は、道路局から委託されているコンサルタントが行う。工事到達地点に近づき、歩道下に上下水道と電気の本支線が複雑に計画されている区間があった。道路コンサルタントとの交渉に、たまたま出張で来ていたアブダビのPMが付き合った。先方の担当マネージャーと話している内に、お互いの名前のルートをたどったら、遠い親戚だと言うことが解った。これを契機に、コンサルタントは、いろいろな相談に便宜を図ってくれるようになった。砂漠で生き残るためには、血族の関係を維持することが重要なようだ。日本では、核家族化で、親さえも面倒見ない輩が多いが、これも高度工業化社会の弊害だろう。



インシャラーの世界 IV− <エンジニア:その1>(12/1)

 世界を旅していると、様々なエンジニアに出会う。
 イギリス、ドイツなどの先進国におけるエンジニアとの付き合いは、自分の専門とする分野の大学教授や研究者が多く、世界の最先端の技術についての討論を楽しみ、多くの技術的な知見を得ることができた。入札や設計支援のために滞在したシンガポール、中国、台湾では、各分野の専門家を担当者に割り当てており、技術検討にレベルの差を感じたことは少ないが、海外先進国で学び頭でっかちの上級技術者と、現地で感と度胸で仕事をする労働者の間に立ち、工事全体をマネジメントする中間技術者の乏しいことが今後の改善課題であった。
HPで紹介しているインドの発電所工事では、インド政府機関の技術力の高さに驚かされた。ベトナムや台湾では、日本の進んだ土木技術を自分のものにしようと目を輝かせて講習会に参加した若い技術者が非常に印象的だった。
ヨーロッパ先進諸国の技術者は、自分の技術が最高だと錯覚している感がある。トルコ、アラブ諸国の技術者は、自分が学び体験してきた技術に固執し、新しい技術や現状の改善方法について示唆しても、うるさいと言わんばかりに無視する。言い方は悪かもしれないが、日本と類似した宗教圏(仏教・儒教・Hindu地域)で育った技術者は、何となく付き合いやすい。
東南アジアの企業は、日本のような終身雇用制ではないと思うけれど、長期に渡り雇用されている人材が多い。東南アジア地域の雇用がどのような報酬形態を取っているか定かでないが、経済発展段階における長期雇用は、企業の技術力向上を図るために必要であろう。
トルコやカタールの建設技術者は、プロジェクト毎に契約で雇い入れている。他のアラブ諸国も同様だろう。技術者のレベルは、各国の国情により様々に異なるので一概に比較はできない。特に、カタールやアラブ首長国連邦のように、海外からの出稼ぎに頼っている富裕国は、高学歴の技術者がマネジメント担当の中間管理職になり、現場を管理するエンジニアは、教育レベルの低い外国人が担当している。
今後、建設技術者は、仕事を求めて放浪する流浪の民になるのではないかと心配する。先進国では、政府と建設コンサルタント、建設業者の癒着による税金の無駄遣いを、まるで泥棒の首を取ったのごとく騒ぎ立てている。官発注の建設工事は、上流側から、官僚、建設コンサルタント、建設業者の順番で流れており、コンサルタントや天下りという輩が仕切っている。官庁の役人やコンサルタントは、現場を知らない。所詮、保身主義者か金の亡者だ。
人間社会の反映に寄与することに誇りを持って働いてきた建設技術者にとって、烏合の衆が訳のわからない議論をすることは、非常に寂しい。堂々と裏金がまかり通っている発展途上国の方が、ある意味で、よほどまともかもしれない。

<カタールのエンジニア事情>
 工事終了後、インド人技術者のレベルがあまりにも低いので、インドのナスパジャキリ水力発電工事で、私のアシスタントエンジニアとして働いていたDr. S. Kumarにmailを送り、インドの土木技術はこの程度なのかと質問した。彼は、すぐに返事をよこした。
 「アラビアに出稼ぎに来る技術者は、金が目当で教育レベルはかなり低い。アメリカ、ヨーロッパで働いているインド人技術者と接触してみれば、インドの技術レベルが理解できるだろう。」と、大いに憤慨したようだった。
a) 発注者のエンジニア
 今回担当したケーブル敷設工事の発注者は、カタール水電力公社(KAHRAMAA)の電力部門で、電気関係のエンジニアがProject Chief、土木関係のエンジニアは、いくつかのプロジェクトを担当し、実際に現場で請負者に指示を出す技術者は、インスペクター(Inspector)である。
インスペクターは、ベトナムのトンネル工事で15名ほど指導した。政府から選ばれた大卒の技術者だが、ベトナム初の長大トンネル工事に役立つ経験に乏しいことは当然である。最初の段階では、かなり文句を言ったが、次第に仕事に慣れたことと、自分たちがベトナムを代表する大工事に関わっている技術者であることを自覚し、粗末な生活環境の中で驚くほど勉強していることは尊敬に値する。
このような好ましい経験があったので、カタール水電力公社でケーブル工事を担当しているエンジニアやインスペクターは、ある程度、技術的な内容がわかるものと考えていた。この期待と私の理解は、大きな間違いだった。
発注者の雇用している技術者は、エンジニア、インスペクターともにアラブ系とインド、パキスタンなどの開発途上国で、教育レベルは、日本の一般的な建設技術者と比べると格段に低い。インドのエンジニアが多く雇用されており、彼らは、Dr. S. Kumarのmailに書いてあるように金目当てできているのだろうか?
最初にインスペクターが現場のチェックに来たのは、ルート測量時だった。一般に日本のゼネコンでは、測量を入社早々の若い技術者の仕事とし、概ね3年の経験を積んだ技術者は、測量業務から離れる。更に、最近の測量機器は電子化され、私のように機械式のトランシットで測量を学んだものにとっては、現在の測量機器について行けない。ただし、測量の基本は覚えているつもりだが?
インスペクターが現場の視察に来てはじめて口にしたことは、測量機器はどこにあるかということだった。次にベンチマークの位置を質問された。カタールに来て間もない時期で、状況を十分に理解していなかったため答えられない。下請け業者がその場を繕った。
アラブ諸国で経験を積んだ日本の電気技術者が一緒にいたが、建設工事に何が必要か理解していなかったようだ。また、カタールで最初に受注した工事であり、発注者や下請業者に関する十分な情報に不足していた。残念なことに、現地の建設技術者の募集している時期であった。現地の状況の解るエンジニアがいれば、状況が飲み込めただろう。
測量については、その後、何度と無く問題が発生したため、PMに頼んで測量機械の購入と測量技術者を雇用してもらった。工事管理をする現地雇いのエンジニアは、測量ができない。また、発注者は、測量専門技術者の常駐を要求してくる。測量技術者は、長期にわたり雇用されるのではなく、プロジェクト毎に契約を結んでいる。この状況は、トルコでも同様である。このため、高給で雇用される測量技術者は、GPS等の最新測量技術を理解し、かなり勉強をしているようだ。
工事開始当初は、技術的な内容でかなり強硬な技術的要求をしていた発注者のProject Chiefや土木のエンジニアは、ある技術的なRecommendationの提出を境に、技術的な議論を避けるようになった。
高圧電力ケーブルの地中埋設では、通電時の温度上昇により、ケーブル自体が溶融することと、周辺の埋設物に対する熱の影響が問題になる。防止策として、熱伝導率の高い媒体でケーブル周辺を保護し、熱拡散を促進する必要がある。
高圧電力ケーブルは、トレンチに一定の配列で埋設される。トレンチは、幅1m程度で、ケーブルは、直径10cm、本数は3本である。従って、トレンチ内は、ケーブル敷設後、十分な空間が残り、この空間を媒体で充填する。媒体は、Dune Sand(砂漠の砂)、CBS(Cement Bearing Sand)、FTB(高流動モルタル)、ベントナイトなどが用いられる。熱抵抗率(熱伝導率の逆数)の低い媒体でケーブルを保護することが請負者の契約上の義務である。
発注者は、含水率ゼロのベントナイトの熱抵抗試験を要求してきた。ベントナイトは粘土鉱物で、結晶構造に水を含んでいるため、含水率をゼロにするためには、磁器のように1,000℃以上の高温で焼成することになる。しかし、高温下では、ベントナイトの結晶が変化するので、含水率ゼロの試験は無意味である。このような低レベルの議論は、地質学を知らない技術者でも容易に解ることであろう。この点を技術的なコメントとして提出した。この件に関して、発注者からの回答は来ていない。いつの間にか、熱抵抗試験は、話題に乗らなくなった。
KAHRAMAAの土木エンジニア(インド人)は、ラスラファンに計画中の発電所構造物基礎に関する質問をしてきた。技術サービスとして相談に乗った。少しは、日本の土木技術を認めたようだった。
工事が終点のPOGに近づいた所で、POGの中に引込む水道幹線がケーブルの計画ルートに入り込んできた。道路局の指定したコンサルタントと入念な打ち合せを行って決定したケーブルルートに他の埋設物が入ってくるなど考えられないことだが、水道幹線は、道路局の指定したルートを無視して勝手に敷設したものだった。不思議なことに、この水道幹線の所属は、同じ発注者の別部門だった。
カタールのように高温多湿の砂漠の国では、水も電気も生活に欠かすことのできないものである。電気は無くても生活できるが、水がないと死活問題である。水も電気もKAHRAMAAの管理下である。KAHRAMAA内部では、水の管理部門が強力な力を持っているようだ。
請負者としては、工期内に工事を完成することが第一条件なので、水道幹線に隣接してケーブルトレンチを掘削した。この結果、水道パイプが露出することになり、KAHRAMAAの水道部門から強烈なクレームが電気部門に送られてきた。とにかく、元の状態に戻せと言う。
技術的に考えると、埋設してある水道管を露出しても上載荷重の除去だけで何ら影響はないはずだ。線形だけ考えれば良い。水道部門のエンジニアと話合った結果、計算書を提出することになった。水圧による鉄管の変位は、厚肉円管式で簡単に計算できる。円管に作用する土圧は、土留め矢板の計算をすれば良い。翌日、計算書をmailで送付し、担当部署のSenior Engineerに説明に行ったが、内容に関する討論は全くない。ただ、日本人は約束を守り、技術力が高いとお世辞を言われただけだった。
こちらで提出した補修図面に基づいて対策工を施工した。しばらくして、水道部門のインスペクターが来て、改善しろと言う。パキスタン人だった。こちらは完全に無視し、計算書と図面をよく確認してから出直してこいと怒鳴りつけた。ケーブル工事は、KAHRAMAAの発注だが、水道部門ではない。
インスペクターが、Senior Engineerに御注進したらしく、水道部門のDirectorからPMにクレームのmailが来た。あまりにも馬鹿馬鹿しい話しなので放置しておいたら、電気部門のProject Chief(エジプト人)が文句を言ってきた。何故、計算書を提出し、了解を得て実施した防護工に文句をつけられなければならないのか?最終的に、電気部門のDirector(カタール人)が現場に来て、水道部門のエンジニアに質問した。水道部門のエンジニアは、改善について一言のコメントもなく、十分な対策であると結論づけた。ちなみに、水道部門のエンジニアは、スーダン人で博士の称号を持っているらしいが、何の博士だろう?権力で自分の専門外の技術について口を挟む輩は、技術者か?
さらなる問題は、発注者のエンジニアやインスペクターは責任を取らないと言うことである。その割には、自分たちは絶対権限を持っていると誤解し、不条理なことでも押しつけてくる。Variation Order項目や契約書類に書いていない業務でも平気で押しつけてくるので、対抗策としてConfirmation Letterを送付するように要求すると、直ちに上司に御注進。上司から当方のPMに直接電話がかかってくる。発注者に対し、「契約書に書いていない条項なのでClaim Letterを送付して良いか?」質問すると「”No Problem” 後で処理するから、とにかく言ったとおりにやれ」との回答。しかし、Claim LetterやConfirmation Letterの回答は来ない。よけいなことで、自分の立場を危うくすることを嫌うのはどこの世界でも同じだ。
私のスタッフであるスーダンのエンジニアは、スーダンコネクションを使って簡単に解決する。技術スタッフで、Arabic Nativeのエンジニアは、彼だけだ。どこの国に行っても、信用できるNative Speakerを雇用することが、工事をスムースに進めるこつだろう。
KAHRAMAAのインド人インスペクターが、はからずも言っていた「“I don’t want to take any risk”」。これが彼らの本音で、自分の技術力を向上することより、いかに自分のポジションを死守し、カタール人におべっかを使って昇進するかが、彼らの最大の課題だろう。カタール人の印象を害したら、その日からお払い箱で、国外退去になる可能性もある。
全くDr. S. Kumarのmailに書いてあった通りだ。

バナースペース

技術士協同組合

〒101ー0062
東京都千代田区神田駿河台2ー1ー19ー308(大治法律事務所内)

TEL 03-3233-2061
FAX 03-3292-7498